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第289話 お誘い

「―お兄さま。お邪魔していいですか」


「アイラ―!?」


サイノスの私室のドアを叩いたのは、アイラだった。


「何しに来た?」


「何しにとは、ご挨拶ですね」


アイラは、頬を膨らませた。


「用事がないと、来てはいけないのですか?」


「そういうわけではないが…」


「いい加減、お部屋に入れてください。このまま、廊下で話し続けるつもり?」


「……」


渋々、サイノスは妹を招き入れた。


「……なんだか、ここに来るの、とても久しぶりな感じ」


アイラは、部屋を見回して感慨深そうにため息をついた。


リシャールに来たばかりの頃は、サイノスの部屋で寝泊まりしていた。天馬隊に入隊してからは私室を与えられたので、それ以来ということになる。


「……あ! お茶なら、私がご用意します!」


サイノスを弾き飛ばすようにして、お茶を入れ始めた。サイノスは、黙ってソファに座った。


「―はい、お待たせしました、お兄さま」


「すまん」


サイノスの前にお茶を置くと、アイラは当然のように隣に座った。ピタリと身体を押し付ける。


「……狭い」


「狭くないですよっ」


またアイラは頬を膨らませた。とても愛嬌があって、それだけで大抵の男は惚れてしまうに違いない。しかしサイノスの表情は微動だにしない。


「わざわざ部屋にまで来て、何か話したいことでもあるのか?」


「……お兄さまって、ほんと、デリカシーがないのね」


「……」


「……まあいいわ。ちょっと相談したいことがあるのです」


「なんだ?」


「実は、私の隊のことなんですけど―」


「―ちょっと待て」


「え…」


「その話、ミラベルにはしたのか?」


「いえ…していませんが」


「では、ミラベルに相談しろ」


「……どうしてお兄さまに相談してはいけないの?」


「ここは軍だ。お前の直属の上司はミラベルなんだぞ。隊の悩み事は隊で共有すべきだ」


「……」


アイラは、ぶんむくれにむくれた。


「―では、妹としての相談なら、良いのでしょ? それなら、聞いてくださいますよね?」


「うむ…まあ、その…なんだ。内容にもよるが…」


「ジョゼ・アズナヴールという女性がいるの。剣の腕は群を抜いています。私が立ち合ったので間違いありません」


「……」


結局、隊の相談を始めている。しかしこれ以上言っても、アイラは聞かないだろう。サイノスは、黙って耳を傾けた。


「でも、戦場に立つと途端に動けなくなるのです。隊では役立たずと蔑まれています。ただ問題は、本人もそう思い込んでいることなの」


「自分で認めている者が、なぜ除隊もせず残っている?」


「事情があるのです。ご家族がジョゼの仕送りで生活なさっていて、やめるにやめられないの」


「職を変えればいい」


「本人は、除隊になったら体を売るしかないと言ってるわ」


「……!」


「なんとかしてあげたいのだけど、信用されていないらしくて、肝心なことは打ち明けてくれないの。……どうしたら心を開いてくれると思います?」


「そうだな…」


少し考える素振りをすると、サイノスは、きっぱりと言った。


「まずは心を開いてもらおうなどと、思い上がらないことだな」


「えっ…!?」


「それは、単なる自己満足だ。お前は、心を開いてくれないことに苛立って怒っているだけなんだ。そんなことは、相手にすぐ伝わる」


「そう…なのかな…」


「本当に彼女の身を心配しているのなら、寄り添うことから始めるべきだな。セリーヌなら、そうしている」


「セリーヌ…シルヴィアさまのことですね」


「セリーヌは、生粋のお節介焼きだ。まさにお前のように。ただ、やり方がまったく違う。彼女は最初に寄り添う。いきなり相手の心に踏み込んだりしない。そうして少しずつ信頼を得て、相手が話してくれるまでじっと待つ」


「……」


「結果を早く得ようと慌てては駄目だ。まずは寄り添え」


「―ありがとうございます、お兄さま」


途中からうつむいてしまったアイラは、顔を上げたときには笑顔になっていた。


「おかげさまで、心の整理がつきました。やっぱり頼りになるわ。相談して良かった」


「……」


「私、彼女の手助けをしたい。本当にそう願っているの。彼女には剣の天禀があるわ。きっと将来、天馬隊を背負って立つ人材になる。このまま埋もれさせたくない」


乾いた笑顔を浮かべた。


「また自己満足と言われてしまいそうだけど」


「いや、そんなことはない」


サイノスは、重々しく言った。


「人助けをしたいという心根は、嘘偽りのないものだろう。それは、誰でも持てるものではない。誇っていい」


「―ふふっ」


「ん?」


「お兄さまに、褒められた。嬉しいっ」


「……」


アイラは、頭をサイノスの肩に乗せた。


「……今夜はこのまま、泊まっちゃおうかな」


「だ、駄目だっ、許さん」


サイノスは、慌てて体を離した。


「―ふふっ」


一瞬、驚いた顔をしたアイラは、お腹を抱えて笑い出した。


「ふふふっ…ふふふっ!」


「……何がそんなに可笑しい?」


「お兄さまったら、冗談に決まってるじゃありませんか。そんな真に受けて慌てなくても」


「お前が急に変なことを言うからだ」


サイノスの顔が真っ赤に染まった。


「……はいはい。ごめんなさい。私が悪うございました」


「……」


「でも、嬉しい。お兄さま、私のこと、ちゃんと意識してくださっているのね」


「バ、バカなこと言うな。何で俺がお前を意識しなければならん」


「だって、世の兄妹は、一つの部屋で寝ることを意識したりはしないものですよ」


「そ、そうなのか…あ! いや、だからといって、我が家では駄目だぞ」


「ふふっ。わかっていますとも。お兄さまはそういう方だとね」


「……」


アイラは、わざとらしく顔を寄せると、耳元でささやくように言った。


「―また、相談に乗ってください。兄(・)と(・)し(・)て(・)、ね。いいでしょう? 優しい優しい私のお兄さま」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


エーヴは、遅い昼食を食べようと兵舎の食堂へと足を運んだ。


広い食堂にポツンと一人座る大きな背中が見えた。


咄嗟にエーヴは、コンパクトミラーを取り出した。ベリーショートの前髪を整える。悲しいくらいに化粧っ気は、ない。こんなことなら口紅を持って歩けば良かったと少し後悔した。


コンパクトミラーをしまうと、ゴホンゴホンと咳払いしながら大きな背中に近づく。


「―よう! サイノス。お前も食いっぱぐれ組か?」


「エーヴか。少し出遅れてな。今ようやく昼食にありついている」


「新兵の面倒見てたら、わたしも出遅れちまった」


チラッとサイノスに視線を送った。


「どうだい、お前んとこの新兵は? モノになりそうか?」


「鍛え方次第だろうな。何しろバラツキが大きい。一糸乱れず動けるようになるには、しばらく時間がかかりそうだ」


「最初は、しょうがねえよな。かつてのリオネル軍のギーさまのように、新兵担当がいてくれりゃ、そんな心配はいらねえんだけど」


「それは難しいだろう。ただでさえみんな、自分の隊のことだけで精一杯だ。それをうっちゃって新兵の面倒を見るのは不可能に近い」


「だよなあ。結局、自前で鍛えに鍛えるしか、ねえよな」


言いながらエーヴは、チラチラとサイノスの様子を窺う。


「―ところで、サイノス。お前に頼みたいことがあるんだがな」


「……こっちもか」


「あ…?」


「―いや、何でもない。それで、頼みごととは何だ?」


「う、うん。……もうすぐ田舎の親父の誕生日なんだ。たまにはプレゼントを贈ってやりたいんだけど、男の喜びそうな物って、よくわかんなくてさ。買い物に付き合ってくんねえかな」


「別に構わん」


「えっ…!?」


あまりに簡単に承諾を得られて、かえってエーヴはドギマギしてしまった。


「ほ、本当か? ほんとにいいのか? 忙しいんじゃないのか?」


「大して用事などない。いつでも大丈夫だ」


「そ、そっか…」


思わず胸を押さえた。心臓がバクバクいっている。


「……じゃ、じゃあさ、次の休みの日に頼むぜ」


「わかった」


嬉しさが込み上げてくる。今にも顔が崩れそうだ。


「―ハラ減ったな。メシ取ってくる」


サイノスの視線から逃れるように、立ち上がった。笑いを噛み殺す。それでも勝手に頬が緩んでしまうのを、抑えきれなかった。

【裏ショートストーリー】

エーヴ「ルン、ルン、ルルン」

ミラベル「エ、エーヴ、とっても楽しそうだね」

エーヴ「そんなことねえよ、いつもと同じさァ〜」

ミラベル「で、でもさっきから、か、顔がニヤけてるよ。い、良いことでもあったの?」

エーヴ「ば〜ろ〜、ンなわけねえだろ」

ジュスタン「……あれ!? エーヴ。ずいぶんご機嫌だね」

エーヴ「ジュスタンまで変なこというなよ〜。わたしはいつもと変わらねえさァ」

ジュスタン「……あきらかにいつもと違う」

ミラベル「ジュ、ジュスタンもそう思うでしょ? エ、エーヴは、さっきからこんな感じなの」

エーヴ「変な言いがかりはよせよ〜」

ジュスタン「……サイノスとデートの約束でもしたの?」

エーヴ「げっ…!? なんで知ってるんだ?」

ジュスタン「やっぱり…。エーヴは、わかりやすいんだよ。顔に書いてあるし」

エーヴ「げげっ!? マジか?」

ミラベル「……か、顔拭いてるし」

ジュスタン「ウソだよ〜」

エーヴ「なんだと!? 騙しやがったなっ」

ジュスタン「意外だなー。エーヴは、イケメンが好みかと思ってたんだけど」

エーヴ「う、うるせえ。大きなお世話だ」

ミラベル「……ジュ、ジュスタン。そ、それ、何気にサイノスに失礼」

ジュスタン「面白そうだから、当日ついていっちゃおうかな」

エーヴ「げげげっ! それだけは勘弁してくれ〜」

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