第310話 裏切は火曜日
「ガブリエル!?」
ガブリエルは、驚くリオネルたちの目の前で、空中に浮遊したまま天使の微笑みを浮かべた。
「困りますねえ、兄上。弱い者いじめをするのは」
「パパっ! ボク、弱くないよっ!」
ジュディは、思い切り頬を膨らませて抗議した。
「ははっ。言葉のあやさ、ジュディ。一人に大勢で攻めかかるのは卑怯だと言っているのだ」
「一人じゃねえ、一匹だ」
リオネルの黒い瞳が力強くガブリエルを貫いた。
「こいつは魔獣だ。人さまと一緒にするんじゃねえよ」
「―旦那さまぁーっ」
フランベルジュにまたがったシルヴィアが空から駆けつけてきた。
「シルヴィア!? また面倒くせえやつが来やがった」
「何ですって!? どういう意味ですか!?」
シルヴィアは憤慨するも、それどころではないと思い直した。
「それはまた後で。―それより旦那さま。セヴィルがいます」
「あ? セヴィルだと?」
「セヴィルの魔力を感じるって、フランベルジュが言ってるの。それも、ガブリエルから」
「な…!?」
リオネルは驚愕の視線を向けた。ガブリエルは、にこにこと天使の微笑みを絶やさない。
「ははっ。義姉上には敵わないなあ。―動くなっ!」
ビクッと、アイラは動きを止めた。そろりそろりとガブリエルの後ろに近づいていたのだ。無論、手にした剣で斬りつけるつもりだった。
「今、僕は、兄上たちと話をしているんだ。余計なことをしたら、即座にここにいる全員を殺すよ」
「ふざけんな! やれるもんならやってみろ!」
エーヴが挑発した。ガブリエルは、冷たい視線をエーヴに向けた。
「至宝天だか何だか知らないけど、ずいぶんと生意気な口を利くんだね。家臣の分際で目障りな」
ガブリエルの瞳が紅く燃え上がった。無造作に左手を伸ばす。中指にはめた指輪がどす黒く光った。
「―危ないっ!」
サイノスがエーヴを庇うように大きな身体を投げ出した。その身体を黒い光が貫いた。
「サイノス!?」
サイノスがエーヴにもたれかかる。エーヴは大きな身体を抱きかかえた。サイノスの意識がない。
「サイノス!? サイノスっ! サイノス〜っ!」
エーヴが半狂乱になって泣き喚いた。
アイラはショックを受けて呆然と立ちすくんだ。兄が致命傷を負って倒れたこともあるが、それよりもエーヴのために命を投げ出したからだ。
アイラは、唇を噛んでうつむいてしまった。ジョゼが心配そうに寄り添った。
そして、もう一人。衝撃を受けた者がいた。
「あ…あ…」
シルヴィアは、思い出したくない記憶が鮮明に蘇り、思わず身震いしていた。
グロリアが嫁いだ世界。突如侵攻してきたブランシャール帝国。率いるリオネルは、悪魔と化してシルヴィアの前に立ち塞がった。その左手には、まったく同じ指輪がどす黒く光っていた…。
「……うるさいな」
ガブリエルは、そんな彼女たちの想いを断ち切るように左手を伸ばした。指輪が泣き喚くエーヴを狙う。
殺気が殺到した。3連矢が過たず左手を貫いた…はずだった。しかし矢は3本とも力無く地面に落ちた。
「はははっ。天弓などとおだてられて得意になっている愚か者か」
ガブリエルはジュスタンに指輪を向けた。ジュスタンは、金縛りにあったように身動き一つできない。黒い光が放たれる!
刹那。赤い影が飛び込んだ。黒い光は、一角に吸い込まれた。
フランベルジュだった。その背に乗るシルヴィアは、ガブリエルを睨みつけた。
「ガブリエル! お前の好きにはさせないぞ!」
「……フランベルジュ。唯一無二のユニコーン。まさに宝剣だな」
ガブリエルは、興味深そうにフランベルジュを眺めた。シルヴィアは戸惑いの表情を浮かべた。
「……何を言ってる?」
「ははっ。義姉上。親友のフランベルジュから何も聞いていないのか?」
「―おい、ガブリエル。ボクの声が聞こえるか?」
フランベルジュが声をかけた。驚いたのはガブリエルではなく、シルヴィアの方だった。
「フランベルジュ!? あなたが人間族に話しかけるなんて―」
「こいつは、もう人間族じゃないよ、シルヴィア。セヴィルに魂を売った羊角族さ」
「羊角族!?」
羊角族などという種族は聞いたことがない。
「さすがはフランベルジュ。よく知っているね」
ガブリエルは何が可笑しいのか、高笑いした。シルヴィアはぎょっとした。今の台詞はつまり、ガブリエルにはフランベルジュの声が聞こえているということだ。人間族なら決してあり得ない。ということは…
「―もっとも、当たり前か。何しろ、ガゼル六将星の一つなのだからな」
「えっ…!?」
話がまったく見えない。ガゼル六将星? 初めて聞くことばかりだ。頭が混乱してきた。
「……いったいあなたたちは、何を話しているの? あなたたちは、何者なの?」
「親愛なる義姉上。ここで長い物語を語るつもりはないよ。申し訳ないけどね」
ガブリエルは、天使の微笑みを浮かべた。
「義姉上のおかげで、ヴァンドルディを殺されてしまった。大変な齟齬だ。今後の僕の計画にも大幅な変更が必要だよ。罪滅ぼしに、あなたに貸していたものを返してもらおう」
「……何を言ってるの? あなたに借りた物なんか、何もないわ」
「マルディ! 戻っておいで!」
シルヴィアを無視してガブリエルは呼びかけた。それに応えて一人の影が動いた。
「ミラベル!?」
ジョエルが驚愕の声を上げた。
ミラベルが足を踏み出していた。まるで操り人形のように真っ直ぐガブリエルに向かって。すぐ隣にいたジョエルは、慌ててミラベルの腕を掴んだ。
「おい、待てよ、ミラベル!」
ミラベルは振り向きざま無造作に曲剣を振り下ろした。ジョエルは声もなくその場に倒れた。ジョエルに視線を向けることもなく、ミラベルはまた歩き出した。
「……ウソ…」
シルヴィアは、ガブリエルに歩み寄るミラベルを呆然と見つめた。その横顔は無表情だった。目の前で起きている出来事が理解できない。ミラベルがジョエルを斬り捨てた? そんな馬鹿な…
「さあ、マルディ。こちらにおいで」
ガブリエルは手を伸ばした。ミラベルはその手を握った。
「ウソよウソよ! ミラベルっ! ウソだと言って!」
シルヴィアは叫んだ。金色の瞳には涙があふれ返っていた。
「……私の名前はミラベルではない。マルディだ」
「ミラベル…!?」
ミラベル…いや、マルディは、感情のない黒い瞳をシルヴィアに向けた。
「そんなわけないっ! あなたはミラベルよ! 入隊試験を一緒に受けたあたしの親友じゃないのっ!」
「ふざけるな。誰がお前の親友だ。私は、お父さまの命でリオネル軍に潜入していただけだ。ネコの分際で、馴れ馴れしく話しかけるな」
「ミラベル…!?」
「……だ、そうだ、愛すべきお人好しの義姉上」
そのとき。殺気のこもった槍がガブリエルを襲った。
槍はガブリエルの手前で力無く地面に落ちた。
「……まったく、小うるさい連中だ、至宝天という愚物は」
睨みつけているサンドラを、ガブリエルは冷ややかに見下ろした。
「まだ、ボクの質問に答えていないよ、ガブリエル」
フランベルジュが言った。全身から赤いオーラが立ち昇っている。
「あ…? ユニコーンというのは、耳がないのか?」
ガブリエルは、冷たい視線をフランベルジュに移した。
「それとも、理解する脳がないのか? お前と会話していることで答えているだろう?」
「そうじゃないさ。ボクが尋いているのは、その指に光っている指輪の方だよ」
「なに…?」
突然、ガブリエルの様子が急変した。紅い瞳から光が失われ、首がガクンと前に落ちた。しかし、すぐに顔を上げた。
「―久しぶりだね、フランベルジュ」
顔や声はガブリエルなのに、そこにいるのは、まったくの別人だった。
「ようやくお出ましか、セヴィル」
「セヴィルだって!?」
シルヴィアは瞠目した。そして、ハッとした。すべて腑に落ちた。悪魔化したリオネルこそが、セヴィルだったのだ。セヴィルが全てを操って、祖国カトゥスを滅ぼしたのだ。
「すべて裏で糸を引いていたのは、お前だね、セヴィル?」
「くっくっくっ! フランベルジュ。シルヴィアのような間抜けの側にいつまでいるつもり? ガゼルの器になどなり得ぬだろうに」
「お前に言われたくないね。ガブリエルなんか小物を器になど選ぶなんてさ」
「小物か。違いない」
さも面白そうにセヴィルは声を上げて笑った。
「……でも、私の言うことをよく聞く良い器だよ。おかげで、復讐の準備が整った」
「……」
「ガゼルに伝えな、フランベルジュ。秋は来た。今こそすべて我が手に取り戻す、とね」
「―お父さま!」
カマキリのランディが飛来した。それを見て、ジュディが跳躍した。ランディの鎌を掴むと、ひらりとその背に飛び移った。
セヴィルは、マルディをその胸に抱きしめた。徐々に高く浮き上がっていく。
「ミラベル! 行かないでっ!」
シルヴィアは、手を伸ばした。マルディは、静かにシルヴィアを見つめた。その黒い瞳に感情はまったく浮かんではいなかった。
「―諸君! 今日のところは引き上げるよ」
セヴィルは、下界を見下ろしながら高らかに宣言した。
「しかし、近いうちに必ず戻ってくる! そのときこそ、私が世界の王となるのだ!」
「待ってぇーっ! ミラベルぅーっ!」
シルヴィアは、声の限りに叫んだ。だが、彼女の姿は無情にもどんどん遠ざかっていく。
「ミラベル…お願い…戻って…きて…」
突然、目の前が真っ暗になった。気が遠くなる。全身から力が抜けた。
「―シルヴィア…!?」
「シルヴィアさま!?」
リオネルやサンドラの騒ぐ声が、とても遠い。何も考えられなくなった。
そして。
意識が飛んだ。
【裏ショートストーリー】
ジュスタン「セリーヌの様子はどう? メロディ」
メロディ「まだ気づかれないわ」
ジュスタン「そう…」
メロディ「初めて聞いたときは、飛び上がるほど驚いたわ。とにかく、お腹の赤ちゃんが心配だったけど、お医者さまの話だと大丈夫みたい」
ジュスタン「不幸中の幸いだったね。リシャールに戻る間も気が気じゃなかったよ」
メロディ「途中の町でお医者さまを呼んだのですってね。きっとその方の処置も良かったのだと思うわ」
ジュスタン「サンドラは、相変わらずかい?」
メロディ「ええ。今もベッドに付きっきり」
ジュスタン「まだ自分のことを責めてるの?」
メロディ「お側にいなかった自分の全責任だ、と、そればっかり」
ジュスタン「ふ〜ん…。困ったもんだ。クソがつく真面目だからなあ、サンドラは」
メロディ「サイノスさまは大怪我なさって戻ってくるし、ミラベルさまは敵側に寝返ってしまうし…いったい何が起こってるの?」
ジュスタン「……ミラベルは、正確には寝返ったんじゃない。敵側に戻ったんだ。スパイとして軍に潜り込んでたんだから」
メロディ「未だに信じられない。あの純真無垢なミラベルさまがスパイだったなんて」
ジュスタン「そうだね…。セリーヌの心情は、いかばかりか。あんなに可愛がっていたのにね」
メロディ「シルヴィアさま…」




