第290話 訴訟と智将
クロヴィスが『法廷』に入ると、皆一斉に立ち上がった。
一段高い場所に設けられた革張りの大きな椅子に着席する。皆もそれに合わせてそれぞれ着席した。
クロヴィスから見て右側に住民の代表が5人。左側に工部尚書キトリー・ドラクロワとその秘書官キャロル・セドリック。
ちなみにキトリーは、クロヴィスが入ってきても立ち上がらず、キャロルに何やらどやしつけられて仕方なさそうに腰を上げたが、すぐにまた座ってしまった。
「みんな忙しいとこ集まってもらって悪いな」
クロヴィスが口を開いた。刑部尚書は、警察権だけでなく、司法も管轄している。
「今日は、リシャール市民から訴えのあった居住地からの強制立ち退き問題を審議する。―まずは住民の代表から、訴えの中身を改めて聞こう」
クロヴィスに促されて、代表5人のうちの一人が立ち上がった。
「私たちは、先祖代々、何百年もあの家に住んでるんでさ。それなのに、キトリー尚書さまは、有無を言わせず私たちを家から追い出したんです。こんな理不尽がまかり通るなんて、先代皇帝陛下の御代ですらなかったことです」
「キトリー。今の話は本当か?」
クロヴィスが確認する。キトリーは、ふてくされたように言った。
「水道を敷設するんだ。家が邪魔なんだよ」
「住民代表の言ったことは、本当かと聞いたんだ。聞かれたことにだけ答えろ」
「ちっ…。どけと言ったのは本当だ」
「住民が実際に住んでるのにか? 理不尽だと思わないのか?」
「だから、水道を敷設するためだと言っただろうがっ」
「ほかにルートがあるだろう」
「ねえんだよ。リシャールはすき間なく家やら商店やらがひしめいてるんだぞ。どこかをどかさなきゃ工事ができねえ」
「だとしても、いきなり立ち退かせるというのは、いかにも乱暴だ。もっと話し合うとか、やり方があっただろう」
「そんな手間暇かけてられっか。リシャール全域に張り巡らせるんだぞ、そんなことしてたら何年かかるか、わかりゃしねえ」
公共工事のために、どの程度市民は不利益を受忍せねばならないか、という永遠のテーマが初めて議論された瞬間であった。
建築史や行政史に記される重要な出来事だったのだが、当事者たちにそんな自覚はまったくなかった。
「住民代表に聞きたい。水道工事は、国を挙げての大プロジェクトなんだ。整備されれば、間違いなく生活が楽になる。それでも、立退くのは承知できないか?」
住民たちは顔を見合わせた。別の一人が立ち上がった。
「刑部尚書さまに申し上げます。水道の話はお聞きしました。井戸の代わりにドロン湖から水を引いてこようってんでしょ? 確かにそれができれば便利になります。だけど、どうして俺たちが犠牲にならなきゃいけねえんですかい? ほかにも家はたくさんありますよ」
「もっともな話だな」
「最短距離なんだよっ!」
キトリーが怒鳴った。
「工事も早く終わるし金も抑えられる。いい事ずくめだろうがっ!」
「それは、ひでえです、キトリー尚書さま。俺たちにとってはちっとも良くねえ」
「それくらい、我慢しろっ」
「むちゃくちゃだ」
「双方、静かにしろ!」
クロヴィスは、机をバンバンと叩いた。
「キトリー。市民を立ち退かせることは禁止する」
「ええーっ!? じゃあ、どうしろってんだよ?」
「立ち退かせなくても工事ができる方法を考えろ」
「ふざけんなっ! そんな方法があれば初めからやってる!」
「それは考えていないだけだ。俺はお前を天才だと思ってる。考えろ。打開策が必ず見つかる」
「……」
「住民たちは、元の家に戻ることを許す」
「ありがとうございますっ!」
住民たちは、喜色もあらわに礼を述べた。
「ただし! キトリーに協力しろ」
「はい…?」
「さっきも言ったように、この工事は国家にとってとても大事なものなんだ。その分困難も伴う。今回のようにな」
「……」
「工事を成功させるためには、みんなの協力が必要だ。もしキトリーから何らかの要望があったら、できる限り手を貸してやってほしい」
「は、はい…。住み続けられるなら、構いませんが」
住民たちは、戸惑いながらも肯った。
「よしっ。この一件は、これで落着だ」
クロヴィスは、急に黙って何やら考え込んでいるキトリーに声をかけた。
「期待しているぞ、キトリー。お前なら、必ずできる」
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「名裁きだったそうじゃない」
「いや〜、苦し紛れですよ」
シルヴィアに褒められて、クロヴィスは頭をかいた。キトリーと住民のいさかいの顛末を三頭に報告するため、アニェスのサロンを訪れていたのである。
「実際の話、本当にキトリーのことは天才だと思ってるんで、良い解決策を思いついてくれますよ」
「クロヴィスは、キトリーのこと、信用してるのね」
「皆さまにご迷惑をおかけして申し訳ありません」
アニェスが謝罪した。慌ててシルヴィアが手を振った。
「アニェスさまが謝る必要なんて、ありませんよ」
「いえ。推薦した者として責任があります」
「今回は、ちょっと失敗したかもしれませんけど、キトリーが天才なのは間違いないわ。水道なんて誰も思いつかないもの」
「軍にいたときから、人と違う発想をする子だったから、お役に立てると思ったのですけど、その分、他者への配慮が足りないところがあるのです。自分の世界しか見ないというか」
アニェスは、悲しそうに目を伏せた。
「それでは衝突するばかりだと叱ったことがあるのだけど、あの子には響いていなかったのね。世の中、生きていく上で人との関わりは避けて通れません。もう少し外へ目を向けてくれるといいのだけど」
「アニェスさま。そのためにキャロルがいますわ。それこそ彼女は分別のある大人だから、キトリーをうまく導いてくれます。今回だって、彼女が側についていればこんなことにはならなかったはずです」
「ちょうど間の悪いことに、弟さんがリシャールに来ていらして、お会いしていたらしいですな」
クロヴィスが言った。
「その間に、勝手に一人で現地へ乗り込んで、この騒ぎになったようで」
「―失礼いたします」
そこへ、訪いがあった。エドウィージュだった。若い猫耳族の男を連れている。
「あら、いいタイミング」
シルヴィアは、満面の笑みを浮かべて手招きした。
「ちょうど今、クナリの話が出たところなの」
「はい…?」
エドウィージュは戸惑いながらも、男を引っ張るようにしてサロンに入ってきた。
「……それじゃ、俺はこれで失礼します」
クロヴィスは遠慮したのか、三頭に丁寧に頭を下げると退出していった。
「―シルヴィアさまのお呼び出しとお聞きし、連れてまいりました」
エドウィージュが挨拶した。若い猫耳族の男は、ぼうっと突っ立ったままだ。エドウィージュは、無造作に彼の頭を掴んで頭を下げさせた。
「皇族方の御前だぞ。少しは畏まれ」
「いいわ、エドウィージュ。クナリは、こういう人だから」
シルヴィアが笑い崩れた。
「旦那さまとアニェスさまにご紹介します。クナリ・セドリックという、天才ですわ」
「ほう。こっちも天才か」
興味深そうにリオネルがクナリを見つめた。それでもクナリの態度は変わらない。
「宮廷は、天才ばっかだな」
「彼は、キャロルの弟なんです」
シルヴィアが紹介を始めた。太陽のような輝くばかりの笑顔で。
「8歳で武略経をそらんじたという天才児で、以前から軍に入るよう勧めていたんです。ようやくその気になってくれたみたいで、今回の天馬隊の入隊試験をトップで合格したの」
「例のアニェス発案の『机上の入隊試験』か」
「はい。事実上の満点でした」
リオネルにエドウィージュが答えた。
「唯一の合格者でもあります」
「ますます凄いじゃねえか。―おい、クナリといったな。シルヴィアをよく支えてやってくれ」
「……」
「―おい! 返事をしろ!」
まるで関心がないかのようにぼうっとしたままのクナリを、エドウィージュはどやしつけた。
「皇帝陛下が直々にお声をかけてくださったんだぞ! お礼を言え、お礼を」
「……皇帝…?」
クナリは初めて気がついた、とでもいうようにリオネルを見た。次いでアニェスを見、そしてシルヴィアを見た。
「……あれ? シルヴィア姉さま? 何でここにいるの?」
皆、一斉にズッコケた。
「―お前な! ここに来る前に説明したろう!」
エドウィージュが目を剥いて叱りつけた。
「皇帝方へのご挨拶のために連れていくって。人の話を聞いてねえのか!?」
「……覚えていません」
「―ほんとに、天才なのか?」
未だにぼうっとした表情のクナリを横目で見ながら、シルヴィアに尋ねた。さすがに心配になったらしい。
「大丈夫ですよ、旦那さま。クナリは、いつもこんな感じですから」
にこにこと笑みを絶やさない妻に、頭を一つ振った。
「―まあ、いいけどよ。天馬隊で使うのは、お前なんだし」
「むしろ、変わってなくて安心しました。―クナリ。よく来てくれたわ。歓迎します」
「……キャロルお姉さまが、うるさく言うから、仕方なくだよ」
「あたしがキャロルに頼んだのよ。あなたを田舎に埋もれさせちゃ、もったいないもの」
「……僕は、シルヴィア姉さまのお役には立てないと思うけど」
「役に立つかどうかは、あたしが決めるわ。あなたは好きなようにしていればいい」
太陽のような輝く笑顔がはじけた。
「何にも心配いらないわ。あなたはそのままでいいの。だってあなたこそ、あたしのガストン・ポワロなんだから」
【裏ショートストーリー】
エドウィージュ「クナリ、行くぞ」
クナリ「……行く、って、どこへ?」
エドウィージュ「皇族方へのご挨拶だよ」
クナリ「……」
エドウィージュ「シルヴィアさまからのお呼び出しだ。リオネルさまやアニェスさまに紹介したいんだとよ」
クナリ「シルヴィア姉さま…元気かなあ」
エドウィージュ「は…? だから、これから会いに行くんだっつーの」
クナリ「……」
エドウィージュ「ほんとに大丈夫かな? いつもぼんやりしやがって」
クナリ「……」
エドウィージュ「……かあーっ。実際に採点してなきゃ、到底信じられねえな、こんなボケッとしたヤツが天才だなんて。いいから、行くぞ。約束の時間に遅れちまう」
クナリ「……」
エドウィージュ「いいか、くれぐれも失礼のないようにな。私が怒られるんだから」
クナリ「……あ。シジュウカラだ」
エドウィージュ「あっ…! こらっ、どこへ行く!?」
クナリ「綺麗だねー」
エドウィージュ「鳥なんかどうでもいい! 勝手にほっつき歩くなっ! ……まったく、ただの変人じゃねえかよ」




