第281話 慈母の微笑み
皇室から、重大な布告がなされた。それも二つ。
一つは、兼ねてからの懸案であった法律発布であった。67条からなる憲法を公表したのだ。合わせてその下に連なる法律も発布された。
それには、全貴族に関わる重要な内容が含まれていた。条文を読んで反撥した者も少なくなかった。
しかし、その声をかき消す重大な布告がもう一つあったのだ。
「シルヴィアさまがご懐妊!?」
「お世継ぎが生まれる!?」
「それはめでたい!」
「シルヴィアさまは、嫁がれて何年になるんだっけ?」
「リオネルさまも喜んでるだろうなあ」
「待望のお世継ぎだもんなあ〜」
「これで帝国も安泰だ」
「シルヴィアさま、万歳〜!」
「リオネルさま、万歳〜!」
シルヴィア懐妊の報に接して、市民は大いに盛り上がった。たちまちお祝いムード一色になった。
商店では早くも懐妊お祝い記念キャンペーンなるものが始まり、活況を呈していた。お祝いだからという理由で、市民の財布の紐も緩み猫耳グッズもバカ売れした。
中には、猫耳とはまったく関係ない商品まで猫耳と銘打つ商人まで現れた。明らかに便乗であるが、商魂逞しいというべきであろう。
まさにリシャールは、降って湧いた特需に街をあげてのお祭り騒ぎとなった。
そして皇宮でも、似たような騒ぎが巻き起こっていたのである。
「―伯爵さま、お気遣い、ありがとうございました」
シルヴィアは、丁寧に頭を下げて客を見送った。
「ふう…。今日はこれで何組目かしら」
「12組目です、シルヴィアさま」
コレットも、深くため息をついた。目の前のテーブルには、客たちのお祝い品が山積みされている。
「……あと何組くるのかしらねえ」
「まったくわかりません」
「仕方ないですよ、シルヴィアさま。皇后陛下のご懐妊となれば、貴族たちはそれはこぞってお祝いに駆けつけるでしょうから」
サンドラが慰める。シルヴィアは、黙ってふるふると頭を振った。
「―失礼いたします」
ドアがノックされた。また客が訪れたらしい。主従は顔を見合わせた。シルヴィアは苦笑いを浮かべ、コレットにうなずいてみせた。
「どうぞお入りください」
「邪魔するぞ」
入ってきた人物を見て、シルヴィアは文字どおり飛び上がった。
「お義母さま!?」
それはアレクシアだった。
「わざわざお出でくださったのですか? こちらからご挨拶に伺いましたのに―!?」
ふいに抱き着かれて、シルヴィアは金色の瞳を白黒させた。
「―よくやった、シルヴィア。よくやってくれた」
「お義母さま…」
「私は、嬉しい。シルヴィアがリオネルどのの御子を生んでくれるのだな」
「……」
「これに勝る喜びはない。良かった。本当に良かった」
アレクシアの瞳には光るものがあった。シルヴィアは胸が熱くなった。これまでにいろいろあったが故に、アレクシアも余計に感動がひとしおなのだろう。
「ありがとうございます。そんなに喜んでくださると、私も嬉しくなります」
「よいか、シルヴィア。男の子でも女の子でも何でもよい。とにかく元気な赤子を生んでくれ」
「はい。誠心誠意努めます」
「これは、ほんの祝いの品じゃ。納めてくれ」
侍女たちがぞろぞろと入ってきた。手に手に大きな荷物を抱えている。
「にゃっ!? こ、こんなにたくさん!?」
「母親は栄養をつけなくてはならん。これでも足りないくらいじゃ」
どうやら荷物の中身はすべて食べ物らしい。肉や魚、野菜、果物などが続々と床に積み上げられていく。
「お義母さま…。いくらなんでも、一人じゃ食べきれません」
シルヴィアは、呆れて食料の山を眺めた。
「であれば、侍女たちに分ければよい。なんなら、リオネルどのやアニェスどのにもおすそ分けせい」
アレクシアにとっても、初孫となる。有頂天になっているのはわかるが、それにしても度が過ぎている。
とはいえ、せっかくの気持ちを無碍にもできない。ここはありがたく受け取っておこう。
「お義母さま。本当にありがとうございます。後で調理させていただきます」
「……シルヴィアも、己で料理すると言うようになったか」
アレクシアは感慨深そうに言った。
「リオネルどのにも夕食を用意しているとか。もはや、押しも押されもせぬ国母となったな」
「とんでもございません。まだまだ至らぬことばかり。お義母さまには、もっといろいろ教えていただきたいです」
「殊勝なことを言いおって、甘えるでないわ」
突き放すように言うが、表情はトロトロに崩れている。よっぽど嬉しいのだろう。
「お義母さま。立ち話もなんですから、お座りになってください。お茶をいれますから」
「いや。今日はこれで戻る。大事な体じゃ。気を遣わせとうない」
そういうと、アレクシアは本当に帰っていった。
「はあっ…」
シルヴィアは、山積みの食料を見て、ため息をついた。嬉しいのだが、扱いに困ってしまう。
「……シルヴィアさま。どうなさいます、これ?」
「そうねえ…。とりあえず、エルネストに預けましょう。後で料理してみんなで食べようね」
「セリーヌ! 入るぜ」
そこへ、ドヤドヤと至宝天が顔を揃えてやってきた。
「みんな!? 来てくれたの?」
「当たり前じゃんか」
エーヴがニヤッと笑った。
「天下の天馬隊長にガキが出来たと聞いて、何もしないわけにいかねえだろが」
「エーヴ! ありがとう」
「お、お腹、触ってもいい?」
早速ミラベルが飛びついてきた。
「ミラベルは相変わらずお腹に興味があるんだな」
サンドラが言った。
「私のときにも、よくお腹を触ってきたものだが」
「だ、だって不思議じゃない? こ、この中に人が入ってるんだよ?」
「入ってるといっても、赤ん坊だけどね」
ジュスタンは、メロディの肩を抱き寄せている。
「ちょっと、ジュスタン! みんな見てるわ」
困ったようにメロディは青い瞳を伏せた。
「恥ずかしがることはないさ。僕たちの仲の良さは、みんな知ってることだ」
「で、でも、仕事中だし…」
メロディは、ジュスタンに抱かれてメロメロである。
「てめえら、いちゃつくなら、部屋に帰ってからにしろ!」
エーヴが怒鳴りつけた。
「いいじゃないですか。仲良しなんだから、人前でいちゃついたって」
アイラが挑戦的に言った。
「てめえは黙ってろ。そもそもこれは至宝天の集まりなんだよ。部外者のてめえがなんでここにいるんだ」
「私はお兄さまから誘われたんです! あなたにあれこれ言われる筋合いはないわ」
「待て、アイラ」
荷物を抱えたサイノスが抗議した。
「俺は一言もそんなこと言ってない。セリーヌのところへ行ってくると言ったら、お前が強引についてきたんだろうが」
「ほれみろ。てめえはお呼びじゃねえんだよ!」
エーヴが勝ち誇ったように言った。アイラの桔梗紫色の瞳が物騒に細められた。険悪な雰囲気になりかけた、そのとき。
「―アイラも来てくれて嬉しいわ。ありがとう」
シルヴィアは、すかさずアイラの手を取った。アイラは、エーヴに見せつけるようにバカ丁寧に頭を下げた。
「シルヴィアさま。この度はご懐妊おめでとうございます。これは、至宝天からのほんの気持ちばかりをお持ちしました」
兄を振り返った。
「……で、どこに置けばいいんだ?」
どこもかしこも山積みのお祝い品で溢れ返っている。ほぼ荷物持ち状態のサイノスは、さっきから置き場に困り祝いの品を抱えっ放しだったのだ。
「お預りいたします」
コレットが気を利かせた。
「おい! ちょっと待てよ」
せっかく場が収まったと思ったら、エーヴがまた噛み付いた。
「なんでアイラが至宝天を代表して渡してんだ? ふざけんじゃねえぞ」
「あら。オバサンはすぐ嫉妬するのね」
「なんだと!? てめえ、もう一度言ってみろ!」
「私がシルヴィアさまに可愛がられてるのが気に入らないんでしょ!」
「てめえのどこが可愛がられてるってんだ!」
「あらあら。知らないうちに二人はずいぶんと仲良しになったのね」
「仲良しじゃ、ねえ!」
「仲良しではありません!」
二人は一斉にシルヴィアにツッコミを入れた。あまりの剣幕に、さしものシルヴィアも少し身を引いた。
「―お前ら、いい加減にしろ」
荷物持ちからようやく解放されたサイノスが、二人の間に割って入った。
「ここはお祝いの場だぞ。喧嘩するなら二人ともつまみ出すがいいか?」
「「……ふんっ!」」
しばし睨み合っていた二人は、同時にそっぽを向いた。
「すまない、セリーヌ」
やり取りを唖然として眺めていたシルヴィアに、サイノスが頭を下げた。
「二人とも悪気はないんだ。許してくれ」
「……どうなってるの? 本当に仲が悪いのかしら?」
「まあ、その…なんだ。いろいろあってな。後で詳しく話す。―それよりセリーヌ。サンドラから聞いていると思うが、天馬隊の入隊募集、始めるぞ」
「ええ。いいわ。人材も育ってきているし、あたしもそろそろそうしようと思っていたところなの」
「ちょうどと言ってはなんだが、セリーヌが妊娠したこのタイミングがもっとも良いと思う。身重の皇后陛下の警護を厚くするという大義名分を得られるからな」
「ただし、いきなり大勢増やさないでね。旦那さまの禁軍が千だから、それを大きく超えたくないの」
「わかった。今回は1千採用しようと思っている。最終目標は5千だ。禁軍のほうもバランスを取るために増やしてもらえると助かる」
「旦那さまに話しておくね。―それにしても、あたしは幸せ者ね」
シルヴィアは、感慨深そうに友人たちを見回した。
「こんなに大勢の仲間に囲まれて。祝福もしてもらえて。みんなには感謝してるの。本当よ。お腹の子もそんな友だちをたくさん作れるような子になってほしいわ」
「なれるさ。セリーヌの子だ」
「うん。ありがとう」
お腹に抱きついたままのミラベルの黒髪を撫でながら、微笑んだ。
それは既に、慈愛に溢れた母の表情であった。
【裏ショートストーリー】
エーヴ「セリーヌが妊娠とはなあ…。感慨深いぜ」
ジュスタン「いろいろあったからね。セリーヌもきっと喜んでるだろうな」
ミラベル「お、お腹、触りたい」
エーヴ「お前は、いつもそればっかりだな」
ジュスタン「ミラベルのこだわりなんだろ」
エーヴ「あっ…! あれ、皇太后じゃねえか」
ジュスタン「本当だ。セリーヌのお祝いかな?」
アレクシア「……おや? そなたたちは、確かシルヴィア麾下の至宝天とか申す武人ではないか?」
エーヴ「はっ。天馬隊中隊長にございます」
アレクシア「そなたたちもシルヴィアへの祝いに出向くところか?」
エーヴ「左様にございます」
アレクシア「そうか。そなたたちのことは聞いておる。シルヴィアをよく支えてくれているとか」
エーヴ「恐れ多いことにございます」
アレクシア「これからもシルヴィアのこと、よしなに頼む」
エーヴ「ははっ。もったいなき仰せ」
アレクシア「ではな」
エーヴ「……ふうっ…。なんか、緊張したぜ」
アイラ「……ふ〜ん。あれが皇太后アレクシアさまか。初めてお会いしたわ。威厳のあるお方ね」
エーヴ「てめえは、一生涯、直接言葉を交わすことさえねえお方だ。ここでお会いできたことをありがたく思え」
アイラ「あなたに恩着せがましく言われる筋合いはないわ」
エーヴ「なんだと!? 可愛げのねえ奴だな!」
サイノス「喧嘩はよせ。今はセリーヌのお祝いに行く途中なんだぞ」
エーヴ・アイラ「ふんっ!」
サイノス「やれやれ…。どうしてこうなったんだ…」




