1-2「実験するの?」
「ところで、そなたたちは名前をなんというのだ?」
バスルームに子どもたちを連れてきた影は、バスタブにお湯が溜まるまでの間にそう訊ねた。
彼らの背丈に合わせて膝を折ってみたが、それでもまだ高くて背中を丸めている。
黒い手から解放された子どもたちは、身を寄せ合いながらも顔を見合わせた。
女の子が口を開く。
「……一号とか二号って呼ばれてたの、知らないの?」
「……人間は子どもを番号で呼ぶのか?」
努めて穏やかな声で訊きたかった。低く硬い声が出てしまったことに、自分でもしまったと思う。双子の片方が、目に涙を浮かべて相方に抱き着いた。
女の子が軽く肩を竦める。
「知らない。一応、名前はある」
「本当か?」
押し潰されそうだった胸がすっと軽くなった。四人の顔を順に見渡すと、彼らは頷く。
「うん。……あとさ、こっちの二人が喋れないってことは知ってるの?」
「知らない。代わりに教えてくれるか?」
女の子が頷いた。
そこからなぜか間があって、彼女が口を開いた。
「あたしはダリア。こっちは弟のマルク。見たと思うけど、目玉がないからなにも見えない。それから、もう一組の双子のテオとロイ」
ダリアと名乗った女の子が振り返り、双子の片方が手を挙げる。
「こっちがテオ」
続いてもう片方が手を挙げた。
「こっちがロイ」
「ふむ。もう一組、ということは、そなたたちも双子なのだな?」
ちっ、と誰かが舌打ちした。女の子が答える。
「……そうだ」
「ふむふむ。指差し確認するぞ」
影は自分から見て右側から指をさした。
「マルク、ダリア、ロイ、そしてテオだな」
「……正解」
子どもたちは身を寄せ合ったまま目を見開く。
影はうんうんと頷いた。
「じゃあ、手を繋いでもいいかの?」
影は自分の足元から再び黒い手を出す。子どもたちが一斉に後ずさった。影が慌てて弁明する。
「もう捕まえはせんよ。さっき、そなたたちをこの手で保護した時、四人分の声が余の頭に響いてな。もしかして、手を繋いでいたり体の一部が触れていれば、心の声で話ができるのではと踏んだのだ」
ちっ、とまた舌打ち。目の見えない男の子マルクが訊ねた。
「なんで、そんなことするの?」
「そなたたちときちんと話がしたいのだ。好きなものや嫌いなもの、どうしても食べられないものや、着るものだったらこんなのがいい、とか」
「……それ、実験と関係あるの?」
「逆に聞くが、なぜそんなに実験とやらと紐づけしたがる? いい思い出ではないのだろう?」
「それは……」
マルクが言葉に詰まる。テオもロイも目を伏せた。
「大人は子どもを実験するものだろ」
ダリアが言い切った。
「それ以外になにがあるの」
影は彼女の目を、穴が開きそうなほど見つめる。
(怯えないのはおかしいと思っていた)
ダリアを一目見た時から感じていた違和感。
涙の痕はあるのに、他の三人と違って怯えていない。恐怖していない。
そこに宿るものが絶望と諦観だと、ようやく気付いた。
「……そなたは、大人は子どもを傷付けるものだと、そう認識しておるのだな」
「それ以外になにがあるの」
「そなたの考えに、はっきりと『違う』と言わせてもらう。大人は本来、子どもを守るものだ。決して傷付ける存在であってはならない」
「この手足は大人がくれたんだよ」
ダリアが立ち上がって両手を広げる。無邪気とは程遠い、どこか見下すような笑みが浮かぶ。
左右で違う腕。艶やかな黒い毛並みの両脚。
「元の手足は」
「知らない。飾ってるんじゃない?」
影は両手を静かに、深く、深く握りしめた。生身の体であったら、手の平に爪が食い込んで出血するほどに。
「……そうか」
言葉を選ぶために、影はまずそう言った。
伏せていた顔を上げる。
「ダリア。マルク。テオ。ロイ」
子どもたちの名前を呼ぶ。一人ひとりの顔をしっかりと確認する。
「余が――魔王キュオスティ・カール=エーリクの名において、ここに宣言しよう。そなたたちを傷付ける存在を、今後何人たりとも近付けさせぬと。余の名において、そなたたちを必ず守ると。――よく、生きてくれた。もう傷付く必要はない」
「……ま、おう?」
マルクが呟く。テオがロイの手を握り締める。ロイの目から涙が零れ落ちる。
「それで?」
ダリアが言った。
「あたしの手足は元に戻るの? マルクの目は治るの? テオの耳は? ロイの声は?」
矢継ぎ早に投げつけられる言葉に、影――魔王キュオスティは首を横に振る。
「戻らないな」
「ほらね」
ダリアはくつりと喉を鳴らした。
「なんにもできない。あたしたちが望むことは何一つしてくれない。約束はいつも破る。大人はみーんな嘘つき」
とても楽しそうに彼女は笑う。
「ああ。大人は嘘つきだ」
キュオスティが首肯すると、ダリアの口元から笑みが消えた。代わりに目が零れ落ちそうなほど大きくなる。
「自分のために、誰かのために嘘をつく。だが、そなたたちを傷付けた嘘は、あってはならない嘘だ。余は傷付けるだけの嘘は嫌いだ」
「……嘘だ。そう言って大人はあたしたちを騙す」
「ふむ……。なかなか、根が深いのう」
キュオスティは顎髭を撫でるように手を動かした。
その時、浴室からチリリン、と小さなベルが鳴った。その音に子どもたちが身を竦める。
「おお、お湯が沸いたか。よし皆、入るといい。石鹸の使い方はわかるかね?」
「…………」
子どもたちは身を寄せ合ったまま、キュオスティを睨む。その後ろで、ロイが小さく首を横に振った。
「ふむ、わからんか。人間の生活水準はだいぶ低そうだな。いや、この子たちが置かれた環境がひどかっただけか……?」
首をひねってみるが、憶測は結局憶測でしかない。それに、わからないのならば教えてやらなければならない。
「よし、じゃあ全員服を脱いでくれ」
「やっぱり実験するんじゃないか」
「やっぱり実験するの?」
ダリアとマルクが同時に言った。
「実験なんかせんよ。服を着たままじゃ風呂に入れないだろう? あと、服がボロボロだ。新しい服は――大人サイズだからちょっとぶかぶかだろうが、ちゃんと用意する」
そう言ったキュオスティの後ろで、ドアがノックされた。
「陛下。替えの服を用意いたしました」
「おお、ありがとう」
ドアを開けて着替えを受け取る。ニコラウスの眉間に皺が寄ったままだったが、気付かないふりをした。
「ほら、これが着替えだ。先に皆で選ぶといい」
キュオスティが子どもたちの前に、山積みだった衣服を四セットに分けて並べる。この短時間で、子どもたちの見分けがつくようにカラフルな配色を選んでくれたニコラウスに心の中で感謝を述べた。
手を伸ばしかけたテオやマルクを、ダリアが両手で制する。睨みあっているのは、また心の声で言い合っているのだろうか。
「ああ、そういえばマルクは目が見えないのだったな。ここには――」
「わかるよ」
マルクが制した。
「他のみんなが見たもの、僕にもわかる。ロイが教えてくれる」
「……そうか」
キュオスティは頷いた。
(実験とやらは、後天的に魔族と同等の力を得るために行われたものか)
四人とも、人間では考えられないほど高い魔力を持っている。それは出会った時の敵意の高さから感じ取っていた。
先ほどのマルクの発言から、ロイがテレパシーの中継基地なのもわかった。彼らが手を繋ぐことで、声や耳が不自由でも会話に苦労しない。
正面玄関で影の手や雷を浴びせてきたのはダリアとテオだろう。影の手はキュオスティのそれと同様、ダリアの足元から生えていた。テオの雷は、発現前に彼がかすかに手を動かすのが見えたからだ。
そして、服はボロボロなのに、そこから覗く肌は不気味なほど白い。自己回復力が総じて高いか、おそらくマルクの回復魔法だ。消去法で、彼だけが魔法能力を発現していないのはおかしい。
(またあの愚かな戦を始めるつもりか)
知らず、また拳が強く握りしめられる。
山を越えられず、こちらが張った前線基地の一つも壊滅できず、無駄に血を流しただけの戦争を。
潜り込ませていたスパイの情報を基に、キュオスティが生贄になることで終わらせた、あの戦争を。
心の内で、深くため息をつく。
(つくづく、人間とは業が深い生き物だ)
「ねえ」
呼びかけられて、キュオスティは我に返った。
「うん?」
「これ、本当に着ていいの?」
いつの間にか、用意していた服をそれぞれが抱えていた。片手で服を持ち、もう片方の手は影の手と繋いでいる。ダリアは、やはり使役者だからか、彼女だけ両手で服を抱えていた。
「もちろんだ」
「破いたりしない?」
「せんよ」
「実は嘘でしたって、お風呂の間に隠したりしない?」
「しない、しない。そんなに不安なら、持って入れば良い」
「できるの?」
「防水魔法くらいお茶の子さいさいだ。ほれ」
キュオスティが指を振ると、服に薄い膜が張られた。
子どもたちの目がかすかに輝く。
(ああ、よかった。子どもらしさはまだ失われていない)
「バスタオルもあるぞ。これはここに置いておこう」
棚から四枚取り出し、浴室に続く扉の隅に積んでおいた。
「さあ、お湯が冷めてしまわないうちに入ろう。石鹸の使い方も教えてあげるからの」
扉を開けると、湯気がもわっと溢れる。
子どもたちは不安そうに、けれど蒸気で満たされた浴室に釘付けになっていた。




