第266話 突然の別れ
「今日からお世話になります、アイラ・カジャールと申します。よろしくお願いします」
桔梗紫色の髪がふわりと揺れた。途端。
「やっほーっ!」
大歓声が起こった。
「エニフ(ミラベル)隊へようこそ!」
「歓迎するぜ!」
アイラはあっという間にエニフ隊員に取り囲まれた。我先に名前を告げる隊員たちに目を白黒させた。
アイラは、ちゃんとサイズがぴったりの軍服を着ていた。それでも抜群のプロポーションは隠しようがないが。
「ちっ…。いい気になってんじゃねえぞ、エニフ!」
「次の調練でボコボコにしてやるっ」
選ばれなかったほかの隊員たちが、忌々しそうに捨て台詞を吐いてそれぞれ散っていった。
「―まずは、戦力アップおめでとう、ミラベル」
「あ、ありがとう。こ、これでようやく小隊長が、ぜ、全員揃ったよ」
ジュスタンが祝福すると、ミラベルはぴょんぴょんと飛び跳ねてみせた。どうやら喜びを表しているらしい。
入隊試験を受けていないアイラは、特別にリオネルから天馬隊入隊が認められた。
偶然とはいえ、調練に乱入し小隊ニ隊を全滅させた上に、サイノス中隊長と互角に渡り合い、勝利を収めた実績が認められたのだ。
問題はどの隊に編入するかだった。各隊ともゴールデンルーキーがほしいのは当然だ。だが、シルヴィアの鶴の一声であっさり決まった。
理由は簡単。ベルジェールの会戦で実際に小隊長が欠けていたことと、アイラが全滅させた小隊がエニフ隊だったからだ。
身をもってアイラの実力を知っているエニフ隊であれば、すんなり小隊長として受け入れられるだろうという読みであった。
「アイラを狙ってたんだがなあ」
エーヴが舌打ちした。
「エーヴのところは、小隊長が揃ってるでしょ?」
「それはジュスタンくん。首を据え替えるのさ」
「……非情な中隊長さまですね」
「なんてったって、実力世界ですから」
「きみも首を据え替えられないように、気をつけなね」
「なんだと、このやろう!」
ひらりとエーヴの拳を避けると、ジュスタンは高笑いを残して去っていった。
「―まあ、妥当なところだろう」
サイノスがぐっと握り拳を作った。
「調練が楽しみだ」
「……おお、怖っ」
悠然とマルカブ(サイノス)隊のいる方へ歩み去る後ろ姿を見送りながら、エーヴは身震いした。
「―おいっ! シェアト(エーヴ)隊!」
エーヴは怒鳴り散らしながら隊員にハッパをかけた。
「気合入れ直すぞ! たらたらやってたら、晩飯抜きだからなっ」
こうして、目出度くアイラは天馬隊に受け入れられたのであった。
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シルヴィアは、夕方になるとリオネルの私室に移動する。仕事から帰ってくるリオネルを出迎えるためである。
余裕があれば自ら夕食の準備をするし、なければリオネル家の厨房を預かるエルネストに頼んで運んでもらう。
今日も早めに移動し、部屋への道すがらあれこれと夕食のメニューを考えていると、マノンに声をかけられた。
「シルヴィアさま。少しお話があるのですが」
「いいわ。リオネルさまのお部屋でお話ししましょ」
普段とは様子が違うマノンに即答した。
主人のシルヴィアが部屋を移るタイミングで、侍女のマノンたちの仕事はお役目御免になる。後片付けを終えれば各自好きなように時間を過ごす。
追いかけてきた時間を考えると、用事があるといって早く上がったのかもしれない。
「どうぞ、中へ入って」
待ち構えていたように猫たちがシルヴィアにまとわりついた。
「デネブ〜、ごめんねえ、後で遊びましょうね」
シルヴィアは白い猫の背中を撫でると、マノンをテーブル席に座るよう促した。
「……だいぶ猫たちはシルヴィアさまになついているのですね」
「毎日会ってるからね。名前も覚えたのよ」
「へえ。さすがシルヴィアさま。―あっ、お茶なら私がご容易いたします」
シルヴィアが部屋に備え付けの簡易キッチンに向かったのを見て、腰を浮かせた。
「いいのよ、座ってて。ここではマノンがお客様なんだから」
「では、一緒にやりましょう」
「ありがとう」
二人でコーヒーを淹れて腰を落ち着けた。
「―さてと。話があるのだったわね」
「はい」
「向こうの部屋では話しにくいことなのね?」
「ええ」
「もしかして、リュカさまとのこと?」
「えっ…?」
「あれ? 違うの?」
「いえ…それと関わることでもあるのですが、大至急シルヴィアさまとご相談しなくてはならないことが起こりまして」
「やあね、そんな切羽詰まったような顔して」
「実は、クリフォード王国のウィンストン王太子のことなのです」
「ウィンストン王太子…?」
マノンは手短に説明した。クリフォードで王太子に食い込んだこと。アダンの妹として面識があること。ラーミナに紅烏団団長であることが知られてしまったこと…。
「―なるほど。それはいろいろとまずいわね」
「少なくとも、シルヴィアさまの侍女としてウィンストン王太子に会うわけにはいかないのです」
「しばらく身を隠すしかないわね。しかも、王太子が留まる限り、ずっと、ということになるのね」
「そこでご相談なのですが、これを機会に紅烏団に戻ろうかと」
「にゃっ…!? それはダメよっ。マノンはずっと私の侍女なんだから。そういう約束よね?」
「……いいえ、しばらくの間だけ、というお約束でした」
「……そんなに私の側にいるのが嫌い?」
「違いますよ。―困ったお人ですね」
マノンはため息をついた。
「おわかりになっていて、わざと論点をすり替えようとなさっている」
「……」
シルヴィアは悲しそうな顔をした。マノンは、できるだけ彼女の表情を見ないようにした。見たら、決心が鈍ってしまいそうだったから。
「この辺りがちょうど潮時です。もちろん、私だってお側を離れたくはないのです。シルヴィアさまとご一緒していると、思いもかけない出来事が次から次へと起こって退屈せずに済みますから」
「マノン…」
「第一、現実問題として、いつまで王太子が国内に留まるのかもわからない状況で、その間だけお側を離れる言い訳が立ちませんよ」
「……」
「ならば、いっそのこと、一身上の都合で侍女を辞めたことにしたほうが…シルヴィアさま!? 泣いていらっしゃるのですか?」
「当たり前じゃないの」
金色の瞳から大粒の涙がこぼれた。
「こんな…急に…心の準備だってできていないのに…」
「シルヴィアさま…とても嬉しいです。数ならぬ私のことなどを気にかけてくださるなんて」
「あたしは、マノンのことが大好きなのっ。親友だと思ってるのっ。急に会えなくなるなんて、耐えられない」
「シルヴィアさま…」
さしもの紅烏団団長の目にも、うっすらと光るものが滲んだ。しかし、それを振り払うように言った。
「もともと、日の当たる場所は不釣り合いな人間なのです。いるべき場所へ戻るだけですから。そんなに悲しまないでください」
「嫌よっ。離れたくない」
「そんなわがままを仰らないでください」
「こんなことなら、王太子を人質に取るだなんて、言わなきゃ良かった」
「仕方ありません。誰も予測なんてできませんから」
「―リュカさまは!? 旦那さまのリュカさまはどうするの? 急にいなくなったりしたら、説明できないわ」
「……実はリュカから重要な情報を得られました」
「にゃっ…!?」
驚愕のあまり、シルヴィアは涙も忘れてマノンを見つめた。
「リュカ…? 今、呼び捨てにしたの? なんで…」
「夫婦ごっこは終わりです。すべてはリュカから情報を得るために仕組んだハニートラップなのです」
「……そんな、まさか…あんなにリュカさまのこと愛していたじゃない。それがすべてウソだったというの?」
「先にもお話ししたとおり、私は闇に棲む女です。目的のためならどんなことでもします。そういう汚い女なのです。太陽のようなシルヴィアさまのお側にいるのは、相応しくない」
「そんな…」
ショックのあまり、シルヴィアは頭を抱えてしまった。
「私は、長いことガブリエル家を探っていました。ガブリエル家は難攻不落のガイヤール城のようなもので、なかなか内情を掴ませない。そこで目をつけたのが従者のリュカだったのです」
「やめてっ。聞きたくない」
シルヴィアは猫耳を両手で塞いだ。
「いえ、やめません。シルヴィアさまは、皇帝の妻となられたのです。知らなくてはならない。世の中は綺麗ごとだけではないことを。そしてときには汚れ仕事を家臣に命じなければならないことがある」
「やめてやめてっ…! そんなの、悲しすぎる…マノンが可哀想過ぎる」
「……同情は必要ありませんよ、シルヴィアさま」
マノンは、限りなく優しく話しかけた。まるで実の妹に声をかけるように。
「私は、いっときでも、シルヴィアさまのお側にいられて幸せでした。日の当たる場所というものを味合わせていただきました。感謝の言葉しかありません」
「嫌よっ、嫌っ!」
「本来の居場所へ戻ります。何もこれが今生の別れというわけではありません。紅烏団が必要になったらいつでもお呼びください。どこにいてもすぐに駆けつけます」
「マノン…行かないで…お願い」
「長らくお世話になりました。最後にご忠告申し上げます。ガブリエル殿下を信用してはなりません。シルヴィアさまにとって良くないことを隠しています」
「マノン…」
「では、行きます。これからも、陰でお支えしておりますよ、我が主、シルヴィアさま」
「マノン…! 嫌よ…マノン…マノンっ!」
泣き崩れるシルヴィアの前から、マノンは静かに姿を消した。
シルヴィアの嗚咽だけがいつまでもいつまでも止まらなかった。
【裏ショートストーリー】
コレット「さて、シルヴィアさまは移動されたし、後片付けを始めましょうか」
マノン「ごめん、コレット。私、用事があって早く上がりたいの。あとをお願いしていい?」
コレット「はは〜ん。さてはリュカさまとのお約束ですか?」
マノン「……そのようなものよ」
コレット「わかりました。もちろん、いいですよ。お互いさまですし」
マノン「ほんとにごめんね。コレットも、すっかり頼もしくなったわ。あとを任せても安心できる」
コレット「ええ〜っ? 急に何ですか? 煽てたって、何も出ませんよ?」
マノン「ふふっ。……サンドラもごめんね。ほんとは護衛官なのに、結局侍女の仕事まで押し付けちゃって」
サンドラ「別に構わないさ。シルヴィアさまのためなら、何でもする覚悟だ」
マノン「サンドラは、シルヴィアさま第一だものね。護衛も任せられるし、あなたに来てもらえてほんとに良かった。ありがとう」
サンドラ「……」
マノン「メロディ。あなたもサンドラ付きの侍女なのに、事実上シルヴィアさまの侍女になってしまったわね」
メロディ「私のことは、どうかお気遣いなく。シルヴィアさまはサンドラさまの主さま。私が仕えるのは当然のことです」
マノン「メロディがいてくれるから、心強いわ。これからもみんなのことお願いね」
メロディ「え…? ええ…」
マノン「じゃあね。私、行くわ。みんな、ほんとにごめんなさい」
サンドラ・コレット・メロディ「……」




