第261話 愛の行き先
朝、食堂を覗くと誰もいなかった。
軍の朝は早い。サイノスがいるかと思ったのだが、遅かったようだ。
「……明日は、もっと早起きしようっと」
アイラは、思いっきり伸びをした。
夕べはサイノスの部屋で寝泊まりした。同じ部屋で過ごせるかと淡い期待を抱いたが、あっさりと出て行った。部下の部屋で寝るのだそうだ。
サイノスは、初めて会ったときから、アイラとは距離を取っていた。
幼年学校を卒業し、すぐに軍に入った彼は、ほとんど家に帰ってこなかった。家で過ごしたのは、年末年始くらいではないか。
9歳のとき、今回と同じように一人で軍の官舎に訪ねていったことがあった。
そのときは、一日つきっきりで面倒を見てくれた。官舎や調練場を案内され、食堂で昼ご飯をご馳走してくれた。エテルナという同僚の女性にも紹介してくれた。
優しくしてくれたのは、おそらく、自分がまだ子どもだったからだろう。それでも、ほとんど会話らしい会話をした記憶はないが。
アイラにとって、サイノスは英雄だった。軍ではエテルナと並び称されて、『オルトロス』の二つ名まで得るようになっていた兄を尊敬した。
そんな兄の妹であることを誇りに思い、いつか隣に並んで共に戦うことを夢見た。
しかしその次の年、彼はエテルナと一緒に国を出て行った。挨拶もなしだった。後で軍からの通知で知ったのだ。
それ以来、音信不通となった。2年前、風の噂でブランシャール軍に入ったことを知った。今をときめく猫耳王女の部隊、天馬隊の小隊長だという。
それからは、戦争のたびに天馬隊の活躍を聞くようになった。サイノスも中隊長になり、二つ名までつくほどの有名人になった。
彼は家に帰ってはこなかった。まるで故郷などないかのように、無視され続けた。
ところが、昨年の年末、突然シルヴィアがカトゥスに帰ってきた。サイノスも天馬隊として行動を共にしているという。
ときめいた。ようやく兄に会えるかもしれない。カトゥスとルプスは目と鼻の先だ。愛する兄とようやく再会できる。
そんな期待もすぐに泡と消えた。結局兄は来ず、リシャールへと戻っていった。深く心が傷ついた。なぜ兄は、自分のところへ帰ってきてはくれないのだろう?
アイラは、女の存在を疑った。
これほどまでに家に寄り付かないのは、きっと女がいるからに違いない。その女がサイノスを止めているのだ。
最初に思い浮かんだのは、エテルナだった。子どものときにはわからなかったが、今にして思えば、彼女は恋人だったのだ。
だが、『ベルジェールの会戦』で、自らの手で殺したという。であれば、除外していい。
では、主人のシルヴィアか?
それもすぐに打ち消した。兄の性格上、不倫など絶対にしない。仮に好意を寄せていても、シルヴィアが相手にしないだろう。
そうなると、残るは誰だ? 天馬隊の同僚か?
もっとも怪しいのは、サンドラだ。シングルマザーだが、フリーともいえる。密かに愛を育んでいてもおかしくはない。
もう待てない。向こうが来ないのならば、こちらから出向くまでだ。
両親にも告げずに、一人リシャール目指して国を出てきた。
そして、念願の再会を果たした。兄は喜んではくれなかった。周りの女に目を配った。
ミラベルは論外だ。子ども過ぎてサイノスの好みではない。エーヴはどうか。威勢のいい女だ。顔も悪くない。しかし、強くない。立ち合ったら、アイラでも必ず勝てる。
兄は強い女が好きなはずだ。ルプスの男は概して強い女を好む。除外していいだろう。
やはり、本命はサンドラだ。
サンドラに闘いを挑んだ。彼女は強かった。不意を突いたのに、引き分けだった。いや、不意打ちの分、自分が負けていた。
それでも、彼女は違う。間近に接してわかった。彼女は既に恋愛を超越している。彼女の関心は男ではなく、自分の子どもに向いている。
では、女ではなかったのか。サイノスが戻ってこないのは、単に嫌われているからなのか。
「……調練か。覗いてみようかな」
アイラは、調練場へと足を向けた。
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「ご機嫌よう、アニェスさま」
シルヴィアは、アニェスの私室を訪れていた。供は誰も連れていない。
「……珍しいですね、お義姉さま。お一人でお出でになるなんて」
「ええ。ちょっとご相談事がありまして」
「そうですか。……どうぞ、お座りください」
シルヴィアが着席すると、ソフィが平皿に入れたお茶を持ってきた。
「ありがとう、ソフィ」
にっこり微笑みかけると、真剣な表情をアニェスに向けた。
「サイノスの妹さんが今、リシャールに来ているのです」
「サイノスの? 妹さまがいらっしゃったのね」
「ええ。私も初めて知りました。彼、あまり自分のことは話さないから」
「……」
「その妹さん、アイラさんとおっしゃるのですけど、どうやらサイノスのことが好きなようで」
「好き…兄妹愛なら微笑ましいと思いますけど、お義姉さまがご相談とおっしゃるからには、違う意味なのですね?」
「やっぱりアニェスさまだわ。すぐおわかりになるのね」
「―古来より、肉親同士の恋愛というのは絶えることなくあり続けていますし、事件になりやすいものです。それ故に、物語や舞台の演目になったりもしてきました」
「……」
「サイノスは、どう思っているのかしら」
「訊いてはいないので推測になりますが、おそらく恋愛感情はないと思います」
「そう…」
「アイラさんの話によれば、避けている節もあるので、アイラさんの気持ちに気づいているかもしれませんが」
「肉親であれば、敏感に感じ取れるでしょうね。そして肉親だからこそ、サイノスは彼女を避けている」
「……私、男兄弟がいないので、そのあたりがよくわからないのですけど、普通にお兄さまのことが好きとか嫌いとかありますよね? アニェスさまだって、旦那さまのことは好きでしょう?」
「ふふっ。そうね。もちろん、お兄さまのことは大好きですわ。悪い女にすぐ引っ掛かってしまうような単純なところもすべて含めて、愛しているといってもいいほどに」
「……」
「あら、怖いお顔。怒らないで、お義姉さま」
アニェスは、鈴の音を転がすように笑い崩れた。
「―ご、ごめんなさい。別にアニェスさまを怒ったわけじゃなくて…」
「ええ、わかりますとも。それだけ兄を愛してくださっているということですから、ありがたいことです」
「ンもうっ、からかわないでください」
真っ赤になって目を背けた。
「ふふっ。―言わずもがなですが、愛しているのは、あくまで兄としてです。男として見たことはありませんわ」
「……」
アニェスは、誰か男の人を愛したことがあるのだろうか。シルヴィアは、ふとそう思った。
しかしすぐに頭を振った。今はサイノスのことだ。
「でも、中には男として見てしまう女性もいると…?」
「心理はよくわかりませんが、伝え聞く物語などでは、そういうこともあるのでしょうね」
「……正直、理解できないし、許されないことだと思います。なんとか止めたいわ」
「それは難しいのではないかしら」
「……」
「人を好きになる、という気持ちは、他者がどうこうできることではありません。もし無理やり禁じれば、かえって恋心が燃え上がってしまうわ。障害のある恋愛ほど、人を狂わせるものはないですもの」
「……どうしたらいいと思います?」
「―月並みな意見になってしまいますが、見守るしかないでしょうね」
「……実は、アイラさんがサンドラを訪ねて部屋にきたのです。そのとき、突然サンドラに襲いかかって、あわや惨事になりかねなかったわ」
「それは、いただけませんね」
「これは、まったくの想像になってしまうのですけど、彼女はサンドラのことを、サイノスの交際相手と疑ったのではないかと」
「……恋愛のライバルを殺してしまおうと…? ずいぶん、極端な考え方ね」
「虫も殺せないような可憐で美しい顔をしていますけどね」
「あら。一度お会いしてみたいわ」
アニェスの澄まし顔をチラッと見て、シルヴィアは話を続けた。
「……きっと、交際相手ではないとわかったのでしょうね。ナイフを引っ込めてくれました。事なきを得たから良かったものの、このまま放っておくと、また何かやらかすんじゃないかと心配で」
「困りましたね。とはいえ、首に縄を付ける訳にもいかないし、国に送り返してもすぐ戻ってきてしまうだろうし」
「サイノスと話して、彼女に引導を渡させようかとも思ったのですけど、コレットの例もあるし、どんな行動に走るかわからないから、やめておいたほうがいいですよね?」
「そうですね。話を聞く限りでは彼女の場合、感情が他者に向かいそうですしね。そのほうが賢明でしょう」
「……となると、打つ手がないわ」
「アイラさまの行動を注意して見ているほかありませんわ」
「……」
「―マノンを使いますか?」
紅烏団で監視する、ということだろう。しかし、マノンの手を煩わせたくない。
「……いえ。ファニーを使います」
「わかりました。―何事もなければよいのですけど」
二人の憂いは、なかなか晴れそうになかった。
【裏ショートストーリー】
コレット「ビックリしました。まさか突然襲ってくるなんて思ってもいなくて」
メロディ「ほんとですね。わたしなんか、今も震えが止まりません」
サンドラ「心配するな。私が後れをとると思うか?」
コレット「……実際、ナイフを突きつけられましたよね?」
サンドラ「不意を突かれただけだ。ちゃんと反撃をしている」
マノン「でも、一瞬、気を取られたでしょう?」
サンドラ「……よくわかったな」
マノン「か、勘よ、勘! あれ、バスティアンが泣き出したからでしょ?」
サンドラ「……」
コレット「へえー。サンドラさまって、やっぱりお母さまなんですね。いざというときは、赤ちゃん第一になっちゃう」
サンドラ「……私は、まだまだ修業が足りないな」
メロディ「よろしいと思いますよ。そうやってみんな母親になっていくんですから」
サンドラ「私は、バスティアンも、シルヴィアさまも、メロディたちも、みんな守れる女になりたい」
マノン「またまた格好つけちゃって。真面目ぶりっ子なんだから」
サンドラ「……意味わからん」
コレット「でも、サンドラさまなら、きっとお出来になれますよ。私は信じています!」
サンドラ「……ありがとう、コレット」
マノン「ちょっと、コレット! こんなとこで好感度上げないでよ!」




