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宮廷の星読み姫 ―無自覚天文官は皇帝の恋心を知らない―  作者: 麻倉ロゼ
第三章 「日食」

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第四話 「日食と、新たな始まり」

ご覧いただきありがとうございます。

今夜も星澪と承辰の物語をお届けします。

どうぞ最後までお楽しみください。

 日食対決当日。

宮廷のみならず、都中の人々が、その時を

今か今かと待ちわびていた。

誰もが空を見上げ、天の答えを待っている。


宮廷では、天文台のある高台に特別な観測台が設けられ、

多くの臣下や天文官たちが集まっていた。


「いよいよだな」


承辰しょうしんも、緊張した面持ちで空を見上げる。


青く澄み切った空。

燦々と輝く太陽の傍らには、月が静かに近づいていた。


「旧暦では、都では太陽の一部が欠けるのみ。昼が少し薄暗くなる程度」


承辰は高台から旧暦派へ目を向けた。


老いた天文官たちは空を見上げながらも、

その表情には隠しきれない不安と焦りが浮かんでいる。


続いて視線を移す。


「新暦では、都は真昼でありながら夜のような

暗闇に包まれる。皆既日食となる」


星澪せいれいは静かに空を見つめていた。

その瞳に恐れはない。

ただ、揺るぎない確信だけが宿っていた。


承辰も静かに空を見据える。


(オレは、星を信じている)

 

(星澪を、信じている)

 

(それでも……)

 

不安を打ち消すように、承辰は深く息を吐いた。


「さあ。天の声を、見せてもらおう」


やがて、予測された刻を告げる太鼓が高らかに鳴り響いた。

それを合図に、都中のあちこちから太鼓や

銅鑼どらの音が次々と響き渡る。


そして。


世界は静寂に包まれた。

誰もが息を止め、空を見上げている。


月が、ゆっくりと太陽へ近づく。

その時、西からの風に黒い雲がゆっくり流れ始め、

太陽と月を覆い隠した。


「雲が……!」


ざわめく観測台。


「おい!」


「見えなくなるぞ!」


承辰も思わず祈る気持ちで、空を見上げる。


(頼む……!)


(あと少しなんだ!)


また風が吹き、雲がゆっくりと流れていく。

その下から、輝く太陽と、寄り添うように月の姿が現れた。

月は太陽に近づいていき、太陽の光が少しずつ削られていく。


少しずつ。


ほんの少しずつ。

 

やがて最後の光が消え――

昼だった世界は、一瞬にして夜へ変わった。


鳥の鳴き声は止み、虫が鳴きはじめる。

気温が下がり、あたりは一層静まり返った。

誰もが息を呑み、その奇跡を見つめていた。


暗い静寂の中。

再び月がゆっくりと動き始める。

闇を押し退けるように、一筋の陽光が地上へ差し込んだ。

その光は瞬く間に世界を照らし、再び昼を取り戻していく。


人々は思わず膝をついた。


神々しい光景に、声も出す事もできず、ただ天を仰ぎ、

見入ることしかできなかった。


承辰はその光景を目に焼き付けると、静かに星澪へ視線を向けた。


星澪は、ただ静かに空を見つめていた。

十二年前。師匠せんせいとともに見るはずだった、

その空へ思いを馳せながら。

降り注ぐ陽の光が、星澪を照らしていた。

まるで天に祝福されているように。

 

「……綺麗だな」


その姿を見つめ、承辰は思わず呟く。


「皆既日食――!」


観測官が高らかに叫んだ。


「新暦派の勝利にございます!」


太鼓が鳴り響く。

都中から歓声が湧き起こった。


けれど。


その歓声は星澪の耳には届いていなかった。

ただ一人。静かに空を見上げ続けていた。


「星澪」


承辰は星澪のもとへ歩み寄った。


「見事、天の声を示したな」


誰にも聞こえないほど小さな声で、


「……やったな」


そう囁く。


星澪は夢から覚めたように瞬きをし、

慌てて膝をついて頭を下げた。


「陛下……!もったいないお言葉にございます」


「いや」


承辰は空を見上げ、穏やかに笑う。


「実に神秘的だった。まるで龍が太陽を食らっているようだったぞ」


その言葉に、新暦派の天文官たちも思わず笑みを浮かべた。

誰もが誇らしげに星澪を見つめている。


やがて承辰は表情を引き締め、旧暦派の方へ向き直った。


元綱げんこう


張元綱ちょうげんこうは静かに前へ進み出る。

その顔からは血の気が失せ、深くうなだれていた。


「暦がずれていたことに、異論はないな」


「……ございません」


元綱は深く頭を垂れる。


「天が示した通りにございます。

すべての責は、この元綱にございます」


あたりが静まり返る。

誰もが、処罰の言葉を待っていた。


承辰は静かに息をついた。


「これより先は。新たな暦のもと、

この国のため、さらに星を究めよ」


その一言に、観測台がどよめいた。

元綱も、旧暦派の天文官たちも、

信じられないというように顔を見合わせる。


天文官は、星を外せば処罰される。

それが、この国の常識だった。


「旧暦は、確かに今日、外れた」


承辰は静かに続ける。


「だが、それは時代が進み、天の巡りと

少しずつずれていっただけだ」


「その暦もまた。長きにわたり、この国と民を正しく導いてきた。

余は、旧暦を否定するつもりはない」


承辰は真っすぐ元綱を見据えた。


「――そして。これから先。星読みを誤ったという理由だけで、

人を処罰することはしない」


静かな声だった。

だが、その言葉は誰の胸にも深く響いた。


「余は。人が星を疑うことで誰かを失う国には、したくない」


その言葉は。

流星のように、星澪の胸へ降り注いだ。


「……っ」


息が止まる。

星澪はそっと胸へ手を当てた。

十二年前。

あの日、誰よりも聞きたかった言葉だった。


「これにて、一件落着だ」


承辰は、にっと笑う。

その笑顔に。誰もが呆気に取られ。

そして次の瞬間。新暦派も、旧暦派も。

その場にいたすべての者が、一斉に深く頭を下げた。



 それから――。


新たな暦の制定へ向け、太史局は慌ただしく動き始めた。


旧暦派も、新暦派も関係ない。

誰もが肩を並べ、新しい暦を完成させるため、それぞれの責務に励んでいた。


この国のため。民のため。

そして何より――若き皇帝のために。


承辰の慈悲深い裁きは、瞬く間に国中へ知れ渡った。

「天は慈悲深き皇帝へ、再び陽の輝きを授けられた」

そんな噂は都中へ広まり、人々は大いに沸いた。

そのおかげで、「まつりごとに無関心な皇帝」という汚名はすっかり消え去った。


……ただ一つ。

「一人の女性に振り回されている皇帝」という

噂だけが、静かに都へ残った。


「……納得がいかない」


承辰は頬を膨らませた。


「陛下」


靖遠は髭を撫でながら、穏やかに言う。


「火のない所に煙は立たぬ、と申します。

多少なりとも、お心当たりがおありでしょう」


「……」


承辰は深々とため息をつき、じろりと靖遠を睨んだ。


日食対決は終わった。

しかし今度は、新しい暦を制定する式典の準備で、

宮廷は再び忙しい日々を迎えていた。


「失礼いたします」


執務の間へ、星澪を先頭に天文官と文官たちが入ってくる。


「陛下」


「星澪!」


承辰の顔がぱっと明るくなる。


「久しぶりだな!」


日食以来、久しぶりに会う星澪は、

どこか晴れやかな表情をしていた。


「陛下」


文官が報告を始める。


「暦制定の儀まで、すべて滞りなく進んでおります」


「うん、そうか」


返事をしながらも、承辰の視線は星澪へ向いたままだ。


「おほん」


靖遠がわざとらしく咳払いをした。


「陛下」


「なんだ?」


「新しい暦のお名前は、お決まりでしょうか」


「ああ」


承辰は腕を組み、少し考える。


「そうだな……」


ふと、思いついたように顔を上げた。


「星澪暦かな」


執務の間が、一瞬で静まり返る。


「……却下でございます」


靖遠が即答した。


「却下です」


文官たちも続く。


天文官たちも苦笑しながら首を横へ振った。


星澪は顔を赤くし、


「恐れ多く存じます……」と、小さく呟く。


「えぇっ!?」


まさか全員に反対されるとは思わず、承辰は思わず声を上げた。


その後。


新しい暦は、『天の運行と調和する暦』という願いを込め、

――天和暦、と名付けられた。



「……オレは本気だったんだけどな」


承辰は腕を組み、少し不貞腐れていた。


日が暮れ、水運儀象台すいうんぎしょうだいにて。

久しぶりに二人きりで星を眺めていた。


夜空には満天の星が広がっていた。


「新しい暦に。君の名前を残したかった」


承辰は夜空を見上げたまま呟く。


「承辰様……」


星澪は少し驚いたように目を丸くし、それから優しく微笑んだ。


「でしたら。その暦で、多くの人々が幸せに暮らせるのであれば。

私は、それだけで十分でございます」


「……そうだな」


承辰も笑った。

二人は顔を見合わせ、小さく微笑み合う。


冷たい夜風が吹き抜けた。

「だいぶ冷えてきたな」

 

承辰は羽織っていたきゅうを脱ぎ、そっと星澪の肩へ掛ける。


「承辰様!」


星澪は慌てた。


「いけません。承辰様が冷えてしまいます」


「星澪だって寒いだろ」


「私は大丈夫です」


「いや、大丈夫じゃない」


承辰は少し考えた後、照れながら、一歩だけ近づく。


そして。

きゅうを自分の肩にも掛け直し、お互いを包み込んだ。


「これなら……いいだろ」


「……はい」


星澪は、ぱちぱちと瞬きをする。


肩が触れる。互いの体温が、きゅう越しに

ゆっくり伝わってきた。


髪も。指先も。

少し手を伸ばせば触れられる距離。


承辰は星澪を見つめる。


「……綺麗だ」


「はい」


星澪は夜空を見上げた。


「今日は空気が澄んでおりますので、星がとても綺麗です」


「違う」


承辰は小さく笑う。


「……?」


星澪は首を傾げた。


そのまま二人は肩を寄せ合い、静かに夜空を見上げ続けた。


やがて。


「……くしゅんっ!」


承辰の小さなくしゃみが、静かな天文台へ響いた。

星澪は思わず笑みをこぼした。

二人の笑い声は、満天の星空へと優しく溶けていった。





【用語解説】

日食にっしょく

月が太陽の前を通ることで、太陽が欠けて見える現象。

古代中国では、日食は国家を揺るがす重大な天変と考えられ、

正確に予測することは天文官の最も重要な役目の一つだった。

実際の歴史でも、日食予測の失敗を理由に天文官が

厳しく処罰された記録が残されている。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また次の夜空で、お会いできたら嬉しいです。

続きが気になりましたら、ブックマークで

見守っていただけますと励みになります。


*平日10時ごろ更新(週5更新)/全21話・8/14完結予定。

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