第二話 「星の時計と、始まりの予感」
ご覧いただきありがとうございます。
今夜も星澪と承辰の物語をお届けします。
どうぞ最後までお楽しみください。
皇帝――承辰が星澪のもとへ通うようになって、数日が経った。
式典や儀式の日取り。日々の小さな不安。
そのたびに星を読み解いてもらい、安心して帰る。
そんな夜が続いていた。
星澪は、宮廷で知らぬ者はいないほど名高い天文官だった。
外れない星読み。
その評判は宮廷にとどまらず、地方の有力者までもが
助言を求めて訪れるほどらしい。
「確かに……」
承辰は小さく笑う。
「今まで、一度も外れたことがない」
この国の皇帝である自分でさえ、こうして足を
運んでしまうのだから。
「もうすぐ国家最大の奉納の儀がある……。
それまでに、少しでも不安をなくしたい」
自分の精神安定のため……そう思っていた。
しかし、今では気づけば、一日の終わりに
星澪の顔を見ないと落ち着かなくなっていた。
*
今日も門を開くと、頭上には満天の星空が広がっていた。
星々は煌めき、天の川が静かに夜空を横切っている。
「君は毎晩ここにいるんだな」
承辰は楼閣の上にいる星澪へ声をかけた。
「陛下も毎晩いらっしゃいますね」
星澪は静かに微笑み、楼閣から降りてくる。
「この時間はいつも上にいるな」
「はい。観測の時間ですので」
「観測? この楼閣で?」
星澪は小さく笑った。
「陛下。こちらは水運儀象台にございます」
「水運儀象台?」
承辰は改めて楼閣を見上げた。
確かに、普段目にしている楼閣とは佇まいが違う。
「水の流れる速さで時を測る漏刻の力を利用し、
星の動きと時を同時に測る天文時計です」
「上層では星や日月を観測し、中層では天球の動きを再現し、
下層では時を知らせるからくりが動いております」
「中をご覧になりますか?」
星澪に案内され、水運儀象台の中へ入る。
「……すごいな」
思わず感嘆の声が漏れる。
扉をくぐると、まず目に飛び込んできたのは、
縦に五層にも積み重なった巨大な歯車だった。
各層の歯車には、木でできた人形が並べられ、それぞれに時刻を表す札を持っていた。
その奥には、天井へ届くほどの大水車。
さらに奥では、下の水壺から水を汲み上げ、絶えず
循環させる河車が静かに動いている。
さらさらと水が流れる音。
ガタン、ガタン――。
一定の間隔で大水車がゆっくりと回るたび、
その力が歯車へと伝わり、楼閣全体が
生き物のように静かに脈打っていた。
「中は、意外と狭いんだな」
承辰は辺りを見回しながら呟く。
「どういう仕組みなんだ?」
「塔の中では絶えず水が流れ、その力が水輪を回します。
その力が歯車へ伝わり、天球儀や時計を動かしているのです」
「へぇ!すごいな!」
「これにより、天の星の巡りと、
人の世の時が常に一致するよう工夫されています。
さらに一定の刻になると人形が現れ、
鐘や鼓を鳴らして時刻を知らせます。」
「なるほど」
承辰は歯車を眺めながら頷いた。
「つまり、この楼だけで星の位置や、時間も分かるということか」
「そうです!」
その瞬間だった。星澪の声がぱっと弾む。
「その通りです!」
承辰は思わず肩を震わせた。
「星と時間が分かれば、季節も、暦も分かります!
しかも、とても正確に!」
星澪は夢中になって承辰との距離を縮めていく。
「この水運儀象台は、前の時代に造られた偉大な発明でした。
一度は失われ、二度と再現できないと言われていたのですが――」
星澪は誇らしそうに楼閣を見上げる。
「先々代の天文官たちが、当時の記録をもとに復元したのです!」
さらに一歩。
気づけば、二人の距離はすぐ目の前だった。
「百年以上もの間、この天文台で星と暦と時間を刻み続けています」
「ひ、百年……確かにすごいな」
「我が国の天文学がここまで発展したのも、
この水運儀象台があったからなのです」
頬を紅潮させ、瞳を輝かせて語る星澪。
普段の落ち着いた姿とはまるで違う。
無邪気に好きなものを語る少女がそこにいた。
「そ……そうか」
承辰は思わず見惚れていた。
「さらにですね――」
もう一歩踏み出そうとした、その時。
段差に足を取られ、星澪の身体が傾く。
「危ない!」
承辰は慌てて抱き留めた。
狭い楼の中。
気づけば星澪は承辰の腕の中にいた。
「うわああっ!?」
承辰は慌てて両手を上げる。
女の子を抱き留めたのは初めてだった。
衣越しに伝わる温かさ。柔らかな髪。
ほのかに香る香。近すぎる距離。
心臓が壊れそうなほど高鳴る。
「申し訳ありません」
星澪は何事もなかったように離れ、深々と頭を下げた。
「陛下に大変失礼なことを……」
「い、いや。気にしていない」
少しだけ声が裏返ってしまったが。
「私、星のことになりますと……つい我を忘れてしまいまして」
「そうか……確かに」
承辰は苦笑する。
「陛下は星にご興味がおありなのですか?」
期待に満ちた瞳が承辰を見つめた。
「ん?」
星には詳しくない。
だが、この数日で星読みには随分助けられている。
……いや。
助けられているのは星ではない。
承辰は目の前の少女を見つめる。
「……興味は出てきている」
思わず、本心が口をついていた。
「まあっ!」
星澪は瞳をぱっと輝かせた。
「では、上で星をご覧になりませんか?」
承辰は星澪に案内され、水運儀象台の最上階へ上った。
そこには星と日月の位置を測る渾儀が据えられていた。
欄干へ近づいた瞬間、視界が一気に開けた。
「すごい」
思わず声が漏れる。
雲ひとつない夜空。満天の星々を、
大きな天の川が悠々と横切っていた。
「天の川がよく見えるな」
「はい」
星澪は静かに微笑む。
「陛下は牽牛と織女のお話をご存じですか?」
「七夕に年に一度だけ会える恋人の話だろう?」
「そうです」
星澪は天の川を指さした。
「夜空のあの二つの星は、西の岸にかかる明るいほうが牽牛星、
東の岸に白く澄んでいるのが織女星にございます」
夜風が二人の髪を揺らす。
「星学では、牽牛は男の農事、織女は女の養蚕と機織りを司る星とされ、
もとは天の上で、田を耕す者と機を織る者という
一対の働きの神格でございました」
「仕事の神だったのか」
「はい」
星澪は頷く。
「昔、天帝にはひとりの孫娘があり、雲錦を織ることを
務めとしておりました。それが織女にございます」
「天帝は仕事ばかりしていた織女を憐れみ、天の河、
すなわち銀河の西岸に住む牽牛という青年に嫁がせます」
「ですが二人は恋に夢中になり、仕事を忘れてしまいます」
「恋をすると、そういうものなのかもしれないな」
承辰は思わず笑う。
「そうなのでしょうか?」
星澪は首を傾げた。
「その結果、天帝は怒り、織女をふるさとの岸へ引き戻し、
牽牛とは天の河を隔てて引き離してしまいます」
「なるほど。だから二人は離れているのか」
「ただし情けから、年に一度、七月七日の夜だけは、
鵲の群れが翼を重ねて橋を作り、その上で二人が会うことを
お許しになった――それが七夕にございます」
「なるほど」
二人はしばらく天の川を見上げた。
「もともと牽牛と織女は、人の世の暮らしを支える星でした。
だから七夕には機織りや裁縫の上達を願い、よき夫婦の縁を祈る
『乞巧』の行事が行われます」
虫の声だけが静かに響く。
「確かに。宮廷でも機織りたちが腕が上がるよう、祈りを捧げていたな」
承辰は天の川に隔たれた二つの星を見つめた。
「恋人の話というより、働く人々の星だったのか」
「はい。天の上で、それぞれの役目を果たす星なのです」
星澪は穏やかに頷いた。
「それでも。年に一度しか会えないなんて、やっぱり切ない話だ」
承辰は思わず呟いた。
自分で口にして、少し照れくさくなる。
星澪は不思議そうな顔をした。
「引き離された理由は、仕事を怠ったからです」
「うん?」
「天の理に背いた者たちが会うことの、
何が心を打つのでしょう」
承辰は思わず吹き出しそうになった。
「好きな相手なら、気になる相手でも毎日会いたいと思わないのか?」
星澪はしばらく考え込む。
「会えないほうが楽ではありませんか?」
「え?」
「陛下は会いたいと思うのですか?」
「そ……そうだな」
「毎日?」
「……そうだな」
「毎日だなんて」
星澪は本当に不思議そうに首を傾げた。
「疲れませんか?」
「……」
「一人でも仕事はできます。軌道も正しく保たれますし」
承辰はぽかんと口を開けた。
年頃の娘とは皆こういうものなのか。
いや。
この星読み姫が変わっているのだ。
たぶん少し。
……いや、かなり。
【用語解説】
・水運儀象台
北宋時代に造られた巨大な天文観測装置。
水の力で天球儀や時計を動かし、星の位置や
時刻を正確に観測できた。
世界最古級の天文時計ともいわれ、古代中国の
科学技術を象徴する建造物である。
・漏刻
昔の中国で使われた水時計。
壺や箱にたまる水の高さや、小さな穴から
流れ落ちる水の量で時刻を測った。
水をためる器を漏壺、
目盛りを刻んだ棒で時刻を読む部分を漏箭という。
・渾儀
中国で発達した天体観測用の器械。
天は球のように地上を包み、その中心に大地があると考える
「渾天説」にもとづいて作られた。
輪を回して星や太陽、月、惑星の位置を測ることができる。
現代の天球儀や天体観測機器の原型ともいえる装置。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また次の夜空で、お会いできたら嬉しいです。




