第278話 ドッグストームの初デート②
「ああ、美味しかったぁ〜っ」
アイラは、満足げに腕を伸ばした。
「ミルクコーヒーもそうですけど、ケーキが絶品でした」
「リシャールでは有名なパティシエらしい。俺は詳しくないが」
「へえ。有名な方なのね。道理で美味しいはずです」
「それでは、植物園に行こうか」
「はい、お兄さま」
にこにこ顔でまたサイノスと腕を組んだ。
「……そのう、なんだ」
サイノスは、言いにくそうにそっぽを向いた。
「腕を組むのはどうなんだろう」
「……いいじゃないですか。兄妹だって腕を組んでも」
「兄妹だからこそだ。そういうのは、恋人同士がするものだろう」
にわかにアイラは不機嫌顔になった。
「恋人同士と限ったことではありませんよ。親子だって友だちだって、腕を組みます」
「それはそうだろうが、俺たちは親子でも友だちでもない。兄妹だ」
「……お兄さまは、二言目には兄妹と口にします。それがなんだと言うのです? 好きな人と腕を組んではいけないのですか?」
「……」
「―あっ! 見てみろ。あれ、サイノスだろ?」
「ほんとだ、サイノスだ」
通行人が気づいて噂し始めた。
「連れて歩いている女、すげぇ美人だな」
「天馬隊至宝天ともなると、女にモテるんだなあ」
「至宝天は美男美女揃いだもんなあ。羨ましい。俺も天馬隊に入ろうかな」
「お前が入ってどうすんだよ。剣もろくに握れねえクセに」
「……お兄さまって、やっぱり有名人なのですね」
うつむきながら、アイラがぽつりとつぶやく。
「たまたまだ。至宝天と一括りに言うが、真に天才なのは俺以外の四人さ」
「謙遜は美徳ですけど、ときに嫌味になります。私のような凡人の前では」
「お前も天才の一人だ。武術には天賦の才がある。もっと磨けば俺より強くなれる」
「ご冗談ばっかり。私なんか、お兄さまの足元にも及びません」
「だとしても、俺との立ち合いを肯うくらいには自信を持っている」
「本音を言うと、勝てると思っていませんでした。それでも、どうしてもお兄さまの側にいたかった。だから、万に一つの希望にかけたのです」
「人は希望を失ってはいけない。希望こそ、明日を生きる糧となるのだから」
「……お兄さまって、キザな台詞をさらっと言うのですね」
「今の、キザだったか?」
「ええ。キザでした」
「だとしたら、悪友の悪影響だな」
「悪友…?」
「みんなから、『天弓』と呼ばれている男だ」
「ああ…! ジュスタンさま。確かにあの方なら似合いそうな台詞です」
アイラは、くすくすと笑った。
「お兄さまといい、ジュスタンさまといい、本当に至宝天の方々はバケモノ揃い。エーヴさまだけは少し違うようですけど」
「それは、お前の認識が甘い」
「そうでしょうか。剣も普通より上という程度ですし、これといった特徴のない方です」
「エーヴの恐ろしさがお前にわかるはずもない。確かに彼女は速いだけだ。剣技も普通より上というのはお前の言うとおりだろう。だが彼女はそれだけじゃない。真の恐ろしさは、その持久力だ。スタミナと言い換えてもいい」
「……お兄さま…?」
熱弁を振るい出した兄を不審そうに見た。
「あの速さで剣を振るってみろ、普通なら10分と保たない。だが彼女は、それを何時間でも維持できる。驚異的な持久力だ。その持久力は戦場で絶大な威力を発揮するぞ。どんな強敵だろうと、手数で圧倒してしまうんだ」
「……」
アイラは、ある疑念を抱いた。普段口数の少ない兄が、なぜエーヴの話題になった途端、こんなにも冗舌になるのだ?
「彼女こそ天才だ。努力という名のな。彼女は一人でよく走っているぞ。調練の前後の空いた時間を、ひたすらに黙々と走り込んでいる。天賦もあるだろうが、あの驚異的な持久力は努力の賜物だ」
「……お兄さまは、エーヴさまのことをよくご存知なのですね」
「……同期の同僚だからな。同じ中隊長として注目している」
「私も―」
アイラは、ますます組んだ腕に力を込めた。
「私も中隊長になれば、お兄さまに注目してもらえるのでしょうか」
桔梗紫色の瞳がじっとサイノスを見つめてきた。キラキラと輝いて、この世のものとも思えないほどの美しさだった。
サイノスは、ふいっと目を逸らした。それは、ただ彼女の視線から逃れるだけではないようだった。
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兄妹の話題に上った当人は、その頃、驚くほどすぐ近くにいた。己が話題になったとも知らずに。
「……楽しそうに話してやがるな」
「サ、サイノスは、う、うまくやってるようじゃない。も、もう帰ろうよ」
「まだダメだ。さっき、『カフェ猫耳』の事件を見ただろ?」
「……事件、て…。お、大げさじゃない?」
「あんな輩がまだ湧いて出るかもしれねえ。まだまだ見守らなきゃ」
口は動かすが、サイノスを見つめる視線は動かさない。彼女たちは、通りを行き交う人々に紛れながら、堂々と後ろをついて歩いていた。エーヴたちは、変装をしていたのだ。
エーヴのベリーショートの金髪は有名である。それを隠すため黒髪のウィッグを被っていた。黒いコートの高い襟を立て、できるだけ口元を覆っている。
ミラベルは、可愛い猫耳帽子を被っていた。ひところ、女の子たちの間で猫耳カチューシャが流行ったが、寒い冬は猫耳のついた帽子が流行っていた。実際、行き交う通行人の何人もが同じような帽子を被っている。
贔屓目に見ても人気があるとは言えないエーヴではあるが、それでも至宝天の一人として市民に知られた存在だ。ミラベルと並んで歩いていたら、間違いなく騒ぎになる。
それでは尾行できなくなる恐れ大である。それを見越しての変装であった。
結局ミラベルは、黙ってエーヴに従った。何を言っても気が変わることはなさそうだと、諦めてしまったようだ。
「―泥棒ーっ! 泥棒だぁーっ!」
突然、叫び声が上がった。何事かと見ると、路地の一つから、四人の男の集団が飛び出してきた。手にはアタッシュケースを抱えている。
「誰か捕まえてくれーっ!」
その後ろから、男がよろよろと追いかけてきた。頭から血を流している。殴られてアタッシュケースを奪われたというところか。
「どけどけーっ!」
四人は通行人を突き飛ばしながらこちらへ向かってくる。
「エーヴ!」
ミラベルがゆらりと動いた。
「捕まえるよ!」
「で、でも、サイノスたちにバレちまう―」
エーヴは一瞬躊躇した。狼狽しているとすら言えた。その分、出遅れた。
そのときには、サイノスとアイラが動いていた。
四人に突進したサイノスは、一人の顔面に鉄拳をぶち込んだ。男は、陶器店に頭から飛び込んだ。陶器の割れる派手な音が響いた。
アイラも、一人の男を殴り飛ばしていた。男は通りの反対側まで吹き飛ばされて伸びてしまった。
少し遅れてミラベルが一人の男に護身用の剣を振り下ろした。みねうちだったが、男は一撃で気を失った。
そして、アタッシュケースを抱えた男。三人の猛者をすり抜けエーヴに向かってくる。
「ケガをしたくなかったら、どけっ!」
「……」
エーヴは、迫る男を恐れたように体を避けた。男が通り抜ける。
「エーヴっ! 動けっ!」
ミラベルが怒鳴った。
「なっ!? エーヴだと!?」
サイノスが驚愕したようにこちらを見た。その瞬間。体が動いていた。
護身用の剣を抜くと神速で男の脇腹に叩き込んでいた。
男はグエッとカエルが潰れる様な声を上げながら地面を転がり、動かなくなった。アタッシュケースが開いて、宝石が散らばった。
「……やっちまった…」
エーヴは、サイノスの視線を強く感じながら、がっくりと肩を落とした。
その様子は世にも儚げで、触れれば砕け散ってしまいそうなほどだった。まるで、頼りなくか弱いガラス細工のように。
【裏ショートストーリー】
客A「びっくりしたぁ〜」
客B「こんなオシャレなお店でも、乱暴な客っているのね」
客A「でも、すぐに退治してくれた人がいて、助かったわぁ」
客B「……あの大男、サイノスよね?」
客A「そうね、サイノスだったわ」
客B「連れていた女の人、凄い美人だったわね」
客A「ああいうのを絶世の美女というんだわ」
客B「サイノスの彼女、よね」
客A「そりゃ、そうなんじゃない?」
客B「なんか、悔しい」
客A「なにそれ?」
客B「私のタイプなんだ。逞しい男って、セクシーよね」
客A「わかるぅ」
客B「あわよくば、と思ってたのに。先を越されちゃった」
客A「ドンマイ」
客B「あ〜あ。どうやって知り合ったのかしら」
客A「わかんな〜い」
客B「有名人と知り合いたいな〜」
客A(サイノスじゃなくても、いいんじゃないの)
客B「なにか言った?」
客A「ええ〜? 何も言ってないよ〜」
客B「ふ〜ん。……パーティーとか、ないかしら。やっぱ手っ取り早いのは、パーティーよね」
客A「有名人が来るようなパーティーって、そもそも私たちみたいな庶民が出席するのは難しいんじゃない?」
客B「そこよね〜、問題は。あ〜あ。有名人のパーティーに出席できる人と知り合いたいな〜」
客A「……」




