第42話 美しさは型に嵌まらない
ガランドを発って五日。石の匂いが薄れ、代わりに木々の匂いが濃くなっていく。道の両脇に苔むした古木が増え始めた頃、リシアの森特有の淡い光が、木々の間からこぼれ始めた。真っ先に駆け寄ってきたのはミモザ――フィリアの相棒だった宵蝶だった。
「ただいま、ミモザ」
フィリアが目を細める。宵蝶が嬉しそうに彼女の肩の周りを何周も舞った。族長ゾルグと、長老リンドラも出迎えてくれた。あの静かなセレンさんまで、珍しく口元を緩めている。森の入り口には、久しぶりに戻った仲間を一目見ようと、若い精霊使いたちが集まっていた。
「五符、というものを見せてくれるのですね」
リンドラの声は、千年の静けさを湛えていた。案内された大樹の広間には、リシアの森中から集まった長老格の精霊使いたちが、すでに顔を揃えている。噂を聞きつけて、遠方の集落からも人が来ているらしい。俺たちは早速、五符の仕組みを説明した。だが、説明の途中で、リンドラの目に翳りが差した。
「――五つの文字で、美しさを表す、と」
「はい。限られた文字の中で、どう組み合わせるかが」
「無粋です」
短い一言が、森の空気を凍らせた。
「美しさとは、際限のないものです。花の一片一片、光の落ち方、風の通り道。それを、五つの型に押し込めるなど――遊びとして扱うにも、あまりに乱暴だ」
周りの精霊使いたちが、気まずそうに顔を見合わせる。族長ゾルグでさえ、リンドラの言葉には口を挟まなかった。フィリアが唇を噛んだ。故郷の長老に、真っ向から否定された形だった。
「……あたしが、王都で夢中になったものが、そんなに乱暴なものだとは思えません」
「フィリア。あなたの熱意は疑っていません。ただ、道具の出来と、美の本質は別の話です」
「リンドラ様。一つだけ、試させてもらえませんか」
俺は前に出た。
「もし、その五つの型の中でも美しいものが作れたら――型そのものが、悪いわけじゃないと証明できます」
リンドラの視線が、俺を射抜いた。千年を生きた瞳に見据えられると、言葉の一つ一つが試されているような気がした。
「――やってごらんなさい。ただし、私の目は誤魔化せません」
周囲の精霊使いたちの間に、緊張と期待の入り混じったざわめきが広がる。フィリアが操作珠を握り直す。緊張で、指先が白くなっていた。
「大丈夫か」
俺が小声で聞くと、フィリアは短く頷いた。
「大丈夫。……ここで引いたら、あたしが王都で見てきたもの全部、否定されたことになるから」
その一言に迷いはなかった。宵蝶が心配そうに、彼女の頭の上を旋回していた。
「一手目、『風』」
板の上に、透明な流れが生まれる。広間に集まった精霊使いたちが、息を詰めて見守っていた。
「二手目、『花』」
流れに、淡い花弁が乗る。まだ、ただの組み合わせにしか見えない。誰かが小さく「それだけか」と呟くのが聞こえた。フィリアの指先が、ほんの一瞬止まる。
「三手目――『風花風』」
最後の一語で、花弁が風に乗って螺旋を描いた。散るでもなく、留まるでもなく、ただ風と共に舞い続ける小さな渦。フィリアの自由符――「花」を三度織り込んだ、たった三語の情景だった。
森が、静まり返った。
「……これは」
リンドラが立ち上がった。
「一つの言葉を、繰り返し、位置を変えて織り込んでいる。……型に押し込めたのではなく、型の中で踊らせている」
「五文字しかないから、削るしかなかった。削って、削って、最後に残ったのがこれでした」
フィリアの声が、微かに震えていた。
「昔、詠み人が短い定型の歌の中に無限の情景を込めた、という話を聞いたことがあります。……言葉を削ることは、諦めることじゃない。削るからこそ、一番大事な一つが際立つ」
長い沈黙のあと、リンドラが小さく笑った。広間にいた精霊使いたちが、示し合わせたようにほっと息をつく。
「――見立てが浅かったのは、私の方のようです」
族長ゾルグが、堪えきれないように笑い出した。
「リンドラ様がそう言うところ、初めて見たぞ」
「ゾルグ、余計なことは言わなくてよろしい」
その夜、森中の精霊が集まる宴が開かれた。木々の梢に無数の光が灯り、まるで森そのものが祝っているようだった。若い精霊使いたちが我先にと操作珠を取り合い、「風」以外の言葉でも同じことができるか試し始める。誰かが「光」を三度織り込み、儚く消える光の粒を作り出すと、また別の誰かが「水」で静かな滝を描いた。制約は、いつの間にか遊びそのものになっていた。俺たちはエルフ語の自然・美の単語を大量に書き留めながら、ふと気づいたことがあった。
「精霊眼鏡の共鳴って、複数の精霊を同時に視るとき、どうやって混線を防いでるんだ?」
「一つ一つに、違う"間"を持たせてる。同じ拍子で視ようとすると、確かに混ざる」
セレンさんが静かに答えた。
「――間、か」
ガランドで聞いた「拍子を揃える」話と、森で聞いた「あえて間をずらす」話。矛盾するようで、根っこは同じ気がした。合わせるところと、ずらすところ。両方を使い分ければ――
「なんか、繋がりそうな予感がする」
フィリアが共鳴石を握りしめた。答えはまだ見えない。それでも、確かに一歩近づいていた。
翌朝、俺たちは森を発った。見送りに来たミモザが、フィリアの肩に最後まで留まっていた。族長ゾルグが「また戻ってこい」と手を振り、リンドラは何も言わず、ただ静かに一礼した。それが、彼女なりの一番の激励だと、フィリアには分かるらしかった。
道すがら、フィリアがぽつりと言った。
「無粋、って言われた時は、正直へこんだ。でも今なら分かる。あの人、本気で美しさに向き合ってるからこそ、簡単に頷けなかったんだと思う」
「認めてもらえて良かったな」
「うん。……でも、あたしが一番嬉しかったのは、認めてもらえたことより、リンドラ様が本気で悩んでくれたことかも」
その言葉に、俺は何も言えなかった。相手を軽く見ないからこそ生まれる衝突もあるのだと、初めて実感した気がした。
次の目的地は、まだ誰も踏んだことのない土地――獣人の山岳国ザガンだ。
(第43話へつづく)




