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第268話 獅子の来訪と新米小隊長

北の大国、クリフォード王国の王太子であるウィンストンがリシャールへとやってきた。ミモザの可憐な黄金色の花が満開となり、春の足音が確実に近づいている、そんな季節だった。


先のベルジェールの会戦による賠償金請求とともに、王太子の人質を求めたのだ。本心は人質に取るつもりなど毛頭なく、拒否されたら賠償金の増額を突きつけるはずだったのである。


ところが案に相違して、ウィンストン自ら人質に応じたのだという。


ウィンストンは、従者のマイク一人を伴って皇都へ入城した。出迎える者も市民の歓呼もない中での入城である。その寂しさは一国の王子の来訪というより、一介の冒険者のようであった。


さすがに皇宮では、事前に連絡がいっていたこともあり、ガブリエルが待ち構えていて、主従二人を迎えた。


「ウィンストン殿下。よくおいで下さいました。兄から殿下の接待役を仰せつかったガブリエルと申します」


ガブリエルは、天使の微笑みで握手を求めた。ウィンストンも負けじと持ち前の人懐っこい笑顔を浮かべて手を差し出した。


「こちらこそ、よろしく頼みます。リオネル陛下の弟君ですね。御名は存じています」


「これは恐れ入ります。僕のような愚にもつかぬ者をご存じとは」


「リオネル陛下を補佐する太師(だいし)という役職に就いていらっしゃる。王朝を支える重臣中の重臣だ」


「役職など、名ばかりですよ。―殿下。立ち話もなんですから、こちらへどうぞ。兄は既にお待ちかねです」


ガブリエル自ら先導して奥へと進む。傍らにリュカの姿は、ない。片時も離れないはずの彼がこの場にいないのは、どういうわけなのだろう。


無論、そのようなことは知る由もないウィンストンは、不審とも思わずガブリエルの後についていく。


物珍しそうに広い廊下をキョロキョロと眺めていたが、やがて謁見室へと導かれると畏まった。一段高い玉座には既にリオネルが鎮座していた。


「よう、ウィンストン。はるばるとよく来たな」


「クリフォード王国王太子、ウィンストンにございます。陛下の御尊顔を拝し恐悦至極」


「堅苦しい挨拶はやめよう。これから俺たちは友人になるんだからな」


「……私は人質として貴国に参ったのですが」


「それは方便さ。クリフォードとは友好条約を結びたい。お前はその交渉の使者ということになる」


「それは願ってもないことですが、本当に宜しいので? 我々は無法にも貴国に侵攻したのですよ」


「いいさ。アニェスがそう言うんだから」


リオネルは、傍らに立つアニェスに視線を向けた。


「はじめまして、ウィンストン殿下。皇妹のアニェスと申します」


神々しいばかりの笑顔が煌めいた。


「ウィンストンです。お噂に違わぬ美しさ。感服しました」


「お口がお上手ですのね。私など義姉(あね)に比べたらただの可愛い皇女ですわ」


「ほう…。軽口も叩かれるのですね。驚きました」


碧眼が楽しそうに崩れた。


「許嫁になり損ねた私としては、是非とも殿下とは誼を通じたい」


「……今のは、義姉の受け売りですの。義姉はとても楽しい方なのですよ」


「……」


シルヴィアは、話を聞いているのかいないのか、ぼうっとしている。皆の視線が集まっているのも気が付かない。


「……シルヴィア」


リオネルがそっと声をかけた。


「あ…はい」


初めて気がついたように、ウィンストンへ金色の瞳を向けた。


「シルヴィアと申します。歓迎いたしますわ、殿下」


「その名も高い猫耳王女さまにお目にかかれて、光栄に存ずる」


「両国の間で有意義な絆が結ばれることを願っています」


シルヴィアにしては珍しく、鼻をくくったような挨拶だった。


「―難しい話は、おいおい進めるとして」


一瞬、座がしらけかけたが、リオネルが殊更明るい調子で言った。


「長旅で疲れたろう。今日はゆっくりくつろいでくれ。今夜は歓迎の宴を用意してある。あとで飲もうぜ。イケる口なんだろ? な、ウィンストン?」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「まだマノンのこと、引きずっているのか?」


リオネルが優しく尋ねた。


アニェスのサロンである。ウィンストンとの会見のあと、リオネルとアニェスとでシルヴィアを引っ張ってきたのだ。


「……いえ。もう諦めています」


蚊の鳴くような声でシルヴィアは応えた。


「ウィンストンさまと面識がある以上、お義姉さまのお側を離れるというマノンの判断、的確だと思いますわ」


アニェスは、意を尽くしてシルヴィアを慰めた。しかし、シルヴィアは納得しない。


「わかっています。頭ではわかっているのです。でもあたしは自分が許せない。人質案さえ出さなければ、マノンは今でもあたしの侍女だったんですから」


「過ぎたことは仕方ないではありませんか。決してお義姉さまが悪いわけではなく、そういうタイミングだったのです」


「マノンのことが大好きなんです。この先もずっとずぅっと、一緒にいたかった。一緒にいられると思ってた」


「お義姉さまにそこまで想われて、マノンは幸せ者ですわ」


「元気出してくれよ。お前が塞ぎ込んでると、皇宮中が火の消えたようになっちまう」


「……申し訳ありません。お二人にご心配をおかけして」


「私たちのことは気になさらず。お義姉さまのお心のほうが数倍も大事です」


「あたしなんて…ただの役立たずです」


シルヴィアは、暗く沈んでしまった。思わず兄妹は顔を見合わせた。いつも周囲を明るく照らす地上の太陽は、すっかり翳ってしまい見る影もなかった。


「……これじゃ、何も決められないな」


「……」


「お義姉さま。ウィンストンさまとの交渉内容を詰めておきたいのです」


「……お二人にお任せします。あたしが余計な口出ししたら、ロクなことになりません」


「そんなこと言うなよ。俺はお前に全幅の信頼を寄せている。結果、悪い面に転んだって、それは最終決断した俺の責任だ」


「旦那さまをお支えできず、申し訳ありません」


「……」


お手上げだ、というようにリオネルはアニェスに視線を投げた。


「―お義姉さまはお疲れなのです。しばらくマティスでご養生なさってはいかがですか。気晴らしにもなると思いますよ」


「滅相もない。あたしなんかがのこのこ出かけていったら、プロスペールさまたちのご迷惑になります」


「……」


アニェスは、深くため息をついた。そして、リオネルに首を振ってみせた。今の彼女に何を言っても届かない。


リオネルは、一つうなづいた。


「―わかったよ。今日のところは部屋に戻って休んでいろ。サンドラたちも心配して待っているだろうし。ウィンストンの歓迎会も出なくていい。ゆっくりしていてくれ」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「小隊長を拝命いたしました、アイラ・カジャールと申します。よろしくお願いします」


「よろしくな、アイラ」


金髪碧眼の男が真っ先に挨拶してきた。


「俺はマリユス。マリユス・マクロンだ」


「俺はジケル。よろしくな」


彼を皮切りに、次々と小隊員がアイラに挨拶する。


「こちらこそ、よろしくお願いします。軍に入るのは初めてなの。いろいろ教えてください」


「もちろんだよ。やっと小隊長が来てくれて助かった」


マリユスがほっとしたように笑った。


「心ならずも小隊のまとめ役をやってたんだ。これで面倒な仕事から解放される」


「そうなのですね。ごめんなさい、私が押しかけてきちゃって。きっとあなたが小隊長になるはずだったのね」


「あ…? いやいや、違う違う」


マリユスは、お腹を抱えて笑い出した。


「俺は万年平隊員さ。この中じゃ、俺が一番強いからまとめ役になっただけで、小隊長ってガラじゃねえんだよ」


「あら。そうなの? でも、リオネル軍は、強い者が偉いと聞きました。強いなら、あなたが小隊長になるはずですよね?」


「冗談言うなよ。俺は突破口になんかなれねえぜ」


「突破口…?」


「いざというときに、小隊を助ける役さ」


ジケルと名乗った男が説明してくれた。が、いまいちよくわからない。


「俺はあんたを認めている」


マリユスが言った。


「あんたが模擬戦に乱入してきたとき、伏兵の中に俺もいたんだ。真っ先に殴られて気絶したけど」


「ああ…! その節は、大変失礼いたしました」


「構わないさ。軍は強い奴が偉い。小隊長として認めるよ。そもそも、あの『鉄拳』と互角にやり合うんだ。小隊長どころか、あんたには中隊長の実力がある。変な気は遣わず思う存分指揮してくれ」


「ありがとうございます」


「よろしく頼むぜ、小隊長!」


隊員たちの歓声に包まれる中、アイラは、ふと一人離れたところにいる隊員に視線を向けた。


「あなたもこちらへ来て。自己紹介をお願い」


「……」


彼女は、アイラに声をかけられても、もじもじしたまま動こうとしない。


「やめとけよ、アイラ」


冷ややかな視線を送りながらマリユスが言った。


「あいつは小隊のお荷物なんだ。放っとけ」


「なんでそんなこと言うのですか? 同じ隊の仲間でしょう」


咎めるも、マリユスは意に介さない。


「あいつは、極端なビビリなんだよ。日ごろの立ち合いじゃ、俺ですら負けるけど、実戦になった途端動けなくなるんだ。そんな奴、使えねえだろ」


「……」


アイラは、改めて彼女を眺めた。


花紺青色の髪と瞳をした愛らしい容姿をしていた。うつむき加減で両手をにじり合わせている。


アイラはつかつかと彼女に近づいた。驚くマリユスたちを尻目に両手を握った。


「はじめまして。アイラ・カジャールと申します。あなたのお名前を教えて」


彼女は、びっくりしたように花紺青色の瞳をまん丸に見開いた。


「……お名前は何と言うの?」


再度尋ねると、ようやく小さな声で答えた。


「―ジョゼ。ジョゼ・アズナヴール」


「ジョゼというのね。可愛らしいお名前だわ」


アイラはにっこりと微笑んだ。ジョゼは嫣然としたその笑みを呆然と見つめた。


「よろしくね、ジョゼ。私、あなたのことを知りたいわ。せっかく同じ隊になったのですもの。女同士、たくさんおしゃべりしましょうよ。ね? いいでしょ、ジョゼ!」

【裏ショートストーリー】

ウィンストン「人質のつもりで来たのに、友好条約の交渉役とは、驚いたな」

マイク「人質の要求は本気ではなかった。そういうことなんでしょう」

ウィンストン「だな。まあ、それでも俺たちのやることは変わらん」

マイク「しかし、あの接待役の皇弟、我々の監視役と見ましたが」

ウィンストン「俺もそう思う。そもそも、自由に動けるとは初めから思っていないさ」

マイク「くれぐれもご自重くださいよ」

ウィンストン「わかってるって。他国にまで来て無茶はしないよ」

マイク「本当かなあ」

ウィンストン「仕事はともかく、個人的にもブランシャール宮廷には興味がある。変わった役職名をつけたり、獣人差別禁止をうたったり、なかなか斬新な政策を進めている。うちにも取り入れるべきものは取り入れないと、置いていかれちまうぜ」

マイク「リオネル皇帝は、良くも悪くも仕事を部下に丸投げします。相互信頼に基づいている間は、成果を挙げ続けるでしょうね」

ウィンストン「それに、アニェスやシルヴィアの美しさといったら、極上だ。あんなの、ヴィクトリアンには絶対にいねえ」

マイク「……私の話、聞いています?」

ウィンストン「その上シルヴィアについていた侍女たちも美人揃い。ここは、天の花園か?」

マイク「……ウィンストンさま。悪癖をこんなところで出さないでください。どんなに言葉で飾っても、私たちは人質と変わらないんですから」

ウィンストン「楽しみだなあ。いっそアニェスとの婚約話を再開するかな」

マイク「……駄目だ、こりゃ」

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