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第258話 ドッグストーム上陸

一人の犬牙族の娘が大門をくぐり、リシャールへ足を踏み入れた。


荷物は大きなドラムバッグが一つだけである。彼女は、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回す。大通りは今日も大勢の人々が行き交っていた。


リオネル政権が種族差別禁止を表明してからというもの、リシャールには、多種多様な種族が集まるようになった。


当然、犬牙族も出入りする数が増えたため、彼女が往来で佇んでも珍しくはない。桔梗紫色の長いソバージュをポニーテールにしてカチューシャをつけ、ワンピにチュニック、ロングコートを羽織り、ショートパンツ、ロングブーツといういでたちは、注目されるはずはなかった。


ところがである。どこにでもいそうな彼女は、とてつもなく人目を引いた。なぜなら、絶世の美女だったからである。


歳は若い。おそらく16、7だろう。目鼻立ちはぱっちりとしている。少し丸顔なのが愛らしく、髪と同じ色の瞳はキラキラと魅惑的に輝いている。手足は長くすらりとしたその姿は、まさに名匠の手になる一大傑作の彫像のようだ。


都会には、そんな彼女に声をかけそうなタチの悪い輩はゴロゴロいる。そのゴロゴロいるうちの一人が早速声をかけてきた。


「……きみは、リシャールは初めて?」


「えっ…?」


彼女は、キョロキョロと辺りを見回すと、自分に人差し指を向けた。


「……私のことですか?」


爽やかな春風のような声音が、びっくりしたように跳ね上がった。


「そりゃそうだろ。俺の前にはきみしかいないよ」


「そう仰られても私、あなたさまとは初対面でございますし、ご紹介も受けていないのに、親しく言葉を交わすわけには参りませんわ」


「そんなこと言わずに、俺(・)た(・)ち(・)と付き合えよ」


男の背後から、仲間らしき男たちが三人現れた。


「俺たちがリシャールを案内してやるよ」


「とっても楽しいところを知ってるぜ」


男たちは、下卑た笑い声を上げた。しかし、彼女は何を勘違いしたのか、桔梗紫色の瞳をキラキラと輝かせた。


「もしかして、これが『ナンパ』というものですか!?」


「あ?」


「素敵ーっ! 都会に来た実感が湧きますわ! 私、憧れだったのです。うちの町の男どもは、誰も私に声をかけてくださらないのですもの」


「……よくわかんねえけど、承知してくれたってことでいいよな?」


最初に声をかけてきた男が馴れ馴れしく彼女の肩を抱いた。


「や〜ん、恥ずかしいわっ!」


彼女が身体をくねらせた。その拍子に肩にかけていたドラムバッグが男に当たった。すると、信じられないことに男はふっ飛ばされ、遠く離れた通行人に激突してそのまま気絶してしまった。


唖然としたのは、仲間たちである。中にはあんぐりと口を開けたまま固まったものもいる。それはそうだろう。バッグは軽く当たったようにしか見えなかったのだ。大の大人が吹き飛ばされるはずがない。


「―てめえ、何しやがる!」


仲間の一人が我に返った。


「あら? ごめんあそばせ。ちょっとバッグが当たってしまいましたわ」


彼女は、舌を出して片目を瞑ってみせた。とても愛らしい仕草であったが、男たちのほうは頭に血が上っているらしく、目に映らなかったらしい。


「ちょっとどころじゃねえだろ!? いったい何をした?」


「魔法でも使いやがったか!? それとも魔獣の生まれ変わりか!?」


「―何だって…?」


突然、彼女の様子がガラリと変わった。


「もう一度言ってみろ。私が何だって?」


先ほどまでキラキラと輝いていた桔梗紫色の瞳は、物騒に細められ据わっている。口元から二本の牙が伸びて光った。全身から怒りのオーラが溢れ、今にも男たちを呑み込もうとするかのように広がり始めた。


「な、なんだ、てめえ!?」


恐れをなした男たちは、早くも逃げ腰である。


「てめえみてえなブス、誰が相手するかよ!」


捨て台詞とともに逃げ出した。彼女は、人間技とは思えない身のこなしで地を蹴ると、逃げる男の背中に回し蹴りを喰らわした。


男は悲鳴を上げてはるか遠くの路上へ飛んでいった。多数の通行人を巻き添えにしながら転がっていく。


既にそれには見向きもせず別の男を捕まえると、背負い投げで地面に叩きのめした。男はカエルが潰れたような悲鳴を上げて気絶した。


続けて跳躍した。シルヴィアばりの跳躍力で走って逃げる男の前に着地する。そのまま驚く男の首を掴んで巴投げで投げ飛ばした。哀れ男は、八百屋の店の中へ放り込まれて、野菜に埋もれながらのびてしまった。


彼女は、呼吸一つ乱さず仁王立ちした。すると。


「―あらっ!? またやってしまいましたわ」


両手を口に当て、小首を傾げた。一瞬で男四人をのしてしまったとは到底信じられないほど、それは可憐で愛らしい仕草だった。


「……さてと。お兄さまはどこにいらっしゃるのかしら」


地面に投げ捨てたドラムバッグを拾って肩にかけた。


大通りの奥から皇都警備隊がこちらへ駆けてくるのが見えた。無論彼女は知らないが、先頭にいるのは刑部尚書クロヴィスである。彼女を目指しているのは間違いない。


彼女は、桔梗紫色の瞳を煌めかながら、じっと彼らを待ち受けた。


すらりとした立ち姿は、美の女神マイアもかくやという神々しさであった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


食堂へ入っていくと、既に先客が話に花を咲かせていた。天馬隊が誇る隊長たち、ジュスタン、ミラベル、イザクである。


「やあ、サイノス。お疲れさま」


気づいたジュスタンが挨拶してきた。サイノスも軽く会釈を返した。


「―みんなも遅い昼食か?」


「中隊長の宿命だよね〜。隊員たちを優先しちまうのは」


イザクが嘆息混じりに言う。すかさずミラベルがツッコミを入れた。


「だ、誰が中隊長よ? あ、あなたは小隊長でしょ!?」


「事実上の中隊長さ。サンドラは四六時中セリーヌにへばりついているからな」


「確かにイザクは隊をよくまとめてるよ」


ジュスタンが前髪をかき上げた。


「そろそろ天馬隊も、規模を大きくすればいいのに。中堅の指揮官が育ってきている。大隊長を設けてもいい頃だよ」


「だ、大隊長は、セ、セリーヌだよね?」


「セリーヌは司馬さ。司馬の下に僕らが大隊長として支えるんだ」


「―あ〜、疲れた」


そこへ、エーヴが現れた。少々不機嫌だ。シェアト隊(エーヴ隊)は午前の調練でまったく精彩を欠いていたのだ。エーヴ自身が集中力を欠いた指揮に終始していたからである。


エーヴは、集まっているメンバーを素早く見定めると、サイノスの隣に座った。


「エ、エーヴ。どうしたの? め、珍しく調練に身が入ってなかったよ」


早速ミラベルが指摘する。エーヴは、嫌そうに顔をしかめた。


「言うな、ミラベル。わたしが一番よくわかってるんだ」


「何か心配事でもあるの?」


ジュスタンが言う。それにもエーヴはおざなりに答えた。


「別に、何もねえよ」


「エーヴは、疲れがたまっているんだろう」


サイノスが言った。途端、エーヴはぎょっとしたように隣のサイノスを見た。


「今夜くらいは酒をやめて、早く休むことだ」


なぜかエーヴは、頬を染めて黙り込んだ。それを見て、ジュスタンはミラベルとイザクに話しかけた。


「そういえば、さっきの調練で気になるところがあったんだけどさ―」


「―あのさあ、サイノス」


三人が話し込んでるのを確認して、エーヴは小声で話しかけた。


「夕べのことなんだけど…」


「夕べがどうした?」


エーヴはモジモジしながら言った。


「その…なんていうか…どういうことなのかな、なんて思ったりして…」


「何が言いたい? さっぱりわからん」


「ほら…酔っぱらったわたしが、その…ナニしただろ? そしたら、お前が…ナニしてきて…どういうつもりでしてきたのかな、って気になってさ」


「知らん」


「えっ…?」


「確かにお前は酔っぱらって俺に絡んできたが、すぐに別れた。それだけだ」


「それだけ…って、えっ!? そんなわけないよな? だって、お前、月見してたろ? そこへわたしが話しかけてさ、話してる最中に…わたしがふざけて…」


「例のキス魔か?」


「う、うん。そしたら、お前が―」


「何もなかった」


「……」


「お前は俺にキスなどしていない。夢でも見ていたのだろう。ひどく酔っていたからな」


「そ、そうかな…」


エーヴは考え込んでしまった。


「―エーヴ。お前は疲れている。午後は休んだらどうだ?」


エーヴは、目を上げた。サイノスの表情を窺う。薄墨色の瞳には何も浮かんではいない。


「……そうだな。だいぶ重症かもな」


エーヴが頭を抱えた、そのときだった。


「―サイノス! サイノスはいるか?」


皇都警備隊の隊員が駆け込んできた。サイノスは咄嗟に立ち上がった。


「俺がサイノスだ」


「クロヴィス尚書がお呼びだ。至急、出頭せよ」


「出頭…? サイノス、何かやらかしたのか?」


ジュスタンが楽しそうに言った。


「知らん。身に覚えはない」


「おい! 何の容疑だ?」


エーヴが怒鳴った。


「サイノスは天馬隊の中隊長だぞ。わかって言っているのか?」


隊員は、エーヴをジロッと睨んだ。


「容疑者はサイノスではない。アイラという女が容疑者だ」


「アイラ…」


「その女はお前が身元保証人だと言い張っている」


「―アイラなら、確かに知っている」


「えっ…!?」


エーヴは、驚いたようにサイノスを見た。彼は、世間話をしているかのように落ち着き払っている。そして、更にエーヴを驚かせる台詞を言った。


「アイラは…俺の妹だ」

【裏ショートストーリー】

クロヴィス「例の指名手配犯、行方は掴めたのか?」

警備隊員A「いえ、皆目わかりません」

クロヴィス「くそっ。どこかにねぐらがあるはずなんだがな」

警備隊員B「それも転々としているようで、なかなかしっぽを掴ませちゃくれません」

クロヴィス「巧妙でずる賢い奴らだ。粘り強く探るしかねえ」

警備隊員A「狙いは旅行者だとわかっています。大門を見張っちゃどうです?」

クロヴィス「とっくにやってる。奴らもバカじゃない。そういうわかりやすいところじゃ、声をかけなくなってるよ」

警備隊員B「市内全域に網を張るわけにもいかないですしね」

クロヴィス「……あまりやりたくはないが、おとり捜査をするしかねえか」

警備隊員A「えっ!? 尚書が女装するんですか?」

クロヴィス「バカかっ、てめえは? 知り合いの女性に頼むんだよ」

警備隊員B「へえ。尚書に女性の知り合いがいるとは初耳ですね」

クロヴィス「……てめえら、俺を何だと思ってる?」

警備隊員A「だって、まったく女っ気がないですから」

クロヴィス「言ってろ! ……でもなあ、その人に頼むには、シルヴィアさまを介さないといけねえし、ウラの仕事で忙しいだろうしな。どうしたもんか」

警備隊員C「尚書! 大通りで乱闘騒ぎですっ!」

クロヴィス「……乱闘? どこのバカだ、このクソ忙しいときに。お前たちで適当に収めてこい」

警備隊員C「でも、どうやら指名手配犯らしいですよ」

クロヴィス「なに…!?」

警備隊員C「若い女性が襲われているみたいです」

クロヴィス「よしっ! お前ら、急行するぞ!」

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