第43話 崖の国、力こそ全て
吊り橋が風に軋む音を立てていた。眼下は真っ白な雲海。獣人の山岳国ザガンは、まさしく崖に張り付くようにできた国だった。石造りの家々は崖の岩肌に食い込むように建ち並び、家と家を繋ぐのは細い吊り橋と、ロープ一本の垂直の道ばかりだった。ピコでさえ「ここの生活は無理」と青ざめている。
「――お前らが、王都から来た遊び屋か」
出迎えたのは、丸太のような腕をした老獣人――山主バルガスだった。
「聞いた話じゃ、指先で文字を並べる遊びだそうだな。ここでは、力のない奴に発言権はない」
「力があれば、それで序列が決まるんですか」
「当然だ。若い奴らは毎日、殴り合いで格を競う」
言葉の途中で、崖際から悲鳴が上がった。若い獣人の一人が、力比べの最中に足を滑らせ、命綱一本でぶら下がっている。仲間たちが慌てて引き上げるが、腕や肩に擦り傷が目立った。
「……こういうの、しょっちゅうあるんですか」
「怪我くらい、強さの証だ」
バルガスは動じなかった。だが俺の解析には、はっきり数字が視えていた。
【ザガン 活気:21% 直近一月の負傷件数:37】
活気の数字は低くない。それでも、この頻度の怪我を「強さの証」で済ませていいとは、どうしても思えなかった。ザガンの子供たちの何人かが、腕や足に真新しい包帯を巻いたまま、遠巻きにこちらを見ている。
「五符、見せてもらえませんか」
小さな声が上がった。振り向くと、体格の割に目つきの鋭い少女が立っていた。
「ミィナ。族長の孫だ」とバルガス。
「あたし、腕力ないから、いつも序列の底辺。……でも、頭は誰にも負けない自信ある」
周りの若い獣人たちが、ミィナを見て失笑した。バルガスだけが、孫娘の物言いをじっと見つめている。
「族長。孫が生意気な口を利いてすまんな」
「いや……」
バルガスは顎髭を撫でながら、しばらく黙っていた。
「聞いてやろうじゃないか。どうせ暇な連中は山ほどいる」
その一言に、俺は少しだけ、この国の風向きが変わる予感がした。
「お題は『最強の戦士』。三ターンで組む」
崖際の広場に、噂を聞きつけた獣人たちが続々と集まっていた。俺の号令に、まず名乗りを上げたのは序列一位の青年ガロだった。腕力自慢らしく、選んだ言葉は「拳」「岩」「猛」。組み上がったのは、岩のような拳を持つ巨躯の戦士だった。周囲から「さすがガロだ」という歓声が上がる。
次に立ったのはミィナだった。
「一手目、『速』。二手目、『躱』。三手目――『躱速躱』」
現れたのは、小柄で素早い、影のような戦士だった。見た目の迫力では、ガロの戦士に遠く及ばない。
「そんなひょろい奴が、最強なわけないだろ!」
誰かが野次を飛ばす。だがミィナは動じなかった。
「じゃあ、実際に組んで戦わせてみよう」
板の上に、二体の戦士が向かい合う。ガロの戦士が拳を振り上げるたび、広場から歓声が上がった。だがミィナの戦士は、その豪腕を紙一重でかわし続ける。何度目かの空振りに、ガロの戦士の巨躯が大きく傾いだ。
五符の判定は、組んだ言葉の意味そのものが力になる。躱す速さに特化した戦士は、岩の拳を紙一重で避け続け、最後にガロの戦士の隙を一撃で突いた。
場が静まり返った。
「……力だけが、強さじゃない」
ミィナが小さく、でもはっきり言った。
「あたし、いつも殴り合いで負けてばっかりだった。でも、これなら――頭で組み立てた強さも、ちゃんと通用する」
「馬鹿な……」
ガロが唸る。周囲の若者たちの間にも、動揺が広がっていた。序列の常識が、目の前で覆されようとしていた。誰かが「ガロが負けた」と呟いた瞬間、その言葉が波紋のように広場全体に広がっていく。老いた獣人たちまでもが、ひそひそと言葉を交わし始めていた。
「小娘の遊びに、俺たちの序列を乱されてたまるか!」
ガロが声を荒げ、崖際の広場に緊張が走る。
「――待て」
バルガスの一声で、場が凍りついた。
「ガロ、お前は力比べで序列一位だ。だが、今日の勝負でミィナに負けた。……それが答えじゃないのか」
「族長まで、そんな……」
「儂も昔、力だけを誇ってきた。だが怪我人の数を突きつけられて、正直、思うところはあった」
バルガスが俺を見た。
「頭も力の内、というならな。序列を一本にするのはやめだ。腕力の序列、知恵の序列、両方認める」
「両方あれば、序列争いで無理な怪我をする理由も減りますよ」
俺が付け加えると、バルガスは低く笑った。
「若い奴らの頭が冷える理由になれば、それでいい」
ガロは、しばらく黙ってミィナの戦士の像を見つめていた。
「――もう一回、勝負しろ。今度は俺も、頭を使ってやる」
「望むところ」
ミィナが不敵に笑った。
二回目の勝負は、思いのほか拮抗した。ガロが力任せの一手だけでなく、間合いを計る一手を挟んできたのだ。それでも決め手を欠き、際どいところでミィナの戦士が押し切った。ガロは悔しそうに舌打ちしたが、それ以上文句は言わなかった。
その日の夕方まで、崖の広場は五符の勝負で埋め尽くった。腕自慢の若者たちが次々と挑んでは負け、悔しがりながらも次の一戦へ向かう。「大胆さ」「勢い」を自由符に選ぶ若者が続出し、俺たちは獣人語の力強い単語を大量に持ち帰ることになった。
技術の手掛かりも、思わぬ形で見つかった。狩人たちが崖を渡るとき、命綱同士を独特の結び方で束ねる技術があった。
「一本一本は自由に動くのに、全体としては一つの束として支え合う……これ、応用できないか」
フィリアが目を輝かせる。拍子を合わせる、間をずらす、そして――束ねても自由を残す。三つ目の鍵が、揃いつつあった。
翌朝、崖の縁までミィナが見送りに来た。
「またおいで。今度は、あたしがもっと強いの見せてやるから」
「知恵の序列、頑張れよ」
「もちろん」
ミィナが親指を立てる。バルガスは何も言わず、ただ大きく手を振っていた。
「なあ、族長」
ミィナが去り際にバルガスへ言った。
「あたし、いつか序列一位になれるかな。腕力じゃなくて、頭の方で」
「――さあな。だが、今日みたいに誰かの度肝を抜き続けられるなら、そのうち序列なんぞどうでもよくなるさ」
その答えに、ミィナは満足そうに笑った。次の目的地は、決闘がすべてを決めるという街――闘技都市だ。
(第44話へつづく)




