第314話 波紋
ブランシャール皇后シルヴィア、病に倒れる。
その報は、関係者を通じてすぐさま各国へと伝わった。シルヴィア縁の人々は驚き、心を痛めた。それは、ここクニークルスでも同様であった。
「ギー殿下からの急報とは、何事ですか?」
アデラールから尋ねられたエマは、表情を曇らせながら手紙を握りしめた。
「シルヴィアさまが…意識不明なんですって」
「シルヴィア陛下が…」
「心配だわ。以前にも一度、倒れたことがあるのよ」
「病弱とは聞き及んでおりませんでしたが」
「病弱とは違うと思うわ。持病なのかも」
「妊娠されたと慶事の報せがあったばかりで、さぞリシャールも心配しているでしょうね」
「赤ちゃんは無事なんだって。倒れた原因もわからないらしいわ」
「ガブリエル太師が反乱を起こしたことと関係あるのでしょうか」
「わからない。ただ、シルヴィアさまは嫁いでこられたときからガブリエルを高く評価されていた。それでよくリオネルさまと衝突されていたけど、ショックを受けたことは確かだと思うわ」
「ガブリエルは行方をくらましたとか。この問題は尾を引くでしょう」
「ガブリエルとの戦いは続くということ?」
「不可避かと。シルヴィアさまを欠いたままでは、この先なにかと支障を来すと思われます」
「それはそうでしょうね」
「リシャールの体制は事実上三頭政治です。一人でも欠ければパワーバランスが崩れます。逆に言えば、敵対者からすれば、つけ入る隙となりましょう」
「……ちょっと、アデラール。今はシルヴィアさまの体調を心配するときよ。政治の話は後にしてちょうだい」
「陛下」
アデラールは、容を改めた。
「陛下は一国の主でございます。一人のご友人として心配なさるのはよろしい。されど国王の立場としては、常に国際政治に目を向けなければなりません。情に流され判断を誤っては、我が国の存亡に関わります。亡きお父上の轍を踏んではなりません」
「……」
エマは、不満そうに思い切り頬を膨らませた。
「陛下。私は丞相としてお耳に痛いことも直言する覚悟。気に入らなければいつでもご処分ください」
「―わかったわよ。あなたのことは頼りにしているの。必要だと思ったら、何でも意見してね」
「ははっ」
恭しく頭を垂れるアデラールを見つめながら、エマはつぶやいた。
「……それでもやっぱり、心配だわ。リオネルさまもアニェスさまも、きっとお心を痛めているに違いない。お側近くにいないというのは、もどかしいものね」
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「シルヴィアさまが…」
ヴァネッサは、バルケッタからの手紙を読み終えると、胸に抱えた。
「シルヴィア陛下が、どうかされたのですか?」
オルタンスが眉根を寄せた。
「……お倒れになったのですって。ガブリエルとかいう王弟が反乱を起こして、その討伐の真っ最中だったらしいわ」
「討伐…って、シルヴィア陛下はご妊娠中ではありませんか。それなのに戦場に立たれたのですか?」
「シルヴィアさまらしいじゃない。永遠の憧れだわ」
「……姫さま。どうか栄光あるケヴィン家の王女さまとしての自覚をお持ちください。シルヴィア陛下は特別なお方。決して真似などできません」
「真似をしようとは思っていないわ。ただ、シルヴィアさまのようになりたいと思っているだけよ」
「それを真似というのではありませんか! 姫さまは、もっと王女としての―」
「あーっ、もう、うるさい! オルタンスは、なにかにつけて王女王女と、好きで王女になったんじゃないわ」
「姫さまっ!」
「それに、私が本当になりたいのは、ランスさんの奥さんなのよ。妻としての振る舞いをシルヴィアさまから見習っているだけよ」
「シルヴィア陛下はご立派な方だと存じます。しかし、姫さまには姫さまのやり方が―」
「―お姉さまっ! 大変だよっ!」
そこへ、エミリアンがけたたましく現れた。
「エミリアン!? レディの部屋にノックもせず入ってくるなんて、弟といえど許しませんよ!」
「ご、ごめんなさい」
エミリアンは、素直に謝った。しかし、一言付け加えることは忘れなかった。
「お姉さまにも、レディの自覚があったんだね。僕はてっきり、淑女という言葉を知らないのだと思っていたよ」
「なんですって!?」
「そんなことより、シルヴィアさまが倒れられたんだって!」
「そんなこと、って、ずいぶん失礼な言い草ね」
「シルヴィアさま、大丈夫かなあ。フルールによると、意識がないそうだよ」
エミリアンは、姉の抗議を聞き流した。その手には手紙が握られている。同じように恋人からの報せに驚いて、飛んできたのだろう。
「……リオネルさまもアニェスさまもついていらっしゃる。きっと大丈夫よ」
ヴァネッサは、己に言い聞かせるように言った。エミリアンは、少なくとも表面上は冷静な姉を見て、自身も落ち着きを取り戻した。
「……うん。そうだね。きっとそうだ。リシャールは医療も進んでいると聞いたことがあるし、シルヴィアさまなら、きっと大丈夫」
「―エミリアン。お父さまが今夜は早くお帰りになるそうよ」
「ああ。聞いた。ミュレールの復興計画がようやくまとまったって」
「今夜は久しぶりにみんなで夕食を楽しみましょう」
「……うん」
「シルヴィアさまのことは、たぶんお父さまにも報せが届いているはずだわ。もっと詳しい状況をご存知かも」
「そうだね。夕食のときにお聞きしてみよう」
姉弟は期せずして、遠くて懐かしい隣国に思いを巡らせていた。
彼女たちにとって、たくさんの思い出が詰まったその地は、いつまでも色褪せない青春の1ページとして深く心に刻まれているのであった。
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「あら? お姉さま。輿入れの準備を放ったらかしにして、何を熱心に読んでらっしゃるの?」
ティアナに声をかけられて、グロリアは目を落としていた手紙から顔を上げた。
「キャロルからの手紙よ」
「キャロル…? セドリック男爵家の娘ね。確かシルヴィアの幼馴染だっけ」
「今はリシャールで工部尚書さまの秘書官をしているわ」
「その方がお姉さまに、何のお手紙?」
「シルヴィアが病で倒れたのですって」
「にゃっ!? シルヴィアが…!?」
「あ、心配しないで。意識がないだけで、変な病気とかではないのですって」
「意識がないという時点で大変じゃないの。お腹の赤ちゃんは無事なの?」
「それも大丈夫。元気だそうよ」
「……本当に倒れたの? 気を失っただけじゃないの?」
「もう二週間以上も意識が戻らないそうよ」
「あら。それは深刻ね」
「心配だわ。お見舞いに行きたいわ」
「駄目よっ!」
今にも本当に動き出しそうな姉を、ティアナは慌てて押し止めた。
「もうすぐ輿入れの日なのよ。今からリシャールなどへお見舞いに行ったら、到底間に合わないわ」
「そうね…でも、事情を話せば、アズールなら許してくれるわ」
「アズールが許しても私が許さない」
ティアナは、強く見つめてきた。
「少しはご自分の幸せを優先してよ。シルヴィアが可愛いのはわかるけど、あの子のために犠牲になり過ぎ。本当はあの子じゃなく、お姉さまがブランシャールの皇后になっていたのよ」
「……前にも話したと思うけど、リオネルさまの妻はシルヴィアで良かったと思っているの」
「お姉さま…」
「私では、こうはならなかったような気がして仕方ないのよ。あの子は、政略結婚から自分の力で皇后の地位を勝ち取った。あの子のほうが私より何倍も相応しい」
「―まったくあの子ったら、お姉さまの大事なときに限って邪魔ばかりするのね」
「そんなこと言わないで。あの子はいつも一生懸命なだけなのよ」
「……わかったわ。お姉さまの好きなようにするといい」
「―! ありがとう、ティアナ」
パッとグロリアの顔が明るく輝いた。しかしティアナは、指を一本、目の前に立てた。
「ただし、条件があるわ」
「条件…?」
「私とアズールを伴うこと。これは譲れませんからね」
「なんだ。そんなの、良いに決まってるじゃないの。では急いで支度しなくちゃ」
「カトゥスを出るのは、アズールを呼んでからよ。わかってる? お姉さま」
「わかってるわよ。―向こうに着いたら、看病が必要になるわね。寝袋を持っていったほうがいいかしら。あ、あと、お見舞いの品も用意していかなくちゃ―」
「……本当にわかっているのかなあ」
いそいそと支度を始めた姉を、ティアナは呆れたように見つめるのであった。
【裏ショートストーリー】
ルイ「お父さまのお話では、シルヴィアさまがお倒れになったんだって」
シビーユ「シルヴィアさまが…」
ルイ「何日も意識がないそうだよ」
シビーユ「ご病気なの?」
ルイ「ううん。ご病気ではないんだけど、倒れた原因がわからないんだって」
シビーユ「ふ〜ん」
ルイ「心配だなあ。リシャールは、火が消えたようだとお父さまが仰ってた」
シビーユ「……」
ルイ「きっとエミリアンにもフルールさまから報せが行ってるだろうな。シルヴィアさまを慕ってたから、心配しているに違いないよ」
シビーユ「……お兄さま。私、怖い」
ルイ「えっ!?」
シビーユ「とても怖いの…」
ルイ「シルヴィアさまのこと? 大丈夫だよ。意識はないけど、命に関わるようなことはないんだって」
シビーユ「そうじゃないの。悪い人たちが大勢来て、私たちを殺そうとするの。シルヴィアさまが助けに来てくださるけど、もうその時には私たちの知ってるシルヴィアさまじゃなくなってる」
ルイ「シビーユ…? 何を言ってるの? さっぱりわからないよ」
シビーユ「お兄さま…」
ルイ「ど、どうしたの? 急にしがみついてきて」
シビーユ「怖い…その先が見えない…私たち、みんな死んじゃうのかな…」
ルイ「えっ…!?」
シビーユ「嫌よ…こんな私…嫌いだ…」
ルイ「シビーユ…。少し休もう。寝て起きれば、気分が変わるよ」
シビーユ「……はい。お兄さま」




