第287話 二つの試験
「ほれっ! てめえら、走れ走れっ!」
演習場にエーヴの激が飛ぶ。もっとも、広大な演習場のどこまで届いているか、わかりはしないが。
「エーヴさま、だいぶ気合いが入っていますね」
必死に走る受験者たちを見下ろしながら、アイラが言う。監督するために設けた演台の上である。
天馬隊の増員のため募集した入隊希望者が、想定外の1千2百人にも達した。そこで急遽演習場を借り切っての入隊試験の真っ最中である。
第一次は、恒例の体力試験である。エーヴたちも受けた科目であるが、そのときは、落とし穴やら狂牛の乱入やら、罠を設けられていた。至宝天はそこまで意地悪(?)ではないので、純粋に走力だけをみる。
合格条件は単純。演習場を時間内に3週するのみ。ズルをしないよう監視するため、至宝天が五カ所に分かれている。
当初、隊ごとに四人ずつ監視員を出すことになっていた。しかしアイラが異議を唱えた。同じ隊員同士が固まるのは談合(?)する可能性があるから、バラケたほうがいいと注文したのだ。
ジュスタンとミラベルが賛成した。エーヴは消極的賛成、サイノスのみが反対した。結局、多数決でアイラ案が採用された。各隊を分けるのであれば、ということで五人ずつ出し合うことになった。
そしてアイラは、エーヴ班に立候補した。誰もが驚いた。アイラの目論見がサイノス班に入ることだと思っていたからだ。ほっとしたのはサイノスであったろう。エーヴはアイラを一瞥しただけで、何も言葉にしなかった。
「エーヴさまは、走るのが得意だとお聞きしました。毎日走り込みを欠かさないとか。だから力が入ってらっしゃるの?」
「……そうじゃねえよ」
受験者たちから目を離さずエーヴは答えた。
「嬉しいんだよ」
「嬉しい…?」
「帝国軍本軍じゃねえ、天馬隊を選んで受験してくれたみんなの気持ちが嬉しいんだよ」
「……」
「奴らの目当てまでは知らねえ。中にはサンドラ目当てとか下心のある奴もいるだろうさ。でもよ、それでも天馬隊を選んでくれたわけだろ? できるだけ合格させてやりてえじゃんか。だから、こっちも全力でエールを送るだけさ」
「ふ〜ん。結構、青臭いことを考えるのですね、エーヴさまは」
「……」
「軍に入る以上、強くなくては意味がありませんわ。数だけ集めても弱くなるだけです。実力を見極めて精鋭を絞るべきですわ」
「……そういう考え方もあるよな」
「―!」
突き放すような言い方に、アイラはキッとエーヴの横顔を睨んだ。
「強い方が偉いという天馬隊の考え方、私、好きですわ。勝負事は勝たなくては話にならない。ましてや軍なら、敗北即、死に直結します」
「そうだな。アイラの言うとおりだ」
「恋愛も同じですわ」
アイラは挑戦的に言った。
ほかの監視役の隊員が二人のやり取りに耳をそばだてている。そのうちの一人は、アルゲニブ(ジュスタン)隊のジャン・リシュリューだった。ジュスタン以外に三連矢を使える弓の達人だ。錫色の髪と瞳をした優しげなイケメンだった。
ある意味、アイラは今、天馬隊の話題の中心人物だ。その彼女がわざわざエーヴ班を志願した。興味津々となるのは当然の流れである。
「勝負から逃げては想いは遂げられません」
「……何の話だよ?」
「エーヴさまにお尋ねしたいわ。兄のことをどう思ってらっしゃるの?」
「どうって…同期の同僚だよ」
「それだけではないでしょう?」
「……言ってる意味がわかんねえ」
「とぼけないでください。兄のことが好きなのでしょう?」
「……」
ド直球の台詞に、エーヴは黙り込んだ。むしろ、沸騰したのは周りの方だった。
「エーヴがサイノスを…?」
「マジか?」
隊員たちが色めき立った。至宝天同士の恋愛など、格好のゴシップでしかない。
しかしアイラは、周りの騒ぎなどどこ吹く風である。気にする素振りすらせず、黙り込むエーヴを追及した。
「お兄さまとのデートを尾行するなんて、普通じゃないわ。仲良しの私たちの邪魔をするというのは、お兄さまのことが好きだからとしか思えない」
「……」
「正直に仰ってください。ヤキモチを妬いたのでしょう? あまりにも仲が良い私たちを妬いたのだわ」
「……お前に言う必要はない」
「そうですか。それなら、遠慮なくお兄さまをいただきますけど、宜しいですね?」
「何を言ってる? お前は妹だろう?」
「私はお兄さまのことが好きなの。誰にも取られたくないし、取らせない」
「はあ!? 頭おかしいんじゃねえか? 意味わかって言ってるのか?」
「もちろん、すべてわかってるわ。さっき私、言いましたよね? 勝負は逃げたらそこでお終いです。何も得られないわ。エーヴさまは、本当にそれで宜しいの?」
「……」
エーヴは、自信満々で胸を反らすアイラを睨みつけた。
「……いいだろう。わたしも女だ。勝負を挑まれて逃げたなんて言われちゃ、女が廃る。その勝負、受けて立とうじゃねえか」
「……それでこそ、エーヴさまだわ」
「―なあ、お二人さん。取り込み中、悪いんだけどよ」
雷光ビカビカの二人に、ジャンがのんびりと声をかけた。
「うるせえっ! 部外者は黙ってろ!」
即座にエーヴの逆鱗に触れた。しかしそこは天弓の右腕である。少しも怯まず指差した。
「受験者の一部が斜めに走り出してるよ」
「あーっ!? あいつら、ズルしてやがるっ!」
エーヴが目を剥いた。
「こぉらぁーっ! てめえらっ、ズルすんじゃねーっ! バカどもがっ!」
エーヴの大音声が雷鳴のように演習場に轟き渡った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「―それまで! ペンを置けっ」
エドウィージュが声を張った。
ペンを走らせる音だけが聞こえていた会議室は、どっとため息をつく音に変わった。
アニェス発案の『机上の入隊試験』である。
軍の入隊試験といえば、体力自慢の猛者連中が対象と決まり切っている。が、それだと『彗星』のような智将を取り逃がしてしまう。
そこで、知識を問う試験を初めて実施したのだ。受験者は、僅か7人。通常の入隊試験とのかけ持ちも認めたのだが、まだまだ認知度が足りないらしく、申込者は皆無。
受付で声をかけまくって、興味を示した者をようやくかき集めた『精鋭』の7人だった。
科目は軍略の一つだけ。試験問題は、バルケッタに頼み込んで作ってもらった。出典は、古代王朝時代の天才軍師ガストン・ポワロの『武略経』。
その栄えある第一回が、終わったのだ。
受験者は、いったん控室に下がった。たった7人なので、すぐに採点をして結果を伝えられることになっている。
受験者たちは、三々五々集まって試験の感想を述べ合っていた。その輪から外れた席に一人ポツンと座る若い男がいた。名をクナリ・セドリックという。
金髪碧眼で、頭に特徴的な猫耳がある。目尻が垂れ下がり、ぼうっと外の景色を眺めている。
「―なあ、あんたは、どうだったんだ?」
受験者の一人がクナリに話しかけた。
「……どう、って?」
「試験の手応えだよ。難しかったよな?」
「……よく、わからない」
「だよな? 俺もよくわからなかった。初めて実施するっていうから、チョロいかと思ったらとんでもなかったな。やつら、合格させる気がねえんじゃねえか?」
「……」
クナリは、ぼうっとしたまま、何も言わない。
声をかけてきた男はジロジロ眺めていたが、別の受験者に呼ばれてクナリから離れていった。
クナリは、また外の景色に視線を移した。季節はすっかり春めいている。どこかから、カササギが飛んできた。ぼうっと見つめていると、すぐにまた飛んでいなくなった。
「―1番! 試験会場へ」
受験者が呼ばれた。一人ひとり結果を伝えられるのだ。次々呼ばれて消えていくが、クナリは、まるで興味がないかのように、景色を眺め続けた。
「4番! 試験会場へ」
クナリが呼ばれた。試験会場の会議室へ入ると、エドウィージュにいきなり怒鳴りつけられた。
「おい、お前! 字が汚過ぎて読めねえよ」
「……不合格ですか?」
「その前に、第三問の回答なんだがな―」
「―百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
「あ…?」
「戦による百回の勝利より、戦わずに勝つのが最上の勝ち方だという、ガストン・ポワロ軍略の真髄です。初歩中の初歩ですね」
驚くエドウィージュの目には、ぼんやりと座る凡庸な若者としか見えなかった。
「……そうか。そう書いてあるのか。というより、第三問と言っただけで、よく内容を覚えていたな?」
「一読すれば、普通、頭に入りますよね?」
「普通は入らねえよ。―まあいい」
呆れたようにエドウィージュは、頭を一つ振った。
「ほかの回答の字も汚ねえけど、かろうじて読み取れるから、正解にしてやる。何しろ第一回だからな、大甘採点だ。でも、第三問だけはどうやっても読めねえ。悪いが不正解にさせてもらうぞ」
「……」
「結果は、100点満点中、90点。合格だ」
「……」
「ん…? 嬉しくないのか? 合格だぞ?」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「……」
エドウィージュは、この若者をジロジロ見やった。目尻を下げてぼうっとした様子は、どう考えても喜んでいるようには見えない。
「―入隊の事務手続きは、あとで連絡する。とりあえず、そこの秘書官の指示に従え」
「……」
クナリは、秘書官に連れられて会議室を退出していった。
エドウィージュは、改めて手元の試験結果一覧を眺めた。7人中、最低得点は、0点。最高得点は90点。90点のクナリを除けば、最高得点は40点。
文句なしの断トツ1位。そして、唯一の合格者だった。
【裏ショートストーリー】
エドウィージュ「この回答用紙、見てみろ」
バルケッタ「下手な字ですね。なんと書いてあるのです?」
エドウィージュ「百選百姓は善人にあらず、戦わずに人の靴をスるのは全然モノになる」
バルケッタ「……それ、『百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』なのでは?」
エドウィージュ「そうそう! それ!」
バルケッタ「……」
エドウィージュ「字が下手すぎて読めねえから、不正解にしてやった」
バルケッタ「自業自得ですね」
エドウィージュ「でも、口頭で聞いたら正解を書いてやがった。これがなけりゃ、100点満点だったんだ」
バルケッタ「そうですか。その一問のせいでその方は落ちたんですね。可哀想に」
エドウィージュ「合格者は、こいつ一人だ」
バルケッタ「えっ!? 嘘でしょう? 初めての試験だとお聞きしましたから、問題を優しくしたんです」
エドウィージュ「こいつを除けば、最高得点は40点だ」
バルケッタ「ええーっ!? そんなレベル?」
エドウィージュ「ちなみに私も解いてみたら、0点だった」
バルケッタ「もしかして、『武略経』を読んだことがないのですか?」
エドウィージュ「あるわけねえだろ!」
バルケッタ「兵部尚書なのに…。信じられない」
エドウィージュ「ほっとけ! それより、こいつ、優秀だと思わねねえか?」
バルケッタ「確かに。少なくとも武略経を修めていることは間違いないですね」
エドウィージュ「こういう奴が市井に埋もれてるんだから、アニェスさまは先見の明があるよな」
バルケッタ「……なるほど。試験制度を整備したほうがいいですね。エドさんでも採点しやすいように」
エドウィージュ「そうそう、頭の悪い私でもわかるように…って、おい! しばくぞ、ランスっ」




