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第252話 神智と黄金の狼

時は少し遡る。


「―そろそろ頃合いかな?」


マクシムがつぶやいた。


右翼はエテルナが上手くシルヴィアを足止めしている。左翼は想定通りに膠着状態だ。


ララは双剣を手に問いかけた。


「行きますか?」


「いや、まだだ。リオネルは中央に7千残してる。もう少し兵力差を広げたい。2千を左翼に投入して」


「はい」


2千が動き出した。リオネルはそれを見て2千を動かした。戦線を支えるためだろう。その判断は悪くない。しかし、手元には5千しかいない。


「今だ! ララ、中央軍、全軍突撃!」


「中央軍! 全軍突撃!」


マクシム軍が一斉に動き出した。目指すはリオネルの首である。


マクシムは突撃から取り残された。ララは彼を守るように側を離れない。背後には、更に彼らを守るように五百騎が続いた。


先頭ではマクシム軍がリオネル軍に襲いかかった。すると、リオネル軍から一騎が飛び出した。まるで固い鉄板にぶち当たったようにマクシム軍の足が止まった。


続けて現れたもう一騎が暴風のように荒れ狂い、あっという間にマクシム軍が押し返される。


だが、兵力差にものを言わせて徐々にリオネル軍を包囲し始めた。暴れ回っていた2騎が中央に戻っていく。


「よしっ。そのまま包囲殲滅だ!」


マクシムが興奮したように声を張り上げた、そのとき。左翼から衝撃が起こった。ダスティン軍が粉砕されるのが見えた。何かが魔獣のように荒れ狂っている。


「―マクシムさま! 新手です! リオネル軍には伏兵がいました!」


ララが悲鳴に近い声を上げた。


遠望するマクシムが叫んだ。そのみ空色の瞳は驚愕に見開かれていた。


「違う、ララ! あれは―エマだっ!」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


黄金色の巨大な狼が疾駆する。その背にはカリーナの姿があった。


戦の神アルコは、獣の神でもある。狼にまたがるその姿は、まさしく女神アルコそのものだ。それはまるで神話の世界が現出したかのようであった。


「旦那さまっ! このまま真っ直ぐ行くと『迷いの森』です。この先で間違いありませんか?」


「その森の奥にグロリアの匂いが続いている。間違いない」


黄金色の狼はドラードであった。


犬牙族には、稀に狼に変身できる者がいる。その最たるものは、王族のみに受け継がれる黄金の血と呼ばれる狼王である。


俗に『月のもの』といって、毎月満月の夜、強制的に狼化する。それ以外でも、本人の意思で自由に狼になれるのだ。


ドラードは、迷いもなく『迷いの森』へ駆け入った。


狼王は鼻が利く。グロリアの持ち物から匂いを嗅ぎ取り、僅かに残った彼女の匂いを辿って追いかけてきたのである。


陽を遮るように鬱蒼と繁る樹々の間を巧みに駆け抜ける。森に棲む動物たちは、狼王を畏れて皆逃げ出した。


カリーナは、この森はシルヴィアがよく遊びに来ていたなと、ぼんやり思った。しかし気持ちは逸っている。


すぐ下の妹グロリアは、荒事には向かない心優しい普通の女だ。しかも義弟との結婚が決まったばかりの生娘である。何としても何(・)事(・)も(・)な(・)く(・)救出しなければならない。


突然、ドラードが立ち止まった。視線の先には、小さな小屋がある。廃屋のようだ。朽ちかけている。その昔、猟師が休憩所として使っていたのかもしれない。


「旦那さま…」


カリーナは声を潜めた。


「間違いない。あの小屋からグロリアの匂いを強く感じる」


カリーナはドラードの背から地上へと降りた。スラリと剣を抜いた。


「私がまず小屋を破壊する。カリーナはグロリアを救出しろ」


「はい、旦那さま」


「カリーナ。敵がいても決して闘うな。相手はすべて私がする」


「はい。承知しております」


カリーナはにっこり笑った。ドラードは、チラッとその笑顔に青い視線を向けると、疾駆し始めた。


「ワオ〜ンっ!」


ドラードが吠えた。人の目には見えぬ衝撃波が小屋を木っ端微塵に吹き飛ばした。中には、椅子に縛られたグロリアがいた。


傍らには男が二人、驚愕に目を見開いている。彼らの手は、グロリアの胸に伸びていた。ドレスが脱がされかけて、目にも眩しい真っ白な肌があらわになっている。


ドラードが飛び込んで強靭な爪で殴り倒した。男たちは吹き飛んだ。顔が抉れ首が切れかかっている。間違いなく即死だろう。


「グロリアっ!」


カリーナがグロリアに飛びついた。縄をほどいて助け起こす。


「カ、カリーナ…お、お姉さま…」


震えながらグロリアはしがみついた。滂沱の涙が流れる。


「大丈夫か? 何もされていないか?」


「……」


グロリアは言葉にならない。


「大事なことだぞ。穢されていないか?」


カリーナはグロリアを覗き込んだ。


「……だ、大丈夫。何も…服を…脱がされそうになって…でも、突然小屋が吹き飛んで…まだ何も…」


「そうかっ! 良かったあ!」


カリーナはグロリアを抱きしめた。


「間に合った! ほんとに良かった〜」


カリーナの目にも涙がにじんだ。


「む…?」


ドラードは何かに気づいて周囲を見回した。


「―ほう、狼ですか。初めて見ます」


樹間からスッと黒髪の猫耳族の女が現れた。


「お前がラーミナ・エスパーダか」


「おやおや。カトゥスの狼は人語を話せるのですね。聖獣なのですか?」


「私はカトゥスの者でもなければ聖獣でもない」


「それは、ますます興味深い」


ラーミナは片手を上げた。ドラードたちを包囲するように諜報団が現れた。その数およそ二百。手には水平にした小型の弓を持っている。


カリーナは、大きな背中でグロリアを背後に隠した。


「あなたともっと会話を楽しみたいのですが、事情がありましてグロリアさまをお返しいただきたいのです」


「返す? ふざけんなっ、さらっておいて!」


カリーナが怒鳴った。しかしラーミナは何も感じないかのように無表情のままだ。


「永遠ではありません。ある日数だけ手元に置いておきたいのです」


「マクシムがリオネルを殺すまでか? だったらお生憎さまだ。既にカトゥス・ルプス連合軍はリオネルの元へ向かっている」


「……」


ラーミナが腕を前に振った。諜報団が一斉に弓矢を放った。


「ワオ〜ンっ!」


どういう仕組みなのか、目に見えぬ衝撃波は弓矢だけを破壊した。諜報団はそれでも動揺することなく、今度は小型の剣を抜いた。


そのときにはドラードは既にラーミナに襲いかかっていた。鋭い爪がラーミナを顔を抉る。しかしその寸前でラーミナは身体を捻って距離を置いた。驚異的な身体能力である。


しかも、その際にナイフをドラードへ投げつけていた。マノンを眠らせた毒塗りナイフであった。それは、ドラードの左肩に突き刺さった。


ドラードは構わず、金色の体毛を数本射出した。まさに射出という表現どおり、体毛は鋭い針状になって矢のように飛んだ。ラーミナは小型剣で尽く防いだ。だがドラードの本当の狙いは体毛の矢ではなかった。


体毛を射出した瞬間跳躍していたのだ。


ラーミナが体毛の矢を防いでいる間に頭上へ飛んだドラードは、そのまま覆い被さった。鋭い牙がラーミナの首に噛み付いた。頸動脈を食い破ったらしく、派手に血が噴き出した。


それでもラーミナは表情一つ変えない。


「……お見事です、狼さま。最後にお名前をお聞かせくださいませんか」


「―ドラード。ルプス王国王太子、ドラード・ルプスだ」


名乗り終わったときには、ラーミナは既に事切れていた。


『ルメールの彗星』を陰で支え続けた諜報団ブラックキャッツ団長、ラーミナ・エスパーダは、祖国カトゥスの森でその生涯を閉じた。


「―カリーナ!」


ドラードが愛妻を振り返った。彼女の活躍も目覚ましかった。グロリアを背中に縄で縛り付け、驚異的な身体能力で二百人を相手に縦横無尽に剣を振り続けていた。


ドラードが敵の只中に踊り込んだ。二人の戦神が相手では、ブラックキャッツもただの小猫である。瞬く間に次々と討ち取られ、ついに全滅の憂き目となった。


「カリーナ。済まぬ、剣を振るわせてしまった」


ドラードが頭を垂れた。


「いいえ、剣は得意ですから。これじゃ、物足りないくらい」


「……何だと?」


「あっ! いえいえ。旦那さまに助けていただいて、とっても嬉しいですぅ〜」


誤魔化すようにカリーナはドラードの鼻面に抱きついた。


「―あれ? 旦那さま。ナイフが刺さっていますよ」


カリーナは無造作に肩のナイフを抜いた。


「毒が塗ってある。黄金の血に毒は効かぬがな」


「きゃあぁぁ〜っ。旦那さま、可愛いっ!」


よくわからない感想を述べて、カリーナはまた鼻面に抱きついた。単に抱きつきたいだけなのかもしれない。


しばらく堪能するように青い目を細めていたドラードは、やがて頭を上げた。


「―では、帰るとするか」


カリーナはドラードに従い、背中にしがみついていたグロリアを降ろして今度はドラードの背に乗せた。自身もひょいっと夫にまたがる。グロリアはほとんど気を失わんばかりに呆然自失である。


「カリーナ。グロリアを支えていろ!」


黄金の狼が疾駆し始めた。


二人の猫耳王女を背に、宙を飛ぶが如く深淵の森を駆け抜ける。


古(いにしえ)の神話物語が、現代に復活した。もしかしたらこれは、新たな神話時代への序章なのかもしれない。

【裏ショートストーリー】

カリーナ「きゃあぁぁ〜っ、旦那さま、カッコいい!」

ティアナ「……話には聞いてたけど、ドラードさまって、ほんとに狼になるのね」

ドラード「カリーナ。グロリアの匂いのするものを持ってこい」

ティアナ「……しかも、人の言葉をしゃべれるのね」

カリーナ「ティアナ! ぼうっとするな、何でもいいからグロリアが身につけるものを持ってこい!」

ティアナ「シュミーズでいい?」

アズール「げっ!? ……グロリアのシュミーズ…」

カリーナ「何でもいい! 早く寄越せ! ……旦那さまぁ。これなんか、どお?」

ドラード「ふむ…。よし! 覚えたぞ」

アズール「……やばっ。鼻血が出た!」

ティアナ「……アズール。今、やらしいこと考えたでしょ?」

アズール「ち、違うっ。お、俺は別にグロリアの体を想像したりはしなかった」

ティアナ「ああっ!? やっぱりやらしいこと考えたんじゃないの! エッチ! スケベ! ヘンタイ!」

アズール「バ、バカ言うなっ! 俺はグロリアの婚約者だっ。婚約者の体を想像して何が悪い!」

ティアナ「最っ低! お姉さまは結婚を考え直したほうがいいと思うわ」

ドラード「アズール! 遊んでいないで早く発て。おそらくリオネルどのは一刻を争う状況になっているに違いない」

アズール「は、はいっ!」

ドラード「カリーナ。グロリアを追うぞ。こちらも一刻を争う」

カリーナ「はい、旦那さま!」

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