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第315話 初夏爛漫

輝く太陽が沈み、リシャールが暗く沈んでいるころ。


とてつもなく甘い時間に浸りきっている二人がいた。そこだけ別世界のようだった。


「ほら、りんご剥いたぞ。あ〜んしろ、あ〜ん」


エーヴは、フォークに刺したりんごの一片を、サイノスの口元に突き出した。


「……りんごくらい、自分で食べられる」


「ダメだよ。肺に穴が空いたんだぞ。まだまだ安静にしてなくちゃ」


「……」


サイノスは仕方なさそうに、一口かじった。


「ほれ、もう少し」


エーヴは、グイグイ突き出す。束の間りんごと睨み合い、大口を開けて残りにかぶりついた。


「よしよし、いい子だ。よくできました」


エーヴは、満足げに微笑んだ。サイノスは、もぐもぐ口を動かしながら、じっとエーヴを見つめた。


「―な、なんだよ?」


視線に気づいて、エーヴは頬を赤らめた。


「いや、世話をかけて申し訳ないと思ってな」


「べ、別に気にすんな。わたしが好きでやってるんだから」


「ここは、完全看護だと聞いた。エーヴに面倒かけずとも看護婦が世話をしてくれる」


「嫌だっ!」


エーヴは、強く頭を振った。


「わたしのせいで大怪我させちまったんだ。せめてもの罪滅ぼしなんだよ。わたしに世話させてくれよ」


「お前のせいじゃないと何度言えばわかる。責任を感じる必要はまったくない」


「それでも、世話したいんだよ。それとも何か? わたしより看護婦に世話してほしいって言うのか? わたしじゃ嫌だって言うのか?」


エーヴは上目遣いで様子を窺う。サイノスは慌てたように手を振った。


「いや、違う! ―痛たたたっ!」


途端、胸を押さえて苦しみ出した。エーヴは狼狽えてサイノスにすがりついた。


「だ、大丈夫か!?」


「―大丈夫。……大丈夫だ。心配ない」


「ご、ごめんよ。わたしが変なこと言ったから…」


「そうじゃない…。つい怪我を忘れて動いてしまった俺が悪いんだ」


「横になるか?」


「いや、本当に大丈夫だ。もっとこうしてお前と話していたいから」


「えっ!?」


「エーヴが側にいてくれて、本当に嬉しい。とても心強いんだ。感謝している」


「……そ、そんな恥ずいこと、急に言うなよ」


エーヴは照れて真っ赤になった顔を伏せてしまった。


「……エーヴ。もっと顔を見せてくれ」


「えっ…!?」


驚いて目を上げた。サイノスは、薄墨色の瞳をじっと向けた。エーヴの青い瞳がうるうると潤んだ。自然とお互いの距離が縮む。見つめ合ったまま、唇と唇が近づく…


「―ここだけ妙に暑いねえ〜」


ふいに声がかかった。ジュスタンがドアにもたれかかってこちらを見ていた。


「ジュ、ジュスタン!?」


慌てて二人は距離を取った。


「おや? お邪魔だったかな? 僕に気にせず続きをどうぞ」


「ま、待てよっ」


身を翻しかけたジュスタンを、エーヴは呼び止めた。


「続きも何も、わたしたちはただ話していただけだ。遠慮すんな」


「話をしていただけ、ねえ…」


「なんだよ!?」


「別にぃ〜」


ジュスタンは、お見舞いの花束をエーヴに差し出した。当然のように受け取ると、エーヴはそそくさと椅子から立ち上がった。


「ありがと、ジュスタン。この花束、生けてくるね」


顔を赤らめてパタパタと去っていく後ろ姿を見送りながら、ジュスタンはつぶやくように言った。


「……彼女は、すっかり奥さま気分じゃないか」


「……そういうんじゃないさ」


ジュスタンは、にやりと笑って、たった今までエーヴが温めていた椅子に腰かけた。


「そんなこと言って〜。実際、どうなのさ、サイノス? 奥さまになってほしいんじゃないの?」


「……」


「なんだよ、黙秘か? 親友の僕にも話してくれないの?」


「……彼女は、責任を感じて付き添ってくれているだけだ。恋愛感情とか、そういう話ではない」


「本気で言ってる?」


「……」


「だとしたら、救いようのない鈍感男だし、そうでないなら、どうして隠すのさ?」


「……」


「まあ、僕はどっちでもいいけど。二人のことに余計な口出しはしないよ。―ところでさ」


そっとサイノスの表情を窺いながら、ジュスタンは話題を変えた。


「エニフ隊のことなんだけど、大変なことになってるんだよね」


「……ミラベルのことはエーヴから聞いた。まさか、彼女がスパイだったとはな」


「サイノスの言ったとおりだったね。例の名簿事件の内部犯行説。たぶん犯人はミラベルだ。……いや、本名はマルディとか言ってたな」


「そんなことを誇るつもりはない」


「だよね。サイノスなら、そうだろうさ。ともかく、エニフ隊はNo.1とNo.2を一度に失ってしまったんだ」


「ミラベルがジョエルを斬ってしまったんだったな」


「そうなんだよ。まとめる者がいなくてね。君の麗しき妹どのも含めて大混乱中なんだ」


「……それで顔を見せないのか」


アイラなら、とっくに見舞いに来て、エーヴとバシバシやり合っていてもおかしくない。意識が戻って3日経つが、道理で一度も顔を出さないわけだ。


「―セリーヌには相談できないし、とっても困ってるんだよね」


「セリーヌ? なぜセリーヌに相談できない?」


「あれ? エーヴに聞いてないの?」


「……何かあったのか? まさか…赤子の身に何か―」


「あ、いや、赤ちゃんは大丈夫。何の問題もない。順調そのものだよ」


「だったら、何だ?」


「話していいのかな?」


「俺たちは親友なんだろう?」


「ちぇっ。自分のことは話さないクセに、こういうときだけ親友かよ?」


「教えろ。セリーヌに何があった?」


「……しょうがない。わかったよ」


ジュスタンの話を聞いているうちに、いつも冷静沈着なサイノスの表情が、驚きと戸惑いに彩られていった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「それはねえですぜ、キトリー尚書さま」


「なんで? この建物は見たとおりぶっ壊れてる。水道を通すのにちょうどいいんだ。それのどこが不満なんだ」


キトリーは、住人に噛みついた。住人も負けてはいない。唾を飛ばしながら反論した。


「不満に決まってます! ここは、俺の店があったとこだ。なんで皇宮に召し上げられなくちゃなんねえんです?」


「いえ、それは誤解です」


キャロルが間に入った。その途端、後は任せたとばかりにキトリーはそっぽを向いてしまった。そんなキトリーにちらっと視線を投げてから、キャロルは住人と向き合った。


「水道・下水道を通すのは、地下です。決してお店を召し上げるわけではありません。工事の間だけ立ち退いてはいただきますが、それが終わればこの地をお返しいたします」


「そう言われてもなあ。工事の間、どこで商売すればいいんですか?」


「代替地は、工部尚書の方で必ずご用意いたしますので、どうかご理解いただきたい」


「それじゃあ、お店の再建は、工部尚書の方でお金を出してくれるんですよね?」


「はあ!? バカかお前は?」


またしてもキトリーが住民に噛みついた。


「なんでこっちがそこまでしなくちゃならない? 再建費用くらい自分で出せ!」


「そうは言いますけどね、キトリー尚書さま。そもそも皇都から立ち退くよう指示したのは皇室じゃねえですか。勝手に街を戦場にして俺の店を犠牲にしといて、金は自分で出せだなんて、酷すぎる!」


「知るか! そんなのは、軍が勝手にやったことだ。こっちのせいじゃねえ!」


「それこそこっちは知りませんよ! 軍だろうが尚書だろうが俺たち市民にとっちゃ、どっちも同じだ」


「―わかりました!」


怒鳴り合いにキャロルが割って入った。


「お店の再建費用については、検討させてください。必ず善処いたします」


「お願いしますよ、キャロルさま」


住人は、渋々引き下がっていった。


「キャロル! いいのか、あんな安請け合いして。できないものはできないとはっきり言うべきだ」


キトリーは、まだ憤慨している。


「あいつら、下手に出てるとどんどんつけ上がるぞ」


「そうでもありましょうが、今回は市民に責任がないのは間違いのないこと。皇宮として何らかの手を打つべきかと存じます。何ができるか、少し考えてみます」


「……」


キトリーは、ジロジロと有能な秘書官を眺めた。その視線には、心配そうな色が滲んでいた。他者を気遣うなど、これまでのキトリーにはなかったことだ。


彼女の中で、何かが変わり始めているのかもしれなかった。

【裏ショートストーリー】

レイモン「どうするよ? アイラ。大隊長はいなくなるわ、中隊長は俺たち二人になるわ、隊はガタガタだぜ」

アイラ「そんなこと言われても…。エニフ隊の編成権など与えられていないし…」

レイモン「しかも、ミラベルのやろうがスパイだったなんてよぉ。隊員は肩身の狭い思いをしてる。実際、他の隊員から暴言を吐かれたっていうやつもいるんだ。このままじゃ、隊が崩壊しちまう」

アイラ「……打開できるのは、シルヴィアさましかいない。大隊長を決めてくだされば、その方の元で隊の再建を目指せるんだけど…」

レイモン「セリーヌは、まだ意識が戻らねえんだってよ」

アイラ「……」

レイモン「いっそのこと、アイラが大隊長代理になれよ」

アイラ「えっ…!?」

レイモン「サンドラがバスティアンを亡くしたとき、イザクが代理を務めた例がある。今、隊の中で最強はアイラだ。アイラなら、誰も文句言わねえよ」

アイラ「私は駄目よ。入隊してまだ間もないわ。レイモンさまこそ古参でしょ? 適任だわ」

レイモン「あのなあ。俺に隊員がついてくると思うか? カリスマ性はねえし、武術は普通だしよ。しかもだよ、天馬隊の大隊長といや、今や天下に名高い至宝天の集まりだぞ。そんなバケモノたちと伍していけるのは、アイラしかいねえって」

アイラ「……バケモノの集まりというのがちょっと引っかかるけど…」

レイモン「頼むよ、アイラ。大隊長代理になってくれよ〜」

アイラ「……」

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