ロレッタ2
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この人は、無視しない。この人なら、話を聞いてくれるかもしれない。
高貴な王女が話を聞いてくれるなんて。
王女マグノリアとはほとんど面識もないのに。
しかし、いざ気持ちや意見を言おうとすると、息ができない。
うまく息が吸えなくて、手が震えた。涙まで自然に溢れてくる。
なんで? なんで言えないの?
「ロレッタはこのように何も言いませんが、最近ずっと落ち込んでおりまして。食事も喉を通っておらず窶れてしまいました」
父は黙っていたが、兄がそう口を開いた。
あぁ、まただ。
また、ロレッタがグズグズしている間に気持ちが兄によって勝手に塗り替えられてしまう。
なんで親切に聞いてもらっているのに言えないのだろう。
涙よりも言葉を出すべきなのに、どうして──。
滑らかに喋り出そうとした兄を、王女は視線で制した。
「私は彼女に質問しているの。あなたには何も聞いていないわ」
冷たい声に驚いたのは兄だけではない。まるで冷たく頬を打たれるような声に、ロレッタの体はびくりと跳ねかける。
「キャラハン伯爵家は、帝国との縁は要らないようね」
「申し訳ございません」
「では、黙っていただける? 私は彼女と話をしているのよ」
威厳のある声だ。
王女は留学していて、彼女の人となりをロレッタはよく分かっていない。
聡明で美しいといういい噂もあれば、何事にも飽きっぽく気分屋だとか、帝国では男漁りをしているといった悪い噂までさまざまだ。
でも、大丈夫だ。
この人の性格はどうであれ、話を聞いてくれる人なんだ。
今、頑張らないと。
もし今何も言えなかったら──きっと、ずっとこのままだ。
「……お兄様とお父様は……どうか、退室、してくれませんか……」
声が情けないほど震えてしまった。
「私は、王女殿下と……お話ししたいのです」
「しかし、ロレッタ……」
渋る父にロレッタは無理やり言葉を被せた。
「私、慰謝料なんて要らない……お父様とお兄様が先回りして行動してくれるのは……ありがたいけど……でも、私の、望んだことじゃないの。私、一度も、望んでないの。クライヴ様のことは、私が、自分でちゃんと、対処したい」
こんなに長く喋ったのは久しぶりだ。
声は全く安定せずに震えて、涙は頼んでもないのに次々出てくる。
「そういうことだから、キャラハン伯爵たちは下がってくださる?」
王女の指示に父と兄を見ると、呆然とした表情だった。ロレッタが彼らを一瞥してすぐに王女に体を向けたので、やがて緩慢な動きではあるが出て行ってくれた。
途端に罪悪感と不安があふれ出す。
養ってもらっている令嬢の分際で、偉そうではなかっただろうか。彼らの与えるものを喜んでいないと知られてしまったら、愛されなくなるのではないか。
でも、ロレッタが言わない・言えないからいけないのだ。彼らは意図を汲んでやってくれていただけなのに。
そんな罪悪感と不安に蓋をして、ロレッタは王女を見た。
「私は、クライヴ様のことは、好きなんです……魅了なんてことがあっても……」
ロレッタの拙い言葉を王女は頷きながら聞いてくれる。
「でも、これから信じられない、って気持ちもあって……でも、でも、私、最悪なんです……クライヴ様は私を半年無視しただけで……でも、私は本当に最悪で……」
自分の気持ちを喋ろうとすると、こんなにもつっかえたり、早口になってしまったりするものなんだ。
でも今、今言わなきゃ。そうじゃないと、もう誰も聞いてくれないかもしれない。
ロレッタのこの醜い心を。
「どうして最悪なの?」
「ほ、ほんとに私、酷い人間なんです……私、クライヴ様が自殺未遂をしたって聞いて……嬉しかったんです……」
涙が余計に出てきた。
怖い。
本音を言ったらこの美しくて威厳のある王女にどう思われるのか。周囲にどう思われるかが怖かった。だからロレッタはこれまで何も言えなかったのだ。
王女はロレッタの発言を受けて少しの間考えていた。
沈黙が恐ろしい。
でも、ロレッタは言ったのだ。
王女の艶やかな黒い髪が、首をやや傾げる動作に従ってさらりと重さなど感じさせないように流れる。
王女は現在十八歳のはずだ。ロレッタよりも一つ年上であるだけだが、あまりに落ち着いていて威厳があるのでもっと年上に感じさせる雰囲気があった。
「クライヴ・ベリエに自分の婚約者のまま死んでほしかったということかしら? 違っていたらごめんなさい」
あぁ、この人は──。
ロレッタは思わず唇を噛む。
この人は、噂をされているような人では決してない。
王女は留学する前まで、アイザック・ウェルズ公爵令息と婚約していた。しかし「もっといい令息と結婚したい。こんな人は嫌だ」なんて我儘を言って婚約を突然一方的に解消し、留学してしまったと聞いている。
でも、多分嘘だ。
この人がそんなことしないことくらい、ロレッタにだって分かる。
噂で真実を探す方が難しいだろう。
「そ、そんな感じですがあの、もっと酷くて……クライヴ様が、私に少しでも罪悪感を持って死んでくれたなら嬉しいなって……」
あぁ、なんて醜い。
目の前の美しい王女と違って、ロレッタの心はとても醜い。
自身が魅了されていたと知ったクライヴは自殺未遂を起こした。薬を大量に飲んで意識がなくなりかけていたところを発見されたのだ。
父と兄はそれを聞いて「逃げる気か」「世間の同情を誘う気なのか」と怒っていた。でも、ロレッタは心配したと同時に嬉しかった。だって、クライヴは薬を飲むその瞬間までロレッタのことを考えてくれていたはずだから。
彼が遺そうとした手紙にだってそう書いてあった。ロレッタへの謝罪とベリエ侯爵家への謝罪が。
「いいんじゃないかしら。そういうのも」
「……え?」
「愛の形は、人それぞれじゃない」
「で、でも……私は、クライヴ様が私のために死んでくれたら喜ぶような、あ、愛を感じる様な、最低な人間、なんです」
知らなかった。心がこんなに醜いなんて。クライヴにこんなこと絶対に言えない。
王女は出された紅茶をゆっくり飲み干すと、180日間の懺悔について教えてくれた。
彼女はそれを今回の関係者全員に提案するつもりだと。
「あなたはこの提案を呑むかしら」
180日間、クライヴのことを確実に拘束できる。
この期間、彼はロレッタのことだけ見てくれるだろう。これまでのように。
いや、違う。これまでと違って罪悪感を抱いて殊更丁寧にロレッタを扱ってくれるだろう。
あぁ、やっぱり慰謝料なんて要らない。慰謝料なんて取ったら、クライヴの罪悪感が最大限にこちらに向かないではないか。
すぐにクライヴのことを許してしまいたい。
「私は、今すぐ彼を許したいです……」
「世間の目もあるわね。一応、令息側が何かしら謝罪はしたということにしないとね。罪悪感を持ったままの結婚生活は、あなたは辛くなくても、彼が辛いんじゃないかしら。男の人って、罪悪感に耐えられなくなったら浮気をする人が多いんじゃない?」
綺麗な王女の口から出る言葉は意外と鋭かった。
ロレッタは少しの間考えて、クライヴのしてくれる懺悔にも興味が出たので王女の提案に頷いた。
歪んだ心をはっきりと自覚しながら。
魅了を使う令嬢さえ現れなければ、この醜さに気づかずに済んだのに。
自分の気持ちを言うのって、自分の醜さを知っていくことなのかもしれない。
でも、クライヴには自分だけを見てほしい。
彼はロレッタの世界のすべてだったから。
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