第297話 鳳雛、飛び立つ
「……全然、いないじゃないの」
アイラは、苛立ち始めていた。
いくら森の中を這いずり回っても、敵の影一つ見つからない。時折遭遇しても、味方の小隊ばかりだ。
「マリユス! これはどういうことなの?」
「おっかしいなあ…」
マリユスは首を傾げた。
「潜んでいそうなところは全部当たってるんだけどなあ」
「ったく…。当てにならないわね」
「―本当にいるのかな?」
ぽつりとブリュノがつぶやいた。アイラは聞き咎めた。
「何だって? いないってことはないでしょ。マタル隊が森へ入るのをはっきり見たわ」
「でもよ、これだけ探して遭遇すらしねえってのは、そもそも敵はいないとしか思えねえ―」
ブリュノは言い終えることができなかった。
ヒュンと風切る音ともに投げナイフが飛んできてブリュノの腕に当たった。
「なっ…!?」
「敵だっ! 敵がいるぞ!」
呆然と佇むブリュノには目もくれず、アイラはあらん限りの大声を放った。
まるでそれが合図だったかのように敵兵が樹間から現れた。
「迎え討てっ!」
瞬く間に乱戦となった。それでもアイラは、襲ってくる敵を確実に屠っていく。その目の端に、とんでもない速さで動く敵兵の影が写った。
視線で追うと、震えて立ちすくむジョゼを捉えた。敵兵がジョゼに迫る。
「ちっ…!」
咄嗟に身体が動いていた。敵兵がジョゼに斬りかかる。目一杯腕を伸ばして剣を突き出した。間一髪、敵の剣を跳ね上げた。身体を捻って敵兵を斬り捨てる。
しかし、もう一人、敵兵が迫っていることに気が付かなかった。向かい合う暇もなく敵の剣が横腹に喰い込んだ。
「うっ…!」
一瞬息が詰まる。真剣だったら、胴を両断されていただろう。
「……やられた…」
またしても、大して活躍できないまま離脱を余儀なくされた。全身から力が抜けた。歯痒さばかりが募る。足元では、ジョゼがしゃがんで頭を抱えて震えていた。
無性に腹が立ってきた。こいつは足を引っ張ってばかりだ。こいつのせいで、自分は思う存分戦場で闘えない。
「ジョゼのバカっ! 臆病者っ! なんであなたはいつもいつもそうやって震えているの!」
「……怖い…怖いよ…」
聞いているのかいないのか、ジョゼはいつもの台詞をつぶやいている。
「あなたなんか…あなたなんか…もう知らないっ! 勝手に敵に殺されちゃえばいいんだわ!」
「―!」
突然、ジョゼは立ち上がった。顔は真っ青だ。
「……殺される…殺される…殺される…殺され―」
「ジョ、ジョゼ…?」
驚愕して息を呑むアイラの目の前で、ジョゼの様子が一変した。殺気が全身から吹き出していた。花紺青色の瞳が据わっている。
「おおぉぉ〜っ!」
雄叫びを上げると、ジョゼは地を蹴った。狂剣が荒れ狂った。手当たり次第に斬り伏せていく。それは、敵も味方もない。誰も剣を合わせる隙もない。
信じられない戦闘力だ。正確無比に屠っていく戦いぶりは、まるで『ブラッディ・ドール』を彷彿とさせる。
「―ま、待って! ジョゼっ!」
我に返ったアイラは、慌てて後を追った。ジョゼは敵味方の区別がない。このまま放っておけば、敵だけでなく、味方も全滅してしまう。
敵は、どうやら20〜30人で移動しているらしい。森のあちこちで戦闘が行われているようだ。ジョゼは、その中を駆け抜けていっている。
彼女の通ったあとには、屍の山が残されるばかりだ。
「うおぉぉ〜っ!」
ジョゼの雄叫びが轟いた。急いで向かう。見えた。足が止まった。ジョゼは、ミラベルと剣を交えていた。
「……バカ〜っ!」
アイラは駆け寄ろうとした。しかし、そのときには、両者の剣が相手の身体をかすっていた。模擬戦では、少しでも相手に触れれば、負傷したとみなして離脱する決まりである。
「―ジョゼっ!」
アイラは、飛びかかるようにしてジョゼを抱き締めた。
「うおぉ〜っ!」
ジョゼは、腕の中で暴れた。それでも万力を込めて押さえつけた。
「私がいるよっ! アイラがあなたの側にいるよっ!」
「うおお〜っ!」
「心配ない! 怖くない! 大丈夫! 大丈夫!」
アイラの心の叫びが届いたのか、突然、ジョゼから力が抜けた。
我に返ったらしく、呆然と佇んでいる。花紺青色の瞳にみるみる涙が盛り上がった。
「……わ〜んっ!」
ジョゼは、声を放って泣き出した。まるで小さな幼子のように。
アイラは固く抱き締めた。限りなく強く、そして限りなく優しく。ジョゼは泣きながらすがりついてきた。
「―いいわ。特別に胸を貸してあげる。思い切り泣きなさい。気の済むまで泣くといい。私が全部受け止めてあげる」
桔梗紫色の瞳にも、涙が溢れた。そのとき。
「―やめろーっ! 双方、剣を引けぇーっ!」
エーヴの怒鳴り声が轟いた。エーヴの声はよく通る。
「エーヴさま!? どうしてここにいるの?」
アイラは、涙を拭おうともせず、驚きの声を上げた。
「……!? アイラか」
エーヴは、当然涙顔に気がついたが、口にしたのはまったく別のことだった。
「わたしたちは、まんまと騙された。戦っているのは味方同士だ」
「えっ!?」
「初めからサンドラは森にはいなかったんだ。いると思い込まされて、誘い込まれた上に、同士討ちをしちまった」
「……なんてこと…」
「あ〜あ。わたしたちの完敗だ。あのバカ面にしてやられたよ」
エーヴは悔しそうに言った。しかし、表情は嬉しそうに崩れている。
「4倍の兵力差を覆しやがった。セリーヌの言うとおり、あいつは天才だ。それも、極上の天才だよ」
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丘の麓に近づくと、マタル隊が整然と布陣していた。
まるで待ち構えていたようだ。その数、ざっと2百。先頭にいるのは…
「よう! サイノス。やっぱりお前が来たか」
「……イザクか。サンドラはどうした?」
「さぁてね。どこだろうな」
「各個撃破は、軍師どのの発案か?」
「それを見破るのは、あんただと軍師どのは言っていたよ」
「……そうか。ものの見事に策に嵌ってしまった。完敗だ。軍師どのを認めよう」
「それは良かった。だったら、降伏してくれ。これ以上続けても意味はないぞ。もしこれが実戦だったら、大隊長が三人も戦死している」
「ミラベルもエーヴも、まだ森の中で健在だが?」
「今ごろあいつらは、同士討ちをしているよ」
「―!」
「すべて、軍師どのの言うとおりに戦況は進んだ。あんたらが軍を分けて森を包囲するのも、その配置すらも。ミラベルやエーヴが森の中へ入るのも、あんたがこの丘に来ることも。すべてお見通しだ」
「……」
「俺は、空恐ろしいね。あんなバケモノは見たことねえ。セリーヌの言うとおり、クナリは天才だ」
「さっき俺は完敗と言ったが、戦術上の負けを認めただけだ。勝負はまだ捨ててはいない」
「ここで俺たちとやり合おうってのか?」
サイノスは、返事の代わりに殺気を放った。思わずイザクは身構えた。
「―その辺でやめておけ、サイノス」
背後の森から、サンドラが現れた。百を率いている。傍らには、クナリの姿もあった。
「どうあがいても、私たちではクナリには勝てない。軍師というのは、凄いな。一人で兵千人に匹敵する」
「……なるほど。戦闘になったら挟み撃ちにするつもりだったか」
殺気を収めたサイノスは、淡々と言った。
「しかも、新兵とベテラン兵を完全に分けたのだな。道理でジュスタンが敗れるわけだ」
「それもクナリの指示だ。しかも、クナリは馬をよく乗りこなす。恐れ入ったよ」
二人の会話を聞いているのか、馬上、クナリはぼうっと空を見上げている。
「……わかった」
サイノスは、肩から力を抜いた。それは、完全に敗北を受け入れた証だった。
「負けを認めよう。俺では到底太刀打ちできそうにない。―クナリ。天馬隊へようこそ。心から歓迎するぞ」
【裏ショートストーリー】
ブリュノ「ジョゼのやつ、あんなに強かったのか。驚いたぜ」
マリユス「もともと、立ち合いじゃ負け知らずの凄腕なんだよ」
ブリュノ「俺じゃ、敵いっこねえよ。そんなやつが、なんで小隊長じゃねえんだよ?」
マリユス「戦場になると、震えて動けなくなるんだ。そんなやつ、当てになんねえだろ?」
ブリュノ「さっきは暴れ回ってたじゃねえか。どこが震えて動けねえってんだ」
マリユス「だから、俺も驚いてるんだよ。あいつに何があったんだろう…」
ブリュノ「ふ〜ん…。俺が思うに、アイラじゃね?」
マリユス「……」
ブリュノ「アイラが何かしたんだろ。ジョゼにべったりなところがあるからな」
マリユス「……たぶん、お前の言うとおりなんだろうな。アイラは、ここに来たときから、ジョゼを一本立ちさせようと躍起になってた。その効果が現れたんだ」
ブリュノ「……俺って、強運の持ち主だな」
マリユス「は…? 何だ、そりゃ?」
ブリュノ「だって、そうだろ。10人中、隊長クラスが俺も含めて3人もいるんだぜ? エニフ隊どころか、天馬隊最強の小隊だ」
マリユス「最強ってのは同意するが、俺を含めんなよ」
ブリュノ「お前、なんでそう小隊長になるのを嫌がるんだよ? 変わったやつだなあ」
マリユス「うるせえ。放っとけ」
ブリュノ(……ほんとに天馬隊に入って良かった。面白えやつばっかだ。これなら、当分飽きらずにいられそうだぜ)




