第306話 火蓋、直前
「パパぁーっ」
ジュディは、脇目も振らずガブリエルに抱きついた。とても幸せそうな表情で顔を胸に埋める。背後に立つリュカなど眼中にない。
「―申し訳ありません、お父さま。襲撃は失敗しました」
ランディが三角頭を下げた。表情は変わらないはずなのに、悔しがっていることがよくわかる。
「事前に備えをしていたようで、ゲリラ戦を仕掛けられました」
「ふ〜ん。あちらには智慧の回るやつがいるみたいだな。それこそ、エマ並みのやつが」
「待ち伏せも見破られていたようで、帝国軍はすんでのところで引き返してしまいましたし、リオネル軍は武辺者ばかりではありませんね」
「もしかしたら、裏で指図しているのは、麗しの猫耳王女さまかもしれないぞ。なにしろ、リオネル軍への入隊試験の際、エマを戦術で破ったそうだから」
「だとしても、あんな軟弱なやつら、僕のスプラッシュブレストで一掃してやりますよ、お父さま」
鷹が胸を張った。顔は美麗の青年である。あの巨大な鳥が、今はランディと同じ大きさに縮んでいる。
「リオネル軍を過小評価してはいけない、ヴァンドルディ」
ガブリエルが鷹を諌めた。
「こと戦闘においては、底しれぬ強さを持っている。油断すると手痛い目に合うぞ」
「ごめんなさい、お父さま」
鷹のヴァンドルディは、形だけ頭を下げた。反省している顔つきではまったくない。
「さて、我が子どもたちよ。この城は放棄する」
「ええーっ? 逃げちゃうのぉ?」
ジュディが顔を上げた。不満そうに頬を膨らます。
「あんな下等なやつら、ボクたちが皆殺しにするよぉ」
「お前のいう下等なやつらから逃げ帰ったのは、いったい誰だ?」
ヴァンドルディがからかう。ジュディはキッと睨んだ。
「ウルさいな。アいツラ数ダケは多いンダもの。仕方なイだろ?」
「こらこら、ジュディ。たった今僕が言ったことを忘れたの? むやみに見下してはいけないよ」
ガブリエルがたしなめた。途端、ジュディはガブリエルにしがみついた。
「や〜んっ、怒らないでーっ!」
「怒ってはいないよ。可愛い娘をどうして怒ることがある?」
「ほんとう? ボクのこと、嫌いになってない?」
「嫌いになどなっていないよ。僕の愛する娘だもの」
「嬉しいぃぃーっ!」
「―リオネルは必ず攻めてくる」
ガブリエルは、ジュディの頭を撫でながら言った。
「例え追い返しても、何度も攻めてくるだろう。クレールさまが落ち着いてお励みになれない。だから、ここは放棄するのだ」
「町の人間族は、あらかたディガンマに再生しました。優に30万は超えます」
ランディが応えた。
「そうだね。盾代わりには使えるだろう。適当にあしらったら、引っ越そう」
「お引越し!? パパ、お引越しなのね?」
「そうだよ。僕たちはお引越しをするんだ。楽園を築くための第一歩としてね」
「わーいっ! お引越し! ボク、生まれて初めてだよっ、嬉しいなっ」
ジュディがはしゃいだ声を上げた。ガブリエルは、天使の微笑みを浮かべた。
「さあ、リオネルをもてなす準備を始めるよ。相手はブランシャールの皇帝陛下さまだ。大いに楽しませてあげようね」
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「……やっぱりつまらないわ」
シルヴィアは、馬車の中で独りごちた。誰もお付きはいない。これまで何度も乗ってきたが、独りで乗るのは初めてである。
コレットたち侍女は連れてきていない。戦場には伴わないことにしている。
参戦を許された代わりに移動は馬車に限定されてしまった。せめてリオネルが同乗してくれるかと淡い期待を抱いたのだが、そうは甘くなかった。
トリュフォーは行軍の先頭だし、ギーは禁軍の指揮者としてリオネルに付きっきりだ。そのリオネルには、クナリも侍っている。アニェスは、リシャールに居残りである。
結果、シルヴィアは独り馬車の中に閉じ込められてしまったのである。
「もう耐えられないっ!」
シルヴィアは、馬車の窓をガラッと開けた。
「フランベルジュ! 話し相手になってよ」
馬車と並走していたフランベルジュが、ジロッと睨んだ。
「知らないよ。普段、ボクのこと放ったらかしにしているくせに、なんでこういうときだけ言うのさ」
「ごめんよ〜。いろいろ忙しかったんだから、しょうがないじゃないの」
「リオネルのところに入り浸る前だって、いくらでも時間があったでしょう。都合のいいときばっかりボクのこと乗り物扱いしてさ、ヒドいよ」
「だからごめんて」
「プイっ」
フランベルジュは、本当にそっぽを向いてしまった。
「あ〜あ、すっかりヘソ曲げちゃって…つまんないの」
相手をしてくれないフランベルジュを諦めて、反対側の窓を開けた。顔を外へ突き出す。風に打たれて胡桃色の髪が乱れた。あいにくと見える範囲に求める姿はない。
「ンもうっ! サンドラったら、肝心なときに役に立たないわねっ」
ここまでくると、完全に八つ当たりである。すると。目の端に馬影が写った。疾走する馬影がみるみる近づく。ついに馬車と並んだ。
驚くシルヴィアに馬上の兵がウインクを投げてきた。
「あっ…!」
それはマノンだった。マノンは何も言わず、そのまま追い越していった。
「……紅烏団も、来ていたのね」
遠ざかる後ろ姿を眺めながら、独りつぶやいた。
マノンのリュカに対する態度は、熱愛にしか見えなかった。マノンの口ぶりでは、すべてが嘘であり、ガブリエル家の内情を探るためのハニートラップだったということになる。
しかし、そこまで人は冷徹になれるものなのだろうか。己の気持ちを偽ることができるのだろうか。諜報員だって、人には違いないのだ。
ガブリエルの傍らには、リュカがいる。マノンはきっと、己自身の手で決着をつけようとするだろう。どんな結果になっても、傷つくのはマノンの心だけ、という結果になるのではないか?
シルヴィアは、今や親友とも姉とも想う彼女の行く末に、尽きぬ思いを巡らせるのであった。
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「全軍、停止ーっ!」
伝令が馬車の横を走り抜けていった。
「なんだろ…?」
エルヴィールに着くにはまだ早い。窓を開けて顔を出した。サンドラが馬を疾駆させてきた。
「シルヴィアさまっ、敵です!」
「えっ、待ち伏せ?」
「いえ、この先で布陣しています」
「布陣、って、敵は魔獣でしょ? 布陣なんかできるの?」
「それはよくわかりませんが、例のトカゲたちが整然と並んでいて、その先頭にカマキリが待ち構えているのです」
「見たいっ。サンドラ、連れてって」
「……シルヴィアさまは、馬車で待機ですよね? リオネルさまから厳命されているでしょう」
「黙ってりゃ、わかりゃしないわよ」
「駄目です。アニェスさまからも、くれぐれもシルヴィアさまを監視するよう申しつかっていますから」
「ええーっ、ヒドい! これじゃ、天馬隊を指揮できないじゃない。そのためについてきたのよ、詐欺だわ」
シルヴィアは憤然と言った。サンドラはそんな主人を呆れて見やった。戦場に立つ気満々である。どちらが詐欺かわかったものではない。
「天馬隊は、みんな自分の役割を心得ていますから、シルヴィアさまは安心して吉報をお待ちください」
「……」
シルヴィアの金色の瞳がくるめいた。マノンの言う所の悪だくみをしているときの表情である。
「シルヴィアさま―」
「―方陣を組めーっ!」
サンドラが言いかけた刹那、布陣を命じる隊長らしき声が遠く流れてきた。
「―私も行かなくてはなりません」
サンドラは、行軍の先頭を気にする素振りをしながらシルヴィアに念押しした。
「いいですか、大人しく馬車の中にいてくださいよ」
「わかってるわよー」
にこにこと微笑む主を疑わしげに見ながら、サンドラは駆け去っていった。
「―フランベルジュ。出番よ」
「あいよ」
シルヴィアは、堂々と馬車を降りてフランベルジュの背にまたがった。どうやら、フランベルジュとは既に打ち合わせ済みらしい。
「さて。どんな戦いぶりか、見させて貰おうじゃないの」
フランベルジュは走り出した。猫耳王女のお腹は、まだ目立つほどではないにしても、少し膨らみ始めている。それでも未来の母は、一向に気にする様子すらなかった。
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「フランベルジュにお願いがあるの」
フランベルジュ「またあ? シルヴィアは、いっ…っつも、ボクに頼み事ばっかりだよね?」
シルヴィア「そんなに溜めて言うことないじゃない。聖獣は人にお願いされてなんぼでしょ」
フランベルジュ「そんなわけあるかっ! ボクたちは、人類の都合のいい道具じゃないんだよ!」
シルヴィア「とかなんとか言っちゃって、頼られて嬉しいクセに〜」
フランベルジュ「あのね…」
シルヴィア「そんなことより、頼み事聞いてよ」
フランベルジュ「……」
シルヴィア「敵の中に空を飛ぶ鳥がいるのよ」
フランベルジュ「当たり前のこと、言わないで。鳥なんだから、飛ぶに決まってるでしょ」
シルヴィア「あら。飛ばない鳥だっていっぱいいるわ。ニワトリとか」
フランベルジュ「それは…そうだけど…」
シルヴィア「でね、現状空を飛べるのはフランベルジュしかいないでしょ〜?」
フランベルジュ「……言いたいこと、もうわかったかも…」
シルヴィア「さすが、フランベルジュ! あたしたちってツーカーよね」
フランベルジュ「なにそれ? どういう意味?」
シルヴィア「以心伝心の仲ってことよ」
フランベルジュ「……知らないよ。いつの時代の猫耳族だよ」
シルヴィア「わかぶっちゃって〜。6千年生きてるクセに〜」
フランベルジュ「……」
シルヴィア「じゃあ、お願いね」
フランベルジュ「……」




