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宮廷の星読み姫 ―無自覚天文官は皇帝の恋心を知らない―  作者: 麻倉ロゼ
第一章 「七夕」

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第四話 「紫微星と、恋の始まり」

ご覧いただきありがとうございます。

今夜も星澪と承辰の物語をお届けします。

どうぞ最後までお楽しみください。

 かくして。天下泰平という大義名分のもと。

承辰しょうしんは、日暮れから戌の刻まで、堂々と

天文台で過ごせるようになった。


なぜか、その時間になると天文台から人の姿は消え。

残るのは、承辰と星澪せいれいの二人だけ。


さぞかし淡く、瑞々しい時間が流れている――

……かと思われたが。


「……もう駄目だ」


承辰は大きく肩を落とし、頭を抱えた。


「何もかも上手くいかない。不安しかない……」

深いため息をつき、その場にしゃがみ込む。


天文台へ着くなり、この調子だった。

水運儀象台すいうんぎしょうだいの最上階へ上がってからも、承辰は欄干らんかんにもたれたまま、

何度もため息をついている。


「陛下。今宵は、いかがなされたのですか?」


さすがの星澪も心配そうに声を掛けた。


承辰が天文台へ通い始めてからというもの。

式典の日取り。政務の悩み。

心配事の数々を、星読みで解きほぐしてきた。


しかし今夜は違う。


これまでとは比べものにならないほど、空気が重かった。


「明日の奉納の儀は」


承辰は祝詞が書かれた紙を強く握り締める。


「本当に、失敗できないんだ」


疲れ切った表情だった。

目の下にはうっすらと隈まで浮かんでいる。


「……明日は。星は、何と言っている?」


承辰は力なく夜空を見上げた。


星澪は静かに空を仰ぐ。ゆっくりと星々を見渡し、

穏やかに口を開いた。


「明日は、朝には吉宿きっしゅくが南にございます」


「式が始まる頃には、凶を避けた刻に太陽が中天を越えます。

空の上には、乱れた星の巡りは見当たりません」


「……本当か?」


承辰は半ば信じられないような表情で尋ねた。


「はい」


星澪は迷いなく頷く。


「星は、決して間違えません」


静かで。けれど、揺るぎない声だった。

その圧倒的な自信に、承辰は余計に自分が小さく見えた。


「……君も」


ぽつり、と呟く。


「オレみたいな奴、皇帝に相応しくないと思っているんだろう」


欄干にもたれ、不貞腐れたように夜空を見上げる。


「思いません」


星澪は、即座に答えた。


「そんな訳ないだろ」


承辰は力なく笑う。


「一国の皇帝が。こんなにも後ろ向きで。

心配性で。失敗ばかりなんだ」


自嘲するように笑い、また一つため息をつく。


「先代……父上は偉大な方だった。

その後がこれでは。嫌でも比べられる」


承辰はその場へ座り込み、膝を抱えた。


夜は静かだった。

聞こえるのは、虫の鳴き声だけ。

風が木々を揺らし、草花を渡り。

湿った土の香りを、そっと運んでくる。


「陛下は、良い皇帝になります」


不意に、星澪が口を開いた。


承辰が顔を上げる。

いつの間にか、星澪はすぐ向かいに座っていた。


月明かりを受けた長い髪は淡く輝き。

その瞳には、満天の星が映っている。


「必ず、良い皇帝になられます」


「……なぜそう言える?」


承辰は小さく尋ねた。


「星が、そう申しております」


星澪は迷いなく頷く。

 

「だから私も。陛下が良い皇帝になられると、信じております」


「……星が」


承辰はぽつりと呟いた。


「陛下。どうぞ、あちらをご覧ください」


星澪は北の空を指差す。

承辰も静かに夜空を見上げた。


「北の空には、紫微しびの星々が変わらず座しております。

紫微しびは、陛下の御座みくらであり、

この都そのものを表す星にございます。」


「……紫微しびくらいは、さすがに分かる。」


承辰は小さく笑う。

星澪も微笑み返した。


「昼は太陽の光が強く、星々の姿は見えません。

ですが、空から消えてしまったわけではございません」


星澪は承辰へ近づいた。承辰は思わず息を止めた。

次の瞬間。星澪は、ためらうことなく、

そっと承辰の手を包んだ。


「陛下。ご不安になられた時は、どうか空をご覧ください」


紫微しびの星は……昼も夜も変わることなく。いつも、この都と。

陛下お一人を、静かに見守っております」


「……星が」


承辰は、自分の手へ伝わる温もりを見つめた。


「見守っている」


その言葉は。不思議なくらい、胸へすっと溶け込んでいった。


いつの間にか。胸を締め付けていた不安は、

静かに消えていた。



翌日。


奉納の儀は予定どおり執り行われた。


舞が捧げられ。雅楽が響き。

皇帝の祝詞のりとが、天へと奉げられる。


(……大丈夫)


(あと半分)


昨夜は、手の温もりが取れず、別の意味で眠れなかった。

それでも、不思議と心は落ち着いていた。


大丈夫。上手くできている。

そう思った、その時だった。


声が、かすれた。


心臓を鷲掴みにされたような圧迫感。

震える手。焦りで揺れる視界。

周囲の空気が、一瞬で変わる。


まただ。


いつも、こうだ。


やっぱりオレは――。


その時。ふと、視界へ青空が映った。

雲ひとつない空に、太陽だけが、まばゆく輝いている。


『紫微の星は』


『昼も夜も変わることなく』


『いつも、この都と。陛下お一人を』


『静かに見守っております』


星澪の声が、優しく胸へ響いた。


(星が)


(見守っている)


承辰は、小さく息を吐き、

ゆっくりと、正面を見据える。

ざわめきは消え、辺りは再び静寂に包まれる。


そして。


祝詞のりとは最後まで途切れることなく、

堂々と天へ響き渡った。


奉納の儀は、無事に幕を閉じた。


(星が、見守っている)


承辰は祭壇を静かに降りた。

参列者から見えない裏手へ回る。

頭の中では、星澪の言葉が何度も繰り返されていた。


――紫微の星は。


――昼も夜も。


――変わることなく。


――陛下を見守っております。


自然と足元がおろそかになり、その瞬間。


ずるっ。


「あ、」


一歩踏み外した。


「痛っったぁぁぁーー!!」


そして、そのまま盛大に階段を転げ落ちる。


「陛下!!」


「陛下ー!!」


臣下たちが一斉に駆け寄った。

承辰は仰向けに倒れたまま、ぼんやり空を見上げる。


雲ひとつない青空。

見えないはずの星が、そこにある気がした。


(……オレを見守ってくれる星)


その星を思い浮かべようとすると、

一人の少女の笑顔が重なった。


「……星澪せいれい


その名を口にした瞬間。


どくん。

心臓が大きく跳ねた。


「――!!?」


承辰は勢いよく飛び起きる。


「陛下!?」


「大丈夫でございますか!」


「だ、大丈夫!何ともない!」


大袈裟に手を振り、慌てて答える。


「そのようなお顔をされて!」


「全然、大丈夫ではございません!」


「……え?」


承辰はきょとんとした。


「耳まで真っ赤でございます!」


「医者を!医者をお呼びしろ!」


「陛下が熱を出されたぞーー!!」


こうして、承辰の人生初めての恋は、

誰にも気づかれぬまま静かに始まった。


――いや、周囲だけはとっくに気づいていたのだが。





【用語解説】


紫微しび紫微垣しびえん

古代中国の天文学で、北極星とその周囲の

星々をまとめた天の宮廷。

天帝が住む宮殿と考えられ、

皇帝・后妃・太子・近臣などを表す

星官せいかんが集まる場所とされた。


紫微宮しびきゅう」「紫宮しきゅう」とも呼ばれ、

古代中国では皇帝を象徴する星域として最も尊ばれた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また次の夜空で、お会いできたら嬉しいです。

続きが気になりましたら、ブックマークで

見守っていただけますと励みになります。


*平日18時ごろ更新(週5更新)/全21話・8/14完結予定。

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