第285話 魍魎の繭
マノンたちは、城館の探索を再開した。
城館は、既に人の住まう場所ではないことは間違いない。問題は、怪物たちがいったいどこからやってきたのか、ということだ。
城館の人々はすべて殺されたと思われる。それなのに市内では、市民たちがごく平穏な営みを続けている。この落差はどういうことなのだろう。
そして、おそらく意図的にここへマノンを誘い込んだであろう、リュカの真意はどこにあるのか?
さまざまな思いが渦巻く中、一際大きなドアを慎重に開けた。
広い部屋に出た。謁見用の広間であろう、奥の一段高い場所に城館の主の椅子が置いてある。
その椅子に、人影があった。マノンたちを確認すると、立ち上がった。
「やっと、来たねーっ!」
ゴム鞠が弾むように、人影がマノンたちに駆け寄ってきた。ルウが一歩前に出る。パトリスは小石を握った。残った団員が背後を警戒した。
「なあによ? ボクのこと、警戒してるのぉ?」
彼女は、頬を膨らませた。
一見、美しい猫耳族の少女である。高価なドレスを身にまとっている。どこぞの高貴なお姫さまのようだ。城館に入って初めて出会う人でもある。
しかし。
決してそれは人ではあり得ない。
怪物が徘徊する中、平気な顔で出歩いているのもそうだが、特徴的な猫耳の後ろから羊のような角が生えていたのだ。
更に背後には、細く長い尻尾が伸びて蠢いていた。それは、生きた蛇だった。蛇眼が刺すようにマノンを見つめ、口先から舌がチョロチョロと覗いている。
「―お前は、誰だ?」
マノンは、まっとうな質問をした。
「ボクは、ジュディだよ。パパに命じられて、キミたちを待っていたんだ」
「お前もバケモノの仲間だろう。なぜ人の言葉がわかる?」
「ヒドいなあ。バケモノ呼ばわりだなんて。ボクたちは、この星の原初人類なのに」
「げん…何だって?」
驚いてパトリスが聞き返した。
「原初人類。キミたち種族がのさばる前に、この星の支配者だった最初の人類さ」
「嘘だ」
マノンは、自称人類の怪物から目を離さずに言い切った。
「私たちは、既に数千年も歴史を紡いできた。その間、お前たちは、どうやって世代を繋いできた? 百歩譲ってお前のいう人類だったとして、どうしてこの狭い城の中にいる? お前のいうことはすべて嘘だ」
「ごチャゴちゃと、ウルさいな!」
突然、少女が急変した。圧倒的なオーラが全身から噴き出した。邪悪なそれは、物理的な衝撃波となってマノンたちを叩きつけた。
「ダマって、ボクのいうコとヲキけヨっ!」
マノンたちが戦闘体勢に入った、そのとき。
「―控えろ、ジュディ!」
雷鳴のような声が轟いた。瞬時に彼女のオーラが消えた。何事もなかったかのように、ジュディは、にこっと微笑んだ。
「ランディ!」
「やはりお前に案内役は適役ではなかった」
現れたのは、巨大なカマキリだった。執事の制服を着て人の言葉を話すさまは、おとぎ話の世界にまぎれ込んだような錯覚に陥らせる。
「……これは、何の笑劇だ?」
思わずパトリスは独りごちた。
「心配になって来てみれば案の定だ。もういいからジュディはお母さまのところへ戻っていろ」
「はぁ〜いっ!」
ジュディは元気よく手を挙げると、ゴム鞠のように広間から出ていった。
「―失礼いたしました、マノンさま」
ランディは、羊の角が生えた三角の頭を下げた。鎌状の手を胸に当て腰を屈める物腰は人の執事そのもので、シュールさがいや増す。
「リュカさまのご指示でお迎えに上がりました。どうぞ、こちらへお出でください」
「……」
やはり、背後にはリュカの意志が働いていた。マノンは黙ってランディの後に従った。
ランディに案内された部屋に一歩入ると、その異様さに思わず足が止まった。
そこは、広い部屋だった。先の謁見広間よりは小さいが、それでもちょっとしたパーティーが開けるような広さがあった。
調度品は何もない。だだっ広い空間にあるのは、巨大な繭玉だった。壁にも床にもゴロゴロと転がっていた。そのうちの一つでは、何かが中で蠢いている。
「……この繭玉は、何でしょうね」
パトリスが、不気味そうに眉根をひそめた、そのとき。
「―ようこそ、マノンさま」
並ぶ繭玉の間から、リュカが現れた。束の間、目が合う。鉄紺色の瞳には何の感情も浮かんではいない。
「あなたが、紅烏団であることは、ある程度確信を持っていました。だからこそ、エルヴィールの名を出したのです」
リュカは、何が可笑しいのか、愛らしい笑顔を浮かべた。それは、かつてマノンが愛した笑顔だった。
「あなたをエサに紅烏団の団長をおびき寄せるつもりだったのです。思ったとおり、あなたはお出でくださった。それがまさか、あなたご自身が団長だったとは、まったくわかりませんでしたが」
「リュカさま。悲しいです。あなたを殺さなければなりません」
「再会した早々、物騒なことを仰る」
「あなたの方こそ、私を殺すつもりなのでしょう?」
「主命ですので。あなたに恨みはありません。―が、その前に、クレールさまにお引き合わせいたしましょう。それこそ、あなたがわざわざこんなところまで足を運んだ目的でしょうから」
リュカは、先頭に立って部屋の奥へ進んだ。マノンたちも続く。最後尾にはカマキリのランディが控える。
繭玉の間を抜けると、広い空間に出た。ここが突き当たりらしく巨大な壁が目の前にある。マノンたちは、その壁に釘付けとなった。
巨大な半球の繭玉が張り付くようにして置かれていた。その繭玉に、一人の美しい女性がいた。立像のように静かに、そして厳かに佇んでいる。それはまさしく、リシャールのクレールの居室で見た絵に描かれていた女性だった。
繭玉の傍らには、ジュディがぺたんと座って女性をうっとりと見上げていた。
「―マノンさま。このお方がクレールさまです」
クレールは、目を閉じたままだ。生きているのかすら、わからない。それなのに、威厳に満ちて彼女はそこにしっかりと存在していた。
「……リュカさまは、クレールさまのご子息だったのですね」
「かつては、と言ったほうがいいでしょうね。今や、真の人類の母となられた尊い御身。私だけの母とは申せません」
「クレールさまは、ボクのママだよ!」
ジュディが元気良く言った。
「そうだね。ジュディのママだ」
リュカは、愛らしい笑顔を向けた。マノンに向けたのとまったく同じ笑顔を。
「……」
「身の上話から始めましょうか」
マノンの問う視線に応えて、リュカは話し始めた。
「シラク侯爵家の姫だったクレールさまは、一人の騎士に恋をしました。それが我が父オリヴィエ・ジラールでした。二人は駆け落ち同然に結婚しました。そして生まれたのが私です」
「……」
「マノンさまのお父上が戦死なさったおり、父はクレールさまの伝手を頼りにアレクシア皇妃へマノンさまたちを預けることができました」
「……」
「その折、シラク侯爵に一連の話が伝わりました。当時、皇帝家との結びつきを模索していたシラク侯爵はクレールさまに目をつけました。一度は勘当したクレールさまを皇帝グレゴワールに献上しようとしたのです」
リュカは、クレールを見上げた。それは、母を慕う子の表情だった。
「そのために、邪魔だった父を事故に見せかけ暗殺しました。愛する夫を失った母は、シラク侯爵の言いなりにグレゴワールと再婚しました」
「……つまり、リュカさまは、ガブリエル皇子と兄弟だと?」
「そのとおりです、マノンさま。私がこの世でもっとも愛する弟ですよ」
愛らしい笑顔を向けてきた。
「シラク家に預けられていた私は、愛する弟のために従者となったのです。私はそのためにこの世に生を受けてきたのです」
「……シラク侯爵は、お父さまの仇のはずでしょう。なぜ平気な顔をして仕えることができるのです?」
「父の犠牲は必然でした。世界の帝王たるガブリエルさまが降臨するための必要な御供だったのです」
「狂ってる」
「狂う? 私はごくまっとうですよ。ガブリエル家の長男として、こうして弟妹たちを育んでいるのですから」
「……」
「お解りになるはずもないか。ジュディもランディも、クレールさまから生まれた私たちの弟妹なのですから」
「なん…!?」
あまりのことに、マノンは思わず絶句した。
この男は、今何と言った? バケモノどもが弟妹? 理解の外で到底信じることができない。
「かつて偉大な存在が地上世界を知ろし召していました。その名をセヴィルと仰います」
「セヴィル? おとぎ話の?」
セヴィルとは、天空の女神フレイの三人娘の一人である。
「セヴィルさまはおとぎ話ではありません。実在し、地上に再臨する機会をお待ちになっているのです」
やはりこの男は狂っている。ありもしない夢物語を信じて禁断の術に手を染めているのに違いない。
「マノンさまは、ただの人間族。理解できるとは思っていません。ただの事実としてお伝えしているだけです。あの世への土産話となるよう、あなたが知りたいと望んだ真実を」
「……」
「セヴィルさまのお話でしたね。その偉大なる力は、ガブリエルさまに授けられました。ガブリエルさまこそ、選ばれしセヴィルさまの神の器。神の器を護る兵とすべく、ガブリエルさまはクレールさまに種を与え、こうして我らが一族を増やし続けておられるのです」
「―ちょと待て」
マノンは、もはや取り繕うことすら、かなぐり捨てた。
「ガブリエルがクレールに種を与えた? それはまぐわうということか?」
「それ以外にどういう意味があるのです?」
リュカは、さも当然のように言った。
「―!」
今更ながら気がついて、マノンは戦慄して周りを見回した。
では、この繭玉は、卵? ガブリエルが実母と情を交わし生ませた子どもたちなのか?
「弟妹たちは、成長が早い。これも偉大なるセヴィルさまのお力です。大半は知能がない兵隊ですが、稀にランディたちのように知能や感情を備えた将が生まれます」
ジュディが、にこっと笑った。それへリュカは優しく微笑んでみせた。
「―セヴィルさまの再臨は近い。あなたたち出来損ないの種族を地上から一掃し、かつて栄えたセヴィルさまの世を取り戻すのです!」
【裏ショートストーリー】
マノン「まだ怒ってるの?」
ルウ「……いえ、怒っているわけではありません」
マノン「だったら、許してあげればいいじゃない」
ルウ「別に…許すとか許さないとかいう間柄ではないですし…」
マノン「素直じゃないなあ。好きなら好きって言えば済む話なのに」
ルウ「……! べ、べ、別に、わ、わ、私は、パ、パトリスのことなんか、な、なんとも思っていません!」
マノン「ルウって、ほんと、面白いねー」
ルウ「パトリスと同じこと言わないでください!」
マノン「へえっ。パトリスも同じこと言ってたんだー」
ルウ「……何が言いたいんですか?」
マノン「パトリスもルウのこと、気になっているんだと思ってさー」
ルウ「……それこそ、彼は私のことなんか嫌ってるに決まってますよ」
マノン「なんでそう思うの?」
ルウ「だって…いつもからかってばかりだし、意地悪だし、気に障ることばかり言うし…」
マノン「ふふふっ…はははっ…」
ルウ「……何がそんなに可笑しいんですか。涙まで流しちゃって」
マノン「ひいっひいっ…やめて…笑い死にしそう!」
ルウ「……」
マノン「……あのね、ルウ。それは男の子が気になる女の子によくやる態度なのよ。ガキっぽいけどね」
ルウ「えっ…!? そうなのですか?」
マノン「そうだよ。怒ってないで、今度はよく彼の表情を観察してごらん。どこか照れてる様子があるから」
ルウ「……パトリスが私に…?」
マノン「もし、そういう様子があれば間違いないよ」
ルウ「……そんな、ウソでしょ…」




