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第313話 女神の娘と死神の息子

突き抜けるような青空が広がっていた。


大地は、見渡す限りの草原である。


他には何もない。360度、どこを見ても草ばかり。建物も森も川も、生き物すらいない。


ただ青空と草原が、そこにあるだけだ。


シルヴィアは、歩き出した。身も心も軽い。とても気持ちがいい。


鼻歌を歌いながら、のんびりと歩く。すると。


突然、白いテーブルと椅子が現れた。草原にぽつんと置かれている。青空と草原以外で初めて現れたも(・)の(・)だった。


近づいてみると、そのテーブル席に一匹の猫が座っていた。シルヴィアと同じくらいの背丈をしたその猫は、どこかで見たことがある。


「シルヴィア。こちらへお座りなさい」


猫が手招きした。言葉を話すことを疑問にも思わず、素直に従った。椅子に落ち着いたとき、ふと思い当たった。


「……あなた、もしかしてシャウラ?」


「そうですね。現世では、その名です」


「現世…」


(あたし、死んだのかしら)


ハッとして、お腹に手を当てた。


「大丈夫。心配しなくても、姫さまはご無事ですよ」


「ああ…! 良かった」


ほっとした。その途端、驚きの声を上げた。


「姫!? お腹の赤ちゃん、女の子なの?」


「そうです。遠い将来、女帝となる姫さまです」


「……あなた、誰なの?」


俄に警戒心が沸き起こった。言葉を操り未来を語る猫がただの猫であるはずがない。


「お会いするのは初めてではありませんが、名乗るのは初めてでしたね」


猫は、輝く笑顔を浮かべた。


「私の本当の名は、アベニールといいます」


「アベニール…。フレイの三女の…?」


女神の娘と名乗るこの喋る猫を、不思議とすんなり受け入れられた。この状況が既に常識の外である。


「シルヴィア。あなたの身体は、意識を失った状態で皇宮の診療所に横たわっています」


「……」


「安心してください。命に別状はありません。ただ、一つ問題があります」


「問題…?」


「今、少々あなたの身体を作り変えているのです」


「にゃっ…!?」


作り変える…? いったい、何の話なのだ?


「それが終わるまで、意識を取り戻すことはありません。近しい人々に心配をかけることになります」


「……」


リオネルやアニェス、サンドラたち大勢の顔を思い浮かべた。


「無断で行ったことは、幾重にもお詫びします。しかしそれも、今後に備えてどうしても必要なことなのです」


「……」


「何のことか、さっぱりわからないというお顔をしていますね。それも当然です。これからゆっくりお話しさせてください。―あなたがリオネルに殺されて、ループしたことも含めて」


「にゃにゃっ!? どうしてそれを知っているの?」


瞠目したシルヴィアに、猫の姿をしたアベニールは大きくうなづいた。


「かくいう私が、あなたをループさせた張本人だからですよ」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


リシャールは、新緑の季節から徐々に夏へと変わろうとしていた。


木々も花々も動物も、生きとし生けるものすべてが今こそ盛りと生命を輝かせる時期である。であるが、リシャールは、暗く沈んでいた。


ブランシャールが誇る猫耳皇后、シルヴィアが病に倒れたからである。


いや、病とは明らかに違う。当時最高峰の医者を集めた皇宮診療所でいくら検査してみても、身体はすこぶる健康で、異常を見つけられずにいたからだ。


当初危ぶまれたお腹の赤子も、まったく母体の影響を受けず、順調に育っている。栄養も水分すらも摂っていないにも関わらず、だ。それでもシルヴィアは一向に目を覚まさない。


ブランシャールの輝く太陽は沈み、火の消えたようになったその皇宮の一角。アニェスのサロンも例に漏れず、甚だ活気とはほど遠い状態にあった。


「……なんで意識が戻らないんだろ」


リオネルはうつむきがちに言った。


「わかりません」


アニェスは、ほとほと困ったように応えた。


「診療所のお医者さまは皆、優秀な方ばかり。それでも原因が見つけられないのですもの。誰もわかりませんわ」


「まさか、一生このまま、なんてことないよな?」


「さあ…。少なくとも赤ちゃんは冬には生まれてきます。それまでには意識が戻るとは思いますけど…」


「冬って…ずいぶん先じゃねえか。春が終わったばっかだぞ! それまで目を覚まさないっていうのか!?」


「私に仰られても困ります」


声を荒げたリオネルに、アニェスは困惑した表情を浮かべた。それを見て、リオネルは素直に頭を下げた。


「すまん。ついお前に当たっちまった」


「……いえ。気になさらないで」


しょげ返ったリオネルに、アニェスは大きなため息をついた。


「―お兄さま。お義姉さまの容態はともかく、政務は一刻も滞ることは許されません。特に喫緊の課題は、ジュスティーヌさまのご処分です」


「あのオバサンか…」


ジュスティーヌは、ガブリエルと時を同じくして反乱を起こした。帝国軍にあっさり鎮圧され、今はリシャールで拘束されている。


「赦してやれ。どうせ今後も大したことはできやしねえ」


「セルジュさまから、厳罰を求められています」


「実の姉だろう? 助命嘆願ならわかるけど、厳罰、って、どういうことだよ?」


「お兄さまの大方針、敵対者であろうと、事が終わればすべてお赦しになる政策に、危惧なさっているからですわ」


「危惧だと? 何が悪いってんだ。無駄に血を流す必要はねえだろが」


「例え反乱を起こしても必ず赦される、となれば、帝国の統治が揺らぐことに繋がるからです」


「……」


「どんなに公平な政治を期そうと、不満を持つ者は一定程度存在します。それらが常に反乱予備軍となりかねない。これでは、安定した統治は望めません」


「……つまり、時には見せしめが必要だ、というんだな」


「ありていに言えば、そういうことです。私もセルジュさまに賛成ですわ。特にジュスティーヌさまはカルダン家という大貴族のご当主さまであり、帝国の丞相セルジュさまの実姉。その方すら赦されないとなれば、抑止効果は絶大です」


「言うことはわかるんだがな…」


「お兄さまの融和策、とても尊いと思います。情け深いお兄さまらしいとも思います。でも、それも時と場合によるかと」


「こんなとき、シルヴィアがいればなあ。あいつの意見を聞いてみたいんだが…」


リオネルの顔が苦しそうに歪んだ。


「……いや、それを言ってはいけないな。アニェスもセルジュも、俺が信頼する超一流の政治家たちだ。その二人の意見が一致しているとなれば、ここは、俺の信条なんかこだわるべきじゃねえ」


「申し訳ございません、お兄さまを苦しめるような意見を述べて…」


「謝るなよ、アニェス。俺を人の意見に耳を傾けない横暴な君主にさせたいのか?」


「お兄さま…」


「俺は、いつもみんなに支えられて生きてきた。これからもそうだ。気にせずに良いと思ったことはどんどん意見してくれ」


「はい…」


アニェスが心配そうに見つめる中、リオネルは、ついに決断を下した。


「―わかった。ジュスティーヌ・カルダンは、反乱の咎により、公開処刑とする。皇帝の名において、広く国内に布告しろ。不満連中に二度と反乱なんて気を起こさせないようにな」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


皇宮の北側には庭園がある。裏庭との位置づけで、かつてエミリアンとフルールがデートを重ねた庭園とは別である。


その庭園の先に、高い尖塔がそびえている。貴族専用の牢獄として使われている塔である。こちらも以前シルヴィアがジルベールに監禁された塔とは違う塔だ。


そこには今、一人の貴人が拘束されている。牢は広く、ベッドの他、個室のトイレも完備されていて、快適とまでは言えなくとも、それなりには過ごせた。


彼女がベッドに腰掛け、本を読んでいるときだった。鉄製のドアに設けられた小さなのぞき窓が開いた。


定期的な見回りかと彼女がぼんやり見ていると、ガチャガチャと乱暴に鍵を開ける音がしてドアが開かれた。


「―何者か?」


入ってきた二人の人影を誰何した。二人とも深くフードを被っていたが、一人が素顔をさらした。


「失礼いたします。ガブリエル殿下の従者を務めております、リュカ・ジラールと申します」


「ガブリエルどのの!?」


彼女は、喜色を顕にして立ち上がった。


「では、救けに参いられたか! さすがはガブリエルどのである。私のことを見捨てはしなんだとは。疾く案内せよ。ここはカビ臭くて敵わん」


「しばらく! しばらくお待ちを、ジュスティーヌさま」


「……なんだ? もったいをつけるではないか」


「我々は、ジュスティーヌさま救出のために訪れたのではありません。その逆でございます」


「な…に?」


ジュスティーヌは、手にした本を落とした。


「リオネルは、ジュスティーヌさまを公開処刑にすると布告しました」


「公開処刑…。あの農民の小倅が。カルダン家の当主たるこの私を、公開処刑にするとは何と身の程知らずな」


憤るジュスティーヌに、リュカは小瓶を差し出した。


「……何だ、それは?」


「毒薬にございます」


「ど…!?」


ジュスティーヌの顔から血の気が引いた。


「ジュスティーヌさまの仰るとおり、高貴なる貴婦人を公開処刑にするとは、礼儀を知らぬ暴挙。その点、我が主ガブリエルさまは情け深いお方。生き恥を晒すくらいなら、いっそ自決をと仰せにございます」


「な…な…」


ジュスティーヌは、わなわなと震える手で小瓶を受け取った。


「よもや、そのお覚悟もなく事を起こされたわけでもございますまい?」


「……私は…私は…」


ジュスティーヌは小瓶を握りしめた。


「さ、ジュスティーヌさま。僭越ながら私が見届けますゆえ、いざお覚悟を」


ジュスティーヌは震える手で蓋を開けようとして、床に投げ捨てた。ガシャン、と瓶の割れる音が牢に響いた。


「嫌だっ! 嫌だっ! なぜ私が自決せねばならぬ! 私は、帝国の国母となるはずだったのだ! その私が、なぜこんな―!?」


フードを被ったままだったもう一人が、いきなりジュスティーヌを羽交い締めにした。


「な、何をするっ!?」


「介錯仕る」


リュカは、また小瓶を取り出した。身動きできないジュスティーヌの鼻をつまんだ。


「嫌だっ! 死にとうないっ! 死に―」


喚くジュスティーヌの口の中に無理矢理小瓶の中身を注いだ。


「がっ…がっ…!」


ジュスティーヌは、うめき声とも悲鳴ともわからない声を上げた。身体が小刻みに震え出した。口からよだれを垂らし、白目を剥く。フードを被った一人が手を離すと床に崩折れた。


リュカともう一人は、ピクリとも動かないジュスティーヌを冷たく見下ろすと、静かに牢を出て行った。


やがて、尖塔に人の気配はまったくなくなった。それは、ただ冷たくそびえ立つばかりだった。

【裏ショートストーリー】

ジュディ「あのオバサン、往生際が悪かったねえ〜」

リュカ「プライドの塊のようなお人だからな。高貴な生まれのお姫さまで先の皇帝の側妃でもあった。仕方ないさ」

ジュディ「こんなに簡単に皇宮に入れるなら、リオネルだって殺せるよ? ついでに寄っていこうよ」

リュカ「厳密には、ここは皇宮ではない。それに、暗殺するならこれまでだって、いくらでも機会があった。リオネルなど暗殺したところで何の意味もない」

ジュディ「敵だよね? 敵なら殺した方がよくない?」

リュカ「ガブリエルさまのお望みは、あくまでも三種の神器を手に入れることだ。たかが一国の皇帝など、どうでもいい」

ジュディ「ふ〜ん。つまんないの。じゃあさ、シルヴィアを殺そうよ。あの猫耳こそ、邪魔じゃん」

リュカ「シルヴィアさまに手出ししてはいけない。ガブリエルさまが厳命なさったではないか」

ジュディ「何でよ〜。生かしておくと、厄介だよ」

リュカ「ガゼルの聖剣への扉を開く重要な鍵なのだ。今は殺すな」

ジュディ「ちぇっ! これじゃ、誰も殺せないじゃんかよ〜」

リュカ「そう言うな。そのうち、好きなだけ殺せるさ。この大地の本来の支配者は羊角族なのだ。他の種族は皆殺しだ。そのときこそ、ジュディ。お前の力が必要となる」

ジュディ「あ〜あ。早くそのときが来ないかなあ〜。退屈でしょうがないよ」

リュカ「間もなく…もう間もなくだ。聖剣の在り処はほぼ掴んだ。あとは、隠された扉を開く鍵だけなのだ。そのときこそ、ガブリエルさまが、地上の支配者となられる。私は、そのときを待ちわびているのだ。ガブリエルさま…ああ! 私のガブリエルさま…! 王冠が見える。地上に君臨するガブリエルさまの聖なるお姿が、はっきりと見える…!」

ジュディ「……」

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