1-3「物騒な来訪者」
「ニコラウスよ、食事の準備はできたか?」
キュオスティが厨房を覗くと、ニコラウスは眉間の皺をキープしたまま振り返った。
「ずいぶんと長風呂でしたね」
「風呂が初体験だったようだ。潜ったりお湯を掛け合ったりして、さっき出たばかり」
「……見ていたんですか?」
「扉越しの声や音を聞けばわかる」
激しい水音で何度か扉をすり抜けそうになったのは言わないでおく。
「髪は?」
「乾かしたぞ」
ニコラウスは頷いて、ビーフシチューとは別の鍋を持った。
「すみませんが、食器をお願いできますか。スープ皿とスプーンを人数分」
「あいわかった」
食器棚からそれらを取り出して、キュオスティが後に続く。
広い食堂の中央に鎮座する長テーブル。その隅で子どもたちは身を寄せ合っていた。
「……狭くないですか?」
鍋を対面に置いたニコラウスが耳打ちする。
「自分たちで椅子を持ってきて、あの状態になった」
キュオスティも小声で答える。ニコラウスは難しい顔になった。
「……私があの年頃の時は、もっと自己主張していたのですがねえ」
「風呂に入れる時も説得に苦労した。服を脱がせる=実験、という公式が刷り込まれておった」
「そいつら滅ぼしません?」
「不可侵条約を破っていいのは奴らだけだ」
こそこそと会話しながら、スープ皿にスープがよそわれていく。
たしかに長風呂であったが、調理の時間としては短いことくらい、キュオスティも理解している。
だが器に盛られたスープは黄金色に輝き、たっぷりの湯気を立ちのぼらせていた。
香りもいいのだろう。子どもたちの方から盛大な音が聞こえてきた。
「おお、よかった。腹が減っているならこれも美味しかろう」
「……って言いつつ、毒を入れてるんでしょ?」
ダリアの発言に、三杯目をよそっていたニコラウスの手が止まる。
「…………は?」
こめかみに青筋が立った。
「毒を? 入れる? 食事にか?」
「ご飯に毒は基本でしょ?」
ダリアが睨み返す。両脇の三人も頷いている。マルクが言った。
「僕たちが血を吐いたり、苦しくてじたばたしているのを、上の細い窓から見てたんじゃないの?」
「……………………………………………………………………………………」
ニコラウスが、両手のスープ皿とおたまをゆっくりと置く。
それからつかつかと大股で子どもたちの横に回り込むと、青筋を立てたまま輝くような笑顔を浮かべた。
「チビども。そいつらのところに案内しろ。ぶち殺す」
「ニコラウスーーーーっ!!」
キュオスティが叫んだ。影の手が四本飛び出して、ニコラウスの肩と腕を掴む。
「わかる、わかるぞっ! だが落ち着いてくれ! そなたまで愚かな人間と同じ場所まで堕ちないでくれ!」
「止めないでくれますか、陛下。ルールというのは破るためにあるのですよ」
「それは平時な!? 第二次大戦とか誰も望んでいないから! 一国を滅ぼしたら本当に取り返しがつかなくなるから!」
「子どもにこんな思考を植え付ける民族なんか滅んでしまえばいい」
「気持ちはわかるけど!! 料理関連がそなたの逆鱗なのは知っていたけど! ここまでとは知らなかったのだ!」
「ええ、ですから一緒に滅ぼしに行きましょうよ。封印とか今日中に解けません?」
「無ぅ理ぃ!! 封印も殲滅も無理だから! だから落ち着いて!? 子どもたちもびっくりしているから!!」
キュオスティが引き留めている間に、子どもたちは椅子ごとそっと動いていた。足元の影の手で自然と離れたので、直前直後の写し絵でもなければ椅子一脚分後退したと気付けないほどである。
それを差し引いても、密着していた体をさらにぴったりと寄せ合っていた。唖然、呆然、戸惑い、疑い――およそ子どもが大人に向けて言い表情ではなかったが。彼らは目の前で口論をする大人たちから目が離せなかった。
「――あ?」
不意に、キュオスティが虚空を見る。
「どうかなさいましたか?」
「…………客だ」
ニコラウスを掴んでいた腕が、キュオスティの影に戻る。ニコラウスも怪訝そうな顔をした。
「では、対応を……」
「いや、余がやる」
「陛下が?」
「そなたは、子どもたちに食事をさせてやってくれ。飲み終わる頃には戻る」
食堂を出ようとしたキュオスティは、思い出したように立ち止まって子どもたちを見る。
「皆、ニコラウスは料理にうるさいが、食材を無駄にするようなことはせん。毒は入っておらんよ。食べない方が、体には毒だからの」
そう言い残して食堂を出た。
床の上を滑るように移動し、正面扉をすり抜ける。
「うわっ!?」
急に現れたキュオスティに、何人かが腰を抜かした。
「な、だ、なんだ!?」
「魔物か!?」
「全員、武器を構えろ!」
次々に剣が抜かれる。キュオスティはゆっくりと彼らを見回した。
人数は十五。キュオスティを取り囲む全員が鎧に身を包んでいる。胸当てに刻まれた紋章は、記憶が確かなら人間側のレイサック王国だったはず。
肩で息をしているのは、この険しい山を登ってきたからだろう。それでも重さを感じさせない動き。動揺していても陣形の乱れは少ない。
「……ふむ。戦争を終わらせて早五百年だが、人間もそれなりに研鑽しているようだな」
キュオスティは素直に感心した。兜の向こうで誰かが歯ぎしりする。
「化け物め……!」
「かかれえっ!」
一人の合図に、全員が躍りかかった。
キュオスティはその場を動かなかった。ただ、後ろの扉に一瞬だけ魔法陣を展開させる。
「がっ!?」
「うわっ!?」
「す、すり抜け……」
剣と共に突っ込んできた何人かが、勢い余って扉にぶつかった。気付いた残りの数人が慌てて距離を取る。
「あっ……」
「おいっ!」
だが後ろはほぼ崖。一人が足を踏み外し、崖下に消えた。
「いきなり要件も言わずに斬りかかるとは。やはり人間は野蛮だのう」
キュオスティはやれやれとため息をつく。
「うるさい! さては貴様、かつての魔王軍が設置したガーディアンだな!?」
一人が剣を突きつけて喚いた。羽飾りの兜をつけているということは、隊長だろうか。やや膨らんだ袋を腰に下げているのが気になった。
「たしかに余は実体を持たぬが、それだけで魔物だのお化けだの化け物だのと断じる貴様らも大概よのう。扉に防御の陣をしておいてよかった。これの修理費高いんだからな?」
キュオスティは一度背を向けて、扉の傷を確認する。よかった、なにもない。
その間も兵たちは剣を振り下ろしてきたが、地面や扉、壁に当たって手が痺れるだけだった。
「そもそも貴様ら、何用でここに来た?」
キュオスティは振り返って訊ねる。
「ただの軍事訓練と言うわけではあるまい」
兵士らは再び扇状の陣形を取り、剣を構えた。
「……子どもが四人、ここに来たはずだ」
やがて、隊長が絞り出すように言う。
「子ども? はて。貴様らも登ってきたなら、この山の険しさは知っておろう?」
「その山を易々と登れる力があるのだ! 男三人に女一人! 女は手足が魔物だ! 一瞥しただけでわかる!」
キュオスティは目を細めた。
「知らんな」
「馬がこの山の真下にいたのだ! あいつらが盗んだ二頭が!」
「逃げてきたのではないか? そも、この山を登れるだけの力を持つ人間の子ども……いや、違うな。力を持たされたのか。そんな子どもたちが、わざわざこんな険しい山を登るかのう?」
「ナントカと煙は高いところが好きと言うだろう」
「なるほど、言い得て妙だ」
キュオスティが頷く。
「ならば、貴様らもそのナントカの仲間だな」
剣を握り直した拍子に籠手が小さく鳴った。隊長が低く唸る。
「……ここに子どもたちがいるだろう。引き渡せ」
「ここは余の城だ。誰を招くかは、余の自由だ」
十数の剣の先から、両手を広げたほどの魔法陣が展開された。その陰で隊長が袋に手を突っ込む。
「一号、二号、三号、四号! 聞こえているなら来い!!」
キンキンと耳障りな大音響だ。拡声魔法か、とキュオスティは顔をしかめる。
魔法陣からは蛇に似た竜が、一斉にキュオスティめがけて飛び込んできた。キュオスティはそれを無防備に受ける。
キュオスティをすり抜けた竜が扉に、壁に、地面にぶつかる。その衝撃で城が揺れ、土埃が舞った。
「おいおい、乱暴だのう。余が防御魔法を張っていなかったら崩れておったぞ」
土埃の中から、やれやれとキュオスティが呼びかける。指を一振りすれば、風がそれを晴らしてくれた。
「攻撃を止めるな! 本体と子どもを引きずり出せ!」
隊長の指示に、兵士たちはさらに魔法陣を展開することで応える。
「ほう」
キュオスティは顎髭を撫でた。
「人間の身でありながら、なかなかやるのう。相当な手練れと見る」
人間が魔法を使う場合、詠唱や魔法陣といったステップを踏む必要がある。魔法陣の大きさや詠唱の長さが、そのまま魔法の威力に比例する。
だがそれさえも、魔族にしてみれば子どもが戯れに発動させる程度。実体がないキュオスティにとっては手品でしかなかった。
魔族が魔法陣を発動させるときは、脅しか、それ相応の威力――人間では太刀打ちできないほどの魔法を発動させる時のみだ。
それでも、せっかく築き上げた城が壊されるなんていい気分ではない。だから定期的に防御魔法を重ね掛けしてやりすごしていた。
「――……か、陛下……!」
火球やかまいたちも降り注ぐ中、かすかにニコラウスの声が聞こえる。はて、彼は今、子どもたちの食事の面倒を見ていたはずだ。
「ニコラウス、どうした?」
「陛下、開けてはなりません!」
ニコラウスの叫びは、残念ながら間に合わなかった。




