第312話 陰と陽
「サンドラ!?」
病室を訪れたリオネルは、サンドラの姿を見て驚いた。
「まだシルヴィアに付き添っていたのか」
「リオネルさま」
サンドラは、慌てて立ち上がった。
「いえ。途中、コレットに代わってもらいました」
「本当か?」
「本当です」
リオネルは、手振りでサンドラに座るよう促した。
しばらく譲り合いを繰り広げたが、結局リオネルが折れて椅子に落ち着いた。
「ちゃんと休めよ。サンドラの方が倒れちまうぞ」
「昼間、アニェスさまにも言われました」
「……」
リオネルは、エマそっくりな顔を一瞥すると、シルヴィアに向き直った。
相変わらず静かに寝ている。戦場で倒れて以来、ずっとこのままだ。心配されたお腹の子は、無事である。
「―前にも倒れたことがあるが、そのときは、すぐに気がついたんだがな」
「お医者さまも、原因がわからないそうです」
「だ、そうだな」
「……」
「シルヴィアには、無理をさせた。本当は戦場に連れていくべきじゃなかった」
「申し訳ありません。すべて私の―」
「サンドラ!」
言いかけたサンドラをリオネルは強く遮った。
「お前、やたらと責任を背負い込んでるらしいな。言っておくが、全責任は、夫であり皇帝であるこの俺にある。お前が気に病むことはない」
「それでも、最も側近くにいたのは私です。私が目を離さなければ―」
「シルヴィアはフランベルジュに乗ることもなかったし、倒れることもなかった、か? 思い上がるんじゃねえぞ」
「……」
「あのときお前に何ができた? 何もない。何もないんだ。俺は、シルヴィアは何をしでかすやつか、よくよく理解してた。それでも、軍への帯同を許した。その時点で、何があってもすべて俺が責任を引き受けるつもりだった。家臣のお前ごときが責任者ヅラするんじゃねえ」
「……」
サンドラはうなだれてしまった。リオネルに叱責されたからではない。リオネルの優しさが心に沁みたからだ。
きっとリオネルは、これくらい強く言わなければ、強情なサンドラが引かないだろうと思ってのことに違いない。
「……出過ぎた真似をしました。申し訳ありませんでした」
サンドラは、感謝の想いで頭を下げた。
「わかりゃ、いい。あとは俺が付き添うから、お前は休め」
「はい…」
サンドラは、素直に従った。深く一礼すると、病室を出て行った。
「―あの強情者め。ようやく下がったか」
リオネルは、ほっとため息をついた。改めてシルヴィアの寝顔と向き合った。寝続けているとは思えないほど、綺麗な肌をしていた。
「……シルヴィア。ほんとにどうしちまったんだよ」
リオネルは、ベッドに突っ伏した。小さく肩を震わせながら、しばらく顔を上げようとはしなかった。
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アイラは、ドラムバッグに荷物を詰め込んだ。ぎゅうぎゅうでなかなか収まらない。最後は力付くで押し込んだ。
たった数カ月しかいなかったのに、なぜか荷物というのは増えるものだ。
「―さてと。これでいいか」
大きくため息をつくと、ドラムバッグを肩に担いだ。
思えば、こうして荷物をまとめて出ていくのはこれで二度目だ。
一度目は、サイノスと立ち合いをした後だった。勝ったにもかかわらず、いったん恋を諦めて故郷のルプスに帰ろうとしたのだ。
兄はどこまでもアイラのことを妹としか扱わなかった。あのとき確信はなかったが、兄には好きな人がいると感じたのだ。だから、身を引こうとした。
それは、勘違いではなかった。兄は、本当に好きな人がいた。それも、よりによって至宝天を。まさに、最初にアイラが疑ったとおりだった。
(もう、私の居場所はない…)
目の前で現実を突きつけられてしまった。割って入る余地などない。入る度胸もない。
(―さようなら、お兄さま)
また涙がこぼれそうになるのを、必死でこらえた。
(二度と会うことはないでしょう)
うつむきながら部屋を出ようと一歩足を踏み出した、そのとき。
「―アイラ中隊長さまっ!」
ドアが激しく開かれた。飛び込んできたのは、ジョゼだった。
「ジョゼっ! ノックもせずに飛び込むなんて、礼儀知らずにも程があるっ!」
瞠目するアイラの前に、マリユスとブリュノが続けて入ってきた。
「やっぱり思ったとおりですっ!」
ジョゼは興奮してアイラの手を取った。
「なんですか、この格好は!? どこへ行こうというのです?」
「……故郷へ帰るのよ。もう、ここには居場所はないから」
「なんでそうなるんですか? 理由を教えてください、理由を」
「……そんなこと、私に聞かないでよ」
アイラの顔が苦しそうに歪んだ。
「中隊長さま、私に約束してくださいましたよね?」
花紺青色の瞳が瞋った。
「すべて受け止めてくださると。サイノス大隊長さまに誓うと。受け止めてくださった中隊長さまがいなくなったら、私はどうなるのです?」
サイノスの名が出た途端、アイラの視線が泳いだ。
「……マリユスだってブリュノだっているわ。私一人いなくなっても大丈夫よ」
「大丈夫じゃ、ありませんっ!」
ジョゼは、ぶるぶると頭を振った。花紺青色の髪が乱れた。
「中隊長さまを信頼したから、全てお話ししたんです! 中隊長さまがいるから、私は私でいられるんです! 今度の戦で、そのことがはっきりわかりましたっ」
「……」
「私の側にいてください。もっともっと導いてください。中隊長さまがいなくなったら私、また元のどうしようもない臆病者に戻ってしまいます!」
「ジョゼ…」
涙があふれて止まらない。にじんでジョゼの可愛らしい顔がよく見えない。
「―なあ、アイラ。とりあえず、座ろうや」
マリユスが遠慮がちに言った。
「荷物なんか置いてさ。俺たちがいくらでも話を聞くぜ?」
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
アイラはそう繰り返すばかりで、会話にならない。
マリユスは、強引に肩からドラムバッグを取り上げた。
「……!」
アイラは堰が切れたように泣きじゃくり始めた。思わずジョゼは抱きしめていた。いつもたくましく感じていたその肩は、か細く頼りなく感じた。
アイラはジョゼにすがりついて、おんおんと盛大に泣き出した。とうとうジョゼもつられたように大きな声を上げて泣き始めた。
二人の少女は、外聞も何も気にせず泣き続けた。見守る二人の若者は、困ったように顔を見合わせてばかりであった。
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いつからだろう。彼女のことが気になり出したのは。
初めは、入隊の同期だった。シルヴィア・カトゥスやサンドラ・デシャン、ジュスタン・ファーブルといった今や盟友といっていい人たちの中の、ただの友人だった。
そもそも、リオネル軍に入隊を希望したのは、恋人だったエテルナ・スティレットと別れたからだ。
あの時期は、傭兵として名声も得られずくすぶっていた。お互い依存し過ぎていたことに気がつき、別々の道を歩むことになった。
リオネル軍は、種族や出身で差別しないと聞いた。だから入隊試験を受けた。そして彼女に出会った。
たぶん、あのときだ。
サンドラの脱走事件だ。原因は彼女だった。バスティアン・ゴダールを好きだった彼女は、行き違いからサンドラを傷つけた。
彼女がバスティアンを愛していたことに、ショックを受けた。嫉妬している自分に戸惑った。つまりそれは、いつの間にか彼女を好きになっていたということだ。
彼女が陰で努力していることは知っていた。単純に尊敬していた。一つのことをやり続けるというのは簡単そうでなかなかできないものだ。確かに至宝天の中では武術という点で劣るかもしれない。しかしそれを補って余りある才能がある。努力という名の。
彼女の才能やひたむきさに触れる間に、自分でも気がつかないうちにいつしか愛が芽生えていたらしい。
この気持ちは、ひた隠しに隠した。軍の中枢である至宝天同士の恋愛など、周りへ悪影響を及ぼすだけだ。
第一、彼女の好みはバスティアンのようなイケメンだ。自分は、どう逆立ちしたって、イケメンとは呼べない。
それなのに、あの月夜は、どうかしていた。彼女が酔っていつものキス魔と化した夜。普段なら無視してやり過ごしていただろうに、あの夜だけは、気持ちを抑えられなかった。
思わず抱き寄せキスをしてしまった。本気のキスだった。敏感に感じ取ったのだろう。彼女は戸惑いの表情を見せた。
その夜はそのまま別れてしまったが、翌日再会したとき、やはり彼女は聞いてきた。どういうつもりでキスをしたのか、と。
そのときは誤魔化したが、以来、彼女は目に見えて意識し始めた。ついには、デートにまで誘ってきた。
断る理由がなかったので承諾してしまった。やはり彼女は、意識している。そのことがはっきりわかった。でもそれが愛なのか確信は持てなかった。
誘いをかけても彼女は応えてくれない。こちらから告白すべきだろうか。しかしもし断られたら、この先至宝天として軍の同僚として、どう付き合っていけばいいのかわからなくなる。
煮え切らないまま、ガブリエルとの戦争になった。
そして、セヴィルの登場で、彼女に殺意が向けられた。
身体が勝手に動いていた。
あの一撃で死んだと思った。でも彼女が助かったのなら、それでいいと思った。彼女には、いつまでも至宝天の『神速』として元気でいてほしい。彼女が無事なら死んでも本望だ。それなのに…
「―俺は、死んだんじゃないのか」
白い天井を見上げて、ぽつりとつぶやいた。
起き上がろうとしたが、身体が言うことをきかない。分厚い胸には包帯が何重にも巻かれている。どうやらベッドの上らしい。少なくとも天国ではなさそうだ。
なんだか、とても長い夢を見ていたような気がする。
ふと、部屋の窓ガラス越しに人影が見えた。目を凝らすと、コクリコクリと体が前後に揺れている。ぼんやり眺めていると、何か感じ取ったらしい。突然ガバっと起き上がった。
目と目が合った。彼女は束の間、こちらを不思議そうに見ていた。手を挙げて親指を立ててみせた。彼女の表情が激変した。泣き笑いを浮かべてその場を飛び跳ねた。次の瞬間、姿が消えた。
幻でも見ていたのか? それともこれは夢の続きなのか?
そう思った刹那、病室のドアを勢いよく開けて彼女が入ってきた。
「サイノスぅーっ!」
そのまま飛びついてきた。ベッドが大きく軋んだ。
「……心配かけたな、エーヴ」
「大バカやろうっ!」
彼女は、大声で泣き始めた。
彼女のことが、好きだ。大好きなんだ。
盛大な泣き声を聞きながら、そう、強く思った。
【裏ショートストーリー】
コレット「サンドラさま!? 珍しいですね」
サンドラ「……何が?」
コレット「ご自分から付き添いを下りるなんて」
サンドラ「自分の意思じゃない。リオネルさまに命じられたんだ」
コレット「リオネルさまが…? じゃあ、今はリオネルさまが付き添っていらっしゃるんですか?」
サンドラ「夫君のリオネルさまも胸を痛めておられるに違いない。たまには看病をお譲りしないとな」
コレット「……」
メロディ「あれ!? サンドラさま。お戻りになったのですね」
バスティアン「ぎゃあっ!」
メロディ「あらあら。急に泣き出したわ」
サンドラ「こっちにおいで、バスティアン」
バスティアン「……」
メロディ「まあ、バスティアンったら。現金な子ね、お母さまに抱かれてご機嫌になるなんて」
サンドラ「……ごめんね…本当にごめんね、バスティ…」
コレット「サンドラさま!? どうしたんです? 急に泣き出して」
サンドラ「……いや、なんでもないんだ。少し休ませてもらっていいだろうか?」
メロディ「もちろんです。ちょうどバスティアンもお昼寝の時間ですから、一緒にお休みになってください」
……
コレット「……サンドラさま、ほんとに大丈夫かな…」
メロディ「大丈夫。こんなことでどうにかなるような方ではないわ。きっと大丈夫…大丈夫…」
コレット(あ〜あ。シルヴィアさま、早く元気になってください。このままじゃ、みんな疲弊して倒れてしまうわ…)




