第256話 幸せなら
シルヴィアは、サンドラ一人を従えシュバリエ商会を訪れていた。少し懐かしい気もする。初見は最悪だった。
「よう! 猫耳王女さま。久し振りだな」
中へ入ると、既にアダンは待ち構えていた。うっかりアポを取り忘れると、アダンの場合、見たくもない情事に出くわす可能性がある。
「第2号店、改修が終わったんですって?」
「おうよ。オーナーさまに見ていただこうと思って、お呼びしたんだ。皇后陛下を呼びつけるのは気が引けるが、仕方ねえよな。何しろ俺は皇宮出禁だからよ」
この男は、いろいろ言っているが、この状況を楽しんでいるらしい。まったく、コレットのことをどう思っているのか。
「早速ご案内しよう。ついてきてくれ」
アダンは、商会を出た。
「―そうそう。アダンに伝えておくことがあったわ」
道すがら、シルヴィアは世間話をするように軽い調子で言った。
「コレットに恋人ができたの」
「……ほう。そうかい」
「旦那さま付き護衛官で、孤児院の幼馴染なんですって。アダンなら知っているんじゃない?」
「誰だ、そいつは?」
「ギャスパルよ」
「ああ、あいつか。生意気そうな面をしたやつだ。いつもコレットの周りをうろついていたっけ。良かったじゃないか」
「……ほんとにそう思ってる?」
「思ってるさ。俺も肩の荷が下りたよ。コレットは、妹のようなやつだから。幸せなら、それでいい」
この男は、結局最後までわからないのだ。コレットがどんな思いでアダンへの恋を断ち切って、新しい恋を見出したのかを。
「―ほら、ここだよ」
アダンが指差した。
綺麗な白い壁の瀟洒なお店だった。看板には『カフェ猫耳〜猫耳王女のコーヒー店』の大きな文字。それとともに、猫耳に肉球のロゴが燦然と輝いている。
「きゃあぁぁ〜っ! 素敵っ!」
シルヴィアは飛び跳ねて全身で喜びを現した。サンドラは、何ともいえない表情でロゴを見つめている。
「―どうぞ中へお入りください、陛下」
アダンがドアを開けてくれた。一歩中へ入る。途端、ため息が漏れた。
「……わあ〜、中も素敵」
店内はシックで落ち着いた雰囲気だった。第1号店は明るい色調で、どちらかというと若い女性向きの店舗だ。それに対して第2号店は、大人の男女が楽しむ装いになっている。
「どうだ、いいだろ」
「ええ。1号店とガラッと変えたのね」
「調度品は同じだけどな」
「ほんとだ。椅子の背もたれはちゃんと猫耳なのね」
「第3号店も見据えてるぜ。そっちはファミリー層を対象にするつもりだ」
「アダンって、商売の才能があるのね」
「おいっ! 俺は商人だ!」
「うふふふっ! 冗談よ、冗談」
「―あっ!? 猫耳王女さまっ!」
笑い転げていると、カウンターの奥から若い女性が出てきた。
「シルヴィア、紹介するよ。第2号店の店長を任せるオレリアだ」
「よろしくね、オレリアさん」
「わあ〜。王女さまにお会いできるなんて、光栄ですっ」
オレリアは、頬を紅潮させて憧れの視線を向けた。
なぜか彼女を何処かで見たことがあるような気が強くした。
「―ねえ、オレリアさん。初めてお会いする気がしないんだけど」
「オレリアはコレットの親友だ。コレットが木から落ちたとき、知らせに来てくれたのがこいつだよ」
「あーっ! あのときの!?」
「その節は、コレットがお世話になりました。まさか皆さまがお揃いだとは気づかす、大変ご無礼いたしました」
「いいのよ。そんなこと気にしないで。そっかー、コレットのお友だちかー。それなら安心ね。彼女のお友だちに間違いはないもの」
「今日はコレットはついてきていないのです…ね―!?」
シルヴィアの背後を探す素振りをした途端、オレリアは息を呑んだ。視線はサンドラに釘付けである。
「―あ、あのっ! もしかしてサンドラさまですよね?」
「え…。そうですが…?」
「きゃあぁ〜っ! 私、ファンなんですぅ〜っ!」
オレリアはシルヴィアそっちのけで、サンドラの目の前に立った。今にも食いつきそうだ。サンドラは少し後退った。
「サンドラさまのメイド姿に憧れて、お店で働くようになったんです!」
「そ、そう…」
「いつかお会いしたいと、ずうっとずうっと夢見ていましたっ! 嬉しいぃ〜っ、とうとう適ったわ!」
「……」
サンドラは戸惑ったように無言でシルヴィアに助けを求めた。シルヴィアは苦笑いを浮かべた。
「オレリアさん。作業の途中だったんじゃないの?」
「あっ! そうでした。開店準備でカップやら何やらを整理しているところでした」
オレリアはペロッと舌を出した。なかなか愛敬のある可愛い娘である。
「サンドラさま! 一生のお願いです! 握手してくださいっ」
「……別に構わないが」
オレリアは、がっちりとサンドラの手を両手で握った。
「幸せ〜っ! ―ありがとうございますっ! これで生きていけます!」
「……」
オレリアは、腰から頭を下げると、カウンターの奥へ戻っていった。
「……人気者だね」
シルヴィアは、サンドラにささやいた。
「からかわないでくださいっ」
顔を赤らめながら抗議した。シルヴィアは笑いながらアダンに金色の瞳を向けた。
「……それじゃあ、アダン。メニューの打ち合わせをしましょうか。何しろあなたは皇宮出禁だから、こういう機会でもない限り、話し合いができないものね?」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ただいま」
アダンとの打ち合わせを無事終えて、皇宮の自室へと戻ってきた。
「お帰りなさいませ」
コレットが挨拶する。しかしメロディは、じっとベビー室を見つめたまま動かない。
「……どうしたの、メロディ?」
シルヴィアが傍らに立つと、メロディは人差し指を唇に当てた。
「シルヴィアさま。あれをご覧ください」
声を潜めるメロディに促されて視線を動かすと。
お座りしたジュリアンと猫のシャウラがお互い見つめ合っていた。
時折、ジュリアンが両手を振る以外、両者ともじっと動かない。
「可っ愛い〜っ! 何これ? どういう状況?」
シルヴィアはできるだけ声を抑えながらも、興奮は抑えられない。メロディも、青い瞳をきらきらさせながら言った。
「可愛いですよね〜。まるで会話しているみたい」
「ほんとね〜。実際、会話しているのかもね」
「赤ちゃんって、不思議ですよね。ときどき、超能力があるんじゃないかと思うときがあります。見ていて全然飽きないわ」
ふと、ジュリアンがシャウラに手を伸ばした。シャウラは機敏に身を翻した。
「……にゃあにゃ!」
ジュリアンがシャウラに呼びかけた。シャウラは首だけジュリアンに向けて立ち止まった。
「……!」
ジュリアンは両手をついて立ち上がろうとする。じっと様子を窺うシャウラ。ジュリアンが立ち上がった。一歩二歩近づく。足がもつれた。
転ぶジュリアンにシャウラが駆け寄る。しきりに匂いを嗅ぐ。ジュリアンは、寝返りを打つようにして起き上がった。またお座り状態になった。
まるで無事なことを確認するようにジュリアンをじっと見つめると、シャウラは走り出した。
シャウラはシルヴィアたちの足元を駆け抜けて、フランベルジュが寝ているベッドへ駆け上がった。
「―今の見ました? シルヴィアさま」
「うんっ! すごく面白かった!」
シルヴィアとメロディは手を取り合った。
「二人は絶対、意思疎通してるよ!」
「シャウラはちゃんと見守ってくれてるようで、とても嬉しいです!」
「素敵ーっ! こんなこと、あるんだァーっ!」
「……お二人とも、興奮し過ぎです」
サンドラは、はしゃぐ二人を尻目に、ベビーベッドのバスティアンを抱き上げた。ぐっすり寝ているようで、抱き上げられても目を覚まさない。
「ヤキモチ妬かないの、サンドラ。バスティアンだって、もうすぐよ、もうすぐ」
「別に…妬いてるわけじゃ…」
「サンドラさま。バスティアンさまは2カ月を過ぎたばかりですから。お座りするのも立っちするのも、まだまだ先です」
「わかってるよ、そのくらい」
シルヴィアとメロディは、顔を見合わせくすくすと笑い合った。
「―マノンはまだ戻らないの?」
「はい」
シルヴィアの問いかけに、コレットが答えた。
「バルケッタさまへのお使いから、まだ戻られません」
法律制定に没頭しているバルケッタを慮って、ときどき差し入れをしているのだ。放って置くと、一日中食事をとらないこともざらなのである。ルメールの王女が不在の間は、代わりに世話をするしかない。
「そうそう、コレット。あなたに報告があるの」
シルヴィアが言った。
「オレリアが第2号店の店長だそうよ」
「えっ…!? 本当ですか? やったぁーっ!」
今度はコレットがはしゃぐ番である。
「彼女、頑張り屋さんだから、報われて良かったです! ―嬉しいな」
「ずいぶん、張り切っていたわよ。憧れのサンドラと握手もできたし」
澄まし顔のシルヴィアであるが、サンドラは無視して乗ってこない。シルヴィアは、ハテナ顔のコレットに何気なさそうに言った。
「アダンも元気そうだったわ」
「―!」
「ギャスパルとのこと、伝えたら喜んでた。コレットには幸せになってほしい、と言っていたわ」
「そう…ですか」
チラッとコレットの表情を窺う。表面上は動揺しているようには見えない。
「……さてと。マノンが帰ってきたら、お茶にしましょう。良いものを買ってきたの」
シルヴィアは、白い箱を掲げた。
「ジャーンっ! 1号店のケーキよ!」
「えっ…!? ケーキ!?」
甘い物に目がないコレットが飛び上がった。
「きゃあ〜っ、幸せ〜っ! ありがとうございます、シルヴィアさまっ」
シルヴィアから奪うようにして箱を受け取った。
「マノンさまを待てません! 先に食べましょうよ。マノンさま分は取り分けておけばいいんですから!」
「あらあら。マノンの怒り顔が目に浮かぶわ」
明るい笑い声が弾けた。シルヴィアの周囲は、いつも賑やかだ。
太陽のようなシルヴィアには、この陽気さがもっとも相応しい。
しかし、光あるところに陰があるのは、これもまた真理なのである。
【裏ショートストーリー】
オレリア「サンドラさま、軍服姿もカッコ良かったなあ〜」
アダン「ずいぶん、喜んでたな」
オレリア「それはそうよ。わたしの憧れだもん。サンドラさまと握手した手、洗いたくないなあ」
アダン「別に洗わなくても困りゃしない」
オレリア「什器とかカウンターとか、いっぱい触っちゃったよ。ホコリだらけだったんだから」
アダン「だったら、サンドラの手垢なんか、とっくに消えてるぜ」
オレリア「ちょっとっ! 言い方! サンドラさまに手垢なんかついてません! あんたのほうがよっぽど汚れまみれじゃないの」
アダン「ひでえこと言いやがる。清純無垢な青年をつかまえて」
オレリア「誰が清純無垢よ、図々しい」
アダン「心は綺麗なつもりだぜ」
オレリア「説得力ゼロ! あんたは、心から人を好きになったこと、ないでしょ?」
アダン「……」
オレリア「あれ? 急に黙っちゃって、図星だった?」
アダン「違うわ! ボケッ! 俺だって本気で好きになったことくらい……」
オレリア「……好きになったことくらい、なに?」
アダン「……」
オレリア「言いかけてやめないでよ。先が気になるじゃない」
アダン「なんでお前みたいなガキに恋バナしなくちゃならねえんだ」
オレリア「失礼ねっ! わたしは、働いて自立してる立派な大人ですっ!」
アダン(……そういう意味じゃ、コレットも立派な大人だな)
オレリア「ちょっと! 人の話聞いてる? だいたい、あんたは昔からわたしのことバカにして、ろくに話を聞かないんだから! ガミガミガミガミ…………」




