ロレッタ1
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兄と父は口が達者なので、ロレッタは意見を彼らの前で最後まで言えたことがなかった。
口を開いてなんとか話そうとしても、彼らはロレッタの意思を勝手に解釈して物事を進めてしまうから。
母も逆の意味でそうだった。
おっとりした母を溺愛する父は、母が何か望む前にすべてを手に入れていた。母はおっとりと動かず、父から与えられたものに無邪気に喜ぶ人だった。
溺愛まではいかなくても、それはロレッタにも適応された。父も兄も母もそれが正しいと思っている様だった。
何を言っても、本当に言いたいことは家族に受け取ってもらえない。
与えられたものを喜ばなければ「なぜ喜ばないのか」という視線に晒される。母の「あら、ロレッタ。嬉しくないの?」という言葉はむしろ凶器だった。
そんなロレッタにとって、クライヴとの婚約は政略であってもたった一つの喜ばしいものだったのに──。
「婚約解消は難しいし、騎士団長の家には婚約続行の条件として慰謝料をこのくらいは請求すべきだ、父さん。このくらい払うなら許してやってもいいだろう」
「ふむ……だが、あそこの資産状況からいってそんなに搾り取れないだろう」
「大丈夫だ、我が家に入れるんじゃなくてロレッタの個人資産にするんだよ。それでもしベリエ侯爵家が傾きかけたら、ロレッタが領民たちが困らないように慈愛の精神で個人資産から金を出して援助したということにすればいい」
「ロレッタの評判が上がるな。息子よ、名案じゃないか。婚約者を新しく見つけるといっても、もうクライヴ・ベリエのような男はなかなかいないからな。ロレッタもクライヴのことは好きだったし。これなら我が家が確実に上に立てる」
「この婚約によって騎士団は我が商会から食料を格安で仕入れられることになったんだ。この金額くらいは痛い目を見てもらわないと」
「その通りだな。ロレッタを傷つけたんだから」
当事者のロレッタそっちのけで、父と兄は勝手にクライヴの家に請求する慰謝料の額を決めようとしていた。
紙に試算された金額は決して安くない。むしろ相場より高い。
ロレッタは己の恋心に値段をつけられているようで不快だった。指先が温度を失っていくのをひしひしと感じる。それでも、口では負けてしまうので父と兄に何か言うことはできなかった。普段だって負けてしまうのだ。傷心中の今なら余計にだ。
騎士団長子息であるクライヴとの婚約が十歳で決まった時、ロレッタは最初こそ不安だった。
だって、騎士というのは声も体も大きく粗野で乱暴なイメージがあったからだ。でも、クライヴは大人しく引っ込み思案のロレッタに優しかった。
兄は父に外見も性格もよく似ていて、口が達者で美しい顔立ちだ。一方のロレッタは母に似て、おっとりしていて見た目も大人しそうに見えて口も達者な方ではない。
手広く商売をしている父はやっかみを受けやすかった。
兄は自分で撃退できていたが、ロレッタはそうではない。「貴族のくせに金にがめつい家」と揶揄されたり、ロレッタが身に着けている装飾品を「商会ですぐ手に入るでしょ? 譲ってよ」と令嬢たちに囲まれてねだられたりすることもあったが、なかなか言い返せない。
そんなロレッタを婚約者であるクライヴが庇ってくれたのだ。そこからはロレッタにとってクライヴは自分だけの騎士だった。
まだ学園生なので正式な騎士ではないが、休みの日に騎士団で稽古をしているクライヴは他の学生と比べて鍛えられておりとても頼もしかった。
だから、クライヴが魅了にかかってロレッタを無視し始めた時はどうしていいか分からなかった。
ロレッタの世界は、クライヴがすべてだったから。
「あ、あの、クライヴ様……今日はランチを一緒に……」
学園で勇気を振り絞って話しかけても、クライヴに無視される。そしてクライヴはピンク色の髪の男爵令嬢のところへ行って嬉しそうに話しているのだ。これまでロレッタに向けてくれていた、輝く笑顔で。
そんな光景を見せられるくらいなら、そしてクライヴに無視されるくらいならロレッタは死んだ方がマシだった。
ロレッタが無視されたのを、他の令嬢たちは笑って見ている。
「クライヴ様だって成金貴族は嫌になったのよ」
「ふふ、やっと? お金をちらつかせて無理矢理婚約したという話もあるものね」
「毎回お兄様とクライヴ様に庇われてばっかりで。あんな頼りない令嬢のどこが良かったのかしら」
「お兄様とはお近づきになりたいけど、ロレッタ様はねぇ。見ていて神経が逆なでされるもの」
「声が小さくてなんておっしゃってるか分からないし、ご自分のご意見もおっしゃらない方は信用できませんわ」
せめて、王太子が婚約者にするみたいに暴言くらい吐いてほしかった。
暴言ならまだクライヴに認識されていると思えるから。
無視は酷い。
まるで、自分がクライヴの世界から消えてしまったように感じるから。「うるさい」とか「君とは一緒に過ごさない」「もう近づくな」くらい言ってくれたらいいのに。そんなことを言う価値もないのだろうか。
クライヴが魅了されていた半年間、ロレッタの学園生活は地獄だった。
でも、彼を嫌いになることはできなかった。存在を無視されていても、令嬢たちに笑われても、一目クライヴを見ることができるだけでロレッタの世界は色づくのだから。
ただ、話をしに行って無視されたあの一回は堪えた。
すれ違った時に挨拶されなくても、いつも一緒だった昼食を何も言わずにすっぽかされても、別に良かった。自分で勝手に言い訳を妄想できたから。クライヴは忙しいのよって。
でも勇気を振り絞って話しかけたのに無視されたら、ロレッタの世界は真っ暗になった。足元がふらついて崩れる。地面が瞬時に柔らかく不安定になって、自分がどこにいるのか分からなくなった。
だから、ロレッタはあの一回以外はクライヴに話をしに行かず息を潜めて見守っていた。
それが小さい頃から慣れている、心を守るたった一つの術だった。
話し合っても無駄。
父とも兄とも、そしてとうとうクライヴとも。
何を言おうとしても彼らは無視する。
イライザ・ウェリントンのように強かったら、婚約者に苦言を呈し続けることもできただろう。クリスティナ・リヴィングストンのように高貴な身分で家族仲まで良ければ、ロレッタは諦めなかったかもしれない。
ロレッタは自分の気持ちをすべて諦めるところだった。
そうさせるのに、半年というのは十分な期間であった。
しかし、ロレッタのためと信じて疑わずに慰謝料の金勘定をする父と兄を説得してくれたのは、意外な人物だった。
留学先から戻ってきた王女のマグノリアである。
帝国との縁をちらつかせて、やりすぎると商会にまで批判が及ぶとあの口が達者な二人を黙らせてくれた彼女は、綺麗なグリーンの目でロレッタを射抜いてきた。
「あなたはどうしたいの?」
なかなか気持ちを言い表せず、口を開けたり閉めたり、膝の上で拳に力を込めたり抜いたりしているロレッタを見ても、彼女は一切返事を急かすことはなかった。
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