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第292話 母娘の春

「お母さまっ!」


サンドラは、大きく手を振った。


馬車が一台、皇宮の城門を抜けて入ってきた。馬車の窓から一人の婦人が同じように手を振っている。


車寄せで馬車が停まるのを待ちかねたように、サンドラは走り出した。


「お母さま、お待ちしておりました」


馬車から降りてきたのは、カトリーヌ・ゴダールだった。バスティアンの母である。


「サンドラさん! 会いたかったわ」


「よくお出でくださいました」


「こちらこそ、皇宮に招待してくださるなんて、夢のようだわ」


「……あの、お父さまは?」


「ごめんなさいね」


カトリーヌの顔が曇った。


「説得はしたのだけど」


「そう…ですか」


父のアンドレは、まだサンドラのことを認めてはいないようだ。地方の獣人差別感情は、法律が発布されてもまだまだ根強く残っている。


「サンドラさま…」


メロディがそっと声をかけた。


「―ありがとう」


メロディからバスティアンを受け取った。


「お母さま。小バスティアンです」


「あら〜っ! 可愛い!」


「抱いてあげてください」


「いいの?」


「当然です。お祖母さまなんですから」


「あら」


カトリーヌは、軽くサンドラを睨んだ。


「年寄り扱いするなら、許しませんよ」


言いながらも、バスティアンを抱き上げると、一気に表情が崩れた。


「バスティア〜ン、初めまして。お祖母ちゃんですよ〜」


「ははっ。許すも何も、ご自分で仰ってるじゃありませんか」


「バスティアンに言われるなら、いいの!」


「キャッキャッ!」


「あっ!? バスティアンが笑ってる」


サンドラは、顔をのぞき込んだ。


「やっぱり、家族だってわかるんですね。初めて抱かれてこんなに喜ぶバスティアンは見たことがありません」


「……小さいころのバスティアンにそっくりだわ」


「……そうなのですね」


「―サンドラさま。そろそろ中へご案内したほうが」


ほっこりしている母娘に、メロディが遠慮がちに声をかけた。


「そうだった。―お母さま。申し訳ありません、外に立たせたままで。どうぞこちらへ」


「ありがとう」


バスティアンをメロディに託すと、サンドラはカトリーヌと並んで歩き出した。


サンドラが案内したのは、猫耳王女のサロンだった。


休日のため、司馬の職員は誰もいない。


テーブル席に落ち着くと、メロディはバスティアンをサンドラに預けてパタパタと忙しそうに離れた。


「―何か月になったの?」


「もうすぐ5か月になります」


「もうそんなに大きくなったの」


「申し訳ありません。本当は、もっと早くご挨拶に伺おうと思っていたのですが、なかなか公務の都合がつかず今日になってしまいました」


「いいの、いいの!」


慌ててカトリーヌは手を振った。


「怒って言ったわけじゃないわ。こちらこそ気を遣わせてしまってごめんなさい」


「本当にすみません。こちらに呼びつけてしまうなんて。本来ならこちらからマティスに伺わなければならないのに」


「本当に気を遣わないで。馬車まで手配して送り迎えをしていただけただけで、充分」


「―失礼します」


メロディがカトリーヌの前にお茶を置いた。


「ありがとう、メロディさん。―あら!? 黒い色をしているわ」


カトリーヌが目を丸くした。


「コーヒーと言います。シルヴィアさまが異国と取引をなさって取り寄せている飲み物です」


「あらまあ…。そんな貴重な飲み物をいただいてしまって、いいのかしら」


「構いませんよ。シルヴィアさまがオーナーになって、コーヒーを提供するお店を出しているくらいですから、売るほどあります」


「まあ…驚いた。皇都では、こういうものが流行っているのね。―ん? 変わった味がするわ」


「苦いでしょう? ミルクを入れると飲みやすくなりますよ。お持ちしましょうか」


「ええ、お願いするわ」


サンドラがうなずくと、メロディがミルクを注いだ。


「―あら、ほんと。飲みやすくなったわ。とても美味しい」


「気に入っていただけて、嬉しいです」


「……バスティアンは、どう? 夜泣きとかしない?」


「します!」


サンドラは身を乗り出した。


「夜泣きがひどくて、毎日のように起こされます。おかげで寝不足ですよ」


「あらあら。ほんとにバスティアンにそっくり」


「ジュリアンは、ほとんど夜泣きしないんですって。人によって違うんですね」


「そうね。バスティアンのときは、一度明かりを全部つけて、完全に起こしてから寝かしつけたわ。結構すぐ寝てくれるわよ」


「ふんふん。なるほど。とても参考になります」


「それと、できるだけ外の光を浴びさせて。それだけでも、夜泣きが減るわ」


「……なるほど。それは知らなかった。早速試してみます」


「お乳の飲み具合はどう?」


「とても良いです。吸う力が強いのか、乳首が痛くなるくらいよく飲みます」


「元気な証拠よ。離乳食の準備も始めたほうがいいわ。もうそろそろでしょ? ―あっ! メロディさんがついているから、大きなお世話だったわね」


「とんでもない! お母さまは子育ての大先輩です。貴重なお話が聞けて、とても有難いです」


「母親が娘の子育てに余計な口出ししたら、嫌われるだけよ」


「……」


オッドアイが潤んだ。


「サンドラさん…?」


「私のことを…娘と、呼んでくださるんですね」


「当たり前じゃないの。バスティアンが愛した女性ですもの。私の娘に変わりはないわ」


「お母さま…ありがとうございます。私、既に両親を亡くしているので…とても嬉しい。とても…」


「あらあら。泣かないで」


「―失礼いたします」


そのとき、訪いがあった。入ってきたのは…


「シルヴィアさま!?」


それは、シルヴィアだった。ジュリアンを抱えたコレットに支えられている。驚いたサンドラが、慌てて寄り添った。


「つわりがひどくて、お休みになっていたはずでしょう?」


「……だ、だって、バスティアンのお母さまがお見えになっているっていうから…」


とても具合が悪そうだ。顔色が真っ青である。


「……この方が、カトリーヌさま?」


呆然と座り込んでいたカトリーヌに視線を向けた。


「は、初めまして。シルヴィアと申します」


「あ…っ! し、失礼いたしました」


カトリーヌは、慌てて席を降りてひざまずいた。


「皇后陛下さまには、ご機嫌麗しく、ご尊顔を拝し光栄至極…あらっ!? も、申し訳ありません。お具合が悪いのにご機嫌麗しいなんて言ってしまったわ」


「お母さま、緊張なさらないで」


サンドラが声をかけた。


「シルヴィアさまは、堅苦しい挨拶は好みません。どうか、畏まらないでください」


「そういうわけにはいかないわ。陛下さまは雲の上のお方。私のような下々の者が直接言葉を交わすことさえ憚られるわ。それをこんな間近でお会いするなんて、畏れ多過ぎてどうしたらいいかわからないくらいよ」


「……カトリーヌさま。私はただの可愛い猫耳族の王女よ。そんな大層な者じゃないわ」


「はい…」


シルヴィア得意のフレーズに、免疫のないカトリーヌは、一瞬変な顔をした。そんなカトリーヌに、シルヴィアは頭を下げた。


「……カトリーヌさまには、お詫びしなければならない。大事な息子さんをお預かりしながら戦死させてしまいました。本当にごめんなさい」


「そんな…! 陛下さま、頭をお上げくださいまし。こちらこそ、愚息がお役に立てず申し訳ありません」


「とんでもない。バスティアンは、とても優秀な小隊長でした。将来は軍の柱石として支えてくれる人材でしたのに、私が不甲斐ないばかりに…」


「決して陛下さまの責任ではありません。戦なのですから、仕方のないことです」


「いいえ、バスティアンの上司として責任があります。謝ったところでどうにもならないけど、本当にごめんなさい。サンドラにも辛い思いをさせてしまった。痛恨の極みです」


「シルヴィアさま…」


一旦止まった涙が、またオッドアイを濡らした。


「……バスティアンは、幸せ者です。こんなに皆さまに想われて」


カトリーヌは涙ぐんだ。


「うっ…」


シルヴィアが口元を押さえた。感極まってむせび泣いた…わけではなかった。


「……気持ち悪い…」


「シルヴィアさま!?」


「どうか、お部屋にお戻りください」


シルヴィアは、コレットに抱えられるようにしてサロンを退出していった。


結局、コレットが抱いてきたジュリアンは、メロディの胸の中に収まった。ちょこちょこと歩き回るようになったジュリアンがぐっすりと眠り込んでいるのは幸いだった。


「……」


サンドラとカトリーヌは、顔を見合わせると、どちらともなく笑い出した。


「……皇后陛下さまは、素敵な方ね」


まだ笑いを収めきれずに、カトリーヌは言った。サンドラは大きくうなずいた。


「シルヴィアさまは私たちの太陽です」


「本当ね。あの方がいらっしゃる限り、安心して暮らせるわ。―あっ! 私ったら、いけない」


カトリーヌは、両手で口を押さえた。


「どうしました、お母さま!?」


「―私、皇后陛下さまに、妊娠のお祝いをお伝えするのを忘れてしまったわ」


「……」


母娘は、また顔を見合わせた。やがて、明るい笑い声が弾けた。


至福の時間が穏やかに流れた。


リシャールの春は、今日も小揺るぎもしなかった。

【裏ショートストーリー】

シルヴィア「……挨拶に行かなくちゃ…」

コレット「ダメですっ。つわりがひどくて、起き上がるのさえ辛いでしょうに」

シルヴィア「だって…バスティアンのお母さまが来てるのでしょう? 顔も出さないなんて…そんな礼儀知らずなことできないわ」

コレット「シルヴィアさまお一人のお身体ではないんですよ。赤ちゃんのことを最優先にお考えください」

シルヴィア「嫌よ。会って一言、謝りたいの」

コレット「……!」

シルヴィア「このまま知らんぷりなんてしたら、自分で自分が許せなくなる」

コレット「シルヴィアさま…」

シルヴィア「大丈夫。お腹の子もわかってくれる。今は無理をするときよ」

コレット「……わかりました。でも、長時間は厳禁ですからね」

シルヴィア「わかってるわ」

コレット「では、少々お待ちを。ジュリアンを一人残す訳にはまいりませんから」

シルヴィア「ジュリアンもいい子ね。ちょうどぐっすりお昼寝してくれてる」

コレット「ほんとですね。よく寝てる。……さ、支度ができました。起きられますか?」

シルヴィア「……ええ。平気よ」

コレット「……全然、平気そうではありませんね。私に掴まってください」

シルヴィア「……ごめんね、コレット。迷惑かけて」

コレット「もう慣れっこですよ」

シルヴィア「……そう言われると、それはそれで複雑だわ…」

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