第9話 ヒートマップと消えた影
「王様、ねえ……」
翌朝の村長宅。捕虜の解析から分かったことを、俺は皆に報告した。
群れには「王」がいる。ゴブリンどもは王に率いられて、よそからこの森に流れ着いた。そして妙なことに、捕虜の恐怖の対象は火でも人間でもなく――別の何かだった。
「連中は何かから逃げて、この森に来た。つまりあの二百三十一は、侵略軍というより……難民の群れです」
「難民……」
バルツ村長が眉を寄せる。ガルドは腕を組んだまま言った。
「難民だろうと、村を襲うなら敵だ。だが敵の頭数と居場所が分からんことには、領主への報告もできん。――巣を確かめる。ユウタ、おまえの目を貸せ」
偵察隊は三人。ガルド、猟師頭のドッド、そして俺。リナは「私も行きます」と食い下がったが、ガルドの「おまえに何かあったらテオはどうする」の一言で退いた。そのテオは「ぼくは?」と聞く前に全員から「留守番」と言われて頬を膨らませていた。
「ぼくだって、やくに立つのに。ななめの死角、見つけたの、ぼくなのに」
「ああ、あれはお手柄だった。だからこそ留守番なんだ。……村の中の異変に気づける目が、こっちにも要る。頼んだぞ」
その場しのぎの言葉じゃなく、本心のつもりだった。テオは少し考えて、「わかった」と頷いた。
――このやり取りを、俺は後で死ぬほど後悔することになる。
◇
森は、静かすぎた。
鳥の声がない。獣の気配もない。下生えは食い荒らされ、木の皮まで剥がされている。二百三十一体が食い尽くした森は、がらんどうの倉庫みたいだった。ドッドさんが剥がされた樹皮を撫でて、吐き捨てる。
「三十年この森で猟をしてるが、こんな森は初めて見る」
「ユウタ、例の広い解析で巣の場所は分からんのか」
「あれはMPをごっそり持っていかれるんで、連発できないんです。その代わり――昨日の夜、新しい使い方を見つけました」
コツは「ケチる」ことだった。範囲を絞る。深度も絞る。名前もステータスも要らない、位置と体温だけ。そうやって情報量を削ると、消費が激減して、視界の端に周囲百歩ぶんの生き物の位置が、光の点で浮かぶ地図を維持し続けられる。
ヒートマップ。どこにユーザーが集まり、どこで死んでいるかを色で見る、ゲーム運営の必需品。それが俺の視界に、常時表示で実装された。
「俺の周りにいる生き物の場所が、今ずっと視えてます。動きも線で分かる。……つまり、見張りの目が届かない道を選び続けられる」
「化け物じみてきたな、おまえの目」
「褒め言葉として受け取っておきます」
北へ進むほど、ヒートマップの点が増えていった。二人にも見えるように、俺は手元の板に炭で写しを描きながら進んだ。巡回が二体一組で、右回り。哨戒線は二重。……解析するまでもなく嫌な予感がするほど、統率が取れている。
ただの群れじゃない。王のいる群れだ。
巡回の周期はほぼ一定だった。番兵の視線が切れる拍子を数え、岩陰から岩陰へ。まるでステルスゲームだ。見つかれば即ゲームオーバー、残機は一、セーブポイントなし。心臓に悪すぎる。
一度だけ、ヒヤリとした。予定外の一体が、俺たちの隠れた岩のすぐ横で立ち止まったのだ。ドッドさんが静かに石を拾い、遠くの茂みへ放った。カサ、という音に、ゴブリンの耳がぴくりと動き、そちらへ歩いていく。
――敵の注意を音で逸らす。ステルスゲームの基本テク、実地で動作確認完了。二度とやりたくない。
そうして辿り着いた崖の上から、俺たちはそれを見下ろした。
北の岩場に口を開けた、大きな洞窟。その前に広がるゴブリンの群れ、群れ、群れ。焚き火を囲む者、痩せた獲物を奪い合う者、地面にうずくまって動かない者。
【広域解析:巣周辺】
ゴブリン総数:268
状態分布:飢餓78% 疲弊64%
「二百六十八……」
ドッドさんが息を呑む。だが俺が凍りついたのは、数じゃなかった。洞窟の口に、それが姿を見せたからだ。
体高は人の倍以上。頭には歪な骨の冠。群れが一斉に頭を垂れる。
【ゴブリンキング】HP:402 筋力:S 敏捷:C
士気:120 ※配下の士気は王に連動
状態:飢餓・古傷多数・被追跡
筋力S。ホブゴブリンが子供に見える。まともにやり合えば、ガルドでも十秒保たない。
それに――「被追跡」。追われてる? 二百六十八体を従える王が、いったい何に? 捕虜の恐怖97の対象と、同じものにか?
「引き上げるぞ」ガルドが低く言った。「数は分かった。あれは村でどうにかできる相手じゃない。柵を固めて、領主に討伐隊を要請する。それまで持久戦だ」
正しい判断だ。俺たちは音もなく崖を離れた。
帰り道、ドッドさんがぽつりと言った。
「なあ坊主。あの王様、ずいぶん痩せてたな」
「……ええ。飢餓状態でした。王のくせに、たぶん配下に食わせてる」
「魔物にしちゃ、できた王じゃねえか」
誰も、それ以上は言わなかった。
◇
村に戻ったのは日暮れだった。だが、出迎えたのは労いじゃなく、悲鳴だった。
「テオが! テオがいないの!!」
リナが駆け寄ってきた。顔面蒼白で、手に木炭で書かれた板きれを握りしめている。
『ぼくもたたかえる。ばくぜ石のばしょ、おぼえてるから。みはりにいってくる。テオ』
……あの馬鹿。昨夜の勝利を見て、自分も役に立てると思ったのか。俺が配置図を描くのを、一番近くで見ていたから。斜めの死角を見つけて、俺に褒められたから。
――違う。責任の在り処なんて今はどうでもいい。
「ユウタさん、お願い、テオを視て! どこにいるの!?」
「今視る!」
MPの残りなんて考えなかった。広域解析、全開。範囲、森全体。対象、人間の子供。
頭の芯が灼けるように熱くなり、視界が一瞬白む。それでも光点は――あった。たった一つ、小さな反応。森の北、それも深い。そしてその周りを、囲むように動く十数個の点。
反応の群れは、ゆっくりと巣の方向へ移動していた。
「……見つけた。生きてる」
俺は板きれを握り潰しそうなリナの肩を掴んで、それだけ先に言った。生きてる。心臓は動いてる。でも。
「連れて行かれてる。――王のところへ」




