第327話 愛、貫け
「……あれ? ここは…」
「気がつきましたか」
バルケッタが目覚めると、目の前に美女がいた。バネ仕掛けのようにガバっと起き上がった。
「も、申し訳ありません! ジュースをかけてしまった上に、胸まで触ってしまって、重ね重ねの失礼、なんとお詫びしてよいか…」
「いいんですよ」
アイラは、笑って手を振った。
「気にはしていません。それより、私の部下が思い切り殴ってしまって、こちらこそ申し訳ないわ」
「……ごめんなさい」
ジョゼが小さくなりながら頭を下げた。
「六部のバルケッタ吏部尚書さまとは存じ上げず、大変ご無礼をいたしました」
「とんでもない! 僕が全面的に悪いんです。何も謝る必要はありません」
バルケッタは、ふと周りを見回した。察してアイラが応えた。
「ここは、控室ですわ。バルケッタさまが気を失われてしまったので、とりあえずここにお運びしたのです」
「―今まで付き添ってくださったのですか?」
「それくらいしないと、罰が当たります」
「せっかくのパーティーなのに、水を差してしまった」
落ち込むバルケッタを励ますようにアイラは言った。
「エドウィージュさまが場を取り繕ってくださいましたから、大丈夫だと思いますよ」
「エドさんが…?」
「たまたま騒ぎに気づいて飛んできてくださったんです。そのおかげで、あなたがどなたなのか、わかりましたけど」
「うわぁ。これはエドさんに叱られるな」
ますます落ち込むバルケッタを、アイラは面白そうに見つめた。
「―ところで、お二人のお名前をお聞かせくださいませんか」
「あ…申し遅れました」
アイラは、にっこりと微笑んだ。
「天馬エニフ隊の大隊長を務めております、アイラ・カジャールと申します。こちらは、同じく中隊長のジョゼ・アズナヴールです」
ジョゼは、更に縮こまりながら下を向いた。
「アイラさんにジョゼさんですね」
バルケッタは、二人をじっと見比べた。
「アイラさんは、サイノス大隊長の妹さん、ジョゼさんは、最近中隊長に抜擢された方だ」
「……よくご存知ですね」
「これでも一応吏部尚書です。人事はすべて僕のところへ集約されますから」
「天才児バルケッタさま。お噂はかねがねお聞きしておりました」
「天才児は、やめてください。まだまだ至らぬことばかりの半端者ですよ。今回がいい証左だ」
「ふふっ。そうですね。お互い、軽率でした」
一瞬、バルケッタはまぶしそうにアイラを見つめた。
「……あの、今回の不始末のお詫びをしたいのですが」
「いえいえ。お気になさらずに」
「いや、それでは僕の気が済みません。どうかお詫びをさせてください。―そうだ! 『カフェ猫耳2号店』に行きませんか?」
「『カフェ猫耳』…」
兄とのデートで連れていってもらったことが、嘘のように遠い。
「軍にもお休みがありますよね? そのときにお二人をお連れいたします」
「……ですって。ジョゼ」
アイラは、楽しさそうにジョゼを振り向いた。
「わ、私なんかがご一緒してもよろしいんでしょうか」
「もちろんですよ、ジョゼさん。お二人にお詫びしたいのです」
「で、でも、殴ってしまったのは私ですし…むしろお詫びしないといけないのは私のほうで…」
「だったら、ちょうどいいじゃない」
アイラの声が弾んだ。
「『カフェ猫耳』で、ジョゼがバルケッタさまにお詫びしたら?」
「そ、そうですね…」
ジョゼは、また下を向いてしまった。
「では、バルケッタさま。当日を楽しみにしております」
アイラは、また微笑んだ。バルケッタは、しばらくその微笑みに、ぼうっと見惚れていた。
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「バルケッタとアイラが…?」
エドウィージュから報告を受けたシルヴィアは、束の間、考え込んだ。目聡く気づいたリオネルが声をかけた。
「どうした? 何かあったのか?」
「旦那さま…。バルケッタとアイラの間でちょっといざこざがあったようです」
「いざこざ…?」
シルヴィアは、詳細を語った。聞き終えると、リオネルは大して関心を持たなかったようで、軽く応えた。
「―ふ〜ん。まあ、大丈夫だろ。バルケッタは頑丈だし、アイラも付き添っているし」
「え…ええ。身体は大丈夫でしょうけど…」
「それより、お前―」
リオネルは周りを気にしながら声を低めた。アニェスとウィンストンは、二人で話し込んでいる。
「本当にやるのかよ? ウィンストンが怒るぜ?」
「そのために、参加者を絞ったのです。外には漏らしません。あとは、全身全霊で謝罪するのみ」
「そうは言ってもな…。ある意味、騙し討ちみたいなものだし…」
「これもすべて、アニェスさまのためです。お兄さまなのだから、こういうときこそ、妹を助けてあげなくては」
「なんかなあ…俺たち、自分で自分の首を絞めてないかな…」
「しっかりしてください、旦那さま。もう後戻りはできませんよ」
「……」
リオネルは、ジロッとシルヴィアを睨んだ。シルヴィアは澄まし顔でアニェスたちに歩み寄った。笑顔で話しかける。リオネルは、大きなため息を一つつくと、会話の輪に加わろうとした、そのとき。
「―アニェスぅーっ!」
大広間の大扉から、大音声が轟いた。
一斉に人々はその人物に注目した。しんと静まり返る、その中を堂々と歩いてくる姿は…
「アダン!?」
アニェスは、目の前に近づく彼に瞠目した。民間人は招待されていないはずだ。それなのに、なぜ彼は入ってこれるのか?
「アダン。何しに来た?」
ウィンストンが一歩前に出た。しかしアニェスは、彼を制して自身がアタンと相対した。
「お祝いに来てくれたのよね? ね、そうよね?」
「アニェス…」
アダンは、一度うつむいた。
「……ごめん、アニェス。ごめんな」
「え…。何? 聞こえない」
「……!」
アニェスは、聞き取ろうと前かがみになった。その瞬間をアダンは逃さなかった。
ふいにアニェスを抱きしめた。
「えっ!?」
戸惑うアニェスには構わず、そのまま抱え上げると、脱兎の如く走り出した。
「なっ…!?」
驚いたのは、ウィンストンである。慌ててあとを追おうとした。すると。
「待って! 殿下!」
シルヴィアが両手を広げて立ちふさがった。
「どいてくれ! シルヴィアどの!」
「いいえ。行かせません」
「何だと!?」
「私は、アニェスさまと殿下の結婚に反対しますっ!」
「何っ!?」
ウィンストンはシルヴィアを睨みつけた。シルヴィアも同じように睨み返した。両者の間で、俄に緊張がみなぎった。
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「何をするのっ!? 離して!」
「駄目だっ! 離さない!」
アニェスとアダンは、押し問答を繰り返していた。それでもアダンは足を止めない。
「どうして!? アダンっ。納得したはずでしょ!?」
「俺は、納得してない!」
「嘘よっ。二人で出かけたときに話し合ったじゃない!」
「俺はっ! 納得したなんて、一言も言ってない!」
「今さらそんな言い訳、通用しないわ! もう私は決めたの!」
「お前は、俺が幸せにする! ほかの男に渡しはしないっ」
「アダン! お願い、降ろしてっ」
「駄目だっ」
「……」
アニェスは、唇を強く噛んだ。早く戻らねば、ウィンストンが疑う。結婚は偽りだったと、激怒してしまう。
アダンは今、アニェスを両手で抱えている。顔はがら空きだ。アニェスならば、脱出は容易にできる。それなのに、動けなかった。
理性では戻るべきだとわかり切っている。それなのに、感情が言うことを聞かない。アダンに身を委ねろと叫んでいる。
アダンは皇宮を飛び出し、庭園へと向かった。そこで脚がもつれた。既に体力の限界に達しようとしていた。
「きゃあ〜っ!?」
アニェスは思わずアダンの首にしがみついた。アダンは歯を食いしばり踏ん張った。何とか転倒を免れて踏み留まると、ようやく走るのをやめた。
「……」
荒い息がアニェスの顔にかかる。
「……アダン。もういいわ。降ろして」
アニェスは、アダンの頬に手を当てた。アダンは素直に従った。
「……」
アダンは両膝に手を置き、しばらく動けなかった。
「―アダン。どうしてこんな無茶なことをしたの?」
「お前のことがっ…好きだからっ…」
「アダン…。気持ちは嬉しいわ。でも、この前、二人で答えを出したじゃない。なんで今さら蒸し返すようなことをするの」
「……不幸とまでは言わない。でも、自分の心を偽って生きるのは良くないよ。お前の人生はお前のものなんだぞ。誰のためでもない、自分のために生きるべきだ」
「お兄さまのため、国のために生きると決めたのは私自身よ。私のために選択したのよ」
「違うっ! お前はそうやって自分の心を騙しているだけだ。本心は、ウィンストンとの結婚を望んでいない」
『あなたに何がわかるの? 私がどんな思いで決心したか…わかったようなことを言わないでっ」
「ああ、わからないね。わかりたいとも思わねえ。自分を騙す決心なんかクソくらえだ!」
「……アダン。お願いよ。私をこれ以上苦しめないで」
「だったら、本心を聞かせてくれ。お前は、俺のことをどう思ってるんだ?」
「……別に、何とも思っていないわ」
「この期に及んで嘘をつくのか? デートしたとき、俺のことを好きだと言っただろう?」
「そ、それは、子どものころの話よ」
「俺の瞳を見て、今も好きだと言っただろう? あれは、俺のことも好きだという意味なんだろ?」
「アダン…」
アニェスの顔が歪んだ。黒い瞳から涙がこぼれ落ちた。アダンは、そっと抱きしめた。
「……好きだ、アニェス。子どものころからずっと。お前のことだけを見ていた。愛しているんだ」
「……!」
アダンは、アニェスの肩を抱き起こした。黒い瞳を覗き込む。
「―アニェス。俺と、結婚してくれ」
「……」
アニェスの瞳から、次々と涙があふれた。
「……私…アダンのことは…良い思い出として封印して…結婚するつもりだった…それなのに、さっきアダンに抱きかかえられたとき…何もできなかった…」
「……」
「……殴ってでも、戻るべきだとわかっているのに…できなかった…」
「……」
「アダンのことがっ…好きだからっ! 好き…だから―」
アニェスは泣き崩れた。
「ごめん、アニェス。ごめんな、守ってやれなくて」
「アダン…」
「アニェスを止める勇気がなかった。お前は、たくさんサインを出してくれてたのに。きっと、俺に止めて欲しくて、たくさんたくさん出してくれてたんだ。それなのに、俺は見て見ぬふりをして、一度は諦めた。だけど、シルヴィアにどやされて、目が覚めたよ」
「……お義姉さまが…」
「この計画も、みんなシルヴィアが考えたんだ。俺は二度と諦めない。死ぬまでお前を守る。必ず守るから…俺と、結婚してくれ」
「……」
アニェスは、泣き笑いの表情を浮かべた。
「……こんな私で良かったら、どうかよろしくお願いします」
【裏ショートストーリー】
ファニー「アダンさま」
アダン「誰だ、お前?」
ファニー「煌豹団団長、ファニーと申します」
アダン「こう…何だって?」
ファニー「煌豹団です。シルヴィアさま直属として諜報活動を行っております」
アダン「ふ〜ん。あいつ、そんな奴らまで飼ってるのか」
ファニー「パーティー会場へご案内します」
アダン「俺を連れていってくれるのか」
ファニー「シルヴィアさまのご指示にございます。アダンさまを無事お連れするようにと」
アダン「それは助かる」
ファニー「では、こちらにお着替えを」
アダン「あ…? そりゃ、侍従の制服だろう?」
ファニー「民間人は立ち入り禁止となっております。そのお姿のままでは、皇宮にすら立ち入ることができません」
アダン「そんな話は聞いてねえ」
ファニー「それゆえ、私がお迎えに上がったのです」
アダン「へえ…。ま、シルヴィアの指示じゃ、しょうがねえ。着替えるよ」
ファニー「それがよろしいかと」
……………
アダン「どうだ? 侍従に見えるか?」
ファニー「お似合いでございます。……では、こちらへどうぞ」
アダン「いっそ、帰りも付き添ってくんねえかな」
ファニー「はい…?」
アダン「いや、なんでもねえ。これは、俺が一人でやらなきゃな」
ファニー「……」




