第303話 前代未聞の皇都避難大作戦
サンドラとクナリの姿は、リオネルの私室の前にあった。
突然の訪問に、びっくり眼でシルヴィアは出迎えた。
「珍しいわね、二人お揃いなんて」
「おくつろぎのところ、大変申し訳ございません」
「なんなんだ、サンドラ。急に押しかけてきて」
「ご無礼の段、平にお許しくださいますよう」
少しご機嫌ななめのリオネルに、サンドラは平身低頭した。クナリはといえば、ぼうっとしたままであったが。
「明日じゃ、ダメなのか?」
「事は至急を要します」
「旦那さま。お話を聞いてあげてください」
切羽詰まった様子のサンドラを見て、シルヴィアは助け舟を出した。
「いつも冷静なサンドラが無理押しをするなんて、よっぽどだわ」
「……わかったよ」
リオネルの態度が真剣なものに変わった。
「聞こう」
「大至急、トリュフォーさまを呼び戻してください」
「なんだと!?」
「無論、理由があります。ガブリエルはおそらく途中で待ち伏せしています。トリュフォーさまは、エルヴィールにたどり着くどころか、下手をすれば壊滅します」
「おいおい、ちょっと待て」
リオネルは、ギロッとサンドラを睨んだ。
「サンドラ。俺は口止めを命じたはずだ。その様子だと、クナリにバラしたな?」
「というより、クナリは想像だけでほぼ真相に到達していました。私は、真の敵はバケモノだと話しただけです」
「何…」
リオネルは、初めて見るようにクナリをジロジロと見回した。
「今からお話するのは、すべてクナリの受け売りです。―ガブリエルは、エルヴィールに籠城などしません。籠城とは、援軍が見込めて初めて成立する戦術です。ガブリエルはほぼ孤立無援。ジュスティーヌの反乱は、十中八九ガブリエルの教唆によるものでしょう。しかし、そんなもの、当てにはしていないはず。ならば、ガブリエルが取り得る戦略は、皇都リシャールへの進軍あるのみ。バケモノたちを先頭に必ず攻めてきます」
ここまで一気に話したサンドラは、息をついた。
リオネルは、唖然として声も出ない。シルヴィアが代わって口を開いた。
「紅烏団の情報だと、繭玉は百もなかったそうよ。さすがにその少数でリシャールに攻めかかるのは無謀ではない?」
「敵には巨大な鳥がいます。城壁など無意味でしょう。バケモノの戦闘力は未知数ですから予測でしかありませんが、言葉を話すバケモノは相当な強敵と思われます。それがおそらく隊長クラス。兵がどの程度いるのかにもよりますが、人相手の軍とはかなり異質なはずです。これまでの常識は通用しないと思ったほうがいい」
「……旦那さま。サンドラの言うとおりトリュフォーさまを呼び戻しましょう。嫌な予感がします」
「また例の予感か…」
リオネルは、腕組みをしてしばし考える素振りをしたが、決断は早かった。
「―よし。大至急、伝令を出そう」
「ありがとうございます!」
サンドラは、ほっとしたように頭を下げた。クナリは、何を考えているのか、ぼうっとしたままだ。そのクナリに、リオネルは問いかけた。
「おい、軍師! トリュを呼び戻すのはいいが、当然その後のことも考えているんだろうな?」
クナリは、表情を変えずにリオネルを見た。おもむろに口を開く。耳を傾けていたリオネルは、驚愕のあまり口をぽかんと開けて、稀代の若者の顔を見つめるのであった。
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サンドラが直談判にリオネルの居室を訪れてから、数日後。
皇宮から、前代未聞の布告が全リシャール市民に向けて発せられた。
なんと、皇都リシャールからの避難命令であった。全住民90万の一斉退避である。
理由の詳細は明かされなかったが、皇都への敵襲来に備えるため、とだけ説明がなされた。当然ながら、市民からは反発があり、流言飛語が飛び交った。
「帝国軍が貴族連合に負けたらしいぞ」
「夜中に、トリュフォー将軍が這々の体で逃げ帰ってきたんだってよ」
「いや、敵ってのは貴族連合じゃない。皇弟ガブリエルさまだって噂だぜ」
「ガブリエルさまが謀反したってのか。信じられん」
「トリュフォー将軍は、実は貴族連合じゃなく、ガブリエルさまの居城、エルヴィールに進軍してたんだが、待ち伏せにあって散々に打ち破られたんだと」
「そりゃ、えらいこっちゃ」
「それでリシャールが戦場になるのか」
「だとしても、なんで俺たちがリシャールを出なきゃなんねえんだ」
「リシャールには堅牢な城壁がある。籠城すりゃ、いいじゃねえか」
「俺は、リシャールを動かねえぞ」
「そうだそうだ! 俺も動かねえ!」
「リオネルさまに訴えに行こうぜ」
「俺たちは、誇りある皇都の市民だ。敵を前に逃げ隠れしねえぞ!」
「―おい! お前ら。布告を聞かなかったのか?」
「あっ、クロヴィスさま。ちょうどいいところへ」
それは、皇都警備隊を従えたクロヴィスだった。
「俺たちは、リシャールを出たくねえ。敵が攻めてきても、徹底抗戦します」
「駄目だ。全員避難が陛下からのご命令だ。ただの一人も例外は認めない」
「なぜです? なぜリシャールから避難しなきゃならないんです?」
「そうですよ。リシャールは、高い城壁もある。徴集兵にだって志願します。俺たちの手で守って見せますよ」
「お前たちの気持ちは嬉しい。だがな、今回ばかりは駄目なんだ。正直、お前たちがいては足手まといになる。それくらい、厄介な敵なんだ」
「敵ってのは、誰なんです?」
「噂じゃ、ガブリエル殿下だって話ですが、本当なんですか?」
「それは軍の機密事項だ。申し訳ないが、教えることはできん」
「そんなんじゃ、納得できねぇ!」
「敵が誰なのかくらい、教えてください。そうでなきゃ、リシャールから退避できません」
「……いいか、みんな。これは、リオネル陛下がお決めになったことなんだ」
クロヴィスは、市民たちを見渡した。
「陛下は、みんなを危険なことに巻き込みたくないと案じられて、全住民の避難を決められた。陛下を信じてくれ。これまで信じてきてくれたように」
「……」
「情報が少なくて納得し難い面もあるだろう。でも、すべてはみんなを思ってのことなんだ。ここは、陛下を信じて黙って指示に従ってくれ、頼むよ」
クロヴィスは、深々と頭を下げた。
市民たちは、お互い顔を見合わせていたが、やがてうなずき合った。
「……顔を上げてください、クロヴィスさま。わかりました。リオネルさまは、いつだって俺たちの味方だった。そのリオネルさまが、俺たちにとって悪いことをするはずがねえ」
「クロヴィスさま。避難するよ。リオネルさまがそうお望みなら、リシャールを出る」
同意の声があちらこちらから上がった。クロヴィスは、感極まったように言った。
「……ありがとう、みんな。難儀をかけてすまん」
こうして市民たちは、手荷物一つを抱えて、リシャールを出立していった。
とはいえ、90万である。相当な混乱や困難が予想された。この前代未聞、空前絶後の大避難を実質的に指揮したのは、バルケッタとクナリであった。
稀代の二人は天才同士気が合うのか、協力して考え得る最善の計画を立てた。
市民は町会や職業ギルドごとに集団で行動するよう徹底させた。荷物は行動の邪魔にならないよう一人ひとつである。乳幼児を抱えてどうしても一つにまとめきれない場合は、共同で利用できる輸送用の馬車を用意した。
また、高齢者や傷病者など歩行が困難な者は、これも乗合馬車で運ぶことになった。それでも動かせない重篤な者は、国立診療所で預かることにした。診療所では、あちこちで別れを惜しむ家族の姿が絶えなかった。
彼らは、帝国各地へと散っていった。どの地にどの程度の数を振り分けるかも、すべてバルケッタとクナリが指示した。何しろ南部は貴族連合が反乱を起こしている。戦火を避け、安全に移動できるルート設定も重要なのだ。
こうして、リシャール市民は大きな混乱もなく、皇都警備隊の先導の元、大避難を成功させたのであった。
「―なんだか、がらんとしてしまいましたね」
シルヴィアは眼下の街を眺めながら言った。部屋のベランダである。
普段なら行き交う人々で賑わう大通りには、人影が完全に消えた。店舗はすべて閉まり、人の営みはなくなり、これこそまさにゴーストタウンというのであろう。
「まちは、人がいてこそ、なんだな」
隣に並ぶリオネルが感慨深そうにつぶやいた。
「本当ですね。人の絶えたまちに皇帝だけが君臨する、なんて、シュール以外の何ものでもないわ」
「それも、いっときの辛抱だ」
リオネルは、寄りかかっていた手摺りから身を起こした。
「そろそろ会議に行こう、シルヴィア。ガブリエルは、いつ来るかわからんからな」
「はい、旦那さま」
シルヴィアは、リオネルについてベランダを後にした。
去り際、ふと振り返った。
誰もいない皇都の大空を、一羽の鷹が気持ちよさそうに飛んでいった。
【裏ショートストーリー】
トリュフォー「ふざけやがって!」
シルヴィア「トリュフォーさま。何をそんなに怒ってらっしゃるの?」
トリュフォー「聞いてくださいよ、シルヴィアさま。俺が貴族連合に負けて、逃げ帰ったという噂が流れてるんです」
シルヴィア「あらまあ…」
トリュフォー「ヒドいと思いませんか? この俺が貴族どもに負けるわけがねえのに」
シルヴィア「仕方ないわ。皇都に逃げ帰ってきたのは、本当の話だし」
トリュフォー「……違います。逃げ帰ったんじゃねえ。リオネルさまからの撤退命令を受けて、急遽戻ってきたんです」
シルヴィア「本当に間に合って良かったわ」
トリュフォー「実際、紙一重でした。進軍中のほんの先で罠を仕掛けてたらしく、撤退するときに敵が攻めてきたんです」
シルヴィア「……どんな敵でしたか? 人ではなかったのでしょ?」
トリュフォー「トカゲのようなバケモノでした。顔だけが人で、長い舌を伸ばしながら走るさまは、不気味この上なかったです」
シルヴィア「そう…(マノンの報告にあったやつに間違いないわね)。きっとそれが敵の兵よ。壁も天井も登れるらしいから、城壁は意味をなさないと思うわ」
トリュフォー「クナリとかいう軍師が言ったそうですね、これまでの常識は通用しないと。確かにそんなやつらが城壁をペタペタと登ってきたら、大門を閉じたところで意味はねえです」
シルヴィア「みんなで力を合わせましょう。悪魔に魂を売ったガブリエルに負けるわけにはいかないわ」
トリュフォー「無論です。俺たちだけじゃねえ、全人類の敵だ。必ずやつらを止めましょう」
シルヴィア「頼りにしているわ、トリュフォーさま」




