第323話 狂飆の決断と義妹の決意
アイラは、ずらっと並んだ三百人を見渡した。
皆、どこか荒んだ表情をしている。何しろ、大隊長のミラベルが敵のスパイだったことが判明したのだ。意気消沈して当然である。
しかも、他の隊から心無い罵声も浴びせられた。下手をしたらエニフ隊が瓦解してもおかしくなかった。それを、これまで必死にまとめてきたのはアイラとレイモンの中隊長二人であった。
そして今、隊を本格的に立て直すため、アイラは先頭に立っている。
「シルヴィアさまから、依命通達を受けました」
アイラは、一通の紙を掲げてみせた。シルヴィアのサインが入った通知文であった。
「正式に、エニフ隊の大隊長を拝命しました。まだまだ未熟者ですけど、よろしくお願いします」
エニフ隊は、静かに話を聞いている。ある程度予測していたのだろう、高揚も何もない。既にアイラは事実上、エニフ隊を指導している。実に名が追いついただけなのだ。
「まずは、空席の中隊長を決めなくてはなりません」
アイラは、有無を言わせぬ迫力で言い渡した。
「ジョゼ・アズナヴール! ブリュノ・エーメ! この二人に中隊長を命じます!」
このときばかりは、どよめきが起こった。それもそのはず、ブリュノは先の入隊試験で入ったばかりの小隊長であり、ジョゼに至っては小隊長ですらない。30人いる小隊長を軒並み抜き去っての大抜擢であった。
「―アイラ大隊長さま! 申し上げますっ! 大隊長さまっ!」
ジョゼは、手を挙げて必死に声を張り上げた。平隊員の彼女は、隊列の最後尾に立っている。
「ジョゼ! 言いたいことがあるなら前に出てきて。声が遠くてよく聞こえないわ」
ジョゼは、仕方なさそうに一番前に出てきた。
「アイラ大隊長さま。私なんかが中隊長だなんて、とても無理です。ご辞退申し上げます」
「どうして? これまで何度も立ち合い練習を重ねてきたわ。あなたはいつも最後まで残っていた。実力はエニフ隊随一よ。中隊長に相応しい」
「わ、私は、小隊長ですらありません。隊長なんて、やったことないんです。私には無理です」
「やったことがないのに、なぜできないと初めから決めつけるの? 泣き言は、やってみてから言いなさい」
「そ、そんな…」
「みんなは、どう? ジョゼの中隊長に反対の人はいる? いるなら手を挙げて」
誰一人、身動ぎ一つしない。
「ほら、みんなあなたのことを認めてる」
「で、でも…」
「そんなに心配しないで、ジョゼ。私がフォローするわ。あのときと同じよ。トカゲ戦で見事にトラウマを克服したあなたなら、必ずできる」
ジョゼは暫くもじもじしていたが、やがて小さくうなづいた。
「……はい。わかりました」
「よろしくね」
アイラはにっこりと微笑んだ。
それはまさしく、美の女神マイアもかくやという神々しさに満ち溢れていた。
エニフ隊は、誰もが彼女に見惚れた。
「―それじゃあ、みんな。新体制の元、力を合わせて頑張りましょう。少し他の隊に差をつけられちゃったけど、これから盛り返していきますよっ」
輝く笑顔が弾けた。
「多くを語ろうとは思わないわ。行動で示すのみよ。他の隊のやつらなんか、気にしないで。私たちは天馬エニフ隊。天馬隊最強なんだから!」
隊員たちの目に力が甦った。皆、キラキラと輝かせながら、エニフ隊が誇る美の女神『狂飆のアイラ』を仰ぎ見た。
「―アイラっ!」
「『狂飆のアイラ』っ!」
「俺たちの戦女神だっ!」
エニフ隊から、大歓声が巻き起こった。
これが、サンドラに並ぶ絶世の美女隊長が誕生した瞬間だった。
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「ご機嫌よう、アニェスさま」
シルヴィアは、アニェスの私室を訪れていた。リオネル抜きで話がしたいと事前に約束していたのである。
「どうぞ、こちらへお出でください、お義姉さま」
いつものテーブル席へと案内された。サンドラとコレットが付き従っている。メロディは、子どもたちの面倒を見るため居残りだ。今日は体調がいいらしい。
「お忙しいのに、お部屋へ押しかけてしまってごめんなさい」
「いえいえ。お義姉さまならいつでも大歓迎ですわ」
お茶を持ってきてくれたソフィに微笑むと、シルヴィアはおもむろに口を開いた。
「―今日伺ったのは、ウィンストン殿下との結婚についてなの」
「そうだと思っていました」
「単刀直入にお聞きしますね。……アダンのことが好きというのは、本当ですか?」
北の大国クリフォードとの友好条約の一環として、王太子ウィンストンと皇妹アニェスとの結婚話が進んでいる。
その話し合いの席上、ウィンストンが暴露したのが、アニェスとアダンとのロマンスであった。
「アダンとは、ただの幼馴染です。恋愛感情はありません」
「ウィンストン殿下は、確信がお有りのようでしたけど」
「勘違いなさったのでしょう。確かにアダンとは仲良くさせていただいていますから」
「……」
シルヴィアは、じっと義妹を見つめた。
「……あたしはこれまで、アニェスさまには何でもお話ししてきました。一度は胸に収めようと思ったことも、アニェスさまにだけは打ち明けてきたのです。どうか、胸の内を明かしてはくださいませんか」
「私はただ、お兄さまのお役に立ちたいだけです。アダンでは何の足しにもなりません」
「そういうことをお聞きしているのではありません。おわかりでしょうけど」
「……」
「アダンのことを好きかどうかをお聞きしているのです」
「ですから、先ほど申し上げましたよね? 恋愛感情はないと」
珍しくアニェスは、苛立ったように言った。その瞬間、シルヴィアは確信した。
「……そうですか。やっぱりアダンのことが好きなのですね」
「―! な、何で決めつけるのですか? 私は違うと言っているのに」
常に冷静なアニェスが、動揺し切っている。ますますシルヴィアは確信した。
「アニェスさま。あたし、少し安心しましたわ」
「えっ…」
「女神さまの生まれ変わりのようなアニェスさまは、いつも冷静で小揺るぎもしない方だわ。でも今のあなたは、どこにでもいる普通の女の子です」
「……」
「あたし、ウィンストン殿下との結婚、賛成していました。政略結婚でも真実の愛が見つかるんだって、身をもって知っているから。だから、アニェスさまが納得しているなら、いいと思っていたの。だけど、アニェスさまに好きな人がいるなら、話は別だわ」
「……」
「アダンのことが好きなのに、どうしてウィンストン殿下との結婚話を受け入れるのですか? それも旦那さまのため?」
「……私は、お兄さまのために生きると決めたのです。そのためなら、何でもする覚悟です」
「それは健全な精神とは言えないわ」
「……」
「旦那さまに対する献身的な態度、とてもご立派だと思います。でも、自己犠牲は一見美しいですけど、残された者にとっては残酷以外の何ものでもないわ。愛する人が自分のために身を犠牲にした、だなんて、重い荷物を背負わされるようなものだとお思いにならないのですか?」
「私は、決してそんなつもりは―」
「自覚がないのなら、余計に始末が悪いわ。それは、独りよがりということじゃないの」
「……」
アニェスは、一瞬、シルヴィアを睨んだ。知り合って、初めてシルヴィアに向けた激しい感情だった。リオネルの浮気事件のときですら現さなかった感情だ。しかしそれは、すぐに消えた。むしろ、笑みさえ浮かべた。
「―お義姉さま。わざと私を怒らせようとしましたね? 怒りに任せて、心情を明かすように仕向けたのでしょう?」
「……あは。バレました?」
やはりアニェスは、頭の良い女性だ。小細工は通用しない。
「ありがとう、お義姉さま。私を慮ってくださって。でも、本当に大丈夫よ。実際、ウィンストン殿下は、お優しくてとても良い方。決して自己犠牲だとは思っていません」
「アニェスさま…」
「それに、結婚してもリシャールに留まるのです。この先も、お兄さまやお義姉さまのお側にいますから」
「うっ…」
突然、ソフィがむせび泣いた。アニェスは、優しく叱りつけた。
「ソフィ。泣いては駄目じゃないの。私の侍女としての覚悟が足りないわ」
「申し訳…ございません」
それでも涙が止まらない。抑えに抑えていた感情が爆発してしまったのかもしれない。
「……仕方のないソフィ」
アニェスは、一つため息をついた。そして、改めてシルヴィアに向き直った。その黒い瞳は、強い意志を示すように光輝いていた。
「お義姉さまのお心遣い、深く感謝いたします。でも、もう決めたことです。私は、ウィンストン殿下と結婚します。それが最も正しいことなのだから」
【裏ショートストーリー】
マリユス「おい、これはどういうことだよ!?」
アイラ「いったい、何の話?」
マリユス「とぼけんなっ! 俺が小隊長って、どういうつもりだ!? 言ったよな? 俺は隊長になりたくないって」
アイラ「確かに聞いたわ。でもブリュノを中隊長に引き上げちゃったし、他に適任者がいないのよ」
マリユス「ふざけんなっ! ジケルとか他にもいっぱいいるだろが!」
アイラ「どうしてそんなに嫌がるの? 普通昇任すれば嬉しいはずでしょう?」
マリユス「お前はどうなんだ? 大隊長になって嬉しいか?」
アイラ「私は…仕方なくよ」
マリユス「ほれみろ! 嬉しくないだろ!? 俺だって同じだ!」
アイラ「私は新参者だし、どうしたって生え抜きの方々に遠慮があるわ。できればなりたくなかった。なるとしても、もっと後が良かった。でもあなたは違う。剣の腕は立つし、古参隊員だわ。みんなも納得して指揮に従うわ」
マリユス「お前はみんなに認められている。天馬隊は強いやつが偉い」
アイラ「その偉い私が命じているんだから、言うことを聞きなさい」
マリユス「嫌なこった! 無理強いするなら、辞めてやるっ!」
アイラ「ったく! 強情ね…。わかったわ。小隊長は撤回する」
マリユス「……それでいい」
アイラ「ただし! 代わりに私の副官になりなさい」
マリユス「あ…!? 副官だと!?」
アイラ「隊長じゃなきゃいいんでしょ? これは受けてもらうわよ」
マリユス「……なんだかなあ…。まあ…副官ならいいか」
アイラ「良かった。それじゃ、よろしくね、副官さん」
マリユス「……」




