第277話 ドッグストームの初デート①
「お待たせ! お兄さまっ!」
息を弾ませアイラが現れた。
サイノスは、妹を一瞥すると、ぶっきらぼうに言った。
「行くぞ」
「もうっ! 私を見て何も感想はないの?」
アイラは頬を膨らませた。朝早く起きて気合を入れておめかししてきたのだ。何も言及されないのはあまりにも悲しい。
サイノスは、もう一度一瞥した。すると一言、
「……可愛いよ」
「もうっ! 全っ然、心がこもってないっ!」
ますます頬が膨らんだ。その立ち姿は、実に大人っぽく艶やかだった。
桔梗紫のソバージュをおろし、黒のロングドレス、紫のロングコートというコーデはとても似合っていた。メイクも大人っぽさを意識したものになっている。
間違いなく、世の男性は全員、彼女の美しさにひれ伏すだろう。……ただ一人を除いて。
「いや、本当に心から思っている。アイラは、綺麗なのだな。さぞ、男性にモテるのだろう」
「……」
アイラは一瞬、複雑な表情をした。褒められて嬉しいのだが、どことなく突き放されているような気もする。
ただ今は、デートに誘われた高揚感のほうが勝った。
たちまちにこにこ顔になり、サイノスの腕を取った。
「いいわ。許してあげる。行きましょう」
腕を組んで歩き出した。サイノスは、やはり妹を一瞥しただけで、何も言わない。
「私、とっても嬉しいの。まさか、お兄さまがデートに誘ってくださるなんて、今も夢見心地なのよ」
「デートではない。兄妹でのお出かけだ」
イラっとした。しかし、出だしからつまずき気味だ。せっかくのデートをここで台無しにしたくない。じっと我慢した。
「……興奮しちゃって、夕べはよく眠れなかったわ。このスタイリングだって、何時間もかけて選んだのよ」
「そういうことは、彼氏を相手にやれ」
「……お兄さまがあの約束を覚えていてくださったなんて、今でも信じられないくらいだわ」
「エーヴたちに無理やり思い出させられただけだ。それまでは、すっかり忘れていた」
「ちょっと、お兄さまっ!」
ふいにアイラは、立ち止まった。もう、我慢の限界である。キッとサイノスを睨む。
「……もしかして、わざと私を怒らせようとしてる?」
「そんなわけない。なぜ、そう思う?」
「さっきから、否定的なことばかり仰ってるわ。しかも私の癇に障るようなことばっかり」
「言いがかりはよせ。俺は一生懸命話し相手になろうとしている。妹のお前のために今日は楽しもうと思っているんだ」
「……」
アイラは腕を離した。うつむいて歩き出す。サイノスは黙ったまま後をついていく。
「―今日はどこへ連れていってくださるのですか?」
うつむいたまま尋ねた。
「そうだな。まずは軽くお茶を飲もう。そのあとは植物園に行って―」
「植物園!? 植物園に行くのですか?」
驚いて目を上げた。
「ああ。人気の施設らしい。大規模な温室があって一年中花が咲いていて―」
「あ、いえ。そういうことではなく、お兄さまからまさか、お花を観に行くと聞くとは思ってもいなかったので、驚きました」
「……女性は花が好きだろう? だからアイラを連れていくにはちょうどいいと思っただけだ」
「それは好きですけど…」
兄の顔をジロジロと見回した。
「考えてみれば、お兄さまのことを何にも知りません。お好きなことや嫌いなこと、食べ物の好み、普段何をしてお過ごしなさっているのか…。何にも知りません」
「……」
「お兄さまは、幼年学校を卒業するとすぐに軍に入ってしまわれた。以来、ほとんど家に戻ってらっしゃらなかった。お兄さまと共に過ごした思い出がほとんどありません」
「……」
「お兄さまのことが知りたい。教えてください。私が…私を妹と思うなら。世の中の兄妹がお互いを当然知っているように」
「―それなら」
サイノスは重々しく言った。
「お前のことも教えてくれ」
「え…」
「アイラのことを何も知らないのは、俺も同じだ。兄なのに、妹のことを何も知らない。兄として失格なのだろうが、もしまだ間に合うなら…兄と認めてくれるなら、お前のことを知りたい」
アイラの顔に笑みが広がった。光り輝く笑顔だった。
「はいっ! お教えします! たくさんたくさん、お教えしますっ」
飛びつくようにサイノスの腕を取った。二人は、また歩き出した。
そんな二人を物陰から見つめる視線があった。それも二つ。
「……なんなんだ、あいつら、さっきから。くっついたり離れたりしやがって」
「ね、ねえ、エーヴ。こ、こういうの、良くないよ」
「しっ! 大きな声を出すな、ミラベル。気づかれる」
「で、でも人のデートをのぞき見するのは、しゅ、趣味が悪いって」
「これはデートじゃねえ。サイノスも言ってたろ、ただのお出かけだって」
「だ、だったら尚更、あ、後をつけるのはおかしくない?」
「後をつけてるわけじゃねえ。ちゃんとサイノスがアイラの面倒を見られるか、見守ってるだけだ」
「……そ、それなら一人ですればいいじゃない。な、なんでわたしまで、つ、ついて歩かなきゃいけないのよ」
「そう言うなって。一人じゃ怪しまれるだろうが。親友ならつきあってくれよ」
「……」
「―お、あいつら、また歩き出した。行くぞ、ミラベル。置いていかれたら大変だ」
不満顔のミラベルを引きずるようにして、エーヴはコソコソと物陰から物陰へと移動し始めた。
二人だろうと、充分怪しい追跡者たちであった。
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「お茶って、コーヒーだったのですね!?」
アイラの声が弾んだ。二人は『カフェ猫耳』に来ていた。サイノスは、妹のために予約を入れていたのだ。
「アイラはコーヒーを知っていたのか」
「はいっ。シルヴィアさまのところで一度いただきました。そこでお店のことも伺って、一度来てみたいと思っていたんです! ありがとう、お兄さまっ。とっても嬉しいわ」
にこにこ顔をサイノスはじっと見つめた。まったくの無表情であったが。
「いらっしゃいませ」
メイドがメニュー表を持ってきた。
「……へえ。ケーキセットか。メニューは少ないんですね」
「俺はブラックコーヒーを頼む」
サイノスがメイドに注文した。
「アイラはどうする?」
「ええっと…ケーキセットでミルクコーヒーをお願いします」
「ケーキは何になさいますか?」
「レアチーズでお願いします」
「かしこまりました〜」
「―可愛い〜っ!」
下がっていくメイドの後ろ姿を眺めながら、アイラは興奮を抑えられない。
「お店も可愛いし、人気なのがわかる気がします。いいなあ、お兄さまは。こんな素敵なお店にいつも来られて」
「いつもどころか、めったに来ない」
「どうして? こんなに可愛いのに」
「可愛さを求めてはいない」
「―女性を連れてくれば、喜ぶと思いますよ」
アイラは探るように兄を見た。
「そんな女性はいないさ」
「そうですか…」
笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえた。少なくとも、今付き合っている女はいないらしい。
「お兄さまはブラックコーヒーをお飲みになるのですね。苦くないですか?」
「どういうものか、苦さを美味しく感じる。甘くするほうが苦手だ」
「そうなんだ…。私は、断然、ミルクコーヒー。甘い物が大好きです」
「そういうところは、女の子っぽいのだな」
「どういう意味ですか」
「お前の武術は超一流だ。それは認めている。さぞ、修練を積んだのだろう」
「犬牙族の女は、花嫁修業と同じくらい武術を一生懸命修めますから。お兄さまもご存知でしょう?」
「まあな」
「……やっぱりお兄さまも、強い女性が好みなのでしょう?」
「そうだな。どちらと言われれば、強い女性を好ましく感じる」
「……ですよね」
つい笑みがこぼれる。
「それは、武術だけではない。心の強さにも言えることだ」
「心の強さ…」
「信じる道を突き進む強さ。ぶれない信念を持つ強さ。困難から逃げない強さ。そういう女性は素晴らしいと思う」
一言も聞き漏らすまいと、食い入るように見つめ耳を澄ます。
「―やめてください!」
そこへ、メイドの悲鳴が店内に響いた。
思わずムッとして視線を向けた。せっかく今、兄から貴重な情報を得ようとしている最中だったのに。
「固いこと言うなよ。ちょっと隣に座って一緒に話をしようと言っただけじゃねえか」
ガラの悪そうな男二人組の客が、メイドにからんでいるらしい。
「そういうことは、ここではしていません!」
「だったら、そういうことをするお店に、これから三人で行こうぜ」
「嫌ですっ」
「俺たちは客だぞ。客の言うことが聞けねえってのか!」
「―客なら、何してもいいっていうのか?」
アイラがメイドをかばうようにスッと前に立った。
「ああ? なんだ、お前? 関係ねえ奴は引っ込んでろ!」
男が凄む。しかしそのくらいで怯むようなアイラではない。
「せっかくデートを楽しんでるのに、お前らのせいで気分が台無しになった。関係は大有りだ」
「ふざけんじゃねえぞ!」
「―待て」
いきり立つ男を抑えて、もう一人の男が立ち上がった。
「よく見ればお前、すげえ美人だな。メイドの代わりにお前が俺たちに付き合ってくれるんなら、静かにするぜ」
「いいぞ。いくらでも付き合ってやる」
「へえ。そいつは話が早―痛えぇっ!」
アイラは、男の腕をひねり上げた。椅子がけたたましく鳴って倒れる。
「きゃあぁぁーっ!?」
メイドが悲鳴を上げた。店内が騒然となった。
「ここじゃ、狭い。―おい、クソ虫ども、外へ出ろ!」
腕をひねり上げたまま、アイラは男を引きずり出した。
「てめえ! 手を離せ!」
もう一人がアイラに掴みかかろうとした。が、羽交い締めにされて身動きが取れなくなった。
「なんだ!? てめえ! 離しやがれ!」
それは、サイノスだった。男の抵抗などないかのように軽々と抱えて外へ連れ出す。
突然店から出てきた四人に、行列で待つ人々の視線が釘付けとなった。
サイノスとアイラは、男たちをドンと突き飛ばした。
「お前たちのお望みどおり、徹底的に付き合ってやるよ。かかってきな!」
アイラが啖呵を切る。
「きさまァ…!」
男が青筋を立てて無謀にもアイラに殴りかかろうとした、そのとき。
「―あれ、サイノスじゃね?」
「ほんとだ。『鉄拳のサイノス』だ」
行列客からサイノスの名が上がった。途端、男たちは目に見えて動揺した。
「鉄拳…!?」
目を見交わすと、男たちはそそくさとその場を立ち去っていった。
「……なんだ、あいつら?」
呆れるアイラの肩を、サイノスが抱き寄せた。
「えっ…!?」
たちまちアイラの顔が真っ赤に染め上がった。
「よくやった、アイラ」
「……あ、ありがとうございます…」
先ほどの威勢の良さはどこへやら、アイラは蚊の鳴くような声で答えるのであった。
【裏ショートストーリー】
ジュスタン「明日はサイノスとアイラのデートだったね」
エーヴ「デートじゃねえ。お出かけだ」
ジュスタン「立ち合いに負けたらデートするのが約束だよ。デートでなきゃ、約束違反だ」
エーヴ「……」
ジュスタン「サイノスも、妙に兄妹にこだわって何度も言ってたよね。兄妹だから、デートじゃない、って」
ミラベル「た、確かに、な、何度も強調してた」
ジュスタン「デート中に、言ったりしないかな? そんなこといいようものなら、きっとアイラは怒り出すと思うよ」
ミラベル「ア、アイラが怒ったら、怖そう」
エーヴ「……」
ジュスタン「怖いじゃ済まないよ、ミラベル。また兄妹げんかを始めたりしたら、周りが迷惑だ。しかも今回は街中だし、誰も間に立つ人がいないし、収拾がつかなくなるかもね」
ミラベル「し、心配だねー」
エーヴ「……ミラベル。わたしたちも後をつけるぞ」
ミラベル「えっ!? ど、どういうこと?」
エーヴ「当日、サイノスたちを監視するんだよ、バカなことをしでかさないように」
ミラベル「そ、そんなの、放っときなよ」
エーヴ「ダメだ。事が起きたら、市民に巻き添えが出る」
ミラベル「だ、だからって、わ、わたしたちが後をつけなくても…」
エーヴ「いいや。仲間の不始末はわたしたちの不始末だ。事前に防がなくちゃならん」
ミラベル「ええー!?」
ジュスタン(エーヴは、面白いなあ…! 簡単に乗ってきた。さてさて。当日はどうなることやら、楽しみだ)




