第273話 紅烏の策謀と女神の婚姻
「ここが、エルヴィールの街ですか」
パトリスが、高い城壁を見上げながら言った。
「よくある城塞都市にしか見えませんけどね」
「見た目はな」
マノンは、城門から目を離さずに答えた。
「外からの訪問者は厳重なチェックを受ける。商人ですら、城館に登録した者しか出入りが許されない。まったくの『一見さん』は、城内の推薦者や保証人がいない限り、入ることは不可能ときてる」
「完全な『鎖国』政策ですね。国内国家のようだ」
「半分、そうなのかもな」
「だからこそ、紅烏団支部は城内に拠点を設けられなかっのですものね」
「そうだな」
「どうします? 城壁も高いし、侵入するのは容易じゃないですよ。それこそ、この壁を越えられるのはシルヴィアさまが飼ってるユニコーンくらいじゃないですか?」
「フランベルジュはペットじゃない」
マノンは苦笑いを浮かべた。
「シルヴィアさま曰く、フランベルジュに許されて側にいさせてもらってるそうだ」
「へえ。聖獣ってのは、気位が高いと聞いたことがあります」
「私たち人間族には理解の外の世界だ」
「獣人族は、神々に近い存在だ、って言いますしね」
「……そろそろ行くぞ」
ある程度見極めたと判断して、マノンは身を翻した。
「ルウが待ちくたびれているだろう」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「お帰りなさいませ、団長」
ルウが敬礼して出迎えた。
エルヴィールから馬で半日という距離にある、デュボワという小さな町である。紅烏団の拠点を設けているのだ。
エルヴィールに拠点を置くことは諦めて、できるだけ近い場所をと、選んだのがこの町だった。
「お疲れでございましょう。夕飯ができております」
「ありがとう、ルウ」
「団長に味わっていただこうと、腕によりをかけて作りました」
「それは楽しみだ。ルウの手料理、久しぶりだね」
お人形のような愛らしい笑顔が花開いた。ルウは、頬を赤らめその場で直立した。
そんなルウにパトリスは黙って肘でつついた。キッと薄水色の瞳が睨んだ。
「―いや、ルウ副団長はほんとに料理上手でいらっしゃる」
奥から中年の男が現れた。紅烏団デュボワ支部の支部長、モーリス・ボドワンである。
「手際もよく、とても驚きました」
「モーリス。こいつは、団長に美味しい料理を食べさせたい一心で、かの有名なエマさまに押しかけ弟子入りして料理を学んだ大バカ野郎なのさ」
パトリスは、からかうように言った。またまた薄水色の瞳が睨んでくる。
「そんな言い方をするんじゃない、パトリス。ルウは真面目なんだ。私は好きだよ、そういう真面目さは」
「―!」
マノンに褒められて、ルウは真っ赤になった。
「……嬉しいっ! 団長に好きだなんて言われたら私、身も心も溶けちゃうわぁ」
「……」
ルウは、背後で女性のような声を出しているパトリスに白い目を向けた。
「どういうつもりだ、パトリス? ふざけるにもほどがあるぞ?」
「なんだよ。ルウが心で思ってることを代弁してやっただけじゃないか」
「……殺すっ!」
殴りかかったルウから、パトリスは身軽に逃げ出した。
「……相変わらず副団長たちは賑やかですなあ」
「……」
マノンは、モーリスに肩をすくめてみせた。
パトリス・フェン。黒髪・黒い瞳の飄々とした優男は、紅烏団の知恵袋である。カミソリのように切れる頭脳で戦略を立てるさまは、まさに軍師の名に相応しい。『指弾』という極めて珍しい武術の名人でもある。
ルウ・カッセル。白百合色の髪に薄水色の瞳をした美女は、紅烏団きっての武闘派である。棒術という武術の達人で、愛用の赤い鉄の棒を振って敵陣を進むさまは、まさに軍神の名に相応しい。
この二人が副団長として、文字通りマノンの両腕となり彼女を支えているのである。
「―団長。実際にエルヴィール城市をご覧になって、いかがですか?」
副団長たちのじゃれ合いが終わって、4人で食卓を囲んだ。話題は当然、エルヴィールである。
「いろいろな意味で堅牢だな」
「あんなでかい市にかかわらず、出入り口が正門と裏門の2か所しかない。住んでる市民は、さぞ不便でしょうね」
右目にうっすらと青あざを作ったパトリスがしたり顔で言う。
「その正門と裏門も、城兵の厳重なチェックが待ち構えている。変装するにしても鑑札が必要だ」
マノンが思案顔をした。
「鑑札を偽造する手もあるが、見本が手に入らないしな。―モーリス。市内の商人とのつなぎは、やはり難しいか?」
「はい。いろいろ手を尽くしてはいるのですが、新規相手の商売は、なかなか手を出してくれません」
「城の統制がそれだけ効いているんでしょうね」
パトリスがうなづいた。
「余所者は、簡単に中へ入れないような仕組みになっています」
「商人の商売相手の中へ潜り込むことはできないか?」
「それも難しいですね」
モーリスが言う。
「商品を運ぶ使用人一人ひとりに至るまで登録させていて、新顔はすぐに入れません。商人側も素性の知れない者を雇うと城から罰を与えられるので、新規雇用に消極的です」
「金を積んでも無理か?」
「おそらく。目先の大金より、商売を長く続けるほうを選ぶでしょう」
「いや〜、想像以上に堅いですねえ。こりゃ、八方塞がりですわ」
言葉とは裏腹に、パトリスの声は明るい。こういうとき、この男は大抵何かアイデアが浮かんでいる。
「パトリス。考えがあるなら、早く言え。団長をお待たせするな」
青あざの原因を作ったルウが刺すように見た。
「まあ、そう慌てるなって。このシチューを食べてからだって遅くないだろ。すごく美味いぜ」
「……お前に褒められても嬉しくない」
「パトリスの言うとおり、ほんとに美味しいよ、ルウ。とても料理上手だね」
「ありがとうございますっ! とても光栄です」
マノンの称賛に、ルウは顔を上気させた。
パトリスは、そんなルウを冷ややかに見た。
「……パトリス」
マノンは、二人を交互に見ながら面白そうに言った。
「それじゃ、お前の『戦略』を聞こうか?」
「―大した『戦略』じゃありませんよ」
問われて、パトリスはニヤッと笑った。
「エルヴィールに下手な小細工など通用しません。だったら、正面から堂々と入るだけのことです」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ウィンストン殿下からプロポーズされたあ〜!?」
思わずシルヴィアの声が裏返った。アニェスは苦笑いを浮かべた。
「あまりに突然で、私もびっくりしてしまいました」
「だって、まだお会いしたばかりじゃないですか。どんな方かもわからないのに、いきなりプロポーズだなんて、性急過ぎるわ」
「確かにお会いしたばかりですけど、何となく為人はわかりますわ」
「……」
「とても朗らかで裏表がない。お母さまが庶民出身で市民の人気が高く、人々との交流を殊の外好む。誰かさんに似ていると思いません?」
そうなのだ。マノンからの報告を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、リオネルだった。実際に会ってますますその思いを強くした。二人のウマが合うのも、そのあたりが理由かもしれない。
「だとしても、すぐには賛成しかねます。もともとこちらが被害者なのですよ。それなのに、どうして大事なアニェスさまをクリフォードに預けなければならないのですか。まったく逆だわ」
「そうですね。ウィンストン殿下の狙いも、従属的な立ち場からの逆転にあるのかもしれませんし」
「……お断り、するのですよね?」
恐る恐る尋ねた。しかし、尋ねる前から答えがわかっているような気がした。
「悪い話ではない、と思っています」
「……」
「和平交渉次第ですが、前向きに考えようかと」
「旦那さまは反対なさるでしょうね」
「だから、こうしてお義姉さまにだけお話ししているのですわ」
「旦那さまを説得する自信がありません」
「それは私が何とかします」
「……本気なのね?」
「前にもお話ししたかと思いますが、お兄さまのためなら、何でもする覚悟です。ましてやクリフォードは北の大国。同盟を結べれば、四方が固まります。ブランシャールにとって、とても良いことですわ」
「旦那さまのため、国のために身を犠牲になさるというの?」
「犠牲とは思っていません」
アニェスは、明るく笑った。この1歳違いの義妹を改めて眺めた。
会ったときから光輝いていたが、今や他に並ぶものとていない絶世の美女である。いつ結婚してもおかしくない適齢期を迎えて、地上の女神たる輝きはいや増すばかりだ。
「―ウィンストン殿下のことは、どう思っていらっしゃるの?」
「好もしい殿方だとは思っています」
「でも、恋愛感情はないのでしょう?」
「そうですわね。一目惚れというわけでもないですし」
ふふふっ、と楽しそうに鈴の音を転がすような笑い声を上げた。
「確かに政略結婚に近いですけど、何も心配してはいませんわ。何しろ、間近に良い例がありますので」
黒い瞳がシルヴィアを見つめてきた。
「にゃっ!? 私…?」
「そうですよ、お義姉さま。文字通り政略結婚で嫁いできて、真の愛を見出したのは、他ならぬお義姉さまです。世の中、こういうこともあるのだと、認識を新たにしました。だから、安心して他国へ嫁入りできますわ」
「……」
俄にアニェスの結婚が現実味を帯びてきた。
シルヴィアは、複雑な思いを捨てきれなかった。
女神のようなアニェスが人と結婚する?
そんなことが、本当にあるのだろうか?
【裏ショートストーリー】
ソフィ「姫さま、本気でございますか?」
アニェス「何のこと?」
ソフィ「ご結婚のことに決まっているではないですか」
アニェス「……本気よ」
ソフィ「私はてっきりあの方に心を寄せていらっしゃるのかと…」
アニェス「ソフィ。それは言わないで。あの方は、私のことなど何とも思っていないわ」
ソフィ「お気持ちを確かめなくてよろしいのですか?」
アニェス「いいの。しょせん、結ばれるはずもない方」
ソフィ「そうですか…。では、私も覚悟を決めなくてはなりませんね」
アニェス「ついてきてくれるの?」
ソフィ「当然ではございませんか。お側を離れることなど一生ありません」
アニェス「ありがとう。嬉しいわ」
ソフィ「では、早速準備をしなくては」
アニェス「え…準備…?」
ソフィ「ぬいぐるみは、すべてお持ちになりますよね?」
アニェス「え…ええ。それは、まあ、できるなら持っていきたいけど…」
ソフィ「あと、ドレスもすべて運ばせましょう」
アニェス「……」
ソフィ「お衣装ケースは足りるかしら。追加で注文しておきますね」
アニェス「ソフィ。気が早いわ」
ソフィ「クリフォードには、貴金属店はありますかね。場合によっては、デュラン商会で買いだめが必要ですね」
アニェス「ちょっと、ソフィ。待って…」
ソフィ「そうだわ! デュラン商会に出張販売してもらえばいいわ。あとでクロエに話を通しておきましょう。それから、あとは………」
アニェス「駄目だわ、これは…」




