第19話 二つに割れた森
エルフの使者はセレンと名乗った。道中の三日間で彼女が見せた表情は、俺が数えた限り二種類。無表情と、深刻な無表情だ。
「率直に聞きますけど、セレンさん。『森が死にかけてる』って、具体的には」
「魔物の凶暴化です。この百年、森の獣たちは穏やかでした。それが近年、狂ったように暴れ、縄張りを越えて襲い合っています。原因は――対岸の民の呪いかと」
「対岸の民?」
「……着けば、分かります」
それきりセレンは黙り、ガルドとの間に岩みたいな沈黙が横たわった。無口な剣士と無表情なエルフの旅は、会話の総量がとにかく少ない。俺が「エルフの森の名物料理は」と聞けば「木の実です」で終わり、ガルドが「魔物は出るのか」と聞けば「出ます」で終わる。三日目には俺が耐えかねて〇×ゲームを教えたら、この二人、無言のまま二十七連戦した。楽しいのか楽しくないのか、最後まで分からなかった。
着いて、分かった。
エルフの森リシアは、確かに美しかった。天を突く大樹、絹みたいな木漏れ日、水晶みたいな川。だがその川を挟んで、森は真っ二つに割れていた。
西岸には、白樺の様に明るい森と、光の民エルフ。東岸には、常緑の深い森と、褐色の肌の影の民ダークエルフ。両岸の見張り台は互いに向き合い、川に架かる古い石橋は、真ん中に杭を打たれて封鎖されていた。
「数百年前から、こうです」とセレンは言った。「向こうが夜の獣をけしかけてくる。こちらの結界を乱す。だから森が荒れるのです」
その後、東岸にもこっそり渡って話を聞いた(両岸は俺たち「よそ者」の出入りには寛容だった。敵はあくまで対岸なのだ)。ダークエルフの族長ゾルグは、真逆のことを言った。
「昼の連中が光の獣を放ってくるのだ。森が荒れるのは奴らの呪いよ」
どっちも、相手のせい。証拠は、どっちにもなし。
ちなみに、そもそもの喧嘩の発端を両方の長老格に聞いてみたら、西岸は「向こうが先に橋の通行税を課した」と言い、東岸は「向こうが先に婚礼の使者を追い返した」と言った。年代が三百年ずれてる上に、どっちも又聞きの又聞きだった。数百年前の火種はとっくに消えてて、憎しみの習慣だけが残ってる。よくある話だ。よくある話が、一番厄介なんだが。
「昔は……祖母の代には、あの橋に市が立っていたそうです」
帰り際、セレンがぽつりと言った。「両岸の産物を交換する、月に一度の市が。私は、見たことがありませんが」
交換の市、か。……覚えておこう。
俺は川辺に座って、解析を回した。まず活気から。
【光の民エルフ 活気:6%】
【影の民ダークエルフ 活気:7%】
……ひどい。ソルの村の初期値より下だ。数百年単位の寿命を持つ種族が、数百年単位で退屈と憎悪を煮詰めるとこうなるのか。低いくせに両岸で数値がきれいに揃ってるのが、皮肉すぎる。
次に、肝心の魔物の凶暴化。森全体に広域解析をかけて――俺は違和感に気づいた。
視えてる魔物の反応の「隙間」に、別の何かがいる。
小さい。獣より遥かに小さい光点が、森中に、それこそ星みたいな数で散らばってる。試しに近くの反応を単体解析してみると、
【???】種別:不明 実体:なし(魔力体)
状態:過密による興奮
「実体、なし……?」
目を凝らしても、そこには何もない。羽虫一匹いない。でも解析には、確かに「いる」。
しかも状態欄が不穏だった。過密による興奮。こいつらが森中で密集しすぎて昂ぶって、その乱れた魔力が――獣を狂わせてる?
「ユウタ殿。何か、視えるのですか」
「……セレンさん。もしかしてなんですけど、森が荒れてる原因、呪いじゃないです。両岸のどっちのせいでもない。誰にも見えてない第三者がいる」
「見えてない、第三者……?」
無表情の奥で、セレンの瞳が初めて揺れた。
そのときだった。川辺から、子供の怒鳴り声が響いた。
「――お前んとこの呪いのせいで、うちの畑が荒らされたんだぞ!」
「はぁ!? こっちの台詞なんだけど! 昼のくせに!」
石橋の封鎖杭を挟んで、エルフの少女とダークエルフの少年が、木の実を投げ合っていた。少女は背中に不釣り合いな長弓、少年は腰に手製の投石紐。……いや、観察はあとだ。両岸の見張り台から大人たちが色めき立って、あわや民族紛争の火種になりかけたところで、俺とガルドが慌てて割って入った。
「離せ! あいつ、ぜったい許さない!」
「ふん、昼の子は野蛮だなあ!?」
引き分けた少女と少年は、憎まれ口を叩き合いながら、それぞれの岸へ帰っていく。
……解析してみて、俺はちょっと笑ってしまった。
【フィリア(エルフ)】敵意:12 好奇心:88
【ノワ(ダークエルフ)】敵意:9 好奇心:91
敵意、ほぼゼロ。あの喧嘩、九割が「対岸への興味」でできてる。そりゃそうだ。数百年前の恨みなんて、子供にとっては教科書の話で、目の前の「会っちゃいけない隣人」は世界一気になる存在だろう。
「ガルドさん。この森、なんとかなるかもしれません」
「根拠は」
「大人の敵意より、子供の好奇心のほうが、数字がデカい」




