第10話 王の胃袋を攻略せよ
「救援を待ってたらテオが死ぬ。今夜、俺が行きます」
村長宅に俺の声が響いた。反対の声は上がらなかった。代わりにガルドが「俺が行く、だろ」と言い、ドッドさんが黙って弓を担いだ。リナも立ち上がったが、俺は首を横に振った。
「リナは村で待っててくれ。テオが帰ってきたとき、最初に姉ちゃんの顔が見えなかったら、あいつ泣くぞ」
「……っ、絶対、絶対連れて帰ってきてくださいね」
「ゲーム職人は納期を守るんだ」
守れなかった納期の数は、この際忘れる。
「だが二百六十八体だぞ」バルツ村長が声を絞り出す。「戦う気か」
「戦いません。一秒も戦わずに、テオだけ取り返す。そういう盤面を作ります」
俺は昼の偵察データを床に広げた。板に写した巣の地形、巡回線、哨戒の周期。そして解析が拾った、この作戦の土台になる三つの数字を。
「ポイントは三つ。一つ、連中は飢餓状態が七十八パーセント。極限の空腹です。二つ、王自身も飢えて、古傷だらけで、何かに追われてここまで逃げてきた。三つ――巣の連中の士気は、王に連動する」
「つまり?」
「あの群れは、強くない。限界まで削れてるんです。だから王は焦って、力ずくで食料を――つまり村を獲りに来てる。追い詰められた獣が一番危ない。なら、こっちは追い詰めない。逃げ道と餌を、こっちで設計してやるんです」
◇
深夜。作戦開始。
第一手――ドッドさんと猟師たちが、巣の東の森で狼煙を上げ、爆ぜ石を炸裂させた。ドン、ドンと轟く音に、巣の光点がぶわっと乱れる。ヒートマップの上で、警備の点が半分がた東へ吸い出されていくのが視えた。
陽動成功。巣の裏手が、がら空きになる。敵の注意力は有限のリソースだ。派手な音はそれを一箇所に吸い上げる。ゲームでも戦場でも、同じ。
第二手――俺とガルドは、手薄になった裏の岩場から忍び込む。巡回の切れ目はヒートマップで丸見えだ。それでも岩肌に張り付くたび、心臓の音が連中に聞こえるんじゃないかと本気で思った。息を殺して岩陰を三つ渡ると、浅い横穴に、縄で繋がれた小さな影があった。
「……ッ、ユウタ!」
「声が大きい。……よく無事だった」
テオは泣くのを必死に堪えて、それでも軽口を叩いた。
「ぼく、たべられなかったよ。ガリガリだからかな」
「あとで説教だ。三時間コースだからな」
「……うん。ごめんなさい」
素直に謝るな。調子が狂う。縄を切ると、テオの手首に擦り傷があるだけで、他に傷はなかった。食料が尽きた群れが、獲物を無傷で置いておく。……やっぱりだ。この王は、配下に人間を食わせる気がなかったんだ。たぶん、人質か、取引の種のつもりで。
ガルドがテオを背負う。ここまでは、完璧に盤面通り。
――だから、バグは起きる。
洞窟の奥から、地響きが近づいてきた。岩場を回り込んできた巨体が、月を背に俺たちの退路に立った。骨の冠。丸太の棍棒。振り仰ぐほどの高さから、飢えた眼が俺たちを見下ろす。
【ゴブリンキング】HP:402 筋力:S 士気:120
「ガルド、テオを連れて先に行け」
「馬鹿を言うな、おまえが死ぬ」
「死にません。……あいつのステータス、よく視えてるんで。それに――あんたが背負ってるのはテオだ。落とすなよ」
俺は一歩前に出た。膝が笑ってる。武器は懐の包みひとつ。それでも、視えているデータが俺を支えていた。
飢餓。古傷多数。被追跡。士気120の内訳は、勇気じゃない。あとがない者の必死だ。
こいつは魔王でも侵略者でもない。腹を空かせた二百六十八の家族を抱えて、何かから逃げてきた、追い詰められた王だ。……なあ、王様。あんたの絶望なら、数字で全部視えてるよ。
「――あんた、戦いたくて村を狙ってるんじゃないだろ」
俺は懐から、村で預かってきた干し肉の包みを、王の足元に放った。王の目がそれを追う。【飢餓反応:激増】。ほらな。
「解析で視つけたんだ。ここから北に三日、山を二つ越えた谷。獣が多くて、川があって、人間がいない土地がある。あんたたちが、誰とも戦わずに食っていける場所だ」
言葉なんて通じない。だから俺は、地面に描いた。月明かりの下、木の枝で。山二つ、川、谷、獣の群れ。それから村の絵に、大きくバツ印。谷の絵に、大きくマル。
〇と×。この世界で俺が最初に教えた、一番簡単な記号。伝わるかどうかは、賭けだった。でも「印で意思を伝える」のは、言葉より古い遊びの発明のはずなんだ。
「村は×だ。次に来たら、あの爆ぜる盤面をあんたの群れ全部に食らわせる。……でも谷は〇だ。誰も追ってこない。どうする、王様。これはあんたの、選択だ」
長い、長い沈黙だった。
王は地面の絵を見下ろし、俺を見て、東の空に轟く爆音を聞いた。棍棒を握る手に一度力がこもり――ゆっくりと、解けた。王は干し肉の包みを拾い上げると、背を向けた。
【ゴブリンキング 敵意:消失 状態:移動準備】
膝から下の感覚が、そこでようやく戻ってきた。
夜明け前に、俺たちは村の柵に辿り着いた。門の前で一晩中立っていたらしいリナが、ガルドの背中のテオを見つけて、声にならない声を上げて駆けてくる。
「ばか! ばかテオ! ばか!!」
「いたい、いたいって姉ちゃん、たたきながら抱きしめないで」
殴られながら抱きしめられるテオを見て、ドッドさんが「賑やかな朝だ」と笑った。それから、リナは俺にも駆け寄ってきて、頭を下げようとして、失敗して、泣いた。納期は守った。それで十分だ。
◇
三日後。森から、二百六十八個の光点が消えた。群れは北へ発ったのだ。ヒートマップで見送った俺は、その足で村に報告した。ソルの森の、ゴブリン騒動の終わりを。
村は、祭りになった。
【ソルの村 活気:41%→58%】
九パーセントから始まった数字が、五割を超えた。広場の宴の真ん中で、ガルドに酒を注がれ、リナに三回泣かれ、テオに説教三時間の刑を執行した夜――ふと気づくと、俺の隣の樽の上に、見覚えのある女神がちょこんと座っていた。
「マーキュリー!? あんた、来られたんですか」
「観てましたよ〜、ぜんぶ! いやあ、一人も殺さずに二百六十八体を攻略ですか。とんでもないことしますねえ。私、途中から祈っちゃいました。女神なのに」
「誰にですか、それ」
女神はにやにやしながら、天を指差した。
「それでですね、ご報告が一件。……あなたの戦い、観てたの私だけじゃないんです」
「は?」
「神々の間で、ちょっとした噂になってます。『ゲームなる遊戯で世界を動かす人間がいる』って。――現在の観戦者数、三柱。おめでとうございます、ユウタさん。あなた、神々の推し配信者になり始めてますよ」




