第282話 恋の鞘当て
「―はい、終わりました、アニェスさま」
ソフィが鏡の中でにっこり微笑んだ。アニェスも微笑み返した。
改めて、鏡の中の『美女』を眺める。
抑えめのメイクにしているが、それでも絶世の美女ぶりは際立っている。桜色のドレスに、黒髪には桜の花をイメージしたリボンをつけていた。
今日は、ウィンストンとの『初デート』なのだ。といっても、リシャールの街に疎いウィンストンをアニェスが案内することになっている。デートというには少し違うかもしれない。
ドアをノックする音がした。
「姫さま、ウィンストン殿下ですわ。……でも、少し早いですね」
ソフィが戸惑いながらもドアを開けた。そこに立っていたのは。
「邪魔するぜ」
「アダンさま!?」
驚いて目を瞠った。まったく先触れも何もない訪問だったからだ。
「失礼ではないですか。突然訪れるなんて。いくらアダンさまとはいえ、ここは皇妹殿下の私室ですよ?」
「構わないわ、ソフィ」
アニェスは、神々しい笑みを浮かべてアダンを招いた。アダンは遠慮する素振りさえ見せずにテーブル席に座った。
「ん? ずいぶんおめかししているんだな」
アダンは、眩しそうにアニェスを見つめた。
「ええ。これからウィンストン殿下と出かける約束なのです」
「そっか…これ、ご機嫌伺いの代わりだ」
アダンは、大きな箱を差し出した。
「あら。それはどうもありがとう。開けてもいいかしら?」
「もちろん」
箱を開けると、ぬいぐるみか出てきた。それは、猫耳族の女の子だった。
「まあ…っ! 可愛いっ」
アニェスは、ぬいぐるみを抱きしめた。
「シルヴィアをモデルにしたぬいぐるみなんだ。今、街じゃバカ売れしてるぜ」
「あら…!? お腹が袋になってる」
中から、小さな猫耳族が出てきた。
「きゃあっ!? 赤ちゃんなのね? 素敵〜っ!」
いつも落ち着いた大人の態度を示すアニェスが、珍しく少女のようにはしゃいだ声を上げた。
「ありがとう、アダン。大事にするわ」
「喜んでくれて、俺も嬉しいよ」
「わざわざ、このために来てくれたの?」
にこにこしながら、アニェスはアダンを見つめた。アダンは、黒い瞳をじっと見返しながら言った。
「シルヴィアのおめでた祝いのついでに寄ったんだ」
もう一つ、大きな包みを掲げてみせた。
「そう。お義姉さまへのお祝い、ひっきりなしだそうよ。お祝いの品、食べ物が多くて、とても食べ切れないからって、私にもおすそ分けが来たほどなの」
「だろうと思ってな。ベビー服とかのグッズセットにしたんだ」
「さすがアダン。気が回るのね」
「そうでもないさ」
アダンは、部屋を見回した。こうしてアニェスの私室を訪れるのは、いつ以来だろう。
ぬいぐるみの数は間違いなく増えたが、取り巻く人は減った。病気になる前は侍女が三人いたが、今はソフィ一人だ。
「―ここも、静かになったな。前は、もっと賑やかだったが」
「いいのよ。私はあくまで妹ですもの。あまり目立っては、皇宮内の秩序に支障が出るわ」
「シルヴィアに遠慮してるのか?」
「それは―」
シルヴィアは、にこっと微笑んだ。屈託のない笑顔だった。
「そうよ。遠慮しなければならない立ち場だもの」
「そんなに自分を殺すことないと思うけどな」
「自分を抑えているつもりはないわ。結構、言いたいことは云わせてもらってるし」
「リオネルが天下を取ったら、お前が皇宮内を差配するのかと思ってたよ」
「それこそ、皇后陛下の役割だわ。妹が出しゃばってはいけない」
「ふ〜ん。皇族ってのも、いろいろ気を遣うことが多くて面倒くさいんだな」
「そうよ。面倒くさいのよ」
「……」
アダンは、ちらっと横目でアニェスを見た。そして、おもむろに口を開いた。
「―なあ、アニェス。『カフェ猫耳』の2号店がオープンしたんだ」
「お義姉さまから伺っているわ」
「今度、店に来ないか?」
「ええ、もちろん。お兄さま、お義姉さまと一緒に遊びに行く約束になってるの」
「いや、そうじゃなくて…一人で来てほしいんだ」
「え…」
「迎えに来るからさ。二人で過ごしたいんだ」
「……それ、本気?」
「あ…? 本気に決まってんだろ」
「冗談ではないのね」
「冗談言うかよ、こんなことで」
「だって、アダンはいつも冗談ばっかり言うわ」
「あのな…。俺のことを何だと思ってるんだ」
「ふふふっ…。ごめんなさい」
鈴の音を転がすように笑い転げた。
「……ありがとう。嬉しいわ。アダンが私だけを誘ってくれるなんて、二度目ね」
「……そうだっけか?」
「そうよ。子どものころからいつもお兄さまばっかり誘って、こっちは二人の後を追いかけるのに必死だったわ」
「そういや、どこに行くにも、ちっちゃいお前がついて歩いてきたっけ」
「懐かしいわ。皇宮にいるより、どれだけ楽しかったことか」
「……アニェス。俺と―」
「―失礼いたします」
言いかけたところで、ドアがノックされた。
今度こそ現れたのは、ウィンストンだった。
入るなり、彼は驚いたように足を止めた。アダンがいたからだ。
「あ…。ウィンストン殿下。ご紹介いたしますわ―」
「アダン・シュバリエ」
「え…!?」
アニェスは、驚いて二人を見比べた。
「どうしてご存知なのですか?」
「つい最近、知り合いましてね。なんでも、アニェスさまの幼馴染とか」
「……」
「……殿下」
アダンが立ち上がった。つかつかと近づく。
「今日はアニェスとお出かけだそうですね。アニェスのこと、どうかよろしくお願いします」
「お前に頼まれる筋合いはないと思うが?」
「大事な『幼馴染』なんで。―お願いしましたよ」
優雅にお辞儀すると、アダンは部屋を出て行った。
ウィンストンは、無言でその後ろ姿を見送った。その碧眼は、ギラギラと青い火が燃え盛っていた。
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「―殿下は、いつアダンと知り合ったのですか?」
「数日前、廊下でばったりと。そのとき自己紹介をし合いました。なかなかユニークな若者だ」
アニェスとウィンストンは、リシャールの大通りを並んで歩いていた。後ろにはソフィとマイクが付き従っている。
「廊下で…」
「あの感じでは、どうやら俺を待ち伏せていたようです」
「なんでアダンがそんなことを…」
アニェスが顎に指をかけた。とても愛らしい仕草だった。しかしウィンストンは、ぶっきらぼうに言った。
「―アダンのことは、もういいではないですか。せっかく二人で『街中デート』に繰り出しているのですから」
「……そうですわね」
「―あ…!? アニェスさまだ!」
「アニェスさまあーっ!」
商店の店主や、通りを歩く人々がアニェスに気がついて、手を振った。アニェスは、輝く笑顔で応えた。
「アニェスさま! 今日はリオネルさまとお忍びじゃないんで?」
八百屋の女将が声をかけてきた。いつぞや、シルヴィアに大根を手土産に渡した女性である。
「ええ。そうよ。クリフォード王国の王太子で、ウィンストン殿下と仰るの」
「へえーっ。クリフォードの王太子…」
「リシャールは初めてだから、ご案内しているところなのよ」
「ウィンストンだ。よろしくな」
ウィンストンにいきなり手を握られて、女将は年甲斐もなく頬を真っ赤に染めた。
「あら、やだ。ずいぶんと、気さくな王子さまだね」
「母国でも、こうやって街中をよく出歩いていた。なにしろ、俺のおふくろは市民出身なんだ」
「あらまあ。リオネルさまみたいなお人だねえ。気に入った! この大根、持っていきな!」
「あ…いや、金は払う」
「いいんだよ、お近づきの印だ。気にしないでおくれ」
「……殿下。ここはご好意に甘えてください」
アニェスがそっと口添した。
「―わかった。でも、次は必ず払うからな」
「はいよ! 毎度ありぃ!」
「……リシャール市民も、なかなか気さくだな」
アニェスに大根の袋を掲げてみせながら、ウィンストンは笑った。
「でしょう? 私、みんなのことが大好きなんです」
「……なるほど。ブランシャールの皇室は、市民に愛されているのですね」
「みんなが支えてくれるおかげですわ」
アニェスは、よく笑う。それも愛想笑いなどではなく、心の底から楽しんでいる、そんな笑顔だった。
「……リシャールは活気があっていいですね。さすが、大国ブランシャールの皇都なだけはある」
「クリフォードの王都、ヴィクトリアンも、それは栄えていらっしゃるとか。特産品も多いし豊かな国なのでしょうね」
「……さすがアニェスさま。他国のことをよく調べていらっしゃる」
「お気に障ったのなら、お許しください。どうも兄の補佐役として物事を見る癖がついてしまって」
「いや、だからこそ、我が妻として心強い。妻にするならあなたのような頭の良い人をと、心に決めていました」
「……」
「願わくば、この先も、こうして二人で街中に出ることを習慣にしたい」
「……私も、そう望みます」
「それは、重畳。―あと、二人で行けるような酒場があると、なお嬉しいんだが」
いたずらっ子のように、碧眼が輝いている。アニェスは思わず吹き出していた。
「ふふっ…! ウィンストン殿下って、楽しい方なのね」
「アニェスさまも、よく笑う方なのですね。男にとって、明るい妻の笑顔というのは、何物にも代え難い宝です。俺は、一生をかけてその笑顔を守ってみせますよ」
「……殿下は、お口がお上手だわ。あまり本気にして舞い上がらないようにしないと」
「舞い上がってください。俺も一緒に舞い上がりたい」
「ふふふっ。可笑しい! ウィンストン殿下って、本当に楽しい方」
鈴の音を転がすような笑い声が、明るく大通りをこだました。
長い冬が終わり、さまざまな生命が再生する春がようやく訪れようとしていた。
【裏ショートストーリー】
子どものアダン「なあ、アニェス。リオネルのやつ、ミレーユと結婚の約束したんだって?」
子どものアニェス「うん。結婚式の練習もしたんだって」
子どものアダン「……じゃあさ、俺たちもしようぜ、結婚式」
子どものアニェス「えっ…?」
子どものアダン「嫌か?」
子どものアニェス「ううん。嬉しいわ。初めてね、私を誘ってくれたの」
子どものアダン「あ…?」
子どものアニェス「いつもアダンはお兄さまを誘ってばかりだわ。私だけを誘ってくれたの、今が初めてよ」
子どものアダン「嬉しいって、そっちかよ」
子どものアニェス「え…?」
子どものアダン「いや、だから、俺と結婚するのが嬉しいんじゃねえのかよ?」
子どものアニェス「もちろん、そっちも嬉しい。アダンのこと、好きだもの」
子どものアダン「……」
子どものアニェス「ん? なんで真っ赤なの?」
子どものアダン「う、うるせえ。放っとけ」
子どものアニェス「……綺麗ねえ、アダンのその瞳…。いつまでも見ていたいわ」
子どものアダン「……まさか、好きって、目のことじゃねえよな?」
子どものアニェス「ん? 大好きだよ、その綺麗な青い瞳」
子どものアダン「ズッ…!」
子どものアニェス「ふふふっ! なにズッコケてるの? アダンって面白い〜」
子どものアダン「……」




