第316話 むかし語り
今日も見渡す限りの草原の中を歩いていた。
何日こうして通っているだろう。ここにいると、時間の感覚が麻痺してしまう。
見えてきた。
草原のど真ん中にぽつんと置かれた白いテーブル席。
その席に座る猫シャウラの姿をしたアベニール。
「こんにちは、アベニールさま」
「ご機嫌よう、シルヴィア」
「今日で何日目かしら。アベニールさまの講義を受けるのは」
「講義だなんて、そんな大層なものではありませんよ」
ほよほよと笑うアベニール。女神の三女といっても、王侯貴族の姫君と何ら変わるところはない。今では、シャウラの姿も見慣れた。
「お茶でも飲みながら、昨日の続きと参りましょうか」
「はい、アベニールさま」
「―さて、ガゼルがセヴィルを封印したところまでお話しましたね」
「ええ。約6千年前に行われた神々の大戦によって、ガゼルさまが勝利した、ということでした」
天空の女神フレイは、三人の娘たちに地上の支配を任せていた。
かつて地上には、多くの種族が暮らしていた。人間族、猫耳族、犬牙族の他、羊角族もその一つだった。
フレイの次女セヴィルは、独占欲の強い性格をしていた。地上の支配を姉妹三人で分け合っていることにかねてから不満を抱いていた。
ついに彼女は、全支配権を求めて傘下の羊角族を率い、姉ガゼルに戦いを挑んだ。セヴィルは得意の魔法を駆使し、直属の部下の七曜珠を押し立てて攻め寄せた。
気が強く武術を好むガゼルは、受けて立った。ガゼルには、有力な六人の配下がいた。俗に六将星と称し、彼らを前面に立てて、激しい戦いを繰り広げた。
心優しい三女のアベニールは、戦いをやめるよう両者の間で必死に説得した。しかし二人は末妹に耳を傾けず、争いは熾烈を極め、地上は荒廃した。
六将星の活躍もあり、大戦はガゼルの勝利で終わった。敗れたセヴィルは、ガゼルによって指輪と共に封印された。
「―でもフレイは、姉妹で争った大戦を快く思いませんでした」
アベニールは、悲しそうに言った。
「二人は無辜の人々を顧みず、我欲によって戦いを続けた結果、地上世界を一度死へと追いやったのです。フレイにとっては、セヴィルだけではなくガゼルも許すことはできませんでした。そして、勝者となったはずのガゼルは、フレイによって聖剣ごと封印されてしまったのです」
「結局、二人とも封印されてしまったのね」
「二人が去った地上世界は、生き残った人々の大変な努力の結果、再建されました。それが、今の世界なのです」
「……でもアベニールさま。羊角族なんて聞いたことありません」
「セヴィルの敗北に伴って種族ごと消滅してしまったからですわ。同時に魔法も聖剣も失われ、伝説やおとぎ話の世界の出来事となってしまいました」
「ふ〜ん…」
感心したような呆れたような様子でシルヴィアはため息をついた。
「びっくりだわ。子ども向けの作り話でも何でもなかったのね」
「ところが、封印されたはずのセヴィルが復活してしまったのです。封印を解いた者こそ、ガブリエルです」
「にゃっ!? ガブリエルが?」
「ブランシャールの皇都リシャールは、もともとセヴィルを封印するために建てられた宮殿のあった場所なのです」
「にゃにゃっ!? てことは、皇宮のどこかにセヴィルがいたということ?」
「そうなります。長い年月の間に伝承は失われ、人間族が国を開きました。それがブランシャール王国でした。ブランシャールは周辺の国々を飲み込み、帝国へと成長しました。皇宮は拡大され、セヴィルの封印場所もどこかわからなくなってしまいました」
「……」
「しかし、偶然ガブリエルが発見した。セヴィルは、指輪の力を与える代わりに封印を解くよう取り引きをした。その結果が、悪魔リオネルの誕生だったのです」
「ちょ、ちょっと待って、アベニールさま。それは、グロリアお姉さまが輿入れした世界の話?」
「そうです。シルヴィアはカトゥスの将軍となり、アニェスやギーは亡くなり、孤独の中でリオネルはセヴィルと契約して魔法使いとなった。これが、悪魔の皇帝リオネル誕生の真相です」
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「毒殺だと!?」
リオネルは、セルジュの報告に目を剥いた。寝耳に水とはこのことである。
「誰だ、そんなことをした奴は!?」
「わかりません。ただ、ジュスティーヌを幽閉していた塔に侵入できる者の仕業であることは確かです」
リオネルとアニェスは、淡々と報告するセルジュを無言で見つめた。実姉を呼び捨てにしたからである。
「―セルジュさま。無理をなさっていませんか?」
やがて、アニェスは労るように言葉をかけた。
「……私は、何も無理はしていませんが」
セルジュの表情は変わらない。内心では思うことがあるに違いないが、少なくとも表面上は微塵の動揺も見られない。
アニェスは、それ以上言葉を続けることができなかった。ただ痛ましそうに見守るだけだった。
リオネルは、何かを振り払うように、殊更大きな声で言った。
「あの尖塔は、貴族専用だ。入れるとしたら、ガブリエルのクソ野郎だけだろうな」
「まっ! お兄さまったら、お口の悪い」
「クソにクソと言って何が悪い」
「……」
一瞬、アニェスは寂しそうな表情を浮かべた。ここにシルヴィアがいれば、きっとリオネルにツッコミを入れていたに違いないのだ。
場が暗く沈みかけた。セルジュは、間髪入れず口を開いた。
「牢の床には、毒の入った小瓶が割れていました。含んだ後に投げ捨てたか、あるいは拒否して暴れるかして割れたか、どちらかと思われます」
「せめて前者であってほしいな。最後くらい、高位の貴族として潔く逝ったと思いたい」
「……これで、見せしめのための公開処刑は実施できなくなりました。今後、如何いたしましょう?」
あくまでもセルジュは淡々としている。そんなセルジュを心配そうに見つめながら、アニェスが言った。
「仕方ありません。毒殺の件は伏せて、急な病でお亡くなりになったと公表すべきかと思います」
セルジュはリオネルを見た。小さくうなづくのを確認する。
「承知いたしました。そのように進めます。―実は、もう一件、上奏したき案件がございまして」
「なんだ?」
「キトリー工部尚書からの具申です。此度のリシャールにおける魔獣との戦闘において被害を受けた市民に対する補償問題です」
「補償だと?」
「はい。多数の建物が破壊され、市民はその再建に難渋している由。その費用について皇宮から補助金を支給してはどうかとの案でございます」
「それは素晴らしい案だわ」
アニェスは、諸手を挙げて賛成した。
「是非、行うべきです」
「―と、我が妹が言っている。滞りなく実施してくれ」
「はっ」
「それにしてもキトリーがそんなことを言うなんて。他者を思いやることができるようになったのね。とても感慨深いわ」
アニェスの笑顔が弾けた。元部下の成長がよほど嬉しいらしい。
「……まあ、これには裏がありまして」
セルジュは苦笑いを浮かべた。
「もともとは、水道敷設がきっかけだったようで」
「ん? まさか、また揉め事か?」
リオネルの表情が曇った。キトリーは以前、市民に立ち退きを強いて訴えられたことがある。
「近いものがあります。建物が破壊されたのをいいことに、その地下に水道を敷設しようとして市民と揉めたそうです」
「なんだよ。結局自分のことしか考えてねえのかよ」
「そのときは、キャロル秘書官が善処すると約束して収めたとか。それで捻り出したのが補助金というわけでして」
「補助金を考え出したのも、秘書官か。キトリーのやつ、ちっとも成長してねえ―」
リオネルは、アニェスの表情に気づき、言葉を呑み込んだ。
先ほどの嬉しそうな笑顔から一転、こめかみに青筋が立っている。今にも雷が落ちそうだ。
「……セルジュさま。後でキトリーを呼んでください。サロンで待っています、と」
「は、はい」
「まあまあ、アニェス。そう怒るなって。キトリーに悪気はねえんだからさ」
「いいえ、駄目です。あの子には説教が必要です。それもたっぷりとね」
この世に女神の怒りほど恐ろしいものはない。リオネルだけではなく、セルジュまでもが首をすくめるのであった。
【裏ショートストーリー】
セルジュ「姉上…」
フルール「あら!? お父さま。お一人で月見酒ですか?」
セルジュ「フルールか…。まあな」
フルール「……もしや、伯母さまを偲んでいらしたのですか?」
セルジュ「ジュスティーヌは、大罪人だ。伯母などと呼ばなくてよい」
フルール「……そうですか。やはり、独り偲んでいらしたのですね」
セルジュ「私の話を聞いているのか? ジュスティーヌは大罪人と…」
フルール「では、私もご相伴させてください」
セルジュ「……生意気を言いおって。酒も飲めぬ子どものくせに」
フルール「子どもでも、話し相手くらいにはなれますわ」
セルジュ「まったく…。言い草までだんだん母親に似てきおった」
フルール「それはそうです。お母さまの娘ですもの」
セルジュ「……弟として、もっとできることがあったのではないかと思っていただけだ」
フルール「リオネル陛下との橋渡しをすべきだった、と?」
セルジュ「時すでに遅し、だがな」
フルール「伯母さまの性格では、仮に一時大人しくされたとしても、すぐにまた叛心が沸き起こりましょう。この結果は必然だったと思います」
セルジュ「……そうだな」
フルール「お父さまが気に病む必要はありませんよ」
セルジュ「……お前、本当に似てきたな」
フルール「どうです? 話し相手になりますでしょう?」
セルジュ「今後は、お前相手に酒を呑むことにしよう。付き合え、フルール」
フルール「はい、お父さま。喜んで」




