第294話 恋せよ、乙女②
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
『カフェ猫耳2号店』のメイドが、にっこり微笑んだ。店長のオレリアではない。
「……予約していたのか?」
「へっへー。そうだよ」
エーヴは、自慢そうに胸を反らした。
「予約のお客さま、どうぞ、こちらの席へ」
リザーブ席に案内された。
「ご注文がお決まりになるころ、また伺います」
VIPではないエーヴたちには、店長たるオレリアは相手をしないらしい。
「……ほう。2号店は、料理も出すのだな」
メニュー表を見ながら、サイノスが感心した。
「セリーヌによると、ここはカップル向けに作ったんだってよ」
「なるほど。だから落ち着いた雰囲気なんだな」
サイノスは店内を見回した。そんなサイノスを楽しそうに見守りながら、エーヴは身を乗り出した。
「……注文、何にする?」
「そうだな…」
サイノスがまたメニュー表をのぞき込んだ。自然と二人の距離が縮まる。
(近い…!)
心臓がドキドキする。しかし、表面上は何食わぬ顔を崩さない。
「……わたしは、パスタにしよっかな。シーフードなんだって」
「……それじゃ、俺はグラタンにしよう。五種類のチーズを使っているそうだ」
「確かブラックコーヒーが好きだったよな?」
「ああ。ぜひそれで頼む」
「ケーキセットにするよな?」
「……つき合おう」
「わたしはフルーツタルトがいい」
「俺はレアチーズにしよう」
「メインがチーズで、デザートもチーズかよ?」
「チーズが好きなんだ」
「そうだっけ?」
(サイノスは、チーズ好きなのか。これは、覚えておこう)
エーヴは、深く胸に刻みつけた。
メイドを呼んで、無事注文を終えると、静かに向き合った。
(……なんでこんなに、胸が苦しいんだろ)
二人だけで食事をするなど、これまでに何度もあった。兵舎の食堂という色気も何もないところだったが。
それなのに、こうして向かい合うと、やたらと心臓が早鐘を打って苦しくなる。妙に恥ずかしくて、まともに顔を見られない。買ってもらったティーカップの箱を無意識に握りしめた。
「―親父さんのプレゼント、何日でできるんだって?」
サイノスがその箱に目をやりながら、尋いてきた。
「名入れのことか? それなら、2〜3日だって」
「そうか。店が送ってくれるんだっけ」
「うん。その分、ガッツリ金を取られたけどな」
「いいじゃないか。親父さん、喜ぶと思うぞ」
「飲んべえだからな。母ちゃんには叱られるかも。余計なことすんじゃねえ、ってな」
「ご家族は、確かほかにご兄弟がいたな?」
「弟が二人と妹が一人。四人兄弟の長女なんだ。ウチは貧乏でさあ。少しでも口減らししないといけないから、リシャールに出てきたんだ」
「農家だったな」
「細々とやってる零細農家さ。小麦と野菜を汗水垂らして作ってるよ」
「軍の常備兵に志願してくるものは、次男坊や三男坊が多い。似たような境遇の者が多いんだろうな」
「二番目の弟がな、軍に入りたがっているらしい。わたしがあれこれ手紙で知らせてるから、きっと影響を受けたんだ」
「いいじゃないか。好きにさせたら」
「男手は農家にとって貴重だ。そもそも、剣もろくに握れねえ。畑仕事しかしたことねえんだから。あいつには無理だよ」
「そういうお前は、剣の腕は一流だ」
「……わたしは剣が好きなんだ。小さいころから、村の道場で鍛えていたから」
「道場の主の腕前は知らんが、お前をよく導いてくれたのだろうな」
(失恋して、がむしゃらに稽古した…なんて、口が裂けても言えねえ)
「俺は、お前のことを評価している。努力は裏切らない。それをできるお前は、やはり天才だ」
「よせやい。『鉄拳』に言われると、身の置き所がなくなるよ」
「お世辞でも何でもない。本当にそう思っている」
「……そりゃ、ありがとうよ」
評価している。それは、どういう意味なのだろう?
いや、深く考え過ぎだ。剣の腕を認めてくれているだけだ。
それとも、別の意味があるのか。月夜の『夢』のことをもう一度、聞きたい。聞いて確かめたい。
(……サイノス。わたしのことをどう思っているの…? どうしてあの夜、キスしたの…?)
「―お待たせいたしました!」
メイドが注文の品を持ってきた。
「美味しそうっ!」
正直、サイノスのことを男として見たことはなかった。あの夜までは。
「……美味い! このシーフードパスタ、美味いぞ」
「こっちのグラタンだって、絶品だぞ」
あの夜以来、サイノスを意識するようになった。まさにそのタイミングで現れたのがアイラだった。
アイラのサイノスに対する態度は、妹のそれを遥かに超えている。
『私はお兄さまのことが好きなの』
好きとは、兄妹愛ではなく、恋愛感情だとしか聞こえなかった。
「新兵の練度がいまいちなんだよなあ」
「地道に鍛えるしかないだろう」
会話は、隊のことになっている。心は千々に乱れているのに、口が勝手に動いていた。
サイノスを巡ってアイラと勝負することになってしまった。売り言葉に買い言葉だった。本気でサイノスを取り合う気は毛頭なかった。
それなのに、サイノスのことが気になって仕方がない。
(……わたしは、サイノスのことをどう思っているんだろう?)
そうだ。それを知りたいのだ。だから、デートまがいに誘うようなことまでしてしまった。
「―美味かった」
いつの間にか食事を終えて、店の外へ出ていた。エーヴはサイノスを見上げた。
「……そうだな。3号店も出すらしいぜ」
「セリーヌの多才ぶりには驚かされる」
「あいつは規格外だ」
「……そろそろ戻るか」
「え…」
「兵舎に戻るのだろう?」
歩きかけたサイノスの袖を無意識に掴んでいた。
「……!?」
サイノスが振り返った。瞠目している。
「……もう少し話そうよ」
(わたしは、何を言っているんだ!?)
何も考えていないのに、勝手に言葉が溢れてくる。
「もし、この後何も予定がないんだったら、もう少し一緒に過ごしたい。―ダメか?」
「―いや、予定などない」
「だったら、どこか散歩しながらさ。話そうよ」
「……わかった」
サイノスは、先に立って歩き出した。袖から手を離して、後をついていく。
(何誘ってんだ、わたしは〜!?)
ほとんどパニックである。サイノスの言うとおり、これで兵舎に戻るつもりだったのだ。
「……」
エーヴは、自分から話そうと言ったくせに、無言のまま広い背中を見つめた。
サイノスが歩みを緩めて横に並んだ。肩が触れ合うくらいの近さだ。
(この後、どうすんだよ!?)
もう何がなんだかわからなくなる。ぶるっと身震いした。
風が出てきたらしい。春とはいえ、まだまだ気温は低い。コートを持ってこなかったことを少し後悔した。
パサッとコートが肩にかけられた。驚いてサイノスの横顔を見上げた。
「―風が出てきた。身体を冷やすのは良くない」
「悪いよ。お前だって寒いだろ?」
「いいから、着ていろ」
「……ありがと」
コートの襟をかき寄せた。じんわり心が温かくなる。
やがて、高台の公園に出た。奇しくもそこは、アニェスとアダンがデートで訪れた場所だ。無論、エーヴたちはそんなことなどつゆ知らない。
「―へえっ。ここ、眺めがいいね!」
手摺りから身を乗り出した。眼下には、リシャールの街並みが一望できる。
「こんなとこ、よく知ってたな、サイノス」
「……たまたまだ」
サイノスも、横に並んで街並みを見下ろした。
「―考えてみれば、わたしたちって、不思議な縁で繋がってるよな」
サイノスの温もりを間近に感じながら言った。
「ブランシャール軍の入隊試験の同期でさ。サイノスだけじゃない。セリーヌやサンドラ、ミラベルと出会って、至宝天と呼ばれるようになって―」
「―エーヴ。今、わざとジュスタンを外したな」
「ははっ。―でもさ、みんなが試験を受けようと思わなかったら、会わなかったんだよ。一生、お互い知らないままだったんだよ」
「それでも、俺たちは出会った。運命論は好きじゃないが、会うべくして会った生涯の友だ」
(生涯の友…そうだよな、わたしのことは、友だちの一人と思っているんだ…)
でも。友だちにキスをするか?
真剣な眼差しでキスをするか?
突然、アイラの勝ち誇った笑顔が浮かんだ。彼女は、サイノスと腕を組んでエーヴを見下している。彼の心を射止めたのは自分だと高らかに謳っている。
(……きっと、わたしは恋をしているんだ。サイノスのことが、好きなんだ)
自然と受け入れられた。納得もした。
だから今、心が温かいのだ。好きな彼の隣にいるから。彼を独り占めしているから。
頭を彼の肩に乗せた。とても固い。それなのにとても居心地がいい。
「―好きだよ、サイノス」
「―!」
サイノスが身動ぎした。ハッとなって頭を離した。
「い、いや、今のは違う! 違うんだ―」
「―違うのか?」
薄墨色の瞳が強く見つめてきた。月夜の『夢』のときの眼差しと、まったく同じだった。
「……だ、だ、だって、お前が言ったんだぞ。あの夜、わたしたちはキスなんかしていない、って」
「……何の話をしている?」
「月夜の『夢』の話だよ! わたしがひどく酔って、夢でも見たんだろう、って、お前が言ったんだぞ」
「―そうだったな。確かに俺が言った。お前は夢を見たんだ」
「ウソだっ。あれは夢なんかじゃない! お前の唇の感触だって、手のぬくもりだって、ちゃんと全部覚えてる!」
「……」
ハッとした。いったい自分は今、何を口走ったのだ?
視線を逸らした。顔が火照って仕方ない。
「エーヴ…」
突然、抱き寄せられた。間近に薄墨色の瞳があった。息を呑んだ。苦しい。息ができない。
「……夢かどうか、試してみるか?」
「あ…」
言葉にならない。何も考えられない。まるで嵐に巻き込まれて翻弄されているかのようだ。
サイノスが覆い被さってきた。唇が重なる―
「―ま、待って!」
寸前で押し退けた。
「まだ、サイノスの気持ちを聞いてない。わたしのこと、どう思ってるんだ?」
「お前こそさっきは、好きじゃないと言った。俺のことをどう思っているんだ?」
「そ、それは…」
今度こそ、はっきり言うんだ。好きだと、言うんだ。
(―わたしは、いつも選ばれない。好きになった男は、必ずほかの女を好きになる)
アイラのせせら笑う声が遠く聞こえた。
「……ご、ごめん…」
瞳を伏せた。
「……」
ふっと、サイノスは離れた。手を伸ばせば、すぐ届くところにいる。それなのに、それは、とても遠い。伸ばしても伸ばしても、手は届かない。
「―兵舎に帰ろう」
サイノスが背中を向けた。
唇を強く噛んだ。冷たいものが頬を伝うのを感じた。
ゴシゴシと乱暴に目をこすった。黙って大きな背中の後を追った。その背中も、なぜか泣いているような気がした。
【裏ショートストーリー】
恋の天使「おっかしいなあ…」
愛の女神「どうしたの?」
恋の天使「犬牙族の若者と人間族の娘に黄金の矢を射たんだけど、結ばれないんだよね」
愛の女神「あら、珍しいわね。あなたの矢に抗えるものなど、いないはずだけど」
恋の天使「抗ってるわけじゃないよ。どっちも恋に落ちてるのは確かなんだ。それなのに、肝心なところで抑制されちゃうんだよね」
愛の女神「ふ〜ん…。興味あるわね。占ってみよっか」
恋の天使「やってみて!」
愛の女神「ディ・ラ・ヴェリテ!」
恋の天使「……」
愛の女神「……ふん、ふん。……ふ〜ん。なるほど」
恋の天使「ねーねー、何がわかったの?」
愛の女神「二人の間で邪魔をしている存在がいるわ。それも、相当自我が強いわね」
恋の天使「僕の矢の効力を防ぐなんて、人とは思えないなあ」
愛の女神「人は、時に想像を超えた能力を発揮することがあるからね」
恋の天使「じゃあ、そいつに鉛の矢を射てやろうかな」
愛の女神「やめときなさい。あなたの矢が覆ることはあり得ないんだから。そのうち、嫌でもくっつくわよ」
恋の天使「う〜ん…。なんか、気に入らないなあ」
愛の女神「まあ、のんびり見ていましょう。思わぬことが起こって、本当に人の世は楽しいわ」




