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第8話 十字の爆風

 月明かりの下、涸れ沢を緑の影が埋め尽くしていく。


 四十三体。先頭が、俺たちの「盤」に足を踏み入れた。


 土手の上には、紐を握った村人たちが息を潜めている。粉屋のおやじさんの手が震えて、紐がぴんと鳴りそうになるのを、隣の若いのが黙って押さえた。誰も彼も、生まれて初めての「戦」だ。武器の代わりに紐を握らされた戦の。


 まだだ。まだ引きつける。爆ぜ石の効果範囲は狭い。半端に起爆すれば、驚いた群れが散り散りになって、かえって村のあちこちに流れ込む。理想は群れの中央が盤の中央に重なる瞬間――ヘイト管理と一緒だ。敵は、まとめて釣ってから落とす。


 俺のヒートマップの上で、光点の群れがじりじりと盤面に乗っていく。三割。五割。……七割。


「松明班、今です!」


 沢の出口――村側の土手に、一斉に火が並んだ。夜目のゴブリンには、闇の中の火の壁は嫌でも目に入る。視野の狭い連中の意識が、まっすぐ正面の火に釘付けになる。後ろも横も、見えなくなる。


 足が止まった。前は火、後ろは仲間。群れが沢の中央で団子になった。


 ――盤面、最密。今だ。


「一列目、引けェッ!!」


 ガルドの号令。八本の紐が同時に引き抜かれた。


 ドン! ドドンッ!!


 埋めた爆ぜ石が、溝に沿って十字に閃光を噴いた。一つ、二つ、四つ――連鎖する雷鳴みたいな炸裂音。夜の沢が真昼みたいに明滅して、土煙と緑の悲鳴が満ちた。


 【群れ平均士気:68→31】


 効いてる。だが崩れきってはいない。群れは恐慌半分のまま、火のない方へ――盤の奥へ雪崩れ込もうとする。読み通りだ。そこも盤の上だよ。


「二列目ェッ!」


 ドドドンッ!!


 逃げようとした先でまた十字が爆ぜる。右も左も、どこへ踏み込んでも次の交点が火を噴く。逃げ場のない爆発の盤面――ボンバーゲームの盤の上を、俺は土手から見下ろしていた。ゲーム画面なら何万回も見た光景だ。それが今、現実の谷で、村人の手で動いてる。


 一体だけ、盤の切れ目を抜けて土手を這い上がってきた。紐係の若いのが腰を抜かす。まずい――と思った瞬間、隣の粉屋のおやじさんが、無言で予備の爆ぜ石を足元に叩きつけた。ドンッ。至近の閃光に、ゴブリンは白目をむいて転げ落ちた。


「……い、いのちだいじに、だろ」


 おやじさん、あんた最高だよ。それ、俺が予行演習で口を酸っぱくして言ったやつだ。


 【群れ平均士気:31→9 状態:恐慌】


「崩れたぞ! 声を上げろ、押し出せッ!」


 自警団が鬨の声を上げ、松明班が火を振り、鍋を持たされたばあさんまでお玉で鍋底を叩いた。それが止めになった。ゴブリンどもは武器を放り出し、我先にと森へ潰走していく。


 追い散らしただけで、誰も殺していない。誰も殺されていない。紐と、火と、鍋の音で、四十を超える群れが消えた。


 勝った――そう思った瞬間だった。


「グルルルル……」


 沢の奥から、それは歩いてきた。潰走する群れに逆らって、ただ一体。体高は俺の倍近い。丸太みたいな腕に、棍棒。爆風の煙をものともせず、燃え残りの火を素足で踏み消した。


 【ホブゴブリン】HP:118 筋力:B 敏捷:D

 士気:104 ※恐怖耐性:高 火への恐怖:小


「うそだろ……こいつ、火が効かない」


 士気で崩せない敵。恐怖で動かない駒。俺の盤の、想定外バグだ。土手の村人たちの顔から血の気が引いていく。せっかく上がった士気が、こっち側から崩れる――


「下がってろ、ユウタ!」


 ガルドが土手を蹴って沢へ降りた。大剣と棍棒が激突し、鈍い衝撃音が腹に響く。一合で分かった。重さが違う。二合、三合――ガルドの足が土を削って滑り、頬に棍棒の風圧がかすって血が滲んだ。


「団長!!」


 村人の悲鳴。まずい。ガルドが折れたら、この村の心臓が折れる。


 落ち着け。俺の仕事をしろ。視ろ。数字は嘘をつかない。


 解析、深度最大。MPが音を立てて減る。構うか。


 【ホブゴブリン】状態:右肩に古傷(可動域低下)

 行動分析:振り下ろし後、体勢復帰まで約一拍半


「ガルドさん! そいつ右肩が壊れてる、右へ回れ! 右腕は上がらない! それと振り下ろした後、一拍半動けない――そこだけ殴れッ!!」


「……ハッ、注文の多い軍師だ! 上等だァッ!!」


 ガルドの動きが変わった。右へ、右へ。半歩ずつ、執拗に右へ。棍棒が空を切り、地面を砕く。その度に、一拍半。ガルドの大剣が正確に同じ隙へ吸い込まれる。一撃、二撃、三撃――巨体がぐらりと傾いだ。


「おおおおおッ!!」


 最後の一閃が決まり、ホブゴブリンは沢に沈んだ。


 ……静寂。それから、村中の大歓声が夜空に突き抜けた。


 ◇


 死者ゼロ。重傷者ゼロ。四十三体撃退。


 村人たちは興奮さめやらぬまま、朝まで祝いの火を囲んだ。紐を引いただけのおやじさんが「俺の二列目が決めたんだ」と五回目の自慢を始め、鍋を叩いたばあさんが英雄扱いされている。それでいい。全員が自分のマスで勝ったんだ。それがこの盤の設計思想なんだから。


 ドッドさんが「あの爆ぜる盤面、ありゃ何て戦だ」と聞くので、「ボンバーです」と答えたら、その夜のうちに涸れ沢は「ボンバー沢」と改名されていた。命名が早い。


 【ソルの村 活気:23%→41%】


 勝利は最高のコンテンツだ。数字が跳ねている。


 ただ、俺とガルドだけは、祝いの輪から少し離れていた。沢の隅に、爆風で気絶したゴブリンが一体、縄をかけられて転がされている。


「ユウタ。おまえの目で、こいつから何か視えるか」


 解析をかける。HP、状態異常――そして表層感情の欄に、おかしな数値があった。


 【ゴブリン(捕虜)】士気:2 恐怖:97

 恐怖の対象:???(火・人間ではない)


「……妙だ。こいつ、俺たちを怖がってるんじゃない」


「なに?」


 恐怖97。振り切れる寸前の数値。なのにその対象は、さっきまで浴びてた爆風でも、目の前の人間でもない。じゃあ、何を?


 そのとき、捕虜が譫言のように、掠れた声を漏らした。


「ギ……ォ……ゥ、サマ……オゥサマ……」


 ――王様。


 ゴブリンの王。二百三十一の群れの、中心にいるもの。


 俺とガルドは、暗い森の奥を、同時に振り返った。

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