第267話 紅烏、巣に帰る
「―お帰りなさい」
厚い雲に覆われ、星一つ見えない寒々とした夜空の下。皇都のとある場所。紅烏団の拠点の一つにマノンは身を潜らせていた。
「ただ今、パトリス」
「……お帰りなさいませ、団長」
「ただ今。ルウ」
出迎えた二人の男女に軽く手を挙げて、部屋の最奥にある団長席へ座った。
「二人には長いこと団を任せて、すまなかった」
「大変でしたよ〜。ルウは言うことを聞かないし」
「パトリスの指揮になんか、従えるか。そもそも私もお前も副団長なんだ。上下関係はないんだから」
「少なくとも俺のほうが年上だ。年上の言うことは聞くもんだ」
「じじいっ! 黙れ!」
「誰がじじいだ、ふざけんな。一つしか違わねえだろが」
「自分で年上だと言ったんじゃないか。私の年上はみんなじじいだ」
「だったら団長は大ババアだな。俺より四つも年上だ」
「失礼なことを言うな、殺すぞ! 団長は永遠の20歳だ。年をとらないんだ」
「出たよ、ルウの団長崇拝」
「―お前ら、うるさい。黙れ」
マノンが一喝した。すると、二人とも直立不動になった。
「はいっ、黙ります!」
「……」
パトリスは元気よく返事をし、ルウは口を一文字に引き結んだ。
「……ったく、お前らは変わらないなあ。私のいない間に少しはマシになったかと思ったが、相変わらずの仲良しなんだな」
「団長! 私たちは仲良しではありません」
ルウは心外そうな顔をした。パトリスは横目でルウを見た。黒色の瞳が笑っている。ルウは、キッと薄水色の瞳で彼を睨んだ。その拍子に白百合色の髪がふわりと揺れた。
「なんだ、パトリス? 何が言いたい?」
「―団長! 次の仕事は何ですか?」
パトリスは、ルウを無視してマノンに尋ねた。ルウはますます薄水色の瞳に力を込めた。その視線で射殺しそうなほどに。
「―長年立ち塞がってきた鉄壁をようやく崩すときがきたぞ」
マノンの藍色の瞳がギラリと光った。
「紅烏団の総力を挙げて事に当たる。相手は今や帝国の太師さまだ。気を抜くなよ」
「へえ。大物ですねえ〜。まあ、あの家は大した諜報団を抱えていないし、突破口が見つかりゃ、あっという間ですよ」
軽い調子でパトリスがうそぶいた。ルウはジロッと厳しい眼差しを向けたが、口にしたことはまったく別のことだった。
「では団長。早速皇宮内の奴の部屋から始めますか?」
「いや、皇宮には用はない。ターゲットは奴の母親だ」
「……」
「目指すは、エルヴィール。そこに、奴が隠したがっている鍵が必ずある!」
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「―お早う」
「お早うございま…!?」
私室へ入ってきたシルヴィアを見て、コレットは目を丸くした。
「シルヴィアさま!? どうなさったのです、そのお顔?」
「……ちょっとね」
夕べは、泣き通しだった。マノンが去り独り残されて泣き崩れ、リオネルが帰ってくると驚く彼の胸の中で号泣した。
泣き疲れて動けなくなると、ベッドに寝かし付けられて枕を濡らした。結局一睡もできず、朝、ベッドから這い出してソファで寝ていたリオネルに抱きつき、またひとしきり泣いて泣いて、部屋を出てきたのである。
肌が荒れ、泣き腫らした目で憔悴し切っている。コレットならずとも驚くに決まっている。
シルヴィアは、崩れるようにソファへ座った。シャウラが膝の上に飛び乗ってきた。いつもなら顔をくしゃくしゃにしてじゃれ合うのに、ぼんやりと背中を撫でるだけだ。
ベッドの上で寝そべっていたフランベルジュが、チラッと視線を向けたが、すぐにまた寝てしまった。
「―シルヴィアさま。お茶でも召し上がりますか?」
「……いらないわ」
「そう…ですか。お朝食はお済みですよね?」
毎朝、リオネルに朝食を食べさせてから、私室へ来るのが習慣である。
「……食べてない」
「えっ…!? ご体調が悪いのですか?」
「……食べたくないの」
「それはいけませんね。お風邪でも召しましたか」
コレットは、シルヴィアの額に手を当てた。熱はなさそうだ。
「念のため、お薬をご用意しましょうか?」
「……必要ないわ」
力のない返事ばかりが返ってくる。コレットは小さくため息をついた。そして、何気なく言った。
「……あの、シルヴィアさま。マノンさまをご存じありませんか? いつも早いのにまだお見えになっていなくて…って、シルヴィアさま!? 泣いていらっしゃるのですか?」
あれだけ泣いたのに、枯れることを知らないようだ。金色の瞳からじわっと涙が滲んでくる。たちまちそれは盛り上がりこぼれ落ちた。
「……うわ〜んっ!」
シルヴィアは、子どものように盛大に泣き始めた。
「シルヴィアさま!?」
「……コレットぉ〜っ!」
心配して覗き込んできたコレットにしがみついた。
「シルヴィアさま…いったいどうなさったのです? 何があったのですか?」
「……マノンが…マノンが辞めちゃったのよ〜っ」
「ええっ!?」
青天の霹靂とはこのことだ。いったい今、何が起こっているのか、さっぱりわからない。
「辞めた、って、どういうことですか? シルヴィアさま!?」
問いただしても泣きじゃくるばかりで、話にならない。途方に暮れていると、
「―お早うございます」
「あっ、サンドラさま、いいところへ」
サンドラとメロディが子どもたちを連れて出勤してきた。しかし面食らったのはサンドラたちのほうだった。
「シ、シルヴィアさま!? どうなさったのですか?」
コレットに慰められながら泣きじゃくるシルヴィアを見て、慌てふためく。だが、次のコレットの一言で二人とも仰天した。
「それが…マノンさまが侍女を辞めたらしいんです!」
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「―驚いたな、まさかマノンが侍女を辞めたとは」
サンドラは、未だに衝撃が冷めやらぬ様子でつぶやくように言った。
「確かにシルヴィアさまがショックを受けるのは致し方ない」
期せずして三人は、ベッドを振り返った。
シルヴィアは、すやすやと寝ている。
三人に思いの丈をぶちまけて少し気が済んだのか、寝不足もあって『疲れた…』と一言残し倒れ込むようにして寝てしまったのだ。
「……道理で夕べはマノンの様子が変だったわけだ」
「妙に一人ずつ意味深なことを言い残していかれましたものね」
メロディが納得したように大きくうなづいた。
「それにしても、辞める理由をシルヴィアさまにも告げないなんて、おかしいですよね」
「それをお認めになったシルヴィアさまもな」
「……!」
びっくりしたようにメロディはサンドラを見た。
「確かにそうですよね。あのシルヴィアさまが理由も聞かずにお認めになるわけがない」
「―お二人は何か隠しています」
コレットが断言する。サンドラが大きくうなづいた。
「私たちには言えない何かがあった、としか思えないな」
「水臭いわっ」
コレットは憤慨した。
「長い付き合いなのに、隠し事だなんて、酷いわ。本当のお姉さまのように思っていたのに。悩み事があるなら相談してほしかった」
「―だからだろう?」
「えっ…!?」
オッドアイの優しい眼差しが向けられていた。
「マノンだって、コレットのことは妹のように思っていたさ。だからこそ、心配かけたくなかったんだろう」
「……だとしても、一言もなしに辞めちゃうなんて、寂しいわ」
「そうだな…。本当にそうだ。次に会ったとき、一発ぶん殴ってやる」
「サンドラさま!? 暴力はいけません」
コレットが目を瞠った。
「マノンさまは女の子ですよ? 兵隊さんじゃないんだから、サンドラさまに殴られたら大怪我してしまいます」
「今のはサンドラさまなりの愛情表現ですよ」
メロディがくすくす笑う。
「本気じゃ、ありません」
それでもコレットは心配そうに言った。
「……サンドラさまの場合、本当に殴りそうです」
「私は、本当に殴るつもりだが?」
「えっ…!?」
「―ふふふっ」
メロディが堪えきれず吹き出した。それを見て、サンドラも笑い出した。
「……ふふっ。ふふふっ…!」
しばらく二人を呆然と眺めていたコレットも、次第に笑顔が広がり一緒になってお腹を抱えた。
「―ああっ、楽しいっ!」
ひとしきり笑い声が弾けたあと、コレットが笑いを収めてぽつりと言った。
「マノンさまとも、こうしてもっと笑い合いたかったな」
「また笑い合えるさ」
サンドラのオッドアイがキラリと光った。
「いつかきっと、マノンは帰ってくる。私はそう信じてる。だって、ここが私たちの居場所だから。シルヴィアさまのお側こそが、帰る場所なのだから」
【裏ショートストーリー】
パトリス「団長が帰ってくるんだって?」
ルウ「侍女を辞職されるそうだから、完全復帰だ」
パトリス「おお〜っ、やっとお戻りになるのか〜。今回は長かったなあ。なあ、ルウ?」
ルウ「……」
パトリス「お前、わかりやすいよな」
ルウ「……何がだ?」
パトリス「顔がニヤけてる」
ルウ「え…!? そんなはずは…」
パトリス「ははっ! ウソだよ〜ん。すぐ引っ掛かる。諜報員失格だぞ」
ルウ「……殺すっ!」
パトリス「自分の訓練が足りないのを人のせいにするなよ」
ルウ「……!」
パトリス「睨んでもしょうがないさ。団長にまたしごいてもらえよ。嬉しいだろ?」
ルウ「もう騙されないぞ」
パトリス「なんだ。嬉しくないのか。それなら、団長にそう報告しておくよ。ルウは団長と訓練したくないそうです、って」
ルウ「……! 誰もそんなこと言ってないだろ!? 私は団長との訓練を楽しみに…」
パトリス「だよな〜っ? 団長崇拝者だもんな〜っ? 素直になれよ!」
ルウ「きさま…! また騙したな!」
パトリス「はははっ! ほんと、ルウは楽しいなあ!」
ルウ「逃げるなっ! 殺すっ! パトリス〜っ!」




