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第17話 壊した者、直す者

 全コース、総点検。


 夜通しの検査で、削られたルーンは他に二箇所見つかった。どれも最高速区間の結界柵。どれも外見は無傷。安全設計を知り尽くした人間の仕業だ。


「若いのに見張らせて、犯人を捕まえるか」とドランは息巻いたが、俺は首を振った。


「大勢で張れば気配で逃げます。逃がすと、次はもっと見つけにくい場所を壊される。それより先に視ます。……こういう時のための目なんで」


「……お前のその目、敵に回したくないな」


「敵に回るような真似をしなければいいんですよ、王子」


 待つ間、ドランは落ち着かなかった。何度も手袋を締め直し、ぽつりと言った。


「……犯人の狙いが分からん。レースを恨む理由なんて」


「あります。少なくとも、十二人ぶんの怪我と、二年前の死人のぶんは」


 ドランは黙った。違法レースの帝王だった男には、届く言葉だったらしい。


 ヒートマップ。範囲、縦坑スパイラル周辺。時刻、深夜。


 果たして、丑三つ時。第三カーブに、小さな光点がひとつ現れた。俺とガルドとバグナが灯りを向けた先にいたのは――見覚えのない若いドワーフだった。手には、ルーン彫りの精密なノミ。


「……禁止令派の重臣、ドムル様んとこの次男坊だ」バグナが呻いた。「ガリン。……おい、なんでお前さんが」


 ガリンは逃げなかった。ノミを握りしめたまま、絞り出すように言った。


「……兄さんは、五年前のレースで死んだ」


 あ、と誰かが息を呑んだ。


「二年前じゃない。表沙汰になった死人の前にも、いたんだ。兄さんは違法レースで岩壁に突っ込んで、親父は醜聞を恐れて事故を病死と届けた。そうやって、なかったことにされた死人の上に……お前らはまた、レースをやるのか。楽しそうに。兄さんがいないままの世界で」


 沈黙が落ちた。ドランの顔から血の気が引いていた。彼が帝王だった時代の、彼が知らなかった犠牲者だ。


「柵を壊して、誰かが死ねば……みんな思い出すと思った。レースは人殺しだって。そうすれば、もう誰も……」


「――ガリンさん」


 俺は、静かに言った。責める言葉は、たぶん一つも意味がない。


「ひとつだけ、見てほしいものがあります」


 ◇


 俺が連れて行ったのは、工房の裏の資材置き場だった。そこには、三十七回のクラッシュテストで大破したゴーレム人形と、砕けた結界柵の試作品が、山になって積んである。


「これ、全部『失敗』です。時速五十キロで首に致命判定。風膜の展開が0.1拍遅れ。柵の角度が五度深くて跳ね返された。……この山の数だけ、俺たちは人が死ぬ前に、死に方を潰してきた」


 ガリンは、ゴーレムの折れた首を、じっと見ていた。


「あなたの兄さんが乗ってたのは、ブレーキの貧弱な荷トロッコだ。柵も、風膜も、脱出溝もない坑道だ。点検する人間も、掟もなかった」


 俺はガリンの目を見た。


「兄さんが死んだのは、遊びのせいじゃありません。安全を、誰も設計しなかったせいだ。そして……それを一番許してないのは、この二週間、寝ないで柵の角度を計算してた俺たちです。あなたと同じ側なんですよ、俺たちは」


 ガリンの手から、ノミが落ちた。彼はその場に膝をついて、五年分の声で泣いた。ドランが歩み寄り、無言で隣に膝をつく。王子は長いこと何も言えず、最後にたった一言、「すまなかった」と言った。五年前の帝王が言うべき言葉を、五年遅れで。


 ◇


 翌朝。俺は運営名簿に一行書き加えた。


 整備長:ガリン


「……正気か? 柵を壊した俺だぞ」


「外から見ても分からない一本を選んで削る腕と、安全設計を完全に理解してる頭。この国であなた以上の点検責任者はいません。それに――壊れる場所を一番知ってるのは、壊したことのある人間だ」


 ガリンは何度も口を開きかけて、結局、深く頭を下げた。


 彼は本選までの残り時間で、点検体制を俺の想定の三段上まで作り込んだ。全カートの車軸に検査済みの刻印。コース点検は指差しと復唱。点検簿は兄の名を取って「ゼム台帳」と名付けられた。誰かの名前が付いた台帳は、絶対に手を抜かれない。


「兄さんはさ」と、台帳の表紙を撫でながらガリンは言った。「国で一番、機械の音を聴くのが上手かったんだ。荷トロッコの軋みで、どの車輪が先に逝くか当てて見せた。……その耳で、自分の車の悲鳴だけは聴かなかった。速さに、酔ってたから」


「なら、ゼム台帳の仕事は決まりですね。酔ってる奴の代わりに、車の悲鳴を聴くこと」


「……ああ。それが弟の仕事だ」


 もう一つ、ガリンの発案でライセンス制も入った。初心者のカートには出力制限の魔石を積み、低速級から始める。昇級試験に受かった者だけが、上の速度を解放される。


「速さは、資格だ。兄さんの時代に、これがあれば……」


「ええ。だから、これからの時代に付けるんです」


 ◇


 本選の朝。スタートラインに並んだ十二台のマナカートを、ガリンの点検班が最後にもう一度、叩いて回る。


 カン、カン、と澄んだ音が響くたび、観客席の誰かが頷く。点検の音が、開会の音楽みたいになってる。


 悪くない国になってきたじゃないか、ガランド。


「――皆の者ォ!!」


 貴賓席で、我慢の限界だった王様が立ち上がった。


「王国公認、第一回ガランド・カップ! ……開会である!!」

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