第三話 「中秋の名月と、静かな決意」
ご覧いただきありがとうございます。
今夜も星澪と承辰の物語をお届けします。
どうぞ最後までお楽しみください。
「ふわぁ……」
政務の最中。承辰は思わず、小さな欠伸をこぼした。
(昨夜は楽しかった)
目を閉じれば、庭園の景色が鮮やかによみがえる。
満天の星空。雨のように降り注ぐ流星群。
そして――。
「承辰様」
名前を呼び、微笑む星澪。
そのすべてが胸をくすぐり、自然と口元が緩んでしまう。
「うおっほん!」
靖遠が、わざとらしく咳払いをした。
「……爺!? びっくりした!」
承辰は肩を跳ねさせる。
「いつからいたんだ!」
「ずっと、お隣におりました」
靖遠はやれやれと髭を撫でた。
「そのご様子では、昨夜は星澪殿と、さぞ有意義な
お時間を過ごされたのでしょうな」
有意義な時間――。
その言葉に、昨日の出来事が鮮明に蘇る。
そっと襟元へ伸びる指。
少し緩んだ襟から覗く白い素肌。
(……もう少し、見ていたかった)
(……いや!!)
邪念を振り払うように、承辰は咳払いをした。
「……まあ。楽しかったぞ」
照れ隠しをしながら、最後の書類へ印を押す。
気づけば、もうすぐ日暮れ。
つまり――もうすぐ星澪に会える。
承辰の頬は、また緩んだ。
今日はどんな星の話を聞けるだろう。
そんな期待を胸に、足取りも軽く天文台へ向かった。
――のだが。
「……いない?」
出迎えたのは星澪ではなく、司明だった。
「申し訳ございません、陛下」
「星澪は先程現れた客星について、
他の天文官たちと議論しております」
「客星?」
「普段は見えぬ場所へ突然姿を現す星のことでございます。
突然現れるため、古来より、天から与えられる証だと考えております」
司明の言葉に、承辰は思わず表情を強張らせる。
「不吉な星なのか?」
「いえ」
司明は静かに首を横へ振った。
「星の意味が定まり次第、正式に陛下へ上奏いたします」
「……そうか」
承辰は胸をなで下ろした。
「大事な職務なら仕方ない」
そう言いながらも、肩は目に見えて落ちている。
司明はその様子を見て、思わず苦笑した。
客星のことより、星澪に会えなかったことへ落ち込んでいるのは
誰の目にも明らかだった。
「陛下。昨夜はいかがでしたか?」
「星澪へ尋ねても、『例年どおり観測は無事に
終わりました』としか申さずでして」
「ああ……まあ」
承辰は照れくさそうに頬をかいた。
「楽しかったぞ。流星群の話も興味深かったし、勉強にもなった」
自然と笑みがこぼれる。
「それは何よりでございます」
司明も満足そうに微笑んだ。
「そうだ」
承辰は思い出したように口を開く。
「星澪から、名前の由来を聞いたぞ。
先代の天官長に拾われた、と」
その瞬間。司明の表情が凍りついた。
「……司明?」
「陛下」
司明は周囲を確認してから、小さく声を落とした。
「星澪は、それ以上何か申しておりましたか?」
「いや。流星群の夜だったことと、
およそ十八歳だという話くらいだ」
司明は静かに息をつく。
「陛下。この天文台では……いえ、太史局では」
「先代天官長について語ることは、御法度にございます」
「なんだって?」
承辰は目を見開いた。
「その名を口にすれば、箝口令違反として罪に問われます」
「そこまで……?その者は、一体何をしたんだ?」
司明は苦しそうに目を伏せた。
「……申し上げられません」
しばらく沈黙したあと、静かに頭を下げる。
「ですが。陛下でしたら、十二年前の出来事をお調べいただけるかと」
そう言い残し、司明は深く一礼して静かに立ち去っていった。
*
「こちらでございます」
靖遠は一冊の分厚い記録書を静かに机へ置いた。
「これが、太史局の記録か」
承辰は書物を開き、ゆっくりと頁をめくる。
「先代天官長の名は?」
「司天衡にございます」
「司……天衡」
承辰は索引を指で追った。
「あった」
目を走らせる。
『暦の改訂を直訴』
『星読みを誤る』
その次の一行で、指が止まった。
『――斬首』
「……」
承辰は、しばらく言葉を失った。
静寂の中、靖遠がゆっくりと口を開く。
「陛下。天衡は十二年前、旧暦では天の巡りを正しく示せぬとして、
新たな暦への改訂を先帝へ直訴いたしました」
「そして、旧暦と新暦、どちらが正しいかを競うこととなり……負けたのです」
承辰は無言のまま頁をめくる。
さらに古い記録。
また一人。
また一人。
星読みを誤った天文官の名が、記録から消えていた。
いつしか手が止まる。
承辰はゆっくりと椅子へ腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……なぜ」
かすれた声だった。
「なぜ、ここまで重い処罰になる?」
靖遠は静かに答える。
「天を読み、星を読むということは。
国の運命を読み。民の未来を預かること」
「そして、ときには陛下ご自身の御運命を左右することでもございます。
読みを誤るとは、それほど重き責を負うということです」
承辰は目を伏せた。
「では……」
小さく呟く。
「天文官たちは。星澪は……いつも命を懸けて、星を読んでいるのか」
「左様にございます」
靖遠は迷いなく頷いた。
「この国のため。民のため。そして何より――陛下のために」
承辰は静かに目を閉じた。
これまで。不安になれば天文台へ向かい。
何気なく星を尋ね。
何気なく星澪へ頼ってきた。
その一つひとつが。
彼女にとっては、命を懸けた星読みだったのだ。
「……何も、知らなかった」
その小さな呟きは、静かな部屋へ溶けるように消えていった。
*
――数日後。
承辰は再び天文台を訪れた。
「陛下」
星澪はいつものように、水運儀象台の上で承辰を迎える。
「今宵の月は、中秋――八月十五日の月にございます」
「ああ」
承辰は夜空を見上げた。
「綺麗だな。なぜ『中秋』と呼ぶんだ?」
「はい」
星澪は月を見上げながら答える。
「古くは春・夏・秋・冬をそれぞれ三つに分け、その真ん中の秋、
さらにその真ん中の夜に昇る月ゆえ、『中秋の名月』と申します」
「なるほど」
静かな時間が流れる。
夜風が二人の髪をやさしく揺らした。
承辰はふと思い出したように口を開く。
「客星の件、報告を受けた。
厄星ではなく吉祥の星だったそうだな」
星澪は穏やかに微笑む。
「はい。光は清らかで、星宿を犯しておりませんでした。
乱れではなく、交代と刷新を告げる星にございます」
「交代と刷新?」
「陛下はご即位されたばかり。新たな御代を祝う星でございました」
変わらぬ落ち着いた口調。
その姿を見つめながら、承辰は思わず尋ねていた。
「……怖くないのか?」
その言葉に、星澪がゆっくりと振り向く。
「星を読み。その結果を人へ伝えることが」
国の未来も。
人の命も。
その一言に左右される。
その重さを知った今だからこそ、聞かずにはいられなかった。
「怖くありません」
星澪は静かに答える。
「星は、間違えませんので」
迷いのない瞳だった。
承辰は言葉を失う。
同じ十八歳。
ただの少女だと思っていた。
だが違う。星澪は。
そのすべてを理解した上で。
星と共に生きる道を選んでいる。
「……遠いな」
思わず本音が漏れた。
「はい」
星澪は月を見上げる。
「月は、とても遠い場所にございます」
その答えに承辰は苦笑した。
「……違う」
小さく首を振る。
「君のことだ。同じ歳なのに、オレより覚悟を持って
使命を果たそうとしている」
「オレも、それぐらい覚悟を持った皇帝になりたい」
星澪は少しだけ目を丸くした。
だが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「陛下でしたら――必ず、なれます」
星澪は、はっきりと言った。
その言葉に、承辰の胸が熱いもので満たされていく。
(もっと近づきたい)
(胸を張って、君の隣に立てるくらい)
(もっと星澪に、相応しい人間になりたい)
胸に灯った決意を、承辰はいつまでも大切に噛み締めていた。
【用語解説】
・客星
新星や超新星など、ふだんは見えないのに、ある時期だけ
突然あらわれるように見える星のこと。
古代中国では「客(よそから訪れたもの)」になぞらえて
客星と呼び、重要な天文現象として詳しく記録された。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また次の夜空で、お会いできたら嬉しいです。
続きが気になりましたら、ブックマークで
見守っていただけますと励みになります。
*平日10時ごろ更新(週5更新)/全21話・8/14完結予定。




