第4話 異世界初リリースは『〇×ゲーム』
森のゴブリン、総数二百十四。
あの数字が、頭から離れなかった。リナの荷馬車をガルドの部下と二人で引きながら(馬は逃げたままなので人力だ。筋力Eには堪える)、俺は街道を歩いていた。先頭を行くガルドは、あれから一度もこちらを振り返らない。背中で「信用してないぞ」と語れる男、初めて見た。
村の連中は、あの数を知らない。だが会ったばかりのよそ者が「俺には視えるんです、二百十四体います」と騒いだところで、信じてもらえるわけがない。ゴブリンの弱点を言い当てただけで、あの警戒っぷりなんだ。下手をすれば、不吉なことを言う流れ者として叩き出されて終わりだ。
まずは信用されること。話はそれからだ。
「ユウタさんって、どこから来たんですか? その服、見たことない仕立てですけど」
「……すごく遠くから、かな」
「ふうん? まあ、命の恩人ですし、詮索はやめときます!」
この距離感、本当にありがたい。
やがて木の柵に囲まれた集落が見えてきた。麦畑と、五十軒ほどの藁葺きの家。畑の脇には粗末な見張り櫓が立っていて、農具を持ったままの男が森の方をじっと睨んでいる。辺境の村ソルだ。
だが、村に入った瞬間に分かった。
――この村、空気が重い。
畑仕事の手を止めてこちらを見る村人たちの目に、余裕がない。誰もが早足で、誰もが俯きがちで、立ち話ひとつしていない。子供たちすら、家の陰からじっとこちらを窺うだけで、駆け回る声ひとつしない。
活気9%。数字で知ってはいた。でも実物は、数字よりずっと応えた。
「リナ! 無事だったか!」
駆け寄ってきた白髭の老人が村長のバルツさんだった。リナがゴブリンの件を話すと、村長は深々と俺に頭を下げた。
「なんとお礼を申し上げてよいか。ですが……お恥ずかしい話、近頃は魔物続きで、村には礼らしい礼も出せず」
「気にしないでください。飯と寝床があれば十分です」
その夜はリナの家で、彼女の得意料理だという煮込みをご馳走になった。素朴な塩味の、良い煮込みだった。リナの弟のテオ――十歳くらいの、目端の利きそうな少年だ――は、食卓の隅から俺をちらちら観察するばかりで、結局一言も喋らなかった。警戒されてる、というより、値踏みされてる感じだ。
◇
翌朝。俺は村の広場で、昨日から気になっていたことを確かめていた。
子供が、遊んでいない。
いや、正確には――遊びを知らない。棒きれを持って突っ立っているテオに「何して遊ぶんだ?」と聞いたら、「あそぶ……?」と首をかしげられた。
聞けば、子供の一日は手伝いと祈りでできていて、その合間の空き時間は、ただぼんやり座って過ごすものらしい。歌はある。祭りも、一応ある。でも「暇な時間を面白くする技術」が、この世界にはごっそり抜け落ちている。
ゲーム以前の問題だった。遊びの文化そのものが、ほとんど無い。
……上等じゃないか。
更地ってことは、何を建ててもいいってことだ。しかも競合ゼロ。こんなブルーオーシャン、地球のどの市場にもない。
「テオ。ちょっと面白いこと、教えてやろうか」
俺は棒きれを拾い、地面に縦横二本ずつ線を引いた。三かける三の、九マス。
「ルールは簡単。俺が〇、お前が×を、交代でマスに書く。先にタテ・ヨコ・ナナメ、どれかに三つ並べたほうが勝ちだ」
「……かち? 勝ったら、どうなるの」
「どうもならない。ただ、嬉しい」
「なにそれ」
そう、それでいいんだ。報酬がなくても続けたくなるもの――それを遊びと呼ぶんだから。
テオは怪訝な顔をしながらも、×を書いた。俺が〇を書く。二手目、三手目――俺がわざと隙を作ると、テオの目がすっと細くなった。
「……ここに書いたら、ぼくの勝ち?」
「やってみな」
×が三つ、斜めに並んだ。
「……並んだ」
「テオの勝ちだ」
一瞬の沈黙のあと、テオの顔が、ぼんっと赤くなった。
「も、もう一回!」
――きた。
この「もう一回」こそ、ゲームが面白い証拠。リテンションの原点。開発者が世界で一番聞きたい言葉だ。
二回目は俺が本気を出して勝った。三回目は引き分け。テオが地団駄を踏んだところで、気づけば周りに子供たちが集まっていた。
「テオ、なにやってんの」
「〇×ゲームっていうんだ! おれが教えてやる!」
昨日まで一言も喋らなかった少年が、得意げに棒きれを振り回している。教えたがるのも、遊びの本能だ。広場のあちこちに九マスが刻まれ、あっという間に〇と×だらけになった。
「ちょっと! なんの騒ぎですか!」
洗濯物を抱えたリナがやってきた。テオが「姉ちゃんもやろう!」とマスの前に引っ張っていく。最初は「私はもう大人ですから」と渋っていたリナだが――三連敗した瞬間、洗濯物を静かに地面に置いた。
「……ユウタさん。これ、勝つコツとかあるんですか」
「お、知りたい?」
「知りたいです。テオにだけは負けたくないので」
目が据わっていた。負けず嫌いは姉弟共通らしい。
俺はリナに、二つだけ教えた。角は真ん中の次に強いこと。相手のリーチは自分の攻めより先に止めること。彼女は真剣な顔で三回頷いて、テオに挑んで、二連敗して、三戦目――初勝利をもぎ取った。
「勝ちました! ユウタさん、勝ちましたよ私!!」
「おめでとう。姉の威厳、防衛成功だ」
「くやしい! 姉ちゃん、もう一回!」
飛び跳ねるリナと、地団駄を踏むテオ。……いいなあ、この光景。俺が作りたかったのは、グラフィックでも売上でもなくて、たぶんこれなんだよな。
昼を過ぎる頃には、広場は子供たちの歓声で埋まっていた。悔しがる声、はしゃぐ声、「もう一回!」の大合唱。
畑から戻った大人たちが、呆気にとられてその光景を眺めている。村長のバルツさんが、俺の隣で目を細めた。
「……この村で子供らの笑い声を聞くのは、いつぶりですかな」
俺はこっそり範囲解析を走らせた。
【ソルの村 活気:9%→14%】
上がってる。たった九マスの遊びで、五ポイントも。数字は嘘をつかない――この世界に「遊び」は、確かに効く。
俺は胸の奥が熱くなるのを感じていた。
予算も、納期も、お偉いさんの承認もない。地面と棒きれだけの、たった九マスのゲーム。それでも、遊んだやつが笑ってる。三年間、会議室で一度も見られなかった光景が、目の前にある。
――これが、俺の異世界での最初のリリースだ。
そのときだった。
「おい」
低い声に振り返ると、ガルドが立っていた。街道のときと同じ、値踏みするような目。ただし今度は、その目に苛立ちが混ざっている。
「昨日の今日で、ずいぶん派手にやってくれてるな、よそ者。……子供らに妙なことを吹き込んでるってのは、あんたか」




