第260話 禁断の愛
「へえーっ。サイノスに妹さんがいたのね」
シルヴィアは、サンドラから事の顛末の報告を受けていた。無論サンドラは、エーヴから聞いたのである。
「とんでもない美女だそうです。サイノスには似ても似つかないとエーヴが言っていました」
「ふふっ。そんなことを言ってはダメよ。サイノスだって、イイ男だわ」
「でも、指名手配犯をのしてしまったのでしょう?」
コレットが言う。
「いかにも鉄拳の妹さまらしいです」
「そうね。犬牙族は、みんな武術が得意だから」
「……エーヴはずいぶん憤慨していました。どうやらアイラさんには、至宝天から忘れられてしまったようで」
「どういうこと?」
「至宝天の大ファンだそうで、名前を順に挙げていったところ、エーヴの名前が出てこなかったのです」
「まあ…。それはショックでしょうね」
「エーヴは、そういうことを殊の外気にするタイプですから」
「かわいそうに。後で慰めてあげなくちゃ。―それで、アイラさんとサイノスは、今どうしてるの?」
「それが…私に会いに来ることになっていまして。どうしても挨拶したいとのことで」
サンドラは戸惑うように言う。
「至宝天の中でもサンドラさまは一番人気ですから。アイラさんも、きっと『推し』の一人なんですよ」
コレットが訳知り顔で言う。シルヴィアは、顔をしかめた。
「やあね、『推し』とかいうの。あたし、そういう流行りの言葉はあまり好きではないわ」
「も、申し訳ありません、シルヴィアさま」
慌てて頭を下げた。
「いいのよ。コレットを責めたわけじゃないから」
「―ただ今戻りました」
そこへお使いに行っていたマノンが戻ってきた。
「あの、シルヴィアさま。サンドラに会いたいという女性と途中出会いまして、ここへ連れてきているのですが、お通ししてもよろしいでしょうか?」
シルヴィアはサンドラと顔を見合わせた。たった今その話をしていたところなのだ。
「もちろん、いいわ。お通しして」
マノンが招き入れた。
「失礼いたします」
ドレス姿の女性が入ってきた。にっこり笑った。その瞬間。彼女は跳んだ。気づいたときには、サンドラの背後に回って片腕をひねり上げていた。手にしたナイフはサンドラの喉元に突きつけられている。
「動くなっ!」
咄嗟に動こうとしていたシルヴィアとマノンは、動きを止めた。コレットとメロディは、恐怖で動けない。
「おぎゃーっ!」
バスティアンが激しく泣き出した。サンドラが僅かに動揺するのが伝わってきた。隙ができた。今なら、殺れる!
「―さすがです、サンドラさま」
誰も身動ぎ一つできない中、アイラは再びにっこり微笑んだ。
サンドラは、いつの間にか抜いた小型剣をアイラのお腹に突きつけていたのだ。
「―あなたは違いますね」
アイラは、喉元に突きつけたナイフを引っ込めた。サンドラは身を翻して距離を取った。アイラはナイフを投げ捨てた。
メロディがバスティアンに駆け寄った。バスティアンにつられて、ジュリアンまで泣き出した。
「―大変、失礼いたしました。お騒がせして申し訳ありません」
盛大な泣き声の合唱の中、アイラは、膝をついて頭を垂れた。
「あなた、どういうつもり?」
シルヴィアは怒り心頭でアイラを睨んだ。
「あたしの侍女にナイフを突きつけるなんて、ただで済むと思っているの?」
「お怒りはごもっとも。失礼ながらサンドラさまは、至宝天一の剣士とお見受けいたしました。強者に闘いを挑むは犬牙族の性。試すようなことをいたしました。万死に値します。ご存分のご処置を賜りたく」
「よく言ったわ。覚悟の上ということね。だったら、望みどおり、し―」
「お待ちください、シルヴィアさま」
サンドラがひざまずいた。
「この者、初めから殺気がありませんでした。本気で危害を加えるつもりであれば、とっくに私は頸を斬られています。なにとぞご寛恕くださいますよう、伏してお願いいたします」
「……」
しばらくシルヴィアは、神妙に頭を下げ続けるアイラを睨みつけていたが、ふっと肩の力を抜いた。
「―サンドラがそう言うなら、仕方ないわ。今度だけは赦してあげる」
「寛大なるご処置、身に余る光栄!」
アイラは、よく通る声で礼を述べた。
「……もういいわ。畏まっていないで、顔を上げてちょうだい」
「はい」
アイラは立ち上がった。桔梗紫色のソバージュがふわりと揺れた。そして、ぬけぬけと言い放った。
「シルヴィアさまは、お優しい。私、大好きになりましたわ!」
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確かにアイラは絶世の美女であった。
ジュスタンが言うところの『天下三大美人』にも引けを取らない。むしろ、サンドラと合わせて『天下五大美人』と称し直したほうがいいのではないかと思うほどだ。
彼女は、常ににこにこと微笑みを絶やさない。今、シルヴィアを前にして臆することなく堂々と対しているさまは、どこかの王族の姫かと思わせる。
「―それで、アイラさんは7年ぶりにサイノスに会うため、わざわざルプスから来られた、というのね?」
「はい。兄は国を出て以来、一度もお帰りくださらないから、しびれを切らしてしまいました。もっとも、軍に入ってからだって、めったに帰ってきてくださらなかったですけど」
「あたしも、ルプスにいたころのサイノスは知らないのよね。たぶん、サイノスがルプスを出たのは、あたしが12歳のころだし」
12歳といえば、憧れだったカリーナが相手をしてくれなくなって、独りで剣の稽古をしていたころだ。あの当時はまだまだ狭い世界で生きていた。剣がすべてだったのだ。
「……私、お兄さまに嫌われているのかもしれませんね」
「にゃっ!? どうしてそう思うの?」
「だって、久し振りにお会いしたのに、少しも嬉しそうではないし、家にいたころから、何となく避けられていたし」
「それは、男の子だからよ。男の子って照れ屋が多いから、異性のきょうだいには、距離を取ってしまうのではない?」
「そう…でしょうか」
「―失礼いたします」
マノンがコーヒーを持ってきた。中身を見た途端、アイラが悲鳴に近い声を上げた。
「あらっ!? 真っ黒なお茶? シルヴィアさま、これは何ですか?」
初めてコーヒーを見る者の反応には慣れっこである。微笑みながら説明した。
「これはね、コーヒーといって外国の飲み物なの。市中にお店も出していて、とても人気なのよ」
「まあ…。驚きました。リシャールは進んでいるのですね。では、いただきます。―!? 苦っ!」
アイラは、渋い顔をした。それでも美人は得だ。そんな顔でも愛嬌があってとても微笑ましい。
「ミルクを入れると、飲みやすくなるわよ」
「……ぜひ、お願いいたします」
マノンがミルクを注いだ。
「―あっ! マイルドになりました! ああ! 深みがあって、鼻に抜けるような香ばしさがあるのですね。これは美味しいっ」
「気に入っていただけて、良かったわ」
「……素敵です。お店にもぜひ行ってみたいわ」
「それこそ、サイノスに連れて行ってもらえばいいわ」
「それは願ったり叶ったりですけど…」
アイラは、曖昧な表情をした。
「たぶん、兄は連れて行ってはくれないでしょう」
「ことサイノスに関することになると、途端に弱気になるのね。さっきは強気でサンドラに刃を向けたのに」
「それはもう、仰らないでください」
あっけらかんと笑う。やはり度胸がいい。シルヴィアの嫌みにもまったく萎縮することがない。
アイラは今、17歳だという。シルヴィアが姉グロリアの身代わりで輿入れしてきたのが17歳だ(中身は21歳だったが)。あのころの自分は、他の人からはどう見えていたのだろう。
「―アイラさんは、ルプスでは何をしていらっしゃるの?」
「……家事手伝いです」
「花嫁修業中なのね。意中の人でも―」
ハッとした。突然記憶が戻ってくる。
アイラ・カジャール。
それは、グロリアがリオネルに輿入れした世界。アズールと結婚した女性の名だ。
(本来だったら、アイラは軍に入ってアズールと出会ってた。そして、アズールに決闘を申し込まれて、見事に勝った。アズールは目出たく、自分より強い女と結婚することができた)
道理で強いわけだ。あのアズールに勝てるのだから。
でも、今の世界ではシルヴィアがリオネルと結婚し、グロリアはアズールと結婚する。あぶれたアイラは…どうなるのだろう? 本来なら、王子妃となる娘なのに。
「―シルヴィアさま? どうなさったのです?」
アイラに問われて、現実に戻ってきた。
「……ううん。何でもないわ。花嫁修業中のアイラさんは、好きな人でもいるの?」
「……さあ? どうでしょう?」
「あら、ということは、いるのね。教えなさいよ。誰なの、その幸運児は?」
「……サイノス・カジャール」
「にゃっ!?」
桔梗紫色の瞳が、じっと刺すように向けられている。そこには、偽りも諧謔もなかった。
(……まさか、本気なの…?)
すると、彼女はにっこり微笑んだ。女神マイアのような笑みだった。
「……と、言ったら、驚きます?」
「―なんだ。冗談なのね」
「ふふっ。シルヴィアさまって不思議な方。何でも話してしまいそう。ふふふっ」
「イヤだわ、アイラさんったら」
屈託なく笑う彼女に同調して、シルヴィアも笑い崩れた。
しかしシルヴィアは、確信していた。
彼女は本気なのだ、と。
【裏ショートストーリー】
アイラ「お兄さま。サンドラさまにご挨拶に行きたいのです。案内してください」
サイノス「サンドラには既に連絡してある。いつでもいいそうだ」
アイラ「……ですから、案内を…」
サイノス「俺は調練で忙しい。一人で行ってこい」
アイラ「……案内する時間くらい都合をつけられるでしょう?」
サイノス「駄目だ。身内の都合を優先しては、隊員に示しがつかない」
アイラ「シルヴィアさまのお部屋の場所、知らないんです。一人では行けません」
サイノス「場所は教える。簡易案内図も用意した」
アイラ「……何ですか、これは?」
サイノス「皇宮の地図だが?」
アイラ「子どもの落書きにしか見えませんけど?」
サイノス「失礼な奴だな。とにかく、これでもわからなかったら、その辺を歩いている侍女を捕まえて聞け」
アイラ「……どうあっても、ついてきてはくださらないのですね」
サイノス「くどい」
アイラ「(……冷たいお兄さま。)仕方ありません。では、一人で行って参ります。……後で後悔しても遅いですからね」
サイノス「なに…?」
アイラ「いえ。何でもありません。独り言です」
サイノス「……」




