ロレッタ5
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クライヴは毎日手紙を送ると言ったはずだ。
それなのにもう五日も来ていない。一日か二日は配送の関係で届かないことはあったが、こんなに長く届かないのは初めてだ。
どこかで土砂崩れでもあって手紙が届かないに違いない。きっとそうだ。
そう自身に言い聞かせても気になってしまい、刺繍していても指に針を刺してしまう。これでは刺繍が完成する前に血染めハンカチが出来上がる。
商会の翻訳の仕事がせっかく楽しくなってきたのに。
ずっと裏方で翻訳をしていたが、この間は通訳できるスタッフがちょうど不在の時に他国からの旅行客が来たので、ロレッタが対応したのだ。
途中から兄も加わってくれたので、最終的には何とかなった。
外国語はいい。使っている時、ロレッタは自分が別人になっているような気がするからだ。
客が笑顔で帰っていき、隣に兄がいるにもかかわらず安堵のあまり大きく息を吐く。
「ロレッタ」
兄に呼ばれてビクリと体が跳ねた。
王女の威光に縋って自分の気持ちを言い放ってしまってから、ロレッタは兄をなんとなく避けていた。兄もそうだったのだろう。
「あ……お兄様、勝手なことをしてすみませんでした」
「いや、店員が困ってロレッタを呼んだんだろう」
その通りなのだが、ロレッタには身の程を弁えて「できない」と断る選択肢もあった。しかし、あの客は明朝には帰らないといけないと話していたので、せっかく来てくれたのだからと商品の説明をしたのだ。結局その客は、ロレッタが薦めたうちの一つを土産として買ってくれた。
茶会では商品を身に着けていただけだったけれど、こうやって身に着けていなくても拙い説明でも成果が出たのは嬉しかった。
「まぁ……まだまだだけど、良かったじゃないか。ロレッタの一生懸命さは伝わったようだし、独りよがりではなく話もきちんと聞いてあげていた。少しどもって聞こえづらいところがあったのと、緊張して二度同じ説明をしかけていたけど」
「お兄様のようにはできておらず、すみません……」
「いいや、俺もロレッタをいつまでも小さい子供のように扱うのをやめなきゃいけなかったんだ。可愛い引っ込み思案な妹のために危険は先回りして全部取り除かないといけないと思っていたけれど、いつの間にか成長してこんなレディになっていたとは」
クライヴに庇ってもらう前は、兄がいじめられているロレッタを庇ってくれていたのだ。人と向き合うのも、自分の気持ちを口に出すのも怖かった。兄に甘えてしまっていたのも事実なのだ。
「お兄様がそう思っても仕方がありません。お兄様から見たら、私はどんくさくて、自分の言葉で言い返すこともできない頼りない妹だったと思います」
「確かにそうだが、俺や父さんみたいに言い返して敵を作りやすいのもなぁ」
「あぁ、お兄様はそれを気にしていらっしゃったんですか」
「思っていることを言っているだけなんだがキツイと言われてしまうからな。仕方がない。ロレッタが茶会で何か言われるのも、大半は俺と父さんが敵を作りやすいせいだし。それでクライヴも気を遣って守ってくれてたんだろ」
クライヴの名前が出て、気持ちが沈むのを感じた。
仕事に勤しんでいる間は彼のことを考えなくて良かったのに。
「最近、手紙が来てないんじゃないか?」
「……どこかで土砂崩れでも起きて道が使えなくて、遅れているだけです」
「気になるなら、ロレッタから書いてみたらいいじゃないか」
「それは……」
兄はいつもこうだ。ロレッタにとって非常に難しいことをいとも簡単に言ってのける。
ロレッタがまごついている間に、兄はさっさといとも簡単に壁を登ってしまうのだ。ロレッタにとって高い壁は、兄にとっては雑草みたいだ。
「ロレッタがクライヴのことを好きなのは分かっている。クライヴも多分そうなんだろう。学園で他の令嬢といると聞いた時には驚いた。そんな器用なことができる男じゃないと俺は見ていたから。そうしたら案の定、魅了だったわけだ」
「お兄様も、魅了なんだから許してやれと言いたいのですか……?」
「違う違う。ただ、クライヴが魔物に襲われて怪我をしたかもしれないじゃないか。そんな時、意地を張っていたら後悔するんじゃないかと思って」
兄とそんな会話をしたせいで不安になりながら帰ると、クライヴから手紙が届いていた。
なんだ、やっぱり土砂崩れか何かよ。それか、クライヴがうっかり手紙を出し忘れたのだ。これまでの四か月間手紙が届いていたのが奇跡に近かった。
封を切って違和感に気づく。
これは、クライヴの字じゃない。クライヴの字はもっとカクカクしていて大きい字だ。それなのに今回の手紙の文字は流麗で、女性が書いたかのような──。
間違った手紙を開けてしまったかと確認して、ちゃんとクライヴと書かれていることを確認する。署名だけはこれまでのクライヴのものだった。
手の微かな震えを無視して、手紙を読み進める。
『クライヴ・ベリエが体調不良のため自筆できず、私アデルが代筆させていただきました。長く手紙を書くことができず、本人も大変申し訳なく思っていることをここにお伝え申し上げます』
体調不良とはどういうことだろうか。
国境で何か病気でも流行っている? 魔物に襲われて怪我でもして、それを言いたくなくて体調不良と書いているの?
ロレッタは、クライヴのことを強くて素敵だと信じていた。魔物くらいクライヴにかかれば簡単に倒せるんじゃないかとも考えていたし、同時に、クライヴが怪我をするほど魔物を深追いもしないし無謀なこともしないだろうとも思っていた。
この文章では情報が少なすぎる。
手紙が届いたのに、何一つ安心できない。
こんなに心がかき乱されるなら、国境に行く前にもったいぶらずクライヴに許しますと言えば良かったんだろうか。
兄の言う通り、ロレッタは変な意地を張っていた。
自分だけを見てほしいあまり、クライヴに言葉を出し惜しんだ。手紙だって出し惜しんでいた。
どうしよう──。
頭は不安と恐怖に支配されて忙しい。クライヴが死んでしまったら? 今でも手紙が書けないほどなのに……。あるいは、回復してこのアデルという人と恋仲になったら? 今でさえ、手紙の代筆を頼むほどの仲なのに。
それならさっさと、クライヴに魔石なんていいからこれからずっと側にいてと言っておけばよかった。
やっぱり、自分のことは嫌い。
周囲の目を気にして、人の言いなりになってばっかり。
自分の意見を初めて言ったようで全然言えていない。一歩踏み出して行動したようで、結局は親の商会の中で働いているだけ。
ロレッタは他の誰かの世界から一切抜け出していないのだ。
「お父様、私、クライヴ様のところに行ってこようと思います。学園での魅了の件からお父様にもお兄様にもご迷惑ばかりおかけしていますが、我儘はこれで最後にしますから。どうか、どうか行かせてください」
ロレッタは物心ついてから初めて父に懇願した。
王女の前で言ったのとは違う。他人に迷惑をかけながらも、初めて自分の言葉で喋った感覚だった。




