第276話 闖入と花に嵐
エルヴィールの城門では、市内に入るための検問が今日も行われていた。
商人も旅人も、例外なく門兵の検問を受けなくてはならない。
商人は、店主はもとより使用人に至るまで城に登録した者でなければ中に入れない。旅人は、市内の推薦者や保証人の証明がなければ中に入れない。
これほど厳重に部外者の流入を防ぐ理由は不明だが、領主であるガブリエルの意向であることは間違いのないことだ。
普段は粛々と検問の順番を待つ行列に、この日は騒がしい珍客が乱入してきた。
「―助けてくれーっ!」
突然、荷車を引いた商人の一行が城門に向かって走ってきた。
「止まれっ!」
門兵が商人を押し止めた。しかし、商人は抱きつかんばかりに門兵にすがりついた。
「頼むっ、助けてくれ!」
「何があった? 説明しろ」
「野盗団に襲われたんだ! 奴らに追われてるっ」
「なんだと!?」
門兵にも列に並ぶ人々の間にも、動揺が走った。
「もうすぐここへ来るぞ! 城の中へ入れてくれ!」
「商人なら鑑札を持っているだろう。それを見せろ」
「そんなものは持っていない」
「だったら駄目だ。中へ入ることは許さん」
「そんなバカな! 野盗団に追われてるんだぞ! 死ねって言うのか?」
「規則は、規則だ。ほかの町へ逃げればいい」
「冗談だろ!? すぐそこまで来てるんだぞ! 追いつかれちまう」
「知ったことか」
「ここはエルヴィールだろ? 皇弟ガブリエルさまのご領地だ。それなのに善良な国民を助けてくれないって言うのか?」
「何と言われようと、駄目なものは駄目だ」
「おい! あんたらもこのまま外にいていいのか?」
商人は、並んでいた人々に訴えかけた。
「野盗団が襲ってきたら、あんたらも巻き込まれるんだぞ!」
人々の間にざわめきが起こった。
「黙れ!」
門兵が怒鳴りつけた。
「流言飛語は許さんぞ。野盗団が来ようが、我々郡兵が蹴散らす。何の心配も―」
ヒュン、と風を切る音がしたかと思うと、門兵の首に矢が突き立った。
「わぁーっ!」
商人が派手に悲鳴を上げた。
そこへ馬蹄の轟きが大地を揺るがした。
「野盗団だっ!」
城門に向かって集団が迫ってくるのが見えた。
「迎え討て!」
号令の元、門兵が続々と集まってきた。
「野盗団が来る! どうしよう!?」
「おい、みんな! 今のうちに市内へ避難しよう!」
パニックになった市民たちに向かって、商人が叫んだ。その声に触発されたように、次々と城門をくぐり出した。商人も荷車を引く使用人たちに合図をして城門を通った。
「あっ! お前ら、勝手に中へ入るな!」
気がついた一人の門兵が押し止めようとした。そこへ矢が何本も降ってきた。
「くっ…!」
門兵たちは、野盗団に向き直らざるを得なくなった。
「城門を閉めろ! 弓隊、城壁上に展開!」
隊長らしき兵が指揮を執り出した。城門が音を立てて閉まる。そこへ野盗団が押し寄せた。
「弓隊、撃てーっ!」
城壁上の弓隊が雨のように矢を放った。
「くそーっ! 引けっ、引けーっ!」
野盗団は、城門を前にして襲撃を断念し、撤退していった。
その頃には、商人は市内の奥深くへと進んでいた。
大通りは騒然としていた。商人の一行が行く先々で野盗団襲撃を知らせて歩いたからだ。
「……この辺りでいいだろう」
荷車に取り付いていた使用人の一人が言った。商人一行は大通りから外れて、脇道へ入った。
商店街らしく、人通りも多い。しかし大通りの喧騒がここにも波及し、人々は浮き足立っていた。その間をずんずん抜けていく。
いくつかの通りを過ぎ、喧騒も遠くなった。周囲は商店街から一転、倉庫らしき建物が並ぶ地域へと達し、人気のない雰囲気に包まれている。
「―止まれ」
使用人の指示で一行は、ある倉庫の前で歩みを止めた。
使用人の一人が扉に取り付いた。細い棒を取り出すと何やら錠前をいじっていたが、すぐに外れた。扉を開けて一行は中へ滑り込んだ。
「よくやった、パトリス」
使用人の一人が商人を褒めた。商人は、ニヤリと笑った。
「うまくいきました」
それは、マノン率いる紅烏団の精鋭だった。総勢6人。
「でもまだ市内に侵入しただけです。これから城館に潜り込まなきゃなりません。まだまだ油断できませんよ」
「情報がまったくない。とりあえず、ここを根城にして、まずは城館を外から探ろう」
マノンの藍色の瞳がギラリと光った。
「城館には、ガブリエルがひた隠す秘密の鍵が必ずある。その鍵を何としても見つけるぞ。いいか、みんな。全力を尽くせ!」
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「今日はアダンが来る日よね?」
シルヴィアは、コレットにスケジュールを確認した。コレットは、顔色一つ変えずに答えた。
「はい。そのとおりです」
「2号店の開店日が決まったみたいなの。その説明に来るらしいわ」
「承知しております」
「……」
シルヴィアは、じっとコレットを見つめた。
「……なんでしょう?」
「大丈夫?」
「アダンのことですか? 私は大丈夫ですよ」
コレットは、にっこりと微笑んでみせた。無理しているようには見えない。
あの事件以来、皇宮を出禁になっていたアダンである。シルヴィアの口利きでアニェスの許可を得て、久しぶりに顔を出せるようになったのだ。
しかしシルヴィアとしては、やはり気を遣わざるを得ない。既に事情を知っているサンドラとメロディも、心配そうに二人のやり取りを見守っている。
「本当に? 無理しないで嫌なら嫌とはっきり言ってね」
「シルヴィアさま。変な気は遣わないでください。とっくに乗り越えていますから」
「それならいいけど」
「本当に大丈夫ですって。―顔を見たら、一発ぶん殴るかもしれませんけど」
「にゃ…っ!?」
「冗談! 冗談ですってば」
コレットは、明るい笑い声を上げた。
「―邪魔するぞ」
そこへ、案内も請わず話題の主が部屋に入ってきた。
「よう、コレット。久しぶりだな」
アダンは、真っ先にコレットに声をかけた。
「元気そうじゃねえか」
「ええ。おかげさまで。風邪一つ引かないわ」
「そりゃあ、良かった」
アダンは、当然のようにソファにどかっと座った。久しぶりだというのに、何事もなかったかのようにすべてが以前と変わらない。
シルヴィアは、ちらっとコレットに視線を投げると、アダンの正面に座った。
「いよいよ2号店が開店するのですって?」
「おうよ。すべて準備が整ったんでな、オーナーさまにご報告に来た」
「そう」
「2週間後だ。2週間後に開店する。今は宣伝のビラを撒いてるとこだ」
「当日は様子を見に行ってもいい?」
「そりゃ、もちろん。なんなら席を用意しておこうか?」
「それは必要ないわ。貴重な席をあたしたちが占領してはもったいないもの」
「金を払ってくれれば、構わねえよ」
「―アダン。シルヴィアさまからお金を取る気?」
コーヒーを運んできたコレットが咎める。
「当然無料にしなさいよ」
「バカ言え。オーナーといえど、店の席に座ったら客の一人だ。商品に対して対価を払うのは当然だろ」
「相変わらず意地汚いわね」
「褒め言葉と取っておくよ」
二人の様子からは、何のわだかまりもないように思える。
(本当にコレットは乗り越えたのね)
少しほっとした。それなのに、胸が何かつかえているような気がするのはなぜだろう?
「オギャアーッ」
突然、バスティアンが泣き出した。
「―よしよし」
サンドラが懸命にあやすが、まるで火がついたようで一向に泣きやまない。
「どれどれ。俺が代わろう」
気軽に腰を上げたアダンが、サンドラから受け取りあやし始めた。
「よ〜しよし。いい子だ、いい子だ」
最初はギャン泣きしていたバスティアンだったが、すぐに泣き止み、じっと不思議そうにアダンの顔を見つめた。
「……ふ〜ん。赤ん坊の扱いに慣れているんだな」
サンドラが感心してみせた。アダンは楽しそうにバスティアンを覗き込みながら言った。
「孤児院でよく面倒を見ていたからな」
「……シルヴィアさま? どうなさいました?」
盛り上がる彼らをよそに、主の異変に気づいたコレットが寄り添った。
「……ごめん。少し気持ち悪くて」
シルヴィアは胸を抑えた。
「最近、体調が悪いの。ちょっと熱っぽいし、風邪でも引いたのかも」
「それは良くありませんね。横になったほうがいいですよ」
「大丈夫よ。すぐ収まるから」
「俺に遠慮しているなら、やめてくれ」
アダンがバスティアンをサンドラに引き渡すと、ドアに向かって歩き出した。
「―アダン?」
「帰るよ。具合が悪いなら初めから言え」
「まだ来たばかりじゃない。あたしなら大丈夫だから」
「無理すんな。また来るよ」
アダンはニヤッと笑った。
「出禁が解除になったからな。これからは好きなように顔を出すさ」
「ごめんね、アダン。―コレット。送ってあげて」
「えっ…」
「せっかく来てくれたのに、悪いじゃない。せめて皇宮の外まで送ってきて」
「……わかりました」
部屋を出ると、廊下を並んで歩く。
「……ギャスパルと付き合ってるんだって?」
うつむき加減のコレットにアダンは話しかけた。
「うん」
「そうか。良かったな」
「ねえ、アダン…」
「なんだ?」
「……ありがとう」
「……」
「私、忘れない。アダンを好きだったこと。アダンに憧れてたあの頃のこと」
「……忘れろよ。ギャスパルに悪いだろ」
「ふふっ…」
コレットは真っ直ぐアダンを見つめた。
「大丈夫。今は私、全力でギャスパルを愛してるんだ。ギャスパルも私のこと愛してくれてる。幸せなの」
「……そうか。本当に良かった。俺も嬉しいよ、コレットが幸せで」
「うんっ!」
「―もう、ここでいい」
「……」
「シルヴィアのところへ戻ってやれ」
「……また来てね」
「もちろんさ」
「―そうだ、アダン!」
行きかけたアダンの背中を、コレットが呼び止めた。
「ん…?」
「アニェスさま、結婚するんだよ」
「えっ!?」
「お相手は、クリフォードの王太子。ウィンストン殿下よ」
アダンにも、風が吹いた。それは、嵐にも似た、強い風だった。
【裏ショートストーリー】
メロディ「シルヴィアさまは、お休みになりましたか?」
サンドラ「ああ。ぐっすり眠ってらっしゃる」
メロディ「お熱は? まだありますか?」
サンドラ「そうだな。今は下がったんじゃないかな。おでこも熱くないし」
メロディ「そうですか…」
サンドラ「疲れがたまっていたのだろう。いろいろあったから」
メロディ「……」
サンドラ「ん…? どうした?」
メロディ「あ…いえ、何でもありません。……コレットさまもアダンさまも、ごく普通に会話していらっしゃいましたね」
サンドラ「心の中はわからないぞ。意外と大荒れかもしれない」
メロディ「だとしても、表に出さないくらいには、冷静でいられるようになった、ということですよね」
サンドラ「コレットは今、新しい恋に夢中だ。それでいいんだと思う」
メロディ「……サンドラさまは、いつになったら新しい一歩を踏み出せるのでしょうね」
サンドラ「何度も言わせるな。私はもう、そういうのはいいんだ。バスティアンがいれ…」
メロディ「……バスティアンがいればそれでいい、ですか」
サンドラ「……わかってるなら、言うなよ」
メロディ「サンドラさまは、ご自身が思っているより何倍もお美しいんですよ。その気になれば、子どもがいてもいいと仰ってくださる殿方が必ずいると…」
サンドラ「……メロディ。そんなこと、言ってる場合じゃない」
メロディ「話を逸らさないでください」
サンドラ「ジュリアンがシャウラを追ってベビー室を出て行ったぞ」
メロディ「きゃあぁ〜っ!? 待ってぇぇ〜っ! ジュリアァ〜ン!」




