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第324話 それぞれの正義

「アダン。いる?」


シルヴィアは、シュバリエ商会を訪ねていた。随行はサンドラのみである。


「よう、猫耳王女。待ってたぜ」


アダンは、ソファから立ち上がった。


「呼び出してくれれば、俺の方から皇宮に行ったのに」


「皇宮じゃ、話しづらいことなの」


「……まあ、座れや」


シルヴィアは、促されるまま、ソファに腰を落ち着けた。アダンは、手慣れた様子で紅茶をシルヴィアの前に置いた。カップではなく、平(・)皿(・)であった。


「体調はどうなんだ? 四週間も眠りっ放しだったんだろ?」


膨らみ始めたお腹をジロジロ見ながらアダンは訊ねた。


「ありがとう。もう大丈夫よ。むしろ倒れる前より良いくらい」


「そりゃ、良かった」


「アダン。今日訪ねたのは、アニェスさまのことよ」


「……アニェスがどうした?」


「正式にウィンストン殿下との結婚が決まったの」


「……へえ。そうかい」


「近いうちに、皇宮から発表があるわ。その前にあなたに伝えておこうと思って」


「わざわざ、そりゃどうも」


「……」


シルヴィアは、透明に近い薄い青色の瞳を黙って覗き込んだ。


「……何だよ? 何が言いたい?」


アダンは、ジロッと睨み返した。


「別に何も。ただあたしは、これからの王族は自由に恋愛すべきだと思っているだけ」


「なんだ、そりゃ? 庶民の俺には関係ねえだろ」


「ときには政略結婚だって必要だと思うわ。でも、王族だって一人の人には違いないんだし、好きな人と恋愛して結婚したっていいはずよね」


「そんなこと俺に言われても、どうしようもねえ」


「そうかしら。あたしは、そうは思わないわ」


「……」


「アニェスさまの行動基準は、いつも旦那さまだわ。旦那さまのため、皇室のため、ご自分を殺していかに役に立つか、そのことばかり」


アダンは、嫌そうにそっぽを向いた。しかしシルヴィアは構わなかった。


「そんなの、不健全だし、この先決してアニェスさまのためにならない。あたしはアニェスさまに幸せになってもらいたいの」


シルヴィアは、いったん言葉を切った。そして断固として言った。


「それができるのは、アダン。あなたしかいないわ」


しばらくアダンは、何も言わなかった。そっぽを向いたまま口を一文字に引き結び、身動ぎ一つしなかった。


やがて、目を伏せたまま、静かに口を開いた。


「―アニェスは、一度決めたことは貫き通す。誰も干渉することはできない」


「違うわ。確かにあたしじゃダメ。アニェスさまを動かすことはできない。でも、あなたなら、できる。理由はわかるわね?」


「俺は一度止めたんだ。でも、アニェスはウィンストンを選んだ。これ以上、俺にどうしろっていうんだよ」


「アニェスさまを止めた? どういうこと?」


「……」


「アダン。大事なことよ。教えて。止めたって、どういうこと?」


「……」


「アダンっ!」


きつく問われて、アダンは、渋々といった様子でデートでのやり取りを話した。聞き終えると、シルヴィアは悲しそうに金色の瞳を伏せた。


「―そう。アニェスさまったら、プロポーズを断ったのね」


「だから、言ったろ? 俺にはもう、できることはねえんだ」


「……」


シルヴィアは、じっと考え込んだ。アダンやサンドラが黙って見つめる中、ふいに顔を上げた。金色の瞳がくるめいている。


「―こうなったら、強行手段を取るしかないわ」


「シルヴィアさま!? 何をなさるおつもりなのですか?」


慌てたのはサンドラだった。何をしでかすかわからない主人のことを、最も理解しているのは彼女なのだ。


「また法外なことを企んでいるのではないでしょうね?」


「失礼ねー。あたしのことを何だと思っているの。ちょっとしたサプライズを仕掛けるだけよ」


「……」


サンドラは、疑わしげに主人を見た。しかし次のシルヴィアの言葉で、図らずもその疑念は決して杞憂ではないことを証明した。


「アダンには、誘拐犯になってもらうわ。ただそれだけの話よ」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ジェルヴェ。ブランシャールの東南部に位置する小都市である。


カトゥスとの交易路から外れ、これといった特産品もない。戦略上からも経済上からも重要な地位を占めているとはお世辞にも言えない町に、一風変わった一行が現れた。


若い男一人に少女が二人。もう一人は、頭からすっぽりとフードを被り、足元まで覆うコートで全身を包んでいる。旅人はおろか、野盗団ですら立ち寄らないこの寂れた町に、客が訪れること自体、珍しい。


その一行は、城門の門兵に形だけの検問を受けてすんなりと町へと足を踏み入れた。


「……これからどうなさいますか?」


全身コートの人物が若い男に尋ねた。


「そうだね。とにかくクレールさまを休ませたい。城館をもらおう」


ガブリエルは―無論、若い男はガブリエルだった―さも簡単なことのように言った。天使のような微笑みを浮かべながら更に続けた言葉は、悪魔のような内容だった。


「城館に巣食う虫どもは皆殺しだ。さして役に立たないし。市民は、ゆくゆくはディガンマにするから、気づかれないよう一人残らず素早く確実に始末するんだよ」


「はぁーいっ! 任せてぇ!」


つばのある帽子を被った少女が、元気よく手を挙げた。


彼らは、すぐに城館へたどり着いた。所詮は小さな田舎町である。城館もこぢんまりとしたものだった。


「……小さいね。ママ、気に入ってくれるかな?」


「大丈夫さ、ジュディ。クレールさまは、僕たちの居る場所が我が家なんだから」


「そうだよね〜。それじゃあ、大掃除だあ〜」


ジュディは、飛び出した。城館の門兵が気づいて誰何しようとした、刹那。頸から血を噴き出して倒れた。即死だった。


ほぼ同時にもう一人の門兵も首を飛ばされて絶命していた。声を上げる暇もなかった。首のない死体の側では、ゆらりと身体を揺らせたミラベルが曲剣を片手に無表情でたたずんでいた。


ガブリエルと全身フードは、その横をすたすたと通り過ぎた。死体には一瞥すらしなかった。


「ランディ」


「はい、お父さま」


「掃除が終わったら、すぐにクレールさまをお連れしてきて。きっとリュカがやきもきしているだろう」


「承知いたしました」


「ここを拠点に、『迷いの森』の探索を始めるよ。そのために、近い場所を選んだのだから」


「はい」


「返すがえすも、ヴァンドルディを失ったのは痛かった。あの子がいれば、こんな拠点作りなんてしなくてもひとっ飛びだったのに」


「……」


「でも、まあいいさ。概ね計画は予定通り進んでいる」


ガブリエルは、天使の微笑みを浮かべた。皮肉以外の何物でもないその微笑みは、更に凄惨さを増していた。


「僕たちの世界は、もうすぐそこまで来ている。―楽園という名の世界が、ね」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


皇宮から、重大発表があった。


それは、皇妹アニェスとクリフォード王国王太子ウィンストンとの結婚であった。


かねてから噂の高かったその報に、市民は大いに驚き、かつ祝福した。


当人たちが市民の前に現れることはなかったが、それとは関係なく、リシャール市中はお祝いムード一色となった。


かつてシルヴィアの懐妊時と同様に、アニェスの結婚祝セールと銘打ち、各商店はここぞとばかりに売り込みに精を出した。


市民もこのお祭りに乗り遅れまいと、こぞって街へ繰り出した。どこもかしこも人であふれ返り、リシャールは街全体が狂騒の渦と化した。


その喧騒は、ここリオネルの私室にも届くほどであった。


「あ〜あ…。とうとうアニェスが盗られちまう」


ベランダで街を見下ろしながら、リオネルは嘆きに嘆いた。シルヴィアは、目を瞋らせた。


「旦那さまっ!? 人聞きの悪いこと仰らないで!」


「盗まれたも同然だよ〜」


「双方、納得の上での結婚ですっ」


「でもよぉ。アニェスはアダンのことが好きなんだろう? ほんとに納得してんのかよ〜」


「アニェスさまがそう明言されているのですから、あたしたちがとやかく言うことではありませんわ」


「結婚披露パーティーもしないんだろ? アニェスだぞ? 盛大に祝ってあげたほうがいいんじゃないのか?」


「もちろん、パーティーは、します。ただ、諸外国をお呼びするような大々的なものはしない、ということですわ。それは、アニェスさまのご希望でもあります」


「だとしてもよ、クリフォードの国王くらいは呼んだほうがいいんじゃないか? 父親だぞ?」


「それも、ウィンストン殿下のご希望ですから」


シルヴィアは、澄まし顔で答えた。


「……ほんとに、二人の希望なんだろうな?」


リオネルは、疑わしそうに妻の横顔を見つめた。シルヴィアは、街の様子を眺めながら実に楽しそうに言った。


「当たり前ではないですか。お二人の晴れの門出なんですから。できるだけご希望に沿いましょうよ」


「まあ、そうなんだけどよ…。あ〜あ。寂しくなるなあ」


「ご結婚されてもリシャールに留まるんですから、これまでと変わりありませんよ」


「でもなあ。人妻となれば、気楽に会えなくなるしなあ」


「サロンは継続します。そんなに嘆かないで」


「あ〜あ…」


「大丈夫。きっと上手くいきます。―上手くいかせます」


「……ん?」


シルヴィアの声音に違和感を覚えたリオネルは、ふと妻の顔を見た。いつの間にか彼女は、リオネルに視線を向けていた。その金色の瞳はキラキラとくるめいていた。


「あたしは、アニェスさまのお味方ですわ。これまでも、この先も、ね」

【裏ショートストーリー】

ジュディ「マルディって、ボクが生まれたとき、いなかったよね?」

ミラベル「……」

ランディ「マルディは、お父さまの命でリオネル軍に潜入していたのだ。逐次、情報を送ってくれていた」

ジュディ「ふ〜ん。知らなかった〜。見た目は人間族だね。角もないし、ほんとにお前、ママの子どもなの?」

ミラベル「……」

ランディ「マルディは特別だ。今は角はないが、そのうち生えてくる」

ジュディ「へえーっ! マジか!? 不思議ぃ〜っ!」

ミラベル「……」

ジュディ「おい、マルディ! なんで黙ったままなのさ? 少しは、しゃべりなよ!」

ミラベル「……少し黙れ」

ジュディ「なんだって!?」

ミラベル「黙れと言った。お前、うるさい」

ジュディ「……ふ〜ん。いい度胸してるね? 殺すよ?」

ミラベル「やれるものなら、やってみろ」

ジュディ「……!」

ランディ「こら、ジュディ。きょうだいで喧嘩はご法度だぞ」

ジュディ「ケンカを売ってきたのは、こいつのほうだよっ」

ランディ「からんだのは、お前の方だ」

ジュディ「ランディはマルディの味方をするんだね。だったら二人を相手にしたっていいんだよ?」

ガブリエル「ジュディ! 喧嘩は良くないよ」

ジュディ「あっ!? パパ! ごめんなさぁーい」

ガブリエル「マルディは、ジュディのお姉さまなんだから、仲良くしなくては駄目じゃないか」

ジュディ「や〜ん! 怒らないでぇーっ!」

ガブリエル「それなら、仲良くできるね?」

ジュディ「うんっ! 仲良くできる! ……マルディ、ごめんね。ボクと仲良くして」

ミラベル「……わかった」

ガブリエル「よしよし。みんな良い子たちだ」

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