第257話 真冬の夜の夢
「リュカさま…」
いつもの空き部屋である。マノンはリュカとの逢瀬を楽しんでいた。
事実婚の二人である。お互い主人には挨拶を済ませた。隠れるようにして会わずともいいのだが、まだ二人で暮らすつもりは双方ともなかった。
「……そうですか。『カフェ猫耳』2号店ですか」
いつものように情事が終わったあとの寝物語である。
「それはそれは楽しそうに話していらっしゃいました。シルヴィアさま肝いりのお店ですから」
「人気店でしょう? これからもっと支店が増えるかもしれませんね」
「世界中にお店を出すのが目標なんですって」
「それは豪気ですね」
「……ねえ、リュカさま」
「はい」
「クレールさまへのご挨拶の件なのですけど…」
「……」
口にした途端、リュカは無表情になった。この話題には触れられたくないらしい。ならば、尚更追及する意義がある。
「そろそろ、真剣にお考えくださいませんか? 体調の良いときでいいのです。ガブリエルさまのお母さまにご挨拶もしないままじゃ、リュカさまの嫁として失格だわ」
「……マノンさま。一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい…? 何でしょう?」
「クリフォードとの戦いの最中、よもやクレールさまのお部屋に無断で入られてはいないですよね?」
どきっとした。形跡を残さぬよう、慎重に行動したはずだ。なぜバレたのだろう。
だが、ここは白を切りとおすしかない。
「……もちろん、そんなことしません。なんでお疑いになるの?」
「何者かが、お部屋に入った形跡があるのです。詳細は申しかねますが、わかるものでなければわからないような、極些細な違いがありました」
「……」
「クレールさまのお部屋に興味があるとすれば、マノンさましか心当たりがなくて…。あっ、いや、決して怒っているのではありませんよ。待たせているのはこちらなのですから」
リュカが振り向いた。視線が合う。鉄紺色の瞳には、何の感情も浮かんではいなかった。
「ただ、正直に話してほしいのです。夫婦の間で隠し事はしたくない。ほんの出来心ですよね? クレールさまにお会いしたい一心で、つい合鍵を作って侵入してしまったのですよね?」
「……いいえ。決してお部屋には入っていません。侍女として、妻として、そんな礼儀知らずなことをするわけがない。疑われるなんて心外だわ」
鉄紺色の瞳は、マノンを見つめたまま動かない。マノンも、じっと見つめ返す。先に視線を逸らしたのはリュカの方だった。
「―そうですか。疑ってしまい、申し訳ありません。ちょっと神経質になり過ぎていたようです」
「いえ。おわかり頂けばそれで構いませんわ」
「マノンさまは、御心が広い。疑われたら、怒って当然なのに」
「……」
「お詫びと言ってはなんですが、クレールさまのことで、マノンさまにだけ情報をお教えします」
「えっ…!?」
「クレールさまは、皇宮にはいらっしゃいません」
「……」
「ご病状が思わしくなく、エルヴィールでご療養中なのです」
「エルヴィール…といえば、シラク侯爵さまのご本領でしたね」
「そうです。公にしていませんので、どうか他言無用でお願いします」
「はい。シルヴィアさまにも内緒にします」
「ははっ。シルヴィアさまにはご報告しても構いませんよ。ただし―」
また鉄紺色の瞳が見つめてきた。マノンは、黙って視線を受け止めた。
「シルヴィアさまにも釘を刺しておいてください。もし情報が漏れるようなことがあれば、ガブリエルさまとの信頼関係にひびが入るとご覚悟くださいますよう、とね」
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「そっか。2号店がオープンするのか」
食事が終わり、ソファでのティータイムである。
リオネルは、すっかりお気に入りのミルクコーヒーを片手に、シルヴィアの話を聞いていた。
「アダンがいい場所を探してくれましたわ。大通りから一本脇に入ったところなんですけど、人通りも多いし、交差点の角地なのでわかりやすいの」
「良かったなあ。1号店も相当な利益が上がっているし、2号店も成功間違いなしだな」
「アダンは3号店も見据えているのですって。みんなコンセプトが違うんです。ターゲットを店ごとに変えて、あらゆる層を取り込もうという算段ですわ」
「アダンは商才がある。全部任せておけば安心だ」
「本当にそう。でね、旦那さま。そろそろ出禁を解除してあげたいのですけど」
「うん…。アニェスの意向も聞かないとな」
「もちろん、アニェスさまにも相談します。これから『カフェ猫耳』の打ち合わせが増えると思うし、毎回あたしが出向くのも何かと支障があるし」
「町に出るのは嫌いじゃないだろう?」
「そうじゃなくて、コレットのことですわ」
「ああ…! なるほど」
「二人とも、表面上は落ち着いているけど、わだかまりはあると思うんです。いわば喧嘩別れしたようなものだし。そろそろ仲直りしたほうがいいわ」
「そうだな。このまま一生顔を合わせないままというわけにはいかないし。―よし! いいよ。俺は賛成だ」
「ありがとうございます、旦那さま!」
にっこり微笑んだ。眩しいほどに輝く笑顔に、リオネルは暫し見惚れた。
この男は、毎日顔を合わせているにもかかわらず、飽きることなく妻の笑顔に見惚れ続けている。
そこへ猫がシルヴィアの膝へ飛び乗ってきた。
「きゃあ〜、可愛いっ!」
シルヴィアは、はしゃいだ声を上げた。
「デネブ〜。どうしたの〜? 淋しくなったのかな〜?」
「……猫の名前、覚えたのか?」
「ええ。毎日顔を合わせているのですもの。自然と覚えました。この真っ白な猫ちゃんがデネブでしょ〜、そっちで寝そべってるちょっと太めがアステローペでしょ〜、あっちの三毛がリギルでしょ〜、それから―」
ふいに抱き寄せられた。目の前にリオネルの顔がある。
「―だ、旦那さま…?」
口づけをされた。コーヒーの味がした。
シルヴィアは、リオネルの背中に手を回し、全力で応えた。
しばらく口づけを交わすと、ようやくリオネルは離した。黒い瞳が力強い光を放った。
「……お前がほしい」
「……はい」
シルヴィアは頬を赤らめ小さくうなずいた。
二人はベッドに倒れこんだ。
猫たちは、二人には見向きもせず、人の営みには興味がないかのように、己の世界に没頭していた。
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今夜は満月だ。
まん丸の月の白い輝きは、世界を思いの外明るく照らしている。天空にあって他の星を圧倒する存在感は、まさに夜の女王に相応しい。
サイノスは、その夜空に輝く月をじっと見上げていた。
犬牙族にとって満月は特別である。月の女神セレネは、彼らの守り神でもある。
古来より月を崇拝する彼らは、満ち欠けする月には神秘なる力が宿ると信じてきた。その象徴が黄金の血である。
満月こそ神秘なる力が最大限発揮されるのだ。特別に選ばれた者はその力で狼に変身する。狼に変身できる者は、勇者として崇められる。その最高峰が黄金の狼である。
「……おっ? サイノス! こんなところで何してる?」
エーヴが千鳥足で近づいてきた。
「―また飲んでるのか?」
「なんだよ? 飲んじゃ悪ィか。ヒック…!」
「お前は飲み過ぎだ。少しは控えろ」
「てめえに指図される謂れはねえ!」
「……そうだな。俺とお前は関係ない」
「なあんか、たそがれてねえか?」
「……」
「何を見ていたんだ?」
エーヴはサイノスの肩に手を置いた。サイノスは、チラッと視線を送っただけで何も口にはしなかった。
「……ああ! 満月か。そういや、犬牙族にとって満月は特別だったな」
「よく知ってるな」
「セリーヌに聞いたんだよ。満月に願い事をするんだろ? それが叶ったら、セレネにお供え物をするとか何とか」
「……」
「何を願っていたんだ?」
「別に何も」
「そんなことねえだろ。教えろっ!」
「―好きな女が振り向いてくれますように」
「はあ!? 好きな女だあぁ〜!?」
エーヴは鼻がぶつかりそうになるほど、顔を近づけてきた。とても酒臭かった。
「お前、顔に似合わず意外とロマンチストだろ? 幼年学校生か、ってんだ! キャハハッ!」
「―エーヴ。悪酔いし過ぎだ。さっさと帰って寝ろ」
「やあだね。せっかくいい気持ちなんだ。わたしも月見酒するっ!」
「ここには酒はない」
「じゃあ、わたしの部屋で一緒に飲もうぜ」
「……断る」
「なんだよ、堅物だなァ。別に襲ったりしやしねえよ。でも―」
突然キスされた。完全に不意打ちだった。
「―でも、唇は奪うぜッ。キャハハ―!?」
サイノスはエーヴの腰を抱いて引き寄せた。
「え…何を―」
戸惑うエーヴの唇を塞ぐようにしてキスをした。エーヴの青い瞳が丸く見開かれた。
一際、月の光が明るく輝き、二人を白く照らし出した。
サイノスは静かに唇を離した。エーヴは固まったまま動かない。そんなエーヴの腰を抱いたまま、サイノスはじっと青い瞳を見つめた。エーヴが生唾を飲み込む大きな音がした。
「―た、確かに、悪酔いしたみたいだ」
エーヴは身体を捻ってサイノスの手から逃れた。
「……帰って寝るよ」
エーヴはうつむいたまま、足早に走り去っていった。
月明かりに独り残されたサイノスは、彼女の後ろ姿が見えなくなっても、じっと見送り続けていた。
【裏ショートストーリー】
メロディ「シルヴィアさまは、リオネルさまの部屋でお過ごしなるのがすっかり習慣になりましたね」
コレット「そうですね」
メロディ「おかげで夜は手持ち無沙汰になりました」
サンドラ「早めに上がって構わないぞ。後片付けは私がやっておくから」
コレット「そういうわけには参りません。後片付けはみんなでやりましょう。第一、そのほうが早く終わります」
メロディ「早く終われば、彼氏と夜デートに行けますものね」
コレット「やめてください! そういうつもりで言ったんじゃありません!」
メロディ「あら、可愛い。顔を赤くしちゃって」
コレット「もうっ、メロディさまったら。からかわないでくださいよ」
サンドラ「でも、本当にデートに行っていいんだぞ。私たちに遠慮することはないから」
コレット「遠慮だなんて…してませんけど…」
サンドラ「仮にシフトに入っていても、リオネルさまは夜は真っ直ぐお帰りになる。都合をつけやすいんじゃないか?」
コレット「……今度、彼と相談してみます」
サンドラ「メロディも遠慮せず、早く帰ってやれ。ジュスタンを独りにしておくと、ろくなことをしないぞ」
メロディ「ふふっ。ジュスタンなら大丈夫です。サンドラさまこそ、たまにはお出かけになってはいかがですか? バスティアンさまは私がお預かりしますから」
サンドラ「私はもう、そういうのはいいんだ。バスティアンと二人で過ごすのは、とても楽しい」
コレット(楽しんでたんだ…。いつも仏頂面だから、子育ては嫌いなのかと思ってた…)




